水上コテージへ戻る道中。オレがアズールよりタッパがあって、そこから見た普段見ることのない高さの景色を面白がって、無遠慮なチビ二人は何度も何度もオレの肩や背中に登ってきて重いのなんの。金魚ちゃんに聞いたら、見た目普通のチビの体格のくせに、体重は平均よりも重いらしい。そりゃ一人でもこれだけ重いのに、これが単純に二倍、そりゃ重いし疲れるはずだ。
さすがに疲れた、今日はもうフロイドアスレチックは営業終了。絶対に登らせねーからって言ってるのに、しつこくオレの背中に登ろうとした二人がブーブー怒ってた。人魚の血が半分入ってるのにまともに泳げないくせに、高いところは好きなんて本当に変わってんの。
「ふふ、二人ともどんどん大きくなって、すぐに大人になっちゃうのかな?」
金魚ちゃんがそう言うと、大人……と聞いた二人の顔が明るくなる。
「ぼく大人になったら、おじさんのより、ずっと大きくなるからね」
「おれも、背ぇでかくなる! なりたい!」
オレの背中から降りたアスターとサミュエルは、次はアズールにくっついて、抱っこしてってねだってる。未だに抱っこしてって甘えてるチビは、大人になるまでまだ時間はかかりそうだ。
「ぼくね! 大きくなったらおじいちゃんとフーじいのビルで、リストランテしてね、おばあちゃんのお店もね手伝うよ」
それ聞いたアズールが、ちょっとうれしそうな顔してんの。アズールは、アズールママの珊瑚の海一番のリストランテを大事にしてる。ママのリストランテはアズールの夢でもある。だからこそ同じ土俵である飲食業をやりたいと常々考えてたからこそ、アズールはナイトレイブンカレッジでモストロ・ラウンジを始めた。
自分の稚魚が、自分と同じ夢を持ってくれるのは、親としては嬉しいもんなんだろうか?
「サミュエルはなんになりたいの?」
オレが聞くと、サミュエルは「う〜ん」って考えて「わかんない」と答える。
「わかんなぃけど、オレ、絵いっぱいかきたい!」
今はまだ、クレヨンばかりで書いている絵も、いつか画用紙やキャンバスを飛び越えて、大きな世界に絵筆で色を載せていく、サミュエルの中にはそれぐらいキラキラした未来に満ち溢れていた。
二人の夢を聞いた金魚ちゃんは、「本当に楽しみだね」って心底嬉しそうだ。金魚ちゃんにとって、二人は本当に、自分のすべてを捧げてもいいぐらいに、大切な宝物なんだ。
アスターとサミュエルが、少し先を歩くアズールアスレチックにしがみついて遊ぶ後ろ姿を見ながら歩いてると、金魚ちゃんがオレの歩調に合わせるように隣を歩く。
「今日はアスターがすまなかったね。普段はあんな事をする子じゃないんだけど……」
「金魚ちゃんとサミュエルがオレに取られるかもって、それが嫌であんなことしたらしいーよ」
それ聞いて驚いた金魚ちゃん。オレだってアスターのあの行動はよく分かんねーけど、金魚ちゃんとサミュエルがオレを見てるのが嫌だったんだろうなって気持ちはわかる。
輪の中に入れない絶対的な疎外感、半分しか血が繋がってないからこそ、アスターとサミュエル……そして、オレとアズールもその半分にどうしても踏み込めない場所が生まれてしまい、入れないその距離に苦悩するしかない。これは、きっと一生、オレらの中にわだかまりとなってつきまとう。
いつか、そんな線を乗り越えて、家族になれるのか?
(なれるのか、じゃなくてなるンだよ……!)
