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    オクラノ

    @kurano_0967

    小説をあげます 天京など

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    オクラノ

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    01 天京(全年齢/テキスト)
    付き合いたてのいちゃいちゃ話

    #天京
    tianjing

     率直に言えば、そのとき剣城の頭の中にあったのは、一体何が正解なんだという緊張だった。
    「なあ剣城、わかった? ここの解き方」
    「……さっきの例題と基本は同じだ。まず角度を書き出して」
     シャーペンの先で図形を指し示す。えーと、と目を凝らす天馬を見ながら、そのペースに合わせて説明を重ねていく。
     この解法ならわかる。その前に聞かれた問題もわかった。おそらく今やっている範囲の問題なら、剣城は大体難なく解くことができるだろう。
     わからないのはただ、隣にいるこの男が──恋人、という間柄になった彼が、今何を考えているかである。

     剣城が天馬と付き合うことになったのは、およそ二週間前のことだった。
     元々ひそかに想いを抱いてはいたが、これまで築き上げてきた関係を壊したくなくて何も言えなかった。まさかその本人に告白されるなど剣城は思ってもいなかったし、簡単にとはいかなかったが、紆余曲折の末ちゃんと互いの気持ちを伝え合うことができたのだ。
     松風天馬と出会ってから一年と数ヶ月。親友と、ライバルと、そしてもう一つ加わった関係の名前は、今ぴかぴかと剣城の胸の真ん中に座っている。時折それが跳ねるのが、どうにもまだ落ち着かない。
     そして今日、剣城は天馬の部屋に訪れていた。部活後、宿題でわからないところがあると言われて、家に誘われたのだ。

    「すごい! ほんとにできた! ちゃんと合ってる」
     天馬はいつも以上に元気な声を出して、自分のノートに赤ペンで大きな丸を書いた。
    「そこのコツがわかれば、後は色々応用できる。ほら、最初に言ってたこの問6とか」
     座卓にあちこち広げた教科書やプリント類の山から、問題集を引っ張り出す。わからないと天馬が挙げていたところを指し示しながら、どう説明すれば伝わりやすいだろうか、と設問文に目を通した。あれこれ言わずに一度解かせた方がいいだろうか? それとも、……。
     ふと顔を上げた。
    「天馬」
    「っう、うん!」
     すぐ間近にあった丸い瞳は、明らかにテキストではなく、剣城の方に向けられていた。
    「ちゃんと聞いてるか」
    「聞いてるよ」
     ふいと天馬が目を背ける。その肌が僅かに色づいているのに、剣城は気付かざるを得なくて、そしてどうしたものかとまた変な鼓動が鳴る。
     天馬がすり、と膝を動かして、左にずれた。剣城との隙間が広がる。小さく唇をとがらせるようなその顔は、真剣に勉強に向かおうとしているのか、あるいは何か別のことを、考えているのか。
    「……」
     二週間。"お付き合い"を始めてから、何をやってきたかといえば、サッカー、学校生活、サッカー、以上だ。前と変わったところを挙げるなら、一緒に帰る機会が増えたことだろうか。それでも二人きりになる時間はあまりなかったし、あったとしても普段と同じような会話ばかりで。つまるところ、剣城は悩んでいたのだ。
     恋人として、自分がしたいと思っていること。その気持ちの扱い方に。
    「えっと、こっちは長さが合ってないから、合同条件が……」
     ぶつぶつ呟いている天馬は、今は硬い顔をしている。けれど剣城は、あの瞬間が脳裏に浮かんで仕方がない。
     帰り道、家に来ないかと天馬が言った、あの時。
     少し困ったように、はにかむように眉尻を下げて、剣城を見上げていた。とろりとした橙色に照らされて、丸みを帯びた頬が、蜜のある果実のように輝いていた。
    『だめ、かな? 剣城』
     視線を落とす。
     鳴っているのはペンを走らせる音だけだった。静かに取り組んでいる天馬を邪魔したくなく、黙ってマグカップを口元に運んだ。冷めかけた紅茶が喉に落ちて、そしてまた思い出す。
    『あっ、あのさ、秋ネエ』
     天馬の保護者である彼女が、お茶とお菓子を持ってきてくれた時、天馬はなんと言っていたか。
    『俺たち勉強集中して頑張るから、あんまり様子見に来なくていいからね』
     と。わざわざそう告げていた。あらそお、と秋は笑っていたけれど、剣城は……ドアが閉められる音が、やけに重く響いて聞こえた。

