顔その顔を見るのが、怖かった。
言葉を交わすのが怖かった、自分の本心を晒すのが怖かった。あんなに無邪気に笑い合っていた頃を恋しく思うのが怖かった、ささくれだった日々と比べるのが怖かった。出会わなければよかったと考える日が来るのが怖かった。彼の心が遠のいていくのが怖かった。
「俺とおらん方が幸せやったんちゃうか?いや、絶対そうやんなぁ。お前と俺じゃ釣り合わへんし…時間、もったいなかったやろ。大事な大事な数年間をお前から奪ってもうて堪忍なぁ…せやけどもう少しで終わりやから、まぁ、許したって。お前は俺がいなくても幸せになれるやろ」
丁寧に傷をつける。お前がお前の意思で俺から離れる前に理由を作る。目の前に腰を降ろす最愛へ最悪の言葉を投げつける俺は、一体どんな顔をしているのだろう。
心底失望すればいい、嫌いになれば、俺を責め立て悪者にすればいい。そうしてくれれば、きっと、俺達はいくらか救われる。もう二度とどうにもならない過去を見れば、砕け散って戻らない名残を見れば、俺たちは。
「…最後にひとつ、俺の話を聞け」
反論の言葉もないまま、湯気の立つコーヒーを一口啜り跡部が呟く。量産されたティーカップも、彼が持てばたちまち高価なものに見えてしまうのが無性に腹立たしい。この期に及んでまだ彼に、美しさとか、愛しさとか、未練とか、祈りとか、そんなくだらないものを抱いている自分が醜く思える。
ソーサーの上へカップを置き、碧い瞳が俺を見る。
いつか見た、あの、遠い遠い春の日が、頭の奥で綻ぶ。
「テメェが過去のことをどう言おうがどう思おうが勝手だが、人の幸せを勝手に測んじゃねぇよ。…俺は、お前と歩んだこれまでの日々を愛してたんだぜ、忍足」
窓の外では雪が降っている。灰色の、分厚い雲の隙間から零れた結晶が街を覆っている。そういえば、世間はもうすぐクリスマスだ。
喫茶店の隅に座って二人で過ごす今は何だろう。無意味な言葉を吐き出して、汚く愛を踏みにじって、怖いと言うばかりでお前から逃げ出して。鼻の奥が痛んでも、泣き言のひとつすら出てこない俺は、何だろう。
「…そろそろ出るか」
まだ、あと少し、もう少し。無様に縋りつく心がお前を呼ぶのに、舌先はちっとも動いてくれない。
いつか見た、あの、遠い遠い春の日が、頭の奥で綻ぶ。俺の名前を叫ぶ。
永遠なんて理想はこの世のどこにもなかったけれど、お前は確かに俺との日々を永遠と呼んだ。ただそれだけで良かったのに。ただお前が傍にいれば、それだけで良かったはずなのに。
久しぶりに目を開き真正面から見据えた跡部の顔はあの頃から変わらない。
今の俺は、一体どんな顔で彼を見ているのだろう。