高麗の遣使 二:弁明「報せが遅れた理由は二つございます」
「聞こう」
大王は上体を前に乗り出した。
裾代と蠏足がひれ伏して言う。
「そもそも、比楽湊は吾が江沼国と加賀国の境にあり、漁業を巡って長年揉めておりました」
「此度の遣使は、うちらぁ江沼の浦人が先に見つけたんですが、着いた浜辺が加賀国側やったで、あっちの国造・道君が饗すと買うて出たんでさあ。 ほやけど、加賀国にゃあ三年前の飢饉や疫神で通事が足りとらんと、意思の疎通に時間がかかったようざ……」
「その報せを受け、吾らのほうから通事を遣わしたのです。 それが理由の一つ」
大王は軽く相槌を打ち、裾代に聞き返す。
「ふむ。 二つめは?」
「通事を派遣して暫く様子を見ていたのですが、道君は一週間経っても、大王に報告する素振りを見せなかったのです」
「ほや。 道君はきっと宝に目がくらんで、遣使の事を隠いてえんだ」
「そのため、隣国の吾が、急ぎ報せに参ったという次第です」
「成程。 相分かった」
大王は二人の言い分に納得し、前に屈めた姿勢を元に戻した。
守屋は怪訝な面立ちで、大王に尋ねる。
「道君は反乱を企んでいるのでしょうか?」
「まあ待て。 もしそうなら、モノの動きに変化があるはず。 大臣、どうじゃ」
大王は馬子に視線を送った。
「飢饉で全国的に賦は減っていますが、加賀国は徐々に回復傾向にあります」
「だそうじゃ。 国が回復した分、賦も律儀に戻そうとする臣下に、二心なぞあるまい」
「だとすると……」
「遣使と揉めているか……。 ところで、遣使に死傷者は出ておらぬのだな?」
「おりませぬ」
「良し。 先ずは無事で何よりである」
暫く三人は腕を組んで唸っていたが、大王が両手で膝を打ち、すっくと立ち上がった。
「此処で悩んでいても答えは出ぬな、宮に戻るぞ! 大臣!」
「はい!」
「先ずは事実確認じゃ。 宮に戻ったら、高句麗の韓語に長けた通事と外交官を選び、朕に奏上せよ」
「畏まりました」
「大連!」
「は!」
「国書を携えているとなれば、これは国事である。 遣使を丁重に饗す事を詔に述べる故、皆を朝庭に集めよ」
「心得ました」
「ああ、そうじゃ。 大臣、新たに館(註:迎賓館)も建てねばな」
馬子は軽く首を傾げた。
「難波館では不足ですか?」
この時代、朝廷の迎賓館としては既に筑紫と難波に館が存在した。後の鴻臚館に繋がる施設である。
すると大王は軽やかな笑みを浮かべながら、馬子の背をぽんと叩いた。
「丁重に饗すと言ったであろう。 彼の国が今、孤立の危険に曝されていると申したのは、お前だぞ」
それを聞いた馬子は成程と手を打った。
既存の館を利用するのは、親交国の百済、そして今一番国交に注力している相手、新羅の遣使である。
此処に高句麗の遣使も同居させると、面倒事が起きるのは明白であった。
大王は彼らには別途、専用の館を造る必要があると言いたいのだ。
馬子と子麻呂は大王の配慮に感服し、その背中は益々大きく見えた。
「では、群臣と館を建てるのに良き処を相談し、合わせて上奏致します」
「うむ。 頼んだ」
馬子の返答に満足した大王は馬に跨り、裾代と蠏足に向き直った。
「江沼裾代と蠏足と言ったな。 お前達を宮へ案内する、着いて参れ」
「は! 有難き幸せ!」
大王の誘いに、裾代と蠏足は嬉々として答えた。
皆が次々と馬に乗り大王の背を追う中、呆然と立ちすくむ馬子は子麻呂に向かって、ぽつりと弱音をこぼした。
「どうしよう、子麻呂。 いきなり未知の国と外交だなんて……」
「ええ……?」
頼りない主人の言葉に、子麻呂はがくっと肩を落とした。
「吾らを初め、皆馬子様をお支え致しますから、安心してくだされ。 貴方様はもう立派な大臣なのです」
子麻呂はそう馬子を窘めながら、馬を曳く。
「さあ。 急ぎ宮に戻り、皆と相談しましょう」
「うむ……」
二人は馬を奔らせ、皆の後を追う。
馬の嘶きと蹄の音が、初瀬の谷間に響き渡った