真っ白い蛍光灯に照らされ、薄い水色に室内。壁に固定されたベッドと仕切りのないトイレしかない空間は、廊下と部屋を分け隔てるガラスから丸見えだ。逃げることも、怪しい動きさえ出来ない空間に、長年連れ添った嫁と、患者である母子と共に押し込められていた。
「オイ、大丈夫か?」
見たこともねぇ顔色のをした俺の嫁——アルマに問えば、いつもはシャンとした背筋を丸め、一度は削がれて取れた指を撫でていた。ここに来るまでに最低限の緊急処置はしたが、アルマも俺と同じくそれなりに年を食ってる。そりゃまぁ、エナジーバーとミネラルウォータは定期的に支給されはするが、ここに連れてこられて一日か二日……体力的にも精神的にもこんな状況下での長時間の監禁に耐えられない。
あの時の事を思い出せば、今だって本当に最悪な気分だ。
リデルとチビ二人……いつしかanathemaにバレるとは思ってはいた。だからリデルたちのカルテも偽物を作り、何かあった時の対策も立てちゃいたんだ。
だが、anathemaの所長を名乗る男は、日も明るいうちから母子の診察中に乗り込んできた。こ〜いうのは深夜と相場が決まってるだろ? それを無視するなんざ本当にクソイカれた組織だとこれだけで分かる。
『貴方が、リドル・ローズハートという人物を匿っていたと情報を得ましてね、足を運んだのですが……』
『そんなやつぁ知らねぇよ』
俺のこの言葉一つ。短気なクソ野郎は、俺が患者の母子を連れて診察室を出ろと目で指示を送り、ドアノブを掴んだアルマの指を〝何らかしらの方法〟で削ぎやがった。
アルマが声を抑えても、横にいた血に慣れない母子はそりゃビビった。悲鳴を上げて固まる姿を見た俺は、こりゃもうダメなやつだと、鍵付きの引き出しからリデルとチビたちの偽のカルテを出し、クソ野郎に見せた。
『これをくれてやるから、さっさとこっからでてけ』
いいか? と念押しして警戒しながら〝リデルとチビの事をなんとも思ってない〟様に情は皆無であるとばかりに振る舞った。
ポイと床に投げ捨て、アルマの指の処置に向かおうとすると、クソ野郎が俺の肩を掴む。
『まぁ、少し待ちたまえ』
余裕の態度でパラパラとカルテを見る。そこには〝リドル・ローズハートが男のまま子を生もうとし、子供は死産だった〟という、嘘の内容が書かれてある。
『この死んだ検体はどこに?』
『さぁな……カルテに書かれてある通り、そのリドル・ローズハートってやつが意識薄弱で子供の亡骸ごと行方を眩ませた……こちとら医療費を踏み倒された被害者なんだよ』
『そうか……では聞くが。二十程の見た目の女と、双子の子供が少し前までここに住んでいたようだね? 彼女とはどういった関係で?』
『知り合いの子だ……旦那が単身赴任の間、ここで世話してただけだ』
『そうか……』と、クソ野郎がカルテを閉じた時に、男の背後、少し離れた場所に立っていたはずのアルマが悲鳴を上げた。床にはシワの入った細い指がもう一本転がって、隣の指があった場所から血が吹き出している。
『クソ野郎ッ!!!』
目の前のクソ野郎を突き飛ばしてアルマの元に向かい、魔法で血が出た場所を止血する。ピタリと血は止まったが、今すぐにでも手術で繋ぎ合わさなきゃ、取れた指が駄目になる。すぐさま床の指を拾って術式を構築したが、それが簡単にかき消された。
『話の途中にいけないなぁ……私達が欲しいのはリドル・ローズハートのカルテだ、早く出したまえ』
出せと言われて、頭にリデルとチビ二人の顔が浮かぶ。本当に一ヶ月程前に元気で幸せそうにやってる姿を見たばかりだ。カルテを渡すということは、その幸せを俺が終わらせるってことじゃねぇか……勘弁してくれと、昔よりずいぶん寂しくなった頭をガシガシと指で掻く。
どうにか誤魔化せないか……この男を諦めさせることは出来ないかと考えれば、アルマからまた悲鳴が上がった。
