つるみかワンドロ「習慣」習慣というものはおそろしいものだ。鶴丸国永は人の身を得てつくづく思う。
彼がそう思考するのは、彼の主である審神者の生活を見ているからだ。
元々国家公務員である彼は、審神者の適性を見出されて部署異動という形でその職位に就いた。規則正しいホワイトカラー、特に家族もいない独り者の彼は、本丸にその居を移しても生活習慣をほとんど変えていないという。
まず朝の6時にはきっちりと目覚め、顔を洗ったら30分ほどジョギングを始める。シャワーを浴びたらコーヒーを淹れて、電子ジャーナルで主なニュースをざっとチェックする。
7時には朝食。メニューに拘りはなく、出されたものはほぼ完食。8時には勤務を始める。刀剣男士たちの出陣の指揮、演練の監督、内番の巡回、昼休憩は時間通り正午からきっちり1時間。そして5時には「定時だ」と静かに宣言し、あっという間に執務室を去る。鶴丸が顕現されて以来、この勤務のリズムが狂ったことは一切ない。
「……こうも変わり映えしない日々を、つまらないと思わないのか?」
ある日の近侍任務の際に、鶴丸はこう問うていた。その言葉に審神者は電子決裁の手を少しだけ止めて、鶴丸の金目を見返した。
「特に問題が生じなけば、業務はルーティン化した方が無駄がない」
「まあ君の仕事ぶりは素晴らしいさ。だがな、たまには何か日々に驚きというか、変化をもたらそうなんて気は起きないのか?」
「仕事にそんなものは求めていない」
「なら、定時のあとは何をしているんだ?」
「軽くトレーニングをした後、1杯の酒と書籍を嗜んでいる」
「……それは、毎日同じなのか?」
「かの『大侵寇』ほどの事態が起きない限りは、そうだろうな」
ちなみに彼の審神者就任は先の防人作戦の後である。この鶴丸自身も、アーカイブデータを1度見たきりである。
「…………君、まだ若いうちからそんな、勿体ない」
「刀剣男士から見れば、俺たち人間など全て若造だろう」
「はあ……君は良い上司だが、そういうところはつまらんぞ……」
「結構だ。それより手を動かしてくれ。残業なぞ醜悪な文化だからな」
そこまで言うと、審神者の手はまた淀みなく動き始めた。とんでもない速さで打ち込まれる緻密な文字列を見て、鶴丸もやれやれと手元の電子キーボードに指先を躍らせた。
「はあ。何もかも習慣として繰り返すだけなんて、心が死んじまわないのかい?」
「鶴丸国永」
もう一度、ひたりと審神者が鶴丸の瞳を見返した。
「お前が習慣という決まりきった繰り返しを厭う性質なのは理解している」
「……ああ」
「だが、俺の祖父はこう言った。『自分が好ましく思うことをひたすら積み重ね習慣とすることは、運命を形作ることに他ならない』とな」
話はそれだけだ。審神者はそう話を締めくくると、鶴丸の端末に大量の決裁済の書類を送り付けた。その処理に追われた鶴丸は、その時の審神者の言葉をあまり深くは考えられなかった。
さて。鶴丸国永は決まりきった生活を望まない。習慣とは対極にいる刀だと自負している。
ではそんな彼がどんな暮らしをしているかと言えば、予想がつかないものを追いかけるに限る。彼にとってその最たるものは、同じ本丸の刀である三日月宗近の観察である。
ある日ふと、何となく。彼を目で追ってみたところ、悠然とした風貌と言動とは裏腹に、その行動は割と不規則で不可思議なのである。
先日、出陣も内番もなかった三日月は、朝食を終えると楽な内番の装いでふらふらと本丸のあちこちを歩き始めていた。幸運にも同じく非番の鶴丸は、そっとそっとその後を追いかけていた。
三日月の行き先は、あまり予想がつかない。唯一食事の時間になったら食堂に直行することは分かるが、それ以外はまったくなんとも分からない。
ある日は本丸を隅から隅までずっと歩いていた。後から聞いたが、出陣していた包丁藤四郎から電子ペットを育てるゲームを預かっており、その散歩のつもりでいたらしい。ちなみに電子ペットには意味がない。
またある日は、厨房から硬くなったパンを大量にもらって来たと思ったら、いつのまにか庭の池に住み着いているおびただしい数の鯉にばらまき始めた。彼がちまちまとパンを小さくちぎっている間に、池の鯉が餌欲しさに大口を開けて群がるものだから、そのグロテスクな光景に他の男士がたいそう驚いていた。
最終的に硬いパンをちぎることを諦めて丸ごと投げ込み始めた三日月に、鶴丸はまた行動を問うてみたところ、「食うと美味いと聞いたので太らせようと思った」と返された。養殖でない鯉には毒があるぞと鶴丸が教えてやったところ、とてもしょんぼりとしてしまった。正直、鶴丸はそんな三日月の顔を見るのが初めてだったので、しばらく凝視してしまったのは秘密である。
これは、面白い。これは、目が離せない。
この男が次はどんな驚きをもたらしてくれるのかと、鶴丸は積極的に非番の三日月を観察するようになった。
いや、行動だけではない。その時の三日月の表情といい、言動といい、何もかもが鶴丸の気を引いてならない。基本的にはゆるりと静かに微笑をたたえているようだが、ふとした時に見せる表情の変化がまた、鶴丸の興味をいたく惹きつける。モグラが掘り返した穴を不思議そうにのぞき込むあどけない表情や、地面に落ちたばかりの椿を拾い上げて慈しむ表情だとか。
三日月の非番の日に出陣や演練が入ると、何となく落ち着かない心地にすらなった。今何をしているのか、己の瞳で捉えられないことに苛立ちすら覚えた。
そんな訳で、鶴丸は審神者にこう申告することが多くなった。
「主。勤務シフトの変更を頼む」
「交替相手の承認は得ているな?」
「無論だ」
そう言って手元の端末を操作すると、審神者の目の前のモニターに鶴丸と大倶利伽羅の二振り分の申請が届いた。数秒それを眺めたのちに、審神者は静かな声で続ける。
「お前がシフトの変更依頼をするのは、今月に入ってもう3回目だ。勤務体制に希望があれば予め申告してくれないか。余分な手間は省きたい」
淡々とそう問われれば、鶴丸は少し気まずそうに視線を上に向けた。適当にはぐらかすという手もあったが、審神者の言うようにシフト変更は面倒といえば面倒であるので、結局正直に話すことに決めた。
「……三日月の休暇と俺の休暇を合わせて欲しい」
「ふむ。やはり三日月が原因か」
どうやら審神者も理由は予測していたらしい。さして驚いた様子もなくいくつかの画面を展開する。それはここ最近の鶴丸が変更届を出したシフト表である。
「他の刀剣の希望休ともかち合わない限りは、そのように組もう」
「あ、ありがとう。……その、理由は聞かないのか?」
「別に興味はない」
「……そうか」
淡々と答えた審神者は、早速勤務シフトを訂正し始めた。追及されないことを幸いとばかりに、鶴丸は一礼ののちにそっと執務室のドアに手をかける。
「ところで、鶴丸」
と、その背中に少しだけ楽しそうな審神者の声がぶつかった。
「その行動は、もはや『習慣』と云えるのでは?」
寡黙な審神者がわざわざ投げこんだ言葉に、鶴丸は開けそこなったドアにしたたかに頭をぶつけていた。
習慣というものはおそろしいものだ。鶴丸国永は人の身を得てつくづく思った。