きみ、ねこ 休日。ご家族連れなんかの人の群れを縫って買い物を済まし、スーパーから出た温客行はほっと息を吐いた。
明日、ゴミの日なのにゴミ袋がなかった。思い出してよかった。
天にも仙にも等しいと言われる不老と長寿、能力を持ちながらも、気がついた私はえらいぞ、と小さな事に機嫌がよい。
マーケット向かいの公園に足を向ける。時々寒い日はあるけれど、春。季節を満喫する子どもたちの声が賑やかだ。
阿絮はいつものベンチを確保出来たかなぁ。
一緒に散歩に出かけた同居人は人混みが得意ではない。ざわつく店舗に誘うのは気が引けて、先にベンチを取っておいて、と彼と別れた。マンションから持参した湧水入りのボトルを持たせて。
スーパーとかにあんなに水がたくさん売ってるのに、私たちは飲めないもんねぇ。超自然派向けの煮沸処理してない水を売ってくれないかな。
子どもたちの楽しげな声を横目に公園の奥に向かう。ブナの木の下にあるベンチがいつもの場所だ。広い公園の東西の入り口の中間あたり、遊び場もない通路の目立たぬ場所にそれはある。
散歩の途中にのんびりするのにちょうどいい。
ブナの木は公園で一番立派で元気だ。神仙が初めて来た時はなんだかしょぼくれていたが、来るたびに話しかければみるみるうちに健やかになった。神仙には自然物に対してそんな力もある。
肥料かよ。
温客行は少し思う。
「あれ? 阿絮がいない」
ベンチは空席だった。だが、独り言が聞こえたらしく、ブナの木の巣穴からリスの一家が顔を出した。ご夫婦と子どもが三匹。
「阿絮、知らないか?」
尋ねれば父親らしき個体が首を回す。公園隣の植物園に続く通路を見やる。
「そうか。行ってみる。礼を言うぞ」
ジャケットのポケットから胡桃を出してふわりと放る。あわあわと夫婦が力を合わせて受け取るのを笑い、温客行はベンチを離れた。
「阿絮……」
植物園は春の花々に溢れている。楽しげに散策する人々が行き交う通路に、いくつかベンチが置かれていた。
そのひとつに座るうつむき加減の同居人に声をかければ、びくりと体が揺れた。恐る恐るというふうに顔をあげる。
かわいっ。
温客行は心の中で叫ぶ。
もともと黒目がちの大きな目が濡れたように光っていた。頬は酒を呑んだ時のようにほんのりと色づいている。困ったように顰めた眉も、きゅっと閉じた唇も全て可愛い。
は。いかん。
見惚れている場合ではないと、温客行は一度目を閉じてから、わざとらしくむっとした顔を作った。
「老温……」
「約束したのに」
肩ほどの長さの白髪を不機嫌に背に払う。
「ち、違うんだ、老温!」
ベンチに座る周子舒の膝の上に白猫が丸くなっている。
動物と対峙すると周子舒は輝きが増す。温客行が見る限り、そういう特性が同居人にはある。
動物好きなのだ。周子舒という人は。
温客行はそれこそ長い年月を共に過ごしてきたが、長さに比例して、その日々は動物飼育を断固として拒否する戦いでもあった。
怪我した犬を、近くの廃墟に匿っていたこともあった。子どもか。
そんな同居人なのだ。
ペットなんて飼おうものなら大変だ。
周子舒は動物に夢中になる。温客行には想像するだけでそれがつまらない。
温客行にその顔は見えないが、猫は我が物顔、という空気を醸し出していてさらに面白くない。
「なにが? うちは動物は飼わない。特定のやつに肩入れはしない。約束しただろ?」
飼えない代わりに、嵐の中を様子を見に行く、なんてことを過去に何度もやらかしている。子どもか。
「聞いてくれ! 老温!!」
がばりと周子舒が猫を持ち上げた。うなん? と不満気に猫が一言言う。
「見てくれ!! この、この猫は、葉先輩なんだ!!」
必死な様子で周子舒は言った。
「はあ? 老妖怪? なに言って」
不審を貼り付けた顔が猫に目をやりぎょっと歪む。
「かわいくなっっ」
「し、失礼なっ」
とりあえず、並んでベンチに腰掛けることにする。
植物園はいつもより人出が多いが、客の年齢層が落ち着いているので静かだ。
ボトルの水を飲みながら温客行はちらりと隣を見る。
周子舒の膝の上には相変わらず白猫が丸くなっていた。
白猫はすらりとした猫らしい体つきで、尻尾が長い。毛並みは短毛が艶めき美しく、純白だが、頭のてっぺんがだけが黒かった。
遠くから見ればとても美しい猫である。
だが、目つきがすこぶるよろしくない。
じっと見る視線に気がついたのか、伏せたまま金色の目で温客行を半眼して見やる。
口元はなにか人を馬鹿にしているように薄笑いを浮かべて見える。
「……確かに、真っ白具合や髪型、目つきの悪さ態度のデカさは老妖怪みたいだな」
「髪型? ……なぜお前はこの子を貶すんだ。可愛いのに」
頭から尻尾の先までを丹念に撫で、周子舒は唇を尖らせる。
