⁑type-7⁑
…とぼし…
今日は罪人達の処刑も無く、タワー大統領やイベント会社が設定したイベント等も無い完全なオフ。比良坂には掃除や洗濯も休んで好きにしろと伝えてあるが、門の周りだけでもと言って掃き掃除に行った。
(……堕ちてきて3年、あれはもう癖になっているのか?)
ホウキ片手ににこにこと走っていった後ろ姿からもわかる楽しそうな雰囲気にふとよぎった感情に首を振り、自室に戻る。はいねは観たい番組が一挙配信されると部屋に篭りきりだから大丈夫だろう。
(……休めと言ったというのに)
時計の長針が一周したが比良坂は戻ってこない。
無意識に座卓をトントンと指で叩いていたのに気付き何にイラついているのか、そしてそのイラつきの原因まで考えたところで己らしくなさに卓面に伏す。
(違う、何も期待していない!!)
ひんやりとした卓面が無駄に熱い顔に心地良い、昔ならーー現世にいた頃はこんなではなかったのに、なぜ己はこんなに弱くなったのだろう。いつも考えるが答えは出ない、姿は昔の姿に縮んだが刑吏としての能力付与で身体能力の全てが底上げされて物理的な強さは得たしはいねを守り生還させるという強い意思も変わらない。それなのに、比良坂が堕ちてきた時から己の心は弱くなった。アイツがいれば心強い、言葉にするのはいつかと思っているが充分すぎるほどに右腕として働いているし己を支えている。
そう、支えられすぎているーー依存している、アイツに。相棒としての精神的な意味でも、恋人としても。
己がここへと堕ちてから比良坂が堕ちてくるまでの間が思い出せないほどに、比良坂がいない生活がもう当たり前ではなくなってしまっている。現世の時ですらこんなに共にいた事は無かったのに、なぜか今が当たり前だと思ってしまっている自分に恐怖しかない。
はいねや比良坂を失ったらどうなる? 守るべき存在、失いたく無い存在がここにいるのに刑吏化は容赦なく己を苛む。刑吏化して2人をこの手にかけたら……いやそんな時がくることは絶対に阻止するが、もしもと思うとひと時も離れたくない。離したくない。絶対に守りたい。
はいねは年頃なせいか少し距離をおくようになったが、比良坂へは恋人という距離感を利用して甘えすぎている。比良坂は己のすることや言うことを基本的に否定しないから受け入れているが、こんなナリで矜持も無くそして年甲斐も無く依存して甘えて、内心はどう思っているんだろうな。比良坂は己に嘘は吐かない、逆に言えば嘘になることは言わない可能性もある、たまに困ったように笑うことがあるがあの笑みの意味は会って15年経つが今でもわからない。あらかたのことは分かっているつもりでも、たった笑みひとつすらどんな気持ちで浮かべているのか分からない。
考えれば考えるほど暗闇の迷宮を歩き回っている気持ちになる、この不条理な場所と刑吏化という呪いがじわじわと精神を脅かしてらしくない事ばかりを考えてしまう。
答えなど出ないのがわかっているからいくら考えたところで建設的じゃないのに、アイツが近くにいないと簡単にこんなくだらない闇に囚われてしまう。心を満たす光がそばに居ないとこんなに脆くなるとは知らなかった、気付かないでいたかった。
「……キスしたい」
苦しさと後悔にまみれているというのに口から出たのはそんな色ボケしたもので自分で自分に嘲笑、こんなこと現世にいた頃思っていたか?……思ってなくはないな、これは。
「では、顔を上げてくださいよ先輩」
思考が混沌と化しすぎて何が面白いのかもわからず肩を震わせて笑っていたらすぐ横からかけられた思いもかけない声にがばっと顔をあげると、少し困った顔で笑う比良坂が正座していた。
「なっ⁉︎ お、お前、いつ、なんっ⁉︎」
「ちゃんと声はかけましたよ、休んでらっしゃるのかと思い勝手に入りました」
とんでもない独り言を聞かれた恥ずかしさから言いたいことがうまくまとまらないが比良坂は容易く己が言いたいことを汲み取って説明してくる、そんな声は聞こえなかったがそれだけ思考が沈みきっていたのだろう。これが処刑する罪人だったらと思うと気の緩みが酷いなと背筋を伸ばす、今の独り言をなかったことにするためについでに咳払いもしておく。
「掃除はもういいのか?」
「はい。お待たせしました」
