1/365「こんな所で何してん」
部室の外で夜風にあたる彼の背中へ声を掛ければ、真昼の明かりを含んだ金髪が揺れる。見た瞬間に心の中で弾けた衝動は、闇を彩るまだらな恋だ。
湿り気を帯びた空気が穂先を撫でる、広い麦畑を目蓋の裏に思い浮かべながら指の先を彼へ伸ばせば、案外すんなりと手のひらが柔らかいものの中に沈む。心地良い感触に目を細め、甘えた猫をあやすように髪を梳くと機嫌の良い声が俺の耳を撫でた。
「今日の主役がどこに行こうが勝手だろうが。つうかテメェこそ何しに来たんだよ、俺様が恋しくなったか?」
「……まぁ、そういうことにしといたろ」
「ハッ!珍しく素直じゃねぇの、そういうお前も好きだぜ」
「はいはい、どうもおおきに」
空を覆う星の粒へ目をやるふりで、ちらりと彼の口元を盗み見る。仕掛けられた罠を知りつつその場へ足を踏み入れることを愚かと言うなら、俺は一生愚者だろう。この世が終わるまで、俺はお前の全てに騙され続ける。
「……自分、俺が贈ったもんの意味知ってるん?」
「さぁな」
掻き乱された心を跡部の指先がつうとなぞる。細くてしなやかで力強い、この世で唯一俺をとりこにする男に心臓を擽られては堪らない。試すような眼差しで見つめられては敵わない。
ぐらついた理性をつつきながら、跡部の唇が俺の名前を縁どる。気がつけば、本能の赴くままに熱を触れ合わせていた。
ふたつのものがひとつになる、これほど愛しいことはない。それがお前とならなによりも。
ふたつの鼓動がひとつになる。これほど愛しいことはない。離れ難いを知れたのは、お前がそこにいてくれるから。
扉を一枚隔てて聞こえる賑やかな声も、今や耳に届かない。忙しない拍動が鼓膜の内側で暴れている。ドクドクと脈打つ愛しさを揶揄うように、余裕ぶった碧い瞳が細められた。
「ずるいわ、お前」
先ほど渡したリップの意味を知りながら彼は外に出たのだ。俺を誘うように、導くように。わざとらしく箱から取り出したそれで口元を彩り、甘い香りを纏わせ、俺をおびき出したのだ。
「そりゃテメェの方だろう?随分熱烈なプレゼントじゃねぇの、そんなに俺が欲しかったのか?甘えてぇなら素直にねだりな、今日の俺様は気分が良い」
薄く色づく唇を見せびらかすように今日の跡部はよく喋る。艶めくものを惜しげもなく俺に振りかざす。ほんのりと欲望の火を灯しながら。
甘えたがりは果たしてどちらであっただろうか。ねだるよりも前に顔を寄せれば、仕方がないというように跡部が笑う。
吐息が混ざる、蜜の香りが肺を満たす。瞬いた碧眼は遠い遠い銀河の果てで弾ける始まりの色。この世で一番煌めく命。
「……生まれてきてくれて、ありがと」
口付けの合間に囁けば互いを取り巻く温度がぐっと高まり、自信に満ちた瞳が惑う。
背筋を這う羞恥がむず痒い。それでも今は、心からの言葉で祝いたい。また来年も、その次も、この星の終わりまで永遠に。お前の隣で、傍でずっと。