アスターとサミュエルを、いつものように抱えて二階子供部屋に寝かせに行ってくれたフェデーレさんは、「ごちそうさまでした」と挨拶して隣の彼の家に帰っていった。
そこからボクは、子供たちが起きてきた時のおやつと、同時に夕飯の仕込みに入った。
今日の夕飯は、フロイドからの初めてのリクエストだ。
ナイトレイブンカレッジでマスターシェフを受講したボクの料理の出来と今を比較して、初めて作った一皿の焦がしたロールキャベツの話を懐かしそうにするフロイドに「食べたいのがあるんだけど」と言われたのは昨日の夜だ。
「料理本に載っている料理なら、初めて作るメニューでもなんとか作れるけれど……」
調理に慣れたフロイドやアズールと違い、アルマに教えられた事や料理本に書いてある調理法を忠実に守らなければ、きっとボクの料理は未だ、イヴァーノに『ウワァー素材の味がするね!』と言われたあの頃とさして変わらない味になったり、不味くはないけれど美味しいともいい難い味になることもある。それでも、昔のようにオイスターソースを瓶一本入れるような愚かなことはないし、味見することで味だって……きっとフロイドが美味しいと思うぐらいには仕上げる事ができるはずだ。
そうやって、ボクがグルグルと考えを巡らせ、「さぁ! どんな料理をご所望なんだい!?」と、フロイドのリクエストと対峙すれば。そのフロイドから貰ったリクエストは、ボクを拍子抜けさせた。
「アズールに前に食わせたっていうミネストローネ、オレも食べたいんだけど」
陽光の国。あの大雨の夜、ビルを訪れたアズールに時振る舞ったミネストローネ。あの時の事をアズールから聞いたのだろうか?
あれだったら、五年、作り方を空で覚えるほど作ったおかげで、ボクの一番得意なメニューだ。それを食べたいと言われれば特に拒む理由もない。けれど……
「本当にそれでいいの?」
「うん、それがい〜の」
ミネストローネは、アルマが一番最初にボクに教えた初心者向けのレシピだ。フレドとアルマが具だくさんのスープが好きなこともありよく作っていたが、子供たちが大きくなるにつれて、具材を増やしてもスープだけではお腹に足りないことが多かった。だからフロイドにしても量が足りないだろうし、何よりもっと奇抜な料理をリクエストされるのではと身構えていたせいか、普通すぎて呆気にとられてしまう。
「ボクに遠慮してるの? もう少し難しい料理だって手順さえ分かればレシピ本の写真と同じものを作れるんだけれど」
もしかして、舐められているんじゃ……少しムッとなって、眉間に皺を寄せれば、フロイドが「あはは!」と笑ってボクの眉間を指先で伸ばす。
「ほんとにそれが食べたいんだって! ねぇ、ダメ?」
「ダメでは……ないけど……ぅう、わかった。夕飯にはボク渾身の一皿を作って待っているよ!」
だから何事もなく帰ってくるんだよと、ボクの言葉にフロイドがニコリと笑っていた。
「アズール、キミも何か食べたいものがあるかい?」
ボクたちの会話を近くでい聞いていたアズールにそう聞けば、チラリと彼の視線がカレンダーの赤い丸印を見る。あぁ、そういうことが。
「明日はチートデイだったね、じゃあいつものをたくさん用意しておくよ」
「あ、ありがとうございます」
一緒に住むようになって、ボクは初めてアズールの付きに一度の楽しみである〝チートデイ〟の存在を知った。この日だけは、食べたいものを絶対に我慢しないアズールは、いつものように唐揚げをご所望のようだ。
見かけによらず魚よりも肉を好む彼は、普段肉を食べても鳥のささみや胸肉なのに、この日はたっぷりの油であげたモモ肉の唐揚げを本当に楽しみにしている。唐揚げは子供たちも大好きなメニューだ、たくさん用意しなければならない。
と、そんなこんなで二人のご所望のメニュー。きっと帰ってくる頃にはお腹も空いているだろう、たくさん用意しておかなければならない。
昔のボクならいざ知らず、今のボクは魔力も腕力もない本当にただの一般人だ。二人の役に立てないなら、ほんの少しでも二人のためになにかしたかった。
ジュリオから届いた野菜には、赤く熟れたトマトや瑞々しい夏野菜も一緒に入っていたし、幸いアズールの体型維持サラダに使おうと思って水につけて戻していたレンズ豆もある。鶏肉は普段から大量に冷蔵庫に入っているそれを、アズール好みの味に漬け込んでおかなければならない。
よし! と意気込み腕をまくって、ボクは下準備に取り掛かった。
あらかた準備が終わった頃、お昼寝から目が覚めたアスターとサミュエルが目をこすりながらキッチンにやって来た。
「「かあさん、おきたよ〜」」
「二人とも、目が覚めたなら顔を洗っておいで、そうしたらおやつにしよう」
おやつと聞いた二人は、一瞬で目を輝かせて、良い子に返事をし顔を洗いに行ってしまった。
冷蔵庫から取り出したのは、二人も大好きな焼きプリンだ。お皿に盛り付ける際、あふれたカラメルの上、生クリームとチェリーのシロップ漬けを乗せれば、顔と手を洗ってもどてきた二人の顔を輝かせた。
おいしいおいしいと食べた二人は、次は各々好きに遊ぶようで、アスターはボクの料理の手伝いをすると、明日の朝食用の甘くないスコーンの生地を混ぜるのを手伝ってくれた。サミュエルは、それを見ながらお絵描きだ。さっき食べたプリンの絵や、生地を混ぜるアスターとボクを絵に描いている。
すると、サミュエルが手を止め、ふと宙を見上げ聞き耳を立てる。
「また何か聞こえたのかい?」
ボクが聞けば、ウンウンと唸るサミュエルはう〜んと首をひねる。
「前より聞こえるんだけど、なんて言ってるのかはまだ分からないかなぁ」
「じゃあもうすぐ聞こえるかもしれないね」
「そうかも!」
ニコリと笑って楽しみにしているサミュエルは、クレヨンを握って鼻歌を歌いながら楽しそうに絵を描く。
「サミーだけずるい! なんて言ってるか聞こえたら、ぼくにもおしえてね」
二人の可愛らしい会話を聞きながら手元を動かしていると、ふと隠し味に使う調味料が足りないことに気づく。いつもストックを欠かさずチェックしているのに、今日に限って買い忘れなんて……
どうしようかとパントリーの中も探してみたけれど、やはり無いようだ。二人を連れて買い物に行くにも、買い物に行く途中で毎週楽しみにしているアニメが始まってしまう。どうしたものかと考えていたら、キッチン脇の大きな窓ガラスを叩く音が聞こえた。フロイドが付けてくれた、リーチファミリーの護衛の人だ。
「リデル様、どうかなされましたか?」
「あ、いやその、大したことじゃないんだ。ただその、買い忘れた調味料を買いに行きたいのだけれど……子供たちを連れて行くには……」
「あぁ、そういえばいつもの……もしよければ私が代わりに買いに行くか、またはお二人を見ていましょうか?」
「それは助かるよ!」
彼の提案は渡りに船だ。ボクは急いでスコーンの生地を完成させ冷蔵庫にしまうと、彼に二人の子守をお願いし、二人には彼の言う事を聞いて危ないことはしちゃいけないよと約束し。ボクは急いで調味料を買うために家を出た。