三本も……だ。長年連れ添ったが、気恥ずかしくて手なんかほとんど繋いだことなんかねぇ。それでも近くにあった指が削がれる姿に、俺は小さく息を吐く。
『アンタ、私のことなんか気にしちゃダメだよ!』
子供が出来なかった俺たちにとって、リデルやチビは、子や孫の様な存在だ。特にアルマは、本当にリデルを自分の子供のように思っていた。リデルの為なら死んでもいいとすら思っているのを分かっている。が……
『うんなわけにゃいかねーだろ』
先程の鍵のかかった引き出し、隠蔽魔法を解けば底の方に現れたのは、リデルがここに来た翌日から、チビが生まれて、三人ここを出て行くまで……そして、一ヶ月前にリデルの大怪我を治したところまでかなり詳細に書き溜めたカルテで、これをこのクソ野郎に渡すのは、三人への大きな裏切りだ。
(すまん……リデル……チビども)
『ほらよ、これ持ってさっさと帰れや』
クソ野郎にそれを押し付ければ、男が食い入るようにカルテをめくる音だけになる。
『アルマ、今から直ぐに指を強引にくっつける』
削がれた指を空中に固定して滅菌したのち、骨に血管、指神経も……最後に皮膚までくっつければ、ひとまず安心だ。きちんとした治療は、このクソ野郎がここを出て、すぐさまイヴァーノにこの事を連絡してからだ。
だがまぁ、このクソ野郎からしたら〝この三人の主治医〟だった俺に価値を見出さねぇわけがねぇんだ。
カルテを長々と読み込んだ男は『本当に素晴らしいカルテだ! ぜひ貴方がたにも、我が[anathema]にご同行願いたい』と言い出し、俺だけでなく、アルマや診察で来てた母子まで拉致した。しかもこの母子は、リデルが特に仲良くしていた茶飲み友達で、さらにはこいつの旦那がリーチのとこの幹部で、リデルの見張り役と聞いてずいぶんとたまげたもんだった。
あのジュリオと言う男は、ガキの頃からこの街中で見かけて知っていた。ストリートチルドレンやってたガキが死にかけてるのを見つけ、アルマが家に連れてきてパニーニを食わせ世話してやっていたのも知っていた。それから真面目に働いていたとは思っていたが……まさか、リーチの構成員になってるなんて誰が思うか。
そのジュリオを最後に見たのは、ココに連れられてきて、モニターの中、必死に嫁と子供の名前を呼ぶ姿だ。脅されて、リデルやチビをここに連れてくるための駒として使われるはずだ。そんでその先にあるのは、どっちに転んでも死のみだ。
部屋の中で泣く母子をずっと慰めるアルマの精神も限界だ。居なくなった俺らと血で汚れた床を見て、イヴァーノがさっさと気づいて動いてくれりゃいいが……
俺がそんな事考えてたら入口が空いて、白衣の男が三人入ってきた。
「そこの子供はC区画に移動……B検体として丁寧に扱え」
母親の腕から子供をひったくろうとし、母親が悲痛な声で子どもの名を呼んでる。
「ママッ! ママたすけて!!」
「やめて、私の子に触らないでよ!!!」
「女の方はバラして使えと報告がある、G区画に移動させろ」
バラす? その言葉に、俺もアルマもその場から立ち上がった。
「何するんだい! もうやめな!!」
「バラすってお前ら、何する気なんだ!!」
子どもと引き裂かれ、どうなるかわからないこの先を想像して、パニックになった母親は、金切声を上げて引きずられてく。
「オイ、もうやめろ……やめろって言ってんだろ!!!」
最悪だ、こんなもん悪夢でしかない。
リデルもチビも、イヴァーノのとこの坊主やリーチのとこのガキと上手いこといって、この先穏やかに暮らせるんじゃなかったのか?
なんでこんな、ジュリオのヤツの嫁や子までこんな事になってる??
アルマだって、こんな……!!!
最悪な状況に、目の前が暗くなりかけた瞬間——
「あはっ!」
誰かの笑う声とともに、この部屋の中に魔導特有の術式で隠蔽魔法が掛けられた。