     気になる。
     天馬は今、何を考えているのだろう。
     気になる。
     もう少し隣にいっても、いいだろうか。その柔らかそうな髪に、触れてもいいだろうか。その目を覗き込んで、それから、今までは届かなかったようなところまで、近付いてしまってもいいだろうか。

     こんなことは初めてだった。誰かに恋をすること自体が初めてで、こんな関係になるなど思ってもいなくて、ましてや付き合った先のあれそれなど考えていたわけがなかった。
     世の中の恋人というのはどうしているんだろう。なんとなくのイメージで浮かぶのは、それっぽい雰囲気の中、引き寄せられるように距離が縮まって、そして……だ。
     雰囲気ってなんだ。
     フンイキ、をつくるのが正解なのか? それで、自分が天馬に、こう……。
     想像できるようなできないような、とにかくモヤモヤばかりが渦を巻いて、ぐっと目を瞑った。そもそも、こんなうだうだと考えているのがダメなんじゃないか? もっとこう、自然に行動に移して、それで、
    「剣城」
     はっとした。すぐ目の前に、天馬の顔があった。
    「お腹でも痛いの?」
    「は、はあ?」
    「だってすごく難しそうな顔してたから」
     こんな風に、と天馬が眉根を寄せてみせる。そんなだっただろうかと訝しみながらも首を振った。
    「別に、考え事をしてただけだ」
    「……なに考えてたの」
     紙の擦れるかすかな音。天馬が身を乗り出して、ノートに乗せられた手が動く。そこには、剣城が思っていたよりも早く、立派な解答が書き連ねられていた。
    「俺、もう解き終わったよ。丸つけもした」
    「そう、か」
    「剣城のおかげだな。こんなにすぐ終わったの」
     天馬はそう言いながら、シャーペンや消しゴムを筆箱にしまっていく。その手元を見下ろしているうちに、どく、どく、と胸の内が煩くなっていく。
    「……剣城が考えてたのって、俺のこと?」
     ぱたん。ノートが閉じた。
    「な、なーんて」
     すぐに笑顔が浮かぶ。明るい声で天馬は誤魔化して、けれどその目が、一瞬ちらりと、剣城を窺う。
     身体が動いた。
    「そうだ」
     手を掴んでいた。天馬が反射的に身を揺らすのがわかって、けれど止まることはできずに顔を寄せた。
    「つ、つるぎ」
    「天馬」
    「待っ、まって剣城、えっと」
     目が合う。青みがかったグレーの中に、自分の姿が映っている。いつも力強い意志を据えている瞳孔が、水に浮かぶように、揺れている。
    「あ、あのさ、剣城、俺おねがいがあって」
     上擦った声が、耳をくすぐる。空白はほんの少ししかなかった。互いの息遣いまでわかるような距離で、天馬の目が、珍しく泳ぐ。
    「く、……」
    「……」
    「その、え、と」
    「なんだ」
     躊躇うようなゆっくりとした瞬きが、小さな星を、散らす。
    「くっついても、いい?」
     掴んでいた手を離した。肩を抱き引き寄せる。ぽす、と明るい色の頭が、中心に収まる。触れた身体は思っていたよりもずっと熱くて、いつも陽の光のように優しい彼の匂いが、少しだけ大人びた潤んだ気配を纏っていて、くらりとする。
    「……いちいち、聞くな。そんなこと」
     やっと絞り出せたその言葉に、だって、と天馬は返した。
    「だって、ちゃんと確かめたいんだ。剣城の気持ち」
     重心を取り戻すように、天馬はもぞもぞと身をよじって、そして伸ばした手で剣城に抱き着いた。すぐ下からまっすぐに見上げられれば、その大きな瞳に吸い込まれてしまいそうで、喉が不自然に鳴る。
    「剣城も、こうしたいって思ってくれてた……?」
     天馬は、剣城の返事を待っている。
     真正面からその直線を受け止めるのだけでも本当は精一杯で、けれど、けれども、剣城はどうにか口を開いて、「ああ」と小さく二文字を紡いだ。
     掠れてしまった、と咄嗟に思った。なのに天馬はぱあっと顔を輝かせて、そして急に照れるように下を向いて、剣城の肩にうずまってしまう。
    「うれしい」
    「……ん」
    「俺ほんとは、早く剣城といっぱい、こういう風にしたいな、って思ってたんだ」
     頬をすり寄せるように体重を預けられて、剣城は迷いながらも、その頭の上に手を乗せた。つむじからそっと下ろして、髪を撫でる。
    「俺もだ」
     風になびくような流れに沿って、指を滑らせた。天馬は目を閉じて、少し口元を緩ませて、剣城の行為を受け入れている。
     幾度か手を行き来させて、そうしてするりと、横髪の下に触れた。耳を撫でられた天馬は僅かに震えて、剣城の方をはっと見た。
    「天馬」
    「……うん」
    「俺もお前に言いたいことがある」
     片頬を手のひらで包んで、見つめた。
     鼓動はずっと煩く高鳴っている。けれどそれと同じくらい、不思議な穏やかさが胸の中に満ちていた。もやはない。剣城はわかったような気がするのだ。
    「天馬が好きだ」
     剣城が恋した相手は、目の前にいる。松風天馬は、剣城京介を見てくれている。二人自身の想いと言葉を交わすことを恐れずに、全身で向き合ってくれる。
    「俺も、剣城が好き。大好きだよ」
     耳まで赤くして、普段とは違う声色で、それでも揺るぎない芯をもって、天馬は応えた。
     静かに息を吸った。
    「天馬、キス、してもいいか」
     丸い目が、一瞬もっと丸くなる。隙間のあったその口が、何度か開いては、閉じた。手に力が入るのを背中で感じて、ただじっと待つ。
    「……先に言われちゃったな」
     少しだけ俯いて、天馬は恥ずかしそうに笑った。
     ちょっとまって。そう言って、天馬は剣城の肩に手をかけた。腰を上げる。同じ高さに来た目線が、繋がって、絡み合う。
    「つるぎ」
     近付いてくる天馬の顔は、照明の影になって暗い。それでもその目が、剣城だけを視界に入れていることは、確かに一つの欲を湛えているということは、どうしてか、どうしようもないほどわかってしまうのだ。
    「俺、すごいどきどき、してる」
    「……ああ」
    「剣城は?」
    「どう見える」
     あと少しで触れそうになる、そんな距離でもお互い目を閉じないのは、変なところで似たものどうしなのだろうか。
    「剣城がどきどきしてるときの顔って、かわいい」
     引き寄せた。初めて重ねた唇は、きっとぴったりは合っていなくて、やわらかいような、かたいような、何もわからないまま、ただああもう絶対に離せないだろうと焼かれてしまうような眩しさを感じながら、その温度を、すり合わせていた。