「とても可愛いお姿じゃないか。可愛い上に、目の金色なところは神秘的だし可愛いし、鼻の桃色は健康的でお可愛らしい。肉球も可愛い桃色でかわいい」
ぷちりと小さく温客行の中で何かが切れた。
「可愛くないよ! よく見て!!」
「可愛いだろうが!」
二人にあたりから注目が集まる。周子舒は何事もなかったかのように泰然とした首領モードを発動する。対して温客行は周囲に冷えた視線を投げかけ「気安いぞ下々」と谷主感を出していく。
人々は視線を逸らした。
それなのに、渦中の猫は耳の一つも動かしはしない。泰然としすぎている。
「……だいたい、どうしてこれが老妖怪なのさ。ちょっと似ているくらいで」
「……俺たちが葉先輩と最後にお会いしたのは、もう二百年あまりも前だ」
「そうだね。昨日もそんな話をした」
「そうだ。昨日、話した」
周子舒の声がだんだんと沈み、暗い影を帯びる。
「阿絮?」
「……思い出してみろ。葉先輩は、最近お会いしていないな、なんて噂したら、いつも次の日ひょこりと現れて下さっただろう」
「まぁ、来やがったよね」
周子舒はいつも突然の来訪に驚きながらも歓待していたが、温客行と葉白衣は、いつまで経っても出会った頃のまま、会えば喧嘩といがみ合いの関係だった。
「……なんとなくこの辺を歩いていたら背後から、おい、と声をかけられた」
周子舒はふと、聞き覚えのある声だと思った。思い、振り返った。
懐かしい人の姿はない。
だが、ここだここだ、というようにベンチの陰から桃色の肉球が振られていた。
近寄り、目を丸めた。
「……葉、先輩?」
最初はまさかと思ったのだ。いくら周子舒といえど。
だが、ちょこりと座った白猫は、ふん、と鼻を鳴らした。
鳴らして、にやりと唇の片側を上げて笑った。彼の人がよく見せた仕草そのままに。
慌ててしゃがみ込み、こそりと猫に尋ねた。
「なぜ、そのようなお姿に?」
猫は答えない。答えないが、じっと周子舒を見つめてくる。
金色の瞳を眺めているうちに、周子舒は涙が溢れた。
「……転生されたのか」
ふふん。猫は笑った。
「あ? 老妖怪死んだの?」
「なんで気軽にそんなことを言えるんだ! お前は!」
どうして私が怒られるんだ。温客行は唇を尖らせた。
「……悲しい。淋しい。先輩は、さい、最後を、どこで、お迎えになって……」
あわあわと言葉が震える。
それを聞く温客行がまた、あわあわと慌てる。
「泣かないでよ阿絮!」
「らおうぇん! この子と一緒に暮らしたい! 何不自由なく、先輩に猫生をお過ごしいただきたい!」
これは、今までの「動物と暮らしたい熱」の中でも最強クラス。
温客行は深く眉間に皺を刻んで腕組みした。
老妖怪め。死んだなら、なぜ後なっても迷惑をかける。災いは千年蔓延るとか、うっせーわ。
蔓延り尽きた後まで蔓延るなよ。
「……生まれかわりとは限らないでしょ。ただよく似た目つきの悪い個体なだけで」
てけてけと周子舒はスマホを操作する。ちょっとだけ眉を顰めて唇を尖らせる仕草は、昔から彼が細かな作業をする時の癖だ。
目元を赤く濡らした知己がグイグイと温客行のジャケットの袖を引く。
「見ろ! 老温」
ペット、生まれ変わり、で検索したらしい画面を見せられる。
「な!?」
「……な? って言われても」
「疑り深いな。じゃあ、抱っこしてみろよ」
「え? 待ってよ! それでなにがわかると言うの? 私は老妖怪を抱っこするような馬鹿愚かな経験は積んでな、わ、わーーっ! わ、わ……わぁ……わぁ」
ほかりと暖かく、柔らかな体を抱える。
くにゃりと頼りないしっとりとしたそれは、手の中に収まる。
ほっこり、しっとり、すっぽり。
なんだかとても小気味がよい。
「せんぱーい。先輩。かわいいですねぇ」
周子舒はにっこにこで白猫を撫でる。
猫はふん、とつまらなそうに鼻を鳴らした。
当たり前だ、と言っているようにも見える。
「お前、本当に老妖怪か?」
目の前に持ち上げて顔を見る。
見れば見るほどふてぶてしい。周子舒が言うように、時々片方の口を上げてほくそ笑んだりもする。
「……似」
てる、と言いかけて、慌てて口をつぐむ。
「似てると言うか、そのものだ」
神仙の耳は誤魔化せない。
白猫は突然、ゆらりと下肢を揺らした。
お? と思う暇があればこそ、とすとすとすとす、と温客行の顔面を後ろ足で蹴った。
小さな足の癖に、やたらに重い蹴りだった。
「ああ! い、今のは! あの夜、老温にとどめを刺したのと同じ蹴り……!」
四季山荘の近くで2人がかりでこてんぱんにされた。いつかやり返してやる。そう思っていたのに、結局叶っていない。
「どうだ老温? 先輩だろう? 間違いない……老温?」
そろりと周子舒が伺えば、温客行は真顔だった。目を見開き、瞬きもしない。
あれ? キレてる?
