四年前、陽光の国。
二人が生まれて半年頃、ボクの養父であるイヴァーノと、その妻であるアズールのお母様が、小さな二人にプレゼントしたベッドメリーが急に壊れるという小さな事件が頻発するようになった。
今日壊れたベッドメリーは、購入して一週間程度。天井から吊り下げたそれを外して壊れた箇所を確認すると、モーターが焼ききれていたり、回転する箇所に当たるプラスチックが溶けていて、購入したベビーグッズの店主には疲労摩擦を起こしている。一体、購入一週間でどんな使い方をしたらこうなるんだと呆れられたらしい。
ベッドメリーは二人のお気に入りで、これがなければ不機嫌になって酷く泣き出すこともある。それを知っているイヴァーノが「修理可能か調べてもらって、無理なら新しいのを買ってくるよ」と、そう言って壊れたベッドメリーを手に購入店に向かう彼を何度見送ったことか……そして、数時間後には、修理不可と言われ新しいベッドメリーの箱を抱えたイヴァーノが、「アスター、サミュエルお待ち遠さま」と帰ってくるだろう。それを申し訳なく思いながら部屋に戻れば、ボクはその一連の原因を目の当たりにすることとなった。
ボクの部屋、二人のお気に入りのぬいぐるみやおもちゃが、まるで、回転するベッドメリーにぶら下がった先のおもちゃのように、クルクルと宙を泳いでいた。
驚いて二人に駆け寄れば、いつもよりずっと赤さを増した銀髪のアスターと、ターコイズブルーの髪を毛先から半分ほどワインレッドに染め上げたサミュエルがキャッキャと上に手を伸ばしてる。
(……こんなのまるで、二人が魔法を使っているようじゃないか……!)
とっさに二人を抱き上げれば、ボクに視線を向けた途端、宙を回るおもちゃたちが次々に床に落下した。二人もボクに抱っこされて喜び「あ〜うう〜」「あぅ〜ぁ〜〜」と上機嫌に言葉を発した頃には、髪の色も元に戻っていた。
ボクのお母様の家系は、どこまで遡っても魔法士の家系だと、お母様が歴史や魔法の勉強の際言っていた。お父様も魔法士として十分な実力者だと、どこかで見かけたプロフィールに書かれてあった。そして、アズールもフロイドも、魔法士としては名門ナイトレイブンカレッジに入学を認められるほどの素質も実力も持っている。
ボクと彼らの間に生まれた子なら、生まれながらに魔法士の素質は十分あるだろう。しかし、ボクたちの子だからとは言い切れない不安が、ボクの心に渦巻いた。
アスターとサミュエルが魔法を使った際、赤く染まった髪色は、一見すればボク本来の髪の色にしか見えない。実際、普段のアスターの赤みを帯びた光沢のある銀髪も、サミュエルの毛先数センチが赤く染まったターコイズブルーの髪も、そこにある赤がボクのものだと言えば誰もが納得するだろうし、フレドも二人の診察の時に「ローズハートの髪色は、その身にある魔力の色だ。だからその魔力を色濃く持つものはローズハート特有の赤毛をしている。だからお前の魔力が入っているから、チビの髪も赤いんだろう」と、そう言っていた。が、ボクはこの赤に見覚えが合った。
——呪石
あのボクの記憶にある呪われた赤い色が、二人が魔法を使った時に染まった髪色とどうしても切り離せず。ボクは二人に何度も「魔法を使ってはいけないよ」と言い聞かせて育ててきた。
なのに目の前の二人は、ボクの裂かれた服から見えた赤い血に憤怒し、アスターは銀髪の赤い光沢をより一層強く光らせ、サミュエルはターコイズブルーの髪全てを赤く染め、ボクとの約束を破り、内に秘めたる力を解放するかのように、癇癪のまま辺りの物を爆破させ粉々に吹き飛ばしていた……
* * *
荒れ狂う暴風の様に、二人の魔力が部屋の中を渦巻く。照明に始まり、テーブルの上のグラスや部屋の隅で飾られた壺、ソファーやテーブルに柱まで爪で引っ掻いたようにえぐれ、弾かれ粉々になっていた。
ここは地下にあるVIPルームだ。これ以上破壊されれば、天井が崩落する危険性もある。ボクは急いで二人の前に飛び出た。
「アスター! サミュエル!! 二人とも、ボクは大丈夫だからもう止めるんだ!!!」
怒りで我を忘れているのか、二人の耳にはボクの言葉が届かない。
「二人とももうヤメロ!!」アズールがこの暴風で近寄れない中、離れた場所から大声で叫んでいる。いつもの二人なら、アズールに怒られれば兄弟ゲンカもイタズラもすぐに止まるのに、今日は全くダメだった。それどころか、飾ってあった美術品の大きな壺や観葉植物が勢いよくそちらに向かって飛んでいき、フロイドがそれを蹴り落とした。
「二人とも、頭に血が上ってんでしょ、どうにかできねーの!?」
「どうにかって……」と苦々しく奥歯を噛むアズールもお手上げなのだろう。子供たちを怪我させずに、台風の目にいる二人の攻撃をやめさせるなんて高度なミッション、簡単に思いつかない。
その間も容赦なく飛んでくる暴風による衝撃波や、壊れた家具や割れ物の破片を、目の前で腕や脚で薙ぎ払うフロイドのお父様は、チッ! と舌打ちし、「こんなガキ……危険すぎるだろ!!」とボクに向かって叫ぶ。
