あじわいつくす、この日々を 久しぶりに飲む酒は美味い。
一月に一度と決めたものを食す日。温客行手作りの「ちょっと豪華な家庭料理」も格別に美味かった。そしてその後の酒肴も。
この頃の食事は自宅が多い。以前はふらりと海外まで出かけることすらあったのに。
理由は、今離れた場所に置かれた猫ベッドに丸くなっている白い毛玉のためがほとんどだ。
かけがえのない同居猫。
彼女を置いて出かけたり預けたりするより、一緒にご飯を食べるのがいい。
普段から食のいい白猫だが、一緒に食事をとる時はどこか嬉しそうに見える。
二人は酒を飲みながらソファに並んで座り、映画を見ていた。周子舒気に入りの往年の傑作サスペンスだ。
「阿絮、飲み過ぎだよ」
「いいだろー。月に一度なんだからー! お前だって結構飲んでるのしってるんだぞぉ、おれはー」
奇妙に間延びした喋り方で口元を尖らせる。だが、その色づいた唇はすぐに綻び、くふくふと小さな笑い声をこぼす。
ごきげんだ。
神仙と呼ばれるような身となり、肉体の強さは人とは比べものにならない。だが、酒には只人の頃より弱くなった気もする。
単に、飲む回数が減って酒に対する免疫が減ったのか、はたまた海外の酒を好んで飲むからか。
どちらにしても、周子舒の酒は陽気だ。そして、温客行も。
笑い声につられて温客行も白い歯を見せた。
二人とも久々の酒を楽しみ、実のところ深く酔っていた。
みゃいー。
もぐもぐとくぐもった同居猫の鳴き声が聞こえた。
「なーんで? なんであの子は寝ながら老妖怪の名前を呼んでるの?」
「白衣、かぁ。いっしょに遊んでる夢でもみてるんだろー」
周子舒の言葉の通り、みゃごみゃごと呟く声は楽しげだ。
「気に入らないなぁ」
「心のせまいやつめっ」
むぎゅ、と温客行のちょっと大きめの唇を同居人がつまみ引いた」
「あひゅー! あにすゆの!」
「ははは! あひゅー!」
むにむにと楽しそうに、ほんのり色づいた頬をして周子舒は知己の唇をいじめる。
「なんかぁ……美味そうだな、らおうぇのくちびる」
「えっ!? お腹空いてゆの? 何かつくゆ?」
「おまえなぁ! 言うことがちがうだろぉ!」
「はひ? あに?」
「そこはぁ! 味見してみゆ? とか」
「はひぃっ!?」
叫んだ後の呆然と、ぱかりと開いたままの唇を周子舒は相変わらずむにむにと遊んでいた。
温客行は盛大にため息を吐いた。
「もー、なに言ってるかわかってないでしょ」
「わかってるぅ! ちっすだ! せっぷんだ!」
「わかってねぇなぁ!」
温客行は声を張り上げてしまった。
うなん?
不満気な声がした。
二人がそろりとそちらをみれば、一部だけ黒い頭をもたげて白猫が半眼している。
おこっている。
「ごめんごめん、うるさかったね、白米。気をつけるからね」
むにゃごなご、と不満気な声を漏らしながら白猫はまた丸くなった。
ほっと一息ついて、二人はまたがぶがぶと酒を飲み干した。
「阿絮のせいで怒られたでしょ」
「らんでおれのせいらんだ? おまえががたがた言うかららろ!」
「なんで私のせいなんだ」
「ちっすは?」
ちーっす! ちーっす! へいへーい!