周子舒は慌てて猫を奪おうとする。だが、手を伸ばす寸前で温客行がぎゅっと猫を抱きしめた。
「ら、老温?」
「なに、今の」
「あの、許して差し上げろ。悪気は、ないんじゃ」
「肉球!? これが、肉球ってやつ!? すんごく気持ちがいい!!」
う、うわぁ。
周子舒は小さく悲鳴をあげた。気持ち悪い。同居人のことをそう思ってしまった。
「なんか、すごく気持ちが良かったよ!? わー! わー! これが、猫……」
ぐっと顔を近づけると白猫は心底嫌そうに前足を突っ張る。顎に猫の手を感じて温客行はにまにまとする。たぐい稀な白皙でなければ、ただのど変態だと周子舒は確信する。
それでも気を取り直して、ここがチャンスと気持ちを交渉に切り替える。
「な? いいものだろ? 一緒に暮らしたらたくさん味わえるんだぞ!? お前は肉球を楽しみ、俺は先輩を大切にし、猫は……猫は可愛い」
「たしかに……この目つきの悪いのが急に可愛く思えてきたな」
「そうだろ!? だから、我が家に来ていただこう! 老温!!」
「でも、この猫はフリーの猫なの? 飼い主がいたりしないのかな」
「それがな! さっき、植物園のスタッフが言ってたんだ。野良を保護する団体が来るたびにこの猫はとんでもなく素早く姿を消してしまうらしい。膝の上に乗ってるなんて初めて見ました、って。連れ帰ってもいいって言ってた」
「最初から連れ帰る気満々なんじゃないか」
「頼む! 老温!」
周子舒は眉を顰めて上目遣いに知己を見つめる。
卑怯者めっ。
ため息を吐き、温客行は猫を膝に下ろした。
「ここで拒否したら、阿絮は猫と一緒に家出しかねない。雨の中、猫を抱きしめながら歩く姿が目に浮かぶ」
「人を子ども扱いするんじゃない」
にゃー、と一声鳴いて、猫は周子舒の隣に置かれたトートバッグを見やる。
「どうしました? 喉が乾いてらっしゃいますか?」
周子舒がボトルを持ち上げて見せれば、うむ、と頷く。
ボトルのカップに水を注いでやる。
ベンチに降ろされた猫はじっとボトルを見つめる。
「なんだ? 足りないのか」
温客行がやれやれとボトルを傾けようとすると、ちょん、とカップを猫はつつく。カップとボトルが触れた。
こつん。
小さな音が鳴った。
飲み干すぞ。
そんな声が聞こえた気がして、知己は顔を見合わせた。
「やはり、葉先輩で間違いない」
「……なんか、そんな気がしてきちゃったな」
温客行はてちてちといいながら水を飲む白猫の頭を撫でた。
「老妖怪め。猫に転生するなど、なかなかいいことをする」
「先輩。ここが我が家です。この家は初めてですね」
マンションに帰った周子舒はずっと抱いていた猫を床に下ろした。
ふんふんと匂いを嗅ぎ、きょろきょろと辺りを見回すのを自由にさせてやる。
もともと細かな装飾やそれほど高級な家具はない。すんなりと猫を迎え入れる事が出来る。
帰りにペットショップで買ってきた最重要アイテムを取り出し、床に設置してみる。
トイレと猫砂。
公園のベンチで猫の飼い方を検索した。こらから何度も検索やらを繰り返すであろうが、まずは第一歩だ。
「粗相を拭いた物を入れてやればそこがトイレだといつか覚えると書いてあったな。まあ、気長に、だな。先輩。ここがトイレで」
振り返ればすでに白猫はトイレの中にいた。さか、さか、と砂を蹴りトイレから出ていく。こそりと覗けば、砂がころりとした塊になっている。
「……さすが先輩ですね」
トイレという、なんとも言えない分野で先輩を褒める日が来るとは思わなかった。周子舒は感慨深く腕を組んだ。
パンツの裾をちょいちょいと引かれる。
「どうしました? 先輩」
しゃがみ込むと、白猫が前足を膝に乗せて見上げてくる。金色の目でじっと見つめられて、周子舒は相好を崩す。