「別に待っていない」
どんな意図で言ったのか分からないが反射的に言い返してしまい、こういうのはよくないところだと自覚しているが性分なのか考えるより先に口から出てしまう。それにまた困ったように笑う、困らせたい訳ではないんだがな。
「そんな顔をして、どうされたんですか?」
「? 別にどうもしていないぞ」
ポーカーフェイスは得意だし、今だって取り繕えているはずだ。さっきの失言を無かったことにしたい気持ちがある今崩すはずが無い、だから比良坂が言う意味が分からず聞き返すと右手が己の頬に添えるように触れる。オフの時にはつけている中指のリングの無機質な感触が無性が心をザワつかせる。
「私に形だけのポーカーフェイスは通じませんよ?」
宥めるように撫でてくる手にカチンときてその手に手を重ねて止めて睨みつけると、
「己はお前が見せる表情がわからないのに何故お前は己のことが分かるんだ」
「先輩?」
一息で文字通り吐き出すように捲し立てたら比良坂はその眦が下がりぎみの穏やかな目を丸くしておそらく反射的にだろうが手を引こうとする、しかし己は手に力をいれて縫い止め離させはしない。離れるな。
「……」
口を開くがまとまらない心は言葉を紡ぎだしてはくれず、ただ手を重ねたまま視線を交わす。
「先輩の瞳、綺麗ですよね」
人と違う色をしているからよく言われてきた言葉、それでも好きな奴に褒められたら嬉しい……嬉しかった。今は脈絡無く言われて、己の問いを誤魔化すつもりなのかという猜疑心が喜ばせてはくれない。
「先輩の感情を全部映し出して、そして私を映してくださる」
「っ!」
顔を寄せるのに咄嗟に目を瞑ると瞼にキスを落とされた、何が言いたいのか何がしたいのか全くわからない。
「目は口ほどに物を言う、でしたっけ? 先輩はそれですよね。だから分かるんですよ。いつも私を見ていてくださるように、私も先輩を見ているのですから」
「目?」
ことわざなんか知っていたのかと少し関心したのも束の間、
「はい、さっきはかわいい独り言なわりにこの世の終わりみたいに泣きそうな顔をされていたのでどうしたのかと」
「忘れろ」
さらっと言われて恥ずかしさがぶり返す。
「キスは私にもできます、でもその心を癒すことは……私ではできませんか?」
思った以上に真剣にまっすぐに言われて言葉を失くす、本当にわかっていたというのかさっきの己の胸中を。
「……」
己の目を綺麗だと言うが比良坂の濃い灰色の深みある瞳の方が綺麗だと思う、慈愛に満ちた瞳はころころと変わる表情と一緒に感情を映し出す嘘偽り無く。そして今も射抜いてくる眼差しは言葉以上でも以下でも無い真っ直ぐで真摯な想いが篭っている。
頬に縫い止めていた比良坂の手を離すと目に見えて動揺して指を曲げたので手首を掴み直して手の甲を上にして指をひらかせる、己が何をしようとしているのか分からないのかされるがままに見てくるのを感じながら中指からそっとリングを外す。
「?」
座卓の真ん中に置いてから向き直ると怪訝さを増した顔があり思わず小さく笑うと、あの? と痺れをきらして口をひらいたところを視線で黙らせて深呼吸を一つ。
「……己に触れる時に、他の物で間をあけるな」
リングを外した手を一瞥してその手を再度自分の頬に触れさせる、無機質な感触も冷たさも無い比良坂の温もりと優しさだけで心が満たされて、穏やかな光が闇に満ちた心に降り注ぐのを感じる。
「そしたら、癒せるかもな」
既に今癒されているのだから素直に言えばいいのだろうが性分ーーいや、もっと癒されたいという貪欲さと独占欲だこれは、そしてこんな浅ましさも見てとれているのか比良坂は安心したように笑ってはいっと心底嬉しそうに答えた。
己の懐には二つの灯りがある、決して消されてはならない灯り。
刑吏としての生命を縛る命の灯り。
霙木エンラの心を照らす灯り比良坂アキト。
-END-
後日困ったように笑う比良坂に耐えきれず、何を考えている⁉︎ と詰め寄ったところ、目に見えて狼狽え視線を逸らしまくりながら縁側から落ちてそのまま這うように逃げようとしたからその背中に飛び乗って
「言え、己が聞いているんだぞ」
苛立ちも相まってこの姿で最大限に低くドスの利いた声で言うとピタリと動きをとめて片手を降参とばかりに挙げる。