「テメェのガキぐらい、三人もいて誰か止めらんれぇのかッ!?」
子供たちの親であるボクたち三人に向かってそう言った彼は、「頭にゲンコツ食らわせてでも止めろ!」と叫ぶ。
「そ、そんな暴力的なこと、あんなに小さな子にできるわけないでしょ!?」ボクが慌ててそう返せば「こんな時まで甘やかしてんじゃねぇ!」と彼は怒りに叫ぶ。
「あはっ! 金魚ちゃん、マジでアスターとサミュエルにはゲロ甘だからぁ。男だったらダメなことしたら父親のゲンコツぐらい一発や二発、食らうもんだって……よッ!」
そう言って暴風を避けるように二人に近づくフロイドは、飛んでくる障害物をヒラリと避けて近づく。あっという間に近づいて、二人を正気に戻そうと手を伸ばしたが、後もう一歩のところで、空気の拳に殴られ弾き飛ばされた。
「くッ……!!」
「フロイドッ!?」
宙を舞い壁に激突しかけたフロイドを、アズールが寸でのところで魔法で助け、大怪我は免れたようだ。ホッとしたと同時に、ボクのお腹の中で二人への心配と同時に怒りがこみ上げる。アスターやサミュエルがまだ小さいと言っても、人に故意に怪我をさせてはいけないのはルール以前の常識だ。どうやら二人には長いお説教が必要なようだ。
(その前に、二人を落ち着かせなければ……この部屋自体いつまで持つのかわからない)
地下ということもあり、何本もの太い支柱が部屋の天井を支えているが、ここまでえぐられ傷つけられれば、本当にこのままだと持ちそうにない。どうしたらと必死に考えるボクたちの後ろ、廊下から鈴の音のような声が聞こえた。
「サミュエルちゃん〜! アスターちゃん〜! どこに行ったの!?」
リーチ夫人が、姿を消した二人を探しにきたんだ。
「あの馬鹿ッ!! 部屋に入ってくるなッ、逃げろッ!!!」
奥方の姿に、ここ一番彼が焦った。大きな破壊音に、部屋を覗き込んだリーチ夫人が、怒り狂うアスターとサミュエル、そして今にも崩壊しそうな部屋に驚き固まった瞬間、「えっ?」と声を漏らした彼女めがけて、抉れた柱の破片が爆風と共に飛んでいった。
誰もがダメだと、この場にいる誰もがそう思った。
絶句するフロイドとアズール。最愛の彼女の名を叫び、顔を引き攣らせ手を伸ばす彼女の夫……同時にボクは彼女のもとに飛び出し、彼女の代わりに、その身でもって破片と衝撃を受けた。
ドンッ、とすさまじい固まりに背中と後頭部を殴られ、飛んできた破片には体のあちこちを切り裂かれ、ボクは数秒意識が飛んだ。
「り、リドルさん……リドルさん、しっかりして!」
「リドルッ!!」「金魚ちゃんッ!?」
三人が慌てた声でボクを呼ぶ、駆け寄ってボクの安否を確認する彼らに何かを言う前に、ボクにはしなければならないことがあった。
いつの間にか、荒れ狂う暴風も、宙を舞う瓦礫片もなく、ふらふらと立ち上がったボクの目の前、いつもの髪色に戻った二人が、顔を青ざめ目にいっぱい涙をためていた。正気に戻りやっと、しでかした事の重大さが理解できたのだろう。
「アスター! サミュエル!! 魔法を使ってはいけないと、あれほどボクと約束しただろッ!!!」
びくッ! と体を震わせた二人は「「ごめんなさい!」」とその場で背筋をピッと伸ばしてボクを見た。
「それに、人を魔法で攻撃なんて危ないこと、ボクとの約束以前に絶対にしちゃいけないことだ!!」
二人をそう言って叱りつけるボクの背後、フロイドが「え〜? 金魚ちゃん、オレの事は初対面で容赦なく魔法でふっとばしたのに?」と、入学式での事を出してきて、ボクは一瞬言葉がつまった。それ、今ここで言うことじゃないだろ。
「とにかく……危ないことはしちゃいけないよ」
二人にはケガだってしてほしくないし、人を傷つけたりもしてほしくない。アスターとサミュエルが大好きだから、こんな事して欲しくないんだと二人に言えば、とうとう目から涙が溢れ、二人がグズグズと泣き出し「「ごめんなさい」」と謝った。
「きちんと謝れて偉いね」
いつもの様に二人の頭を撫でようとしたボクの視界、二人に伸ばした手が二重にダブって見えた。あれ……と思った時には、飛んできた破片で切れた傷から流れ出た血がズルリと頬を滑り落ち、ボクの意識は一気に遠のいた。
遠のく意識の中、床に倒れかけたボクの体を受け止めたのは、先程まで敵対していたフロイドのお父様だった。
ボクを支えた彼が、医者だ、応急処置だと慌てた様子で指示し、ボクの顔を覗き込んだアスターとサミュエルが「かあさん」と何度もボクを呼んでいる。アズールとフロイドも駆け寄って大丈夫かと焦った声で言っていた。
大丈夫とそう言って安心させたいのに、口から出るのはかすかな喘ぎで、やたらと重く感じる体は指一本動かせなかった。
それでも、大丈夫……大丈夫とうわ言のように、皆んなを安心させたくて、どうにかそう繰り返しながら、ボクの意識は徐々に真っ黒く塗りつぶされ、とうとう意識を手放した。