「だ、抱っこしてもいい感じですか?」
抱き上げるとぽすりと腕に収まる。
これは……桃源郷……間違いない。
「ふふふ……先輩は転生して甘えん坊に? 良いです。とても、良いです」
そうか、と揺れた尻尾が周子舒の腕をぽふりと叩く。
チャイムが鳴る。
ペットショップ前で温客行とは別れた。まさか猫連れで店に入るわけにはいかず、先に買ったトイレセットだけを持たされて帰ってきた。
「鍵があるのにチャイムを鳴らすとは。あいつ、めちゃくちゃ買い込んだんじゃないですかね」
白猫は、かもな、と言うように、にゃむん、と頷いた。
「おい、老温、いきなり買いすぎるなと言った」
ドアを開けて周子舒は絶句、そののち固まった。
「久しいな。元気そうだし相変わらずだな。ん? 猫を飼っているのか?」
白いオーバーサイズのパーカーに、ほとんど白に近いほどウォッシュされただぶついたサイズ感のジーンズをはいた若者が、よう、と気軽に手を上げている。引き締まった体つきが服装のせいで華奢に見える。ふわりとしたミディアムショートの髪に、いく筋かの白髪が混ざっていた。
じっと周子舒の胸に抱かれた白猫と客は見つめ合う。
「目つきの悪いやつだな。やけに偉そうだし。おい。可愛くないぞ」
貶しながら楽しそうにちょいちょいと指で猫の額をつつく。なごなごと猫はその指に戯れた。
呆然と客を見つめていた周子舒は、こくりと胸の内の猫を見下ろした。
「だれだ、おまえ」
「なに? この私を見忘れたのか? 大恩人である、この私を?」
自称大恩人、葉白衣その人であった。
「い、いや、あなたではなく!」
両腕にレジ袋をさげ、なおかつ大きな段ボール箱を抱えた温客行が廊下をやってくる。やってきて、途中で顔を険しくして走り出す。
「あ、阿絮! 誰なのこの、ちゃらい若造は! 私というものがありながら!」
「阿呆か。くだらない三流ドラマに私を巻き込むな」
葉白衣は呆れ果てた顔でふん、と鼻を鳴らす。その仕草に温客行は手にしていた段ボール箱を落とした。
「大荷物だな。飯か? よいぞ、食うてやろう。思う存分作るが良いわ、小僧」
「おまえ、だれだ」
温客行が知己の胸で微睡かけている猫に言う。
「なんなんだ、お前たちは。揃って相変わらず愚かだな。この葉白衣を忘れるとは」
「お前じゃない!」
「はあ? まぁ、いい。邪魔するぞ」
家主たちを押し除け、ついでに白猫を奪い、ひょいひょいと宙に放る真似をしながら剣仙は勝手に玄関をくぐる。
「人を勝手に殺し、あまつさえ、あのような微妙にブサイクな畜生に転生させおって」
「……ぶさいくではございません……かわいい」
ダイニングテーブルに並んだ皿やら丼やらを片っ端から空にしつつ、葉白衣は呆れた顔を白猫に向ける。
猫は大型テレビでアフリカの動物番組を見ている。
「あまり近すぎると目が悪くなるからな」
髪の黒い方に言われ、離れて置かれた猫ベッドにちょこんと座り込んでいる。画面にヒョウが映ると身を乗り出す。
「あんたが悪いんだろ」
新しい麺を入れた巨大な鉢を温客行がイライラとテーブルに置く。
「美味そうだ。久方ぶりに会ったばかりで何故私が悪者にされねばならんのだ。相変わらず愚かな」
もはや気の毒だ、と肩をすくめてから早速麺をすくう。
「貴様がっっ……もう、いい。それより、なんだ、その若者ぶった服装は!」
「ぶってなどおりゃぬ。しらぬのか。わたしはゆうしゅうであるがゆえ、きさまらよりずっとわかく仙となった。見てくれの年に合わせればこうなるのだ馬鹿者め」
「食うか! しゃべるか! どっちかにしろ!」
「うるさいのう、おじさんは」
「おじっ……! 私のどこがおじさんなんだよ! ばーか! ばーーーかっ!!」