「ねぇ、フロイド……」
金魚ちゃんに呼ばれて「ん?」って顔見れば、あの赤い色が溶け出して真っ白になった金魚ちゃんの髪がサラリと揺れて薄い頬にかかる。真っ白な髪は、海に沈みかけた太陽の色を吸って、赤にもオレンジにも見える色をしてる。キレイだなって触ろうと手が伸びる前に、申し訳無さそうな金魚ちゃんのスレートグレーの瞳にオレが映ってる。
「キミは誰よりも自由でいたかったはずなのに、ボクのせいで結果、キミを縛り付けることになってしまった。ボク自身はアズールに対価として渡してしまったから、キミには何を返せばいいのかわからない」
「……あはっ、もう貰ってるよ。金魚ちゃんと初めて会った時から、オレはずっとたくさん、金魚ちゃんに貰ってばっかりだから」
オレのつまらないモノクロだった世界は、金魚ちゃんの赤に触れた瞬間、一気に膨れて広がった。それからずっと、金魚ちゃんを追いかけ続けたオレの世界は、地平線の向こうまでずっと広がってた。こんなにおもしろいの連続をくれたんだ、それ以上はもういいよ。
まぁ、オレが好きで追いかけて、金魚ちゃんに好きになってもらいたいって思うのは、また別の話だけど……
「それじゃあボクの気がすまない。ほんとうに何か無いのかい?」
金魚ちゃんしつけーって、グルっと考えてみたら、思い当たったことがあった。金魚ちゃんの手を取って指を絡める。
「じゃあさ、これから先もずっと、オレの隣で面白い話して?」
「面白い話って……キミ……」
その言葉の意味に気づいた金魚ちゃんは、どうしようって顔して口を閉じた。だってこれ、プロポーズみたいなもんだし。
アズールと結婚してる金魚ちゃんからしたら、どう返せばいいのか分からなくたって当たり前。だけど、その上で金魚ちゃんは、オレの絡めた手を握り返した。
「本当にキミは、ボクの事情なんて全て無視してばかりだね。いいよ。面白いかは保証しないけれど、最大限、キミが面白いと笑うような話をしてあげるよ」
胸を張ってちょっと威張りん坊な金魚ちゃん。生意気でかわいい、あの式典服の黒の中からオレが見つけた金魚ちゃん。ヒラヒラ逃げてばかりだった金魚ちゃんを、オレはやっと掴まえれたんだろうか?
「金魚ちゃん、全部……全部なんもかんも終わったら、金魚ちゃんママにも、アスターとサミュエルに会ってもらわなきゃね」
オレがそう言ったら、そんな事ちっとも考えてなかった金魚ちゃんは、驚いて目を丸くする。その顔、ほんとに金魚みてぇ。
「……それは、こんなボクを見たら、お母様は驚かれて、怒って許してくれないよ」
「オレもアズールもいるんだし、大丈夫だよ」
ママの話をすれば、繋いだ金魚ちゃんの手が震えてる。これはきっと、昔みたいなママへの恐怖心より、親になって知った我が子への気持ちや、なにより数年前に理由も話さず逃げたことへの罪悪感だ。大丈夫だよって、オレが金魚ちゃんの手をほんの少しキュッと握れば、金魚ちゃんは「ありがとう」って呟いた。
アスターにもサミュエルにもこの先に開けた未来があるように、金魚ちゃんにもおんなじだけの開けた世界がある。
全部が全部良い方に転がるかはわかんねぇけど、このさきの未来もずっと金魚ちゃんの隣を歩きたい。
ねぇ……金魚ちゃん
もう、いきなりオレの前からいなくならないで……
オレの言葉は、金魚ちゃんの耳に届く前に、波の音にかき消された——
* * *
「なんでもない日バンザーイ!」
赤くペンキで塗ったくった薔薇の花びらが舞う中。金魚ちゃんのトランプ兵が、空席に向けてバンザイする。
「さぁ寮長、最初の一ピースをどうぞ」
そう言って、主のいない席に、ウミガメくんの手によって真っ赤ないちごの乗ったタルトがサーブされた。
それを皮切りに、何でもない日のパーティーが始まる光景を、オレはただ、無言で見つめていた。
この空席は、オレが金魚ちゃんから奪った居場所だ——