昼寝 朝早くからアーサーは不在だった。今日はカイン、ヒース、シノと一緒にディズニーに行くのだそうだ。ディズニーならオズもアーサーと何度か行ったことがある。まだ彼が抱き上げられるくらい小さな頃のことだ。年に1度ほど連れて行った。アーサーは子供らしく大はしゃぎして、帰るころには疲れてオズの腕の中でぐっすり眠っているのが常だった。その緩んだ手から風船が飛んで行ってしまったことは1度ではない。
それでオズは朝から一人で家事を片付けて回っていた。今日は日曜日で、体育教師である彼も非番だった。日ごろから几帳面な性格のアーサーによって家は整然としていたが、やはり手が回らない家事もある。風呂やトイレ、キッチンなどの水回りの徹底的な掃除などはその一つだった。アーサーは自分がやるからいいと言っていたが、オズは彼のいない間に自分で片付けてしまおうと思った。それで昼頃には彼はくたくたになった。アーサーがいない時にしか作らないような簡素な食事を済ませ、乾いた洗濯物を取り込む。昼下がりのぽかぽかした陽気が広い窓から差し込む中、オズはひたすら二人分の洋服をたたんだ。洗濯はいつもアーサーの仕事で、たたんでタンスにしまうのもそうだった。それでオズは、いつもアーサーがやっているような几帳面さをまねて服をたたむのだった。アーサーがいなければ、今でも洗濯した服をそのままタンスに突っ込んでいたかもしれない。
オズは洗濯物の山から一枚の服を手に取った。アーサーの服だ。オズのものほど大きくはないが、オズが彼をディズニーに連れて行っていた頃よりはるかに大きくなった。そのころの靴下なんて、オズの掌の半分ほどしかなかったのだ。それなのに、今のアーサーは自分だけでディズニーに行くこともできるし、帰ってくることもできる。疲れて眠り込んでしまい、風船を離すこともない。そもそも風船だってもう買わないかもしれない。
たたむために床に置こうとした服をそのまま胸に引き寄せる。ふと、広い家が、しんと静まり返っていることに気づいた。オズはもちろんのこと、アーサーは騒がしい性格ではない。二人で家にいても、静まり返っていることはある。それなのに、オズは今の静けさがなんだか重苦しく感じた。アーサーと二人で静かな家にいるときは感じない質量だった。次いで彼は、朝から家事のしきりで少し疲れていることに気づいた。体力には自信があるはずなのに、なんだか体が重い。オズは何とはなしに、ごろりとカーペットに転がった。視線が低くなると、空間の広さがさらに感じられた。この家はアーサーが来る前からずっと一人で住んでいた家だ。慣れ親しんだ広さのはずだ。オズは胸にアーサーの服を引き寄せたまま目を閉じる。昼寝をするつもりはなかった。ただ、なんとなく今のこの部屋の状態から目をそむけたい気持ちだったのだ。
洗濯ものをたたみ切れば、家事は一通り終わるはずだ。夕食もいらないとアーサーには言われている。これさえたためば終わる。そう思いながらも、オズはとろとろと眠り込んでしまった。
アーサーは外から見て、家の明かりがついていないことに気づいた。オズに贈られた腕時計を見る。22時だった。高校生にしては遅い時間の帰宅を可能にしたのはフィガロだ。彼がわざわざ一人ずつ最寄りまで送り届けてくれたのだ。
「それじゃあ、おやすみ。オズきっと早く話を聞きたがってるよ」
そう言ってフィガロは帰って行った。そうだといいと思う。自分も本当に楽しい1日を過ごしたものの、素敵なものを見るたびにオズに見せたいと思ってしまったから。
しかし、家の明かりは無い。明日は祝日だからオズも休みのはずだが、早々に眠ってしまったのかもしれない。鍵を開け、家に足を踏み入れる。リビングに行くと、何か長いものがカーペットに横たわっているのが見えた。
「オズ様?」
