フロイド・リーチ……
第一印象から最悪の男との出会いは、ナイトレイブンカレッジの入学式の最中だ。
新入生代表の挨拶をつつがなく終えたボクが、新入生の列に戻ろうとしていたその時。急に立ち上がったフロイドが、ボクを引っ張り引き止め、ボクの耳元に顔を寄せて、至極不愉快な事を口にした。
それは一瞬でボクの頭を沸騰させ、ボクは瞬間的にアイツの首を刎ね、鏡の間の壁まで吹っ飛ばし。何故か先生たちに、ボクひとりだけ怒られることとなってしまい、最悪の入学式はそうしてボクの汚点となった。
そう、ボクにとって汚点となった入学式なのに、アイツの方はその何が面白かったのか? ボクの事を気に入ったと言って、翌日から始まったフロイドの付き纏い行為は、本当に酷いものだった。
「金魚ちゃんは、赤くてちっちゃくて、食うとこなさそうだから金魚」
そう言って、ボクに『金魚』なんて見た目をバカにしたようなあだ名を付けたフロイドは、無視しても、逃げても、隠れても、しつこく話しかけ追いかけ探し出し、ボクの後ろをついて回った。
ボクの事をおもちゃとしてしか思っていない、ボクの意志を無視して、強引に手を引っ張り、からかってバカにしてばかりの出会った当初のフロイドは、今思い返してもボクにとっての最悪が服を着て歩いているような存在だった。
好きになれる要素なんてひと欠片もない、そんな気分屋で自由な男への印象が変わったのは、一体いつ頃だったか?
二年に上がってすぐ、ボクがオーバーブロットしたあの事件は、大なり小なりボク自身やその身の回りを変えることとなった。ボク自身も、寮生や知り合いとの関係も、きっと以前より少し形が変わったのに、その中でフロイドたったひとりが、出会った当初のままだった。
オーバーブロッ以前の、皆がボクと同じ場にいるだけで恐怖し、怯えて口をもごつかせて話して、関わり合いたくないと蜘蛛の子を散らすように逃げてばかりの中でだって、フロイドの視線はずっと変わらず、ボクに向いていた。
ボクを視界に入れれば、ニタリと上機嫌に笑って側にやってくる。そして、その時々の気分でボクをからかって怒らせ、それに対してボクがどんな態度をとっても、フロイドは変わらずボクの目の前に立っていた。自由で飽き性の癖に……トレイでさえ、あの時はボクと距離を置きたがっていると取れるような顔を、一瞬浮かべることがあった時期に、誰よりも一番ボクの側に近づいたキミだけが何も変わらなかった。
「美味しいもんいっぱい食べたら、プリプリ怒りっぽいのも治まるかもよ。あはっ」「ほら行こ、金魚ちゃん!」
二年のハロウィーン……この時だってきっと、キミにとっては相変わらないボクへの嫌がらせや、自由さの延長線、ほんの気まぐれでしかなかっただろう。
いつだってボクのルールを不躾に乗り越えて、その先に手を引こうとするキミに、ボクはこの時初めて、胸の内に何かを感じた。
ルールを守ることも破ることも、その頃どちらも苦しみに思えていたボクの目の前、その苦しみを振り切って先に導こうとする楽しそうなフロイドが一瞬、ボクにとって、ほんの少し羨ましくて憎くて、憧れに変わった。
胸の内に湧き上がる振りほどけ無いその感情、高揚感……フロイドの手のひらの温度、自由の元キラキラと輝いて見えたキミを……この瞬間ボクは、初めて〝キミ〟という存在をしっかりと意識したように思える。
どうしてフロイドだけは、初めから今この瞬間も変わらず、ボクにまっすぐ、その視線を向けることができるんだろう?
ボクは、誰かに好きになってもらえるような人間じゃないことを分かっていた。お母様と同じ恐怖でしか、誰も繋ぎ止めることが出来ない。そんなボクを、ボク自身が一番キライだった。
なのに、キミの向ける視線にはいつだってボクへの好意に溢れていて。それが余計、ボクを戸惑わせた。
「キミってどうして、ボクの事嫌いにならないの?」
二人っきりの図書館、ボクの隣の席を陣取ったフロイドに向かって、ふと口をついて出たその言葉は、ボクがずっとキミに聞きたかった本心だ。
ボクの言葉が理解できないみたいな顔したフロイドが「なんで?」とボクに聞き返す。質問を質問で返すのはマナー違反だろうと、ムッと唇を尖らせ「もういいよ」とボクはこの話を終わりにしようとした。
「だってオレ、金魚ちゃんのこと好きだから」
本とノートを閉じて、もう寮に帰ろうとしたボクに、ニコリと笑ったキミがそう答える。
「す、すきって……」
言われなれないその言葉に、一体その〝すき〟がどんな意味なのか頭を巡らせれば、それに気付いたフロイドが声を上げて笑った。
「金魚ちゃん、ちょ〜おもしれ〜もん! 好きにきまってんじゃん!」
「それって、やっぱり〝おもちゃ〟って意味じゃないか」
コイツにこんな事を聞くだけ無駄だったと、ウギィと声が出かかって、それさえも楽しいのか、フロイドがあのハロウィーンの夜に見た表情でボクを見つめた。
「金魚ちゃんと一緒だと、オレずっと楽しいの。オレの面白いの先にはずっと金魚ちゃんがいて、だから金魚ちゃんを見つけたらオレテンション上がっちゃって、すんげ〜楽しぃの」
底抜けに明るく笑うキミに、まるで告白でもされたかのような気持ちになって、ボクの顔が首まで赤くなる。
「あはっ! 怒ってね〜のに、真っ赤だよ金魚ちゃん!」
「う、ウルサイ! 第一、本当は嫌なんじゃないの? こんなルールにうるさくて、融通の効かないボクのことなんて……」
「なんで? 金魚ちゃんは金魚ちゃんだからおもしれぇんじゃん! ウギィって怒ってオレのことふっ飛ばした金魚ちゃんだから、オレはおもしれぇの」
ダメ押しのような答えに、手で顔を覆って、顔の熱が少しでも引くように手のひらで押さえれば。そんなボクをからかって笑うフロイドに、いつものような不快さはなかった。
ルールを守っても守らなくても、そのままのボクを好きだと思ってくれるキミの友愛にも似た好意に、ボクは生まれて初めて、自分自身をほんの少し肯定することが出来たのかもしれない。
金魚ちゃんなんてふざけたあだ名でボクを呼び、振り回すキミの友達になってやるつもりはないけれど、それでも、ほんのちょっぴりコイツとなら本音を言い合えるような関係になれるかもしれないと、その時のボクは本気でそう思っていた。