閣下が空を駆ける話「恋人を甘やかすのも必要だろう。」
「は?」
ーー今日も執務に追われながら溜まりに溜まった書類をこなす。眉間に皺を寄せ、頭痛がしてきた所で突如開いた自動ドアの先には第一隊長ことフロイトが立っていた。そして冒頭に至る。フロイトはスネイルの首根っこを掴み、「空を駆けて来い。」と執務室から放り出した。どういう風の吹き回しだと訝しみながらドアに触れたが開かず、叩いても一切反応がなく、深い溜息を吐いて格納庫に向かった。
フロイトと違い、戦闘狂じゃないスネイルは文句を垂れ流しながらも愛機のオープンフェイスに乗り込む。ハッチが開けられ、ブースターを吹かしながら飛び出せば快晴が広がっていた。何が空を駆けて来いなのか。面白くもないし彼の言う事に乗っかるのは癪で、苛立つままに旋回しブースターを限界まで吹かして上昇する。雲を突き破り宇宙が見えるまで上昇し、ブースターが切れて急降下する。地面にぶつかる寸前でブースターを全開にして軌道を逸らし飛び上がった。
戦闘もない、駆け抜けるだけの空は久しく、スネイルは長らく忘れていた感覚を思い出す。コーラルにより灼けた空は夕陽よりも赤く美しい。誰かが飛んでいくオープンフェイスを見たなら、がむしゃらに何処までも飛び続ける姿は青年のようだと言ったに違いない。それほどスネイルは今、愛機で駆ける空を楽しんでいた。気がつけば夜の帳を迎えようとしており、時間間隔が短いとすら思う。もっと先まで、満足するまで駆け抜けたいが帰らなくては書類は溜まっていく一方だろう。それにフロイトが書類を片付ける姿が想像出来ない。名残惜しいが帰投しようと操縦棍を引いた時だった。通信音が入り、フロイトの声がコクピットに響く。
『休暇申請はしてある。満足したら戻って来い。』
「……何か企んでます?私がいないと書類が片付かないでしょう。」
『すでに片した。』
映し出されたモニターには山積みだった書類が無く、さっぱりとしていた。出来るなら普段から自分の分はやって欲しいものだと内心舌打ちしつつ、ふとモニター越しに透けている空を見て呟く。
「貴方は……飛ばないのですか。」
『ん?』
「いえ、何も。ではお言葉に甘えます。通信を切りますから戻るまで反応はないと思ってください。では。」
ほんの僅かでも共に空を駆け抜けたいなどと思ってしまい、口を滑らせた事に気づいたスネイルは通信を切って口元を抑える。空を駆けるのは楽しいという感情を思い出したせいだろうと理由をこじつけて引いていた操縦棍を前に押し倒す。フロイトの言った通りになった事は非常に癪に触るが今は空を飛び続ける事を楽しんだ。
ーー数時間後、レーダーでスネイルを見つけたフロイトが全力で追いかけに来るのは別の話である。