アーサーは思わずリビングの入り口へ駆け寄った。オズの具合が悪いのではないかと心配したのだ。しかし、オズはきわめて安らかに寝息を立てているだけだった。何かを抱きしめるようにして眠っている。
(何を持っているんだろう)
アーサーは、オズを起こさないようにそっと近くへ歩み寄る。わずかな廊下の明かりによって目を凝らしてみると、それはアーサーのトレーナーだった。オズは、アーサーの服を抱きしめたまま眠っていたのだ。その横には、たたまれた洗濯物と、まだたたまれていない洗濯物の山。どうやら作業中に眠ってしまったらしい。アーサーはそっと立ち上がると、ソファに置いているブランケットをそっとその上にかけた。そのまま電気をつけずにソファに座って、オズを見下ろす。さっきから、心臓がどきどきしている。フィガロはオズが寂しがっているだろうと言った。だが、想像以上のオズの思いに打ちのめされたのだ。不在の自分の洋服を抱きしめて眠るなんて。もちろん、寂しくて恋しさに、というわけでは無いかもしれない。唐突に眠くなってそのまま倒れこんだだけかもしれない。けれど、アーサーはじわじわとほおが熱くなるのを感じていた。あまりにも愛しすぎるオズの行動に、ただ見つめているだけではすまなくなってきた。早く目を覚ましてほしい。服じゃなく、自分を抱きしめて眠ってほしい。じれったい思いとは裏腹に、オズは眠り続けている。もともと、オズはとてもよく眠る。しかしそれはアーサーが知るオズだった。彼の師匠二人とフィガロは、家で眠っているところに誰かがやってきて、それでもまだ眠っている無防備なオズのことなど想像もつかないだろう。その事実こそがオズがアーサーにどれほど心を開いているかの証明であったが、青年はそれを知る由もない。
ソファから立ち上がり、オズの横に潜り込む。そっと洋服をオズの腕から抜き取ると、さすがに彼も目を覚ました。
「……アーサー」
小さなあくびを漏らす。
「帰っていたのか……なぜ、電気をつけない」
「オズ様が眠っていらしたので」
「気にしなくていい」
「ですが、きっとお疲れだったのでしょう」
その証拠に、オズはまだ眠り足りないとばかりに目を眠そうにしばたかせた。
「お前こそ、疲れただろう」
「いえ、それが全然。皆と、『今日一日をもう一周できるな』と話しながら惜しみつつ帰ってきたのです」
「そうか……」
男子高校生の体力は無尽蔵だ。オズでも太刀打ちするのは難しいだろう。オズはそれをよく知っている。
「小さい頃のお前は、ディズニーに連れて行くと、帰りの電車で必ず眠っていた」
「見かねてフィガロ様が車を出してくださろうとしたのに、私が電車が好きだからとオズ様は電車に乗り続けてくださいましたね」
「そうだ」
オズはまたあくびをした。抜き取られた服の形に胸の前で重ねられた腕がゆっくりと伸びる。
「大きくなった……」
オズはため息のようにそう言って、アーサーに腕を回した。そのまま、再び目を閉じてしまう。
「お、オズ様」
このようなところで眠られると、風邪をひきますよ。と言おうとしたが、オズが風邪を引いたところ等一度も見たことが無い。先ほどまで、まだ眠くないと思っていたアーサーだったが、にわかに眠たくなってきた。オズの腕が温かい。アーサーは思い出した。小さいころだって、我慢しようとすればできたのだ。だが、疲れた頃にオズの腕に抱かれると、たちまち眠たくなってきてしまうのだった。今だってそうだ。アーサーはオズの長いまつげを見ながら大きくあくびをした。温かくて、オズのにおいがする。アーサーは抗わず目を閉じた。
夢でもまたディズニーランドにいた。アーサーは小さくなっていたが、何故かオズも小さかった。見たことのない子供のオズの姿に違和感も持たず、アーサーは腕を引っ張って駆け回った。オズもいつも通りアーサーを見つめ、幸せそうに微笑んでいた。