楽しげに掛け声をあげる周子舒に同居人は額に手をやった。
「なんなんだ、この厄介さは」
「こい! らおうぇ! 師兄がきさまのちっすを受けてやる!」
「いや、斬新な誘い方」
「ざんしん!? じゃあ、どうやってさそったらいい」
ええ? 怪訝に眉を顰めた温客行は、また腕組みして首を捻った。
「やっぱり、キスは可愛らしくとか、真摯に? 誠実に?」
「なんだそらー。かわいくぅ? あしゅは、なにしてもかわいいだろぉ!」
むん、と大きく胸をそらして威張ってみせる。
呆れたようにそれを見やりながら、やがて温客行は深く頷いた。
「うん。阿絮はなにしてもかわいい」
「ほらみろぉ! ばかめっ!」
「なんで罵られるんだろ」
「それで? あとはなんだっけ? しんし? せいい? よし、らおうぇ! やってみろ!」
「なんですって?」
困惑に眉を寄せながら、やがて温客行はうなずいた。
「よし。私の本気を見せようか」
すっくと立ち上がると、一つ大きく息を吸い、知己の足元に膝をついた。
「阿絮」
「お。こいつはやばそうら」
「あなたの唇に……触れることを許して欲しい」
ぽかん、と口を開けたまま、周子舒はぐんにゃりと訝しげに眉根を寄せた。
「……これは」
「なに? どう? どう?」
「やべーやつだな! うん、これはやべーやつだ! いかがわしくて、ほんりょうはっきだな!!」
「褒めてるの!? 褒めてるね!?
ちゅーするかんじになった!?」
「なった! なったなー!」
わー! わー! と二人は同居猫に気遣いつつ歓声をあげた。
「ちっすするな! これは!」
「そっかぁ! よし、しようか!」
「えっっ!?」
ぎょっと周子舒は身を引いた。
「あら。どうして急に正気にもどるわけー?」
「おまえ、やばいらろ! そういう、かっこいいかんじのあとでちっすしたら、なんつーかー、いままでとかんけいが! かわる!? みたいなっ!? きまずくなるらろー!!」
「おっと。なんか言い出したな」
ひゃー! ひゃー! っと悲鳴のような奇声を上げながら周子舒の頬が赤く染まっていく。
その様をうっとりとした笑みを浮かべながら温客行は見つめた。見つめながらそっと身をおこし、ソファの背もたれに両手をついて知己を囲った。
「さぁ、師兄……関係を変えようじゃないか」
「おまえ、さいていだなぁ! すけこましめっ! しきさんそうのつらよごし!」
「ふふふ、なんとでも言いなよ……誘ったのはあなただからね……!」
「ひゃーーっ! どへんたいくそやろうめっ!」
小鳥の鳴き声で白猫は目覚めた。
目覚めたが、朝だというのに部屋の中はカーテンが引かれたままで薄暗かった。
ベッドから出てしなやかな体を思い切り伸ばした。
リビングを見回せば、いつもきちんと片付いているのにローテーブルの周りに酒瓶が散乱している。
むむ、と白猫は額に皺を寄せた。
廊下に出て、ひんやりとした床を歩く。お目当てのドアはいつも微かに開いていて、白い手を差し込めばするりと室内に入ってゆける。
ベッドに飛び乗ると、長めの白髪を散らばして同居人が眠りこけていた。
いつも洒落者の彼なのに、昨日と同じ服を着たまま、布団もかけずに伸びていた。
おきろ、と頬をゆすってみた。
「ううう……あ、おはよう、白米……」
ぜんぜん覚醒しない様子に、むむむ、と白猫は唸った。
みゃーなー!
めーしー! 大きな声で用事を伝える。
「ううう……ごはん、でしょぉ」
こんな時でも口うるさい男だ。どうやら目覚めたらしいと、白猫はふん、と鼻を鳴らした。
温客行は白猫を抱き上げて廊下をあるく。
途中の扉をコツコツコツ、と軽くノックする。
中から、ううう、と唸る声が聞こえた。
カーテンを開け放った明るいリビングで、もくもくと白米はご飯にありついていた。
その様子を眺めながら、ダイニングテーブルに座った温客行はこきこきと首を回した。
眠い。気だるい。秀麗な顔にそんな文言が刻まれている。
ガチャリとドアが開き、よろよろとよろけながら男が入ってきた。
「おはよう、阿絮」
「…………お、あよ」
向かいの席にどさりと雑多に座り込んだ。
気だるい。眠い。整った顔立ちにそんな疲れが滲んでいた。
ぼんやりと、ふたりそろって白猫の食事を見つめていた。
「阿絮」
「なんだ」
「気まずい?」
室内には、ドライフードを砕くカリカリという音だけが満ちた。
「……ぜんぜん」
「だ、ねぇ」
同居猫が食べ終わるまで二人でずっと、ぼんやりそれを眺めていた。
【おわーり】