       □

    「すみません、遅くまでお邪魔しました」
     引き戸の立てる音が、夜の風に乗っていく。
    「いいえー、天馬がまた引き留めちゃったんでしょう。晩ご飯食べていかなくてほんとによかった?」
    「はい。いつもありがとうございます」
     剣城たちと一緒に玄関先に出た秋は、そのまま片手の皿を犬小屋の方に持っていく。匂いに気付いたのか、眠っていた老犬がのそりと目を開けた。
    「天馬、お勉強進んだ? かなり長い時間やってたものね」
    「えっ、う、うん! ばっちり!」
    「そーぉ? 途中でサッカーの話に夢中になっちゃったりしてない?」
    「してないよっ!」
     秋は朗らかに笑って、そして剣城の方を見て、ごめんなさいねと目を細めた。
    「剣城くんがいれば大丈夫よね。いつも天馬の勉強まで見てくれて、本当にありがとう」
    「いえ」
     そんなことは、と返そうとして、ふと秋の先にいる生物と目が合った。天馬の愛犬が、餌を食べる口をなぜだか止めて、じろりと剣城を見ている。ように、見えた。
    「……」
     まさかな、と思いながら剣城は誓った。今後も同じように勉強会・・・をするのであれば、恋人としての時間を過ごす分、必ず勉強の成果も出させなければならない──すなわちより鬼になって教師役を務める必要がある──と。
    「剣城っ」
     そう思われているのも知らずに、天馬が駆け寄ってくる。
    「なあなあ、やっぱり送っていっちゃだめ?」
    「……ダメだ」
    「なんでー」
     振り返る。小声で告げた。
    「もっと名残惜しくなる」
     一瞬、指先を触れ合わせる。
     天馬は黙りこくって、そうして下からじっと剣城を睨むように見上げた。「剣城のズル」なにがだ、と思いながら門のところまで出る。
    「秋ネエ、剣城帰っちゃうよー!」
     はーい、とこちらまで見送りに来てくれた秋に、もう一度お礼をする。気を付けてね、と手を振る秋の横で、天馬がぶんぶんと両手を振っていた。
     歩き出す。天馬たちの喋り声が、だんだんと遠くなっていく。角を曲がった。街灯の明かりはずっと続いていく。唇をそっとなぞって、剣城は前を向いた。 
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