己を背中にのせて片手腕立て伏せのような状態になっているシュールさ、おそらく己がブーツを履いていないから土に触れさせないためだろう。変なところに気が回る奴だ。
飛び乗った時と同じように縁側へ跳ねて戻ると、比良坂はつぶれた声をあげて今度こそ地面へ伏した。少し罪悪感が湧いたがそれを見せないまま、身体を起こし地面に正座をした比良坂を見下ろす。
「……罰とか無しでお願いできますか?」
無闇矢鱈に罰しているつもりは無い……稀に八つ当たりはあるが、そこまで怯えて言うようなことを考えているのかと思うと不安になって聞かなければ良かっただろうかと思うが既に遅い。ああと続きを促す。
「……かわいいなと思っているのと、理性と本能が格闘しています」
「?」
何を言っているのかさっぱりわからない、分かりづらく言っているのかと訝しみかけたが視線がうろうろと落ち着かない様子を見るにそんなつもりは無く本人的にはおそらく真剣に言っているのだろう。が、かわいいはともかく格闘の意味がわからない。そもそもかわいいことをしたり言ったりした気もしないのだが。
「どういう意味だ?」
いくら考えてもわからないなら聞いた方がはやい、洗いざらい吐かせるのが刑事たるものだ。
「え⁉︎……えー。ーーそのまま……です」
しどろもどろになっただけで目新しい言葉は引き出せない、何がそのままなんだと彷徨う視線の軌道をはかって待ち構え正面から無理やりに視線をあわせてやる。
「……」
「……」
あわせた視線を先に外したのは不本意ながら己だった。
比良坂は視線があった瞬間は動揺したもののすぐに微笑んでみせた、その笑みがアンサーだと言わんばかりに。そしてその笑みをいつどんな時に見るものかを知っているから解ってしまった、″本能を理性で押し留めている時″なのだと。
わかってしまえばたしかにそうとしかとれない言葉運び、しかし日常の中で見せる表情にそんな意味があったとは結びつかなかったのは仕方ないはずだ。ついでに格闘ではなく葛藤じゃないのか? それとも本当に理性の比良坂と本能の比良坂が闘っているのか? それはそれで面白いな、勝率は身をもって知っているから負けている方には頑張ってもらいたい。
つい現実逃避をしていたが己が勘付いたことには気付いているだろう、比良坂のそんな葛藤を知った今どう接したらいいのかわからない。
「……先輩?」
でこぼことした地面で器用に背筋を伸ばして正座している比良坂がやや不安そうな声をだす、それもそうだろうなと他人事のように思うがそうさせているのは己自身なわけで、不安にさせたいわけでは無いからはやく何かリアクションを返さなくてはと口を開く。無計画に。
「……時と場合によるが、別に格闘する必要は無い」
「……え?」
「あ」
己は何を口走った? 言ったのは自分だと言うのに比良坂と変わらない間の抜けた声がもれる。
明らかに選択肢を間違えた、いや嘘は無いがそれでも今言うことじゃない、こんな素の状態で。耳が熱い。
「い、今のは忘れろ! あとそこで30分正座していろ!」
その間に自室に籠城してやるつもりで吐き捨てると踵を返すが比良坂はつい今まで正座をしていたとは思えない素早さであっさりと己の背後をとり、
「罰は無しだと約束してくださいましたよね」
すっぽりとーー不本意だか嫌では無いし落ち着くーー腕の中に抱きしめて囁いてくる。
「時と……場所は選べ、と言った、ぞ」
己の身体を抱いて交差した手からリングを外して渡してくるのが意味することに、今度は己が動揺からしどろもどろになってしまう。
「そうでしたね、部屋に戻りましょうか」
ちゅっとリップ音をさせて耳にキスをされたら恥ずかしさと期待と愛しさが綯い交ぜになった頭で頷いてしまう、手の中のリングを握りしめて。
表情から察してしまうことになるなら知らない方がよかったのかもしれない、でもそれでも困らせているのではという不安が払拭できたこととそういう葛藤をしながら大切に愛してくれていることを知れてよかったという気持ちの方が大きい。
どうせ己のそういう葛藤だとか感情とかも見透かされているだろうから、それならアイツのことも知っていた方が50/50だ。
……それに、分かれば逃げようもあるからな。
-END-
2023.06.18