「落ち着け、老温……確か、以前にお会いした時はみんな袍を着ていましたね。懐かしい……あれから、どのようにお過ごしだったのですか? 二百年もお目にかかることが出来ず」
「ふん。いろんなことがあったな。二百年か。長いようで短い。貴様らはずっと一緒におったのか。よくも飽きずに」
「飽きるわけないだろう!」
「あ! こら、先輩! 画面を触ってはならん。目も、悪く、なる……」
近くでは葉白衣がじっとりと麺に箸を刺したまま睨む。遠くでは白猫が、じっとりと同居人となった黒い方を睨む。
猫の方は睨んでいるつもりはないらしく、しゃぶしゃぶと手を舐めて誤魔化した後、また猫ベッドに戻った。
「気に入らんな」
葉白衣が器用に箸の先で周子舒の頬を摘んだ。
「いたたた! す、すみません、なにせ、先輩の生まれ変わりだと思っていたので」
「いいだろ、別に。きさまとは関係がない。あの子の名前は先輩。それだけのことだ」
「馬鹿め。この世に私以外で貴様らの先輩などおるか。唯一私だけを敬え」
「最低だ! きさまは相変わらず!!」
頬をさすりながら周子舒はうーむと腕組みする。
「やはり、あの子には別の名前が必要だな。何がいいかなぁ。白い……白……」
思わずちらりと真白い男に目をやり、激しく睨まれて周子舒は目を逸らした。
「白衣ちゃんとでも呼ぶ気か? この私の名を? この世に類い稀な偉人である、この葉白衣の名前を気楽に呼ぶつもりか? 恥を知るがいい」
忌々しげに鼻を鳴らした葉白衣は鉢を持ち上げた。汁の一滴まで残さず啜り、ふう、と満足げに息をつく。
それからふと、鉢を持った手を伸ばす。
「白米だ」
「「は?」」
後輩神仙は揃って声を上げた。
「猫の名だ。白米だ。決まりだ」
「決まりだ、って、なにを勝手に!!」
「見てみろ」
二人は訝しげに剣仙が顔を向く方向に視線を揃えた。
揃えて同時に吹き出した。
ちょこりと座る白猫に鉢を合わせれば、まるきり茶碗に山盛りにした白飯のようだった。
「決まりだ。おい、白米。この私が名付けてやったぞ。感謝の言葉を述べるがよい」
ちゃんと自分に言われていると理解したのか、白猫がくるりと振り向いた。
んなうなうなうなう。
何かを呟いた。
「ふりかけも乗っているな」
また後輩神仙が吹き出した。
アイボリーと薄い緑色のストライプの壁に、休診日のお知らせや、ワクチンを受けましょう、などの張り紙が貼られている。
清潔感に溢れた室内をきょろきょろと揃って見回しながら、周子舒と温客行はペット用キャリーケースを挟んでソファに座っていた。
検索を重ね、近所で一番評判のいい動物クリニックらしいとそこを選んだ。
他にも数名の飼い主がキャリーと並んで座っている。皆、ちらちらと揃って顔の良い新顔飼い主を盗み見ている。
「考えてみると、病院って初めてきたね」
「そうだな……俺たちには必要ないからな」
随分健康なイケメンなんだな。
他の飼い主たちは揃ってそんなことを考えていた。
診察室のドアが開いた。紺色のスクラブを着た女性が顔を覗かせた。
「周さーん。周白米ちゃーん」
はくまい。
飼い主たちがぴくりと反応する。
「はい! 白米です!」
黒髪の甘い顔立ちの方が勢いよく返事した。
「こちらにどうぞー」
「はい! お願いします!」
白髪の美形が大切そうにキャリーを持ち上げて二人は診察室に入って行った。
はくまい。犬? 猫かな? 飼い主たちはそれぞれに夢想する。
しばらくののち。
「ええっ!?」
「白米がっ」
「「雌!?」」
そんな叫び声が診察室から聞こえた。
白米、雌だったのか。
たまたまその日、その場所に集った飼い主たちはそんな情報を胸に刻んだ。
【おわり】