翌朝、まだ寮長やその友人たちが起きる前、トレイとケイト先輩がこっそりとハリネズミの飼育小屋に向かえば、昨日置いていった餌はすべて食べてあったらしい。
人間を警戒していたフラミンゴも、そのハリネズミ達の協力があって、トレイやケイト達は他の人とは違うと説得してもらい、餌に口をつけるようにはなってくれた。
ボクが保護した子は、昨日よりもずいぶん落ち着きはしたけれど、やはりまだいつ体調が急変するかはわからない状態だ。ルームメイトたちと交代で授業の合間合間、休み時間に寮の部屋に帰って様子を見たが、餌を食べれるほどにはまだ回復していない。
放課後の図書館、ボクはハリネズミやフラミンゴの飼育に関する本や、動物の体力回復に良いポーションの作り方などの本を読み込んだ。
ナイトレイブンカレッジの蔵書数は、魔法に関する書籍以外においても、きっと薔薇の王国の国立図書館よりも多い。おかげでこうやって、極めて正確に、欲しい分野の本を手にすることが出来た。中を読みながら、必要な部分をノートに書き写していると、広く空いた図書館の自習室、ボクの座った席の前に誰かが座った。
チラリと一瞬、視線を向ければ。実に1日半ぶりに、フロイドが顔を見せた。あの昼食の「あきた」という言葉以降、それまでボクを散々怒らせるほどにしつこく絡んできた男は、言葉の通りボクに飽きてもう二度とあんなふうに絡んでこないと思っていたが、ジェイドに「僕の兄弟は気分屋なところがあるので」と言わせた通りまた気分でも変わったんだろうか?
「金魚ちゃん、何やってんの?」
「見て分かるだろう? 調べ物だよ。寮で飼育しているハリネズミとフラミンゴの体調や飼育環境が良くなくてね、それを正すために調べているんだ。ボクは忙しい、邪魔をしないでおくれ」
「ホントはさぁ、金魚ちゃん、自分とこの寮長にブチギレてるでしょ? オレにウギィィって言ったときの顔まんまだよ」
指摘されて、思わず顔を触ってしまった。お母様は人前で表情を出すことをはしたないと考えられている。だからボクは思ったことが顔に出ることがあって、よく叱られる事が多かった。お母様の元を離れてまだ5日程なのに、ボクはずいぶん気が緩んでいるようだ。
「ブチギレ……確かに寮長や一部の上級生の方々の考えは、ボクが今まで守ってきたルールからかけ離れた人たちばかりだ。けれど、寮ではこれがルールだと言われれば、ボクはもう……それに従うしか——」
「金魚ちゃん、寮長になる方法って知ってる?」
急に話を変えたフロイドは、図書館の柱の陰で出来た影が顔に覆いかぶさったせいでよくわからない。
「それは……現寮長による指名か……または、決闘による勝利……」
「そうそれぇっ!」
それって……ボクに決闘に勝ち、寮長になれということか?
「海ではさぁ、年齢も性別もなんも関係ねぇの。弱いやつが強いやつに従う。これが金魚ちゃんの大好きなルール」
「ここはキミの故郷である海ではない」
「うなこと分かってるって! でもさぁ、金魚ちゃんずっと気に食わねぇって顔しててつまんなそうでさ。オレ、その金魚ちゃんの顔見るのちょ〜つまんねぇの。オレの事ぶっ飛ばしたときみたいに、せっかくルールに従ってあの寮長ぶっ飛ばせるならぶっ飛ばしてスカッとして、金魚ちゃんのルールに従わせればいいじゃん」
この男は、なんて無茶なことを言うんだと、ボクはグッと奥歯を噛んだ。お母様のルールだけでない、年長者を敬うのは薔薇の王国で当たり前のルールだった。ボクにその世界のルールを捻じ曲げろというのか?
何も言えずに握るペンに力が入る。この男のストレートな思考回路は、今のボクにはあまりにも受け入れがたい。
いつの間にか影が動き、フロイドの表情を陽の光の下にさらす。その時初めて、彼の色違いの瞳の色を知った。ゴールドとオリーブの瞳に、困惑するボクが映り、フロイドがニコリと笑う。
「それにオレ、金魚ちゃんの方が似合うと思うよ、あの王冠」
フロイドが指先で王冠の形を描き、ボクの頭にその空気の王冠を乗せた。
「じゃ〜ね、金魚ちゃん。また明日ぁ〜〜」
そう言って寮に帰たフロイドの先ほどの言葉は、14年と少しボクの中で整然と並んだルールの中に不遠慮に割り込んだ。
今は目の前にあるハリネズミやフラミンゴたちの環境を整えることの方が先だと、ボクは頭を振ってそれを一時的に追い出した。