ナンタイ山の奥深く、誰も寄り付かぬような暗い暗い森を抜けた先に、旧カラストンビ部隊の基地がある。そこに3号が療養に来ていると2号から聞いたのはほんの数日前のことだ。
ペトロが4号になったとき、3号はあいにく留守にしておりまだ顔を合わせたことがない。見舞いがてら挨拶に来たはいいが、一体何を話せばいいのだろうか。まるで小さな城のように聳え立つ、厳しい木造の民家を見上げてペトロはため息をついた。3号は少し気難しい性格だと聞いている。ずっとヒーローとしての仕事に明け暮れ、ろくにイカらしい娯楽に興じたりもしないだとか。しかし、諸々の礼儀は幼少期に叩き込まれたため何か粗相をすることはないはずだ。
自分にそう言い聞かせ、ペトロは引き戸の磨りガラスを叩いた。しばしの沈黙の後、ゆっくりと扉が開く。
「……何か?」
出てきたのは、ペトロとそう年齢の変わらなさそうなイカの少年だった。白い寝巻きにゲソと同じ深い海の色をした羽織りを身につけている。全てを見透かすような透き通った浅葱色の眼に見つめられ、自然と背筋が伸びた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。僕はカラストンビ部隊の新入隊員、4号です。3号さんが療養中だと伺ったので、ご挨拶も兼ねたお見舞いに参りました」
「……そうか。中にどうぞ、今は俺以外に誰もいないが気にせずくつろいでくれ」
表情ひとつ変えずそう言って、3号はペトロを招き入れた。機嫌を損ねたわけではなさそうで、少し安堵する。
「茶を淹れる、少し待っていてくれ」
中に入るとそう言われ、畳の上に小さな木製のローテーブルが置かれた部屋に案内された。ただの医療機関だと聞いていたが、まるで一軒の旅館のようだ。はしたないとは思いつつも、好奇心が抑えられずきょろきょろとしてしまう。そんなペトロに気付いたのか、お盆に二人分の湯呑みを乗せた3号が声をかけた。
「ここは部隊の所有地だ、お前も4号でいる間は好きに使っていい。それと、俺の前で変に畏まるのもやめてくれ。そういうのは好かんからな」
「はあ……わかりました」
表情は硬いし声も低く、言葉遣いもぶっきらぼうだが嫌味ったらしさはない。真面目で誠実だが少し不器用そうな印象だ。気難しいというのはただの噂でしかないのかもしれない。
自己紹介をし、しばらく他愛のない話をした後、ペトロは3号———エルツにずっと気になっていた質問を投げかけた。
「エルツはなんでヒーローになったんだ?おれは……なんか自分探しみたいな感じだからさ。怪我するぐらい頑張ってるんだし、エルツにはもっとちゃんとした理由があんのかなって」
エルツの表情が僅かに強ばった。触れてはいけない話題だったかもしれない。慌てて言いたくないなら別に、と言おうとするが、エルツが口を開くのが先だった。
「俺がヒーローになったのは……タコどもを1匹残らず殲滅するためだ」
想像だにしなかった言葉に言葉が出ない。なおもエルツは続ける。
「俺の目的はオクタリアンを殲滅すること、ただそれだけだ。それだけが、俺がヒーローになった……いや、俺が生きている理由だ」
「タコを殲滅って、それは……そりゃあデンチナマズを盗んだり、じいちゃんやアオリちゃんを誘拐したり色々やってる奴らもいるけどさ。別に全部のタコが悪い奴ってわけじゃ……」
「だったら何だ、お前にはその悪いタコと悪くないタコの見分けがつくとでもいうのか?お前の勝手な判断で一般市民を危険に晒したらどうするつもりだ」
鋭い言葉に何も反論できなくなる。しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「……おれ、タコの友達がいるんだ。そいつ、ずっと地上に憧れてて、出てこられて嬉しいって言ってた。あと……3号にも感謝してるって言ってたよ」
エルツの表情がさらに険しくなる。何やら呟いているが、よく聞き取れない。
「エルツはイカ達のヒーローだけど、タコのことだって救ってるんだよ。お前は嫌かもしんないけどさ、お前に感謝してるタコ達だってちゃんといるんだ。だから……だからそんなこと言わずに」
「やかましい!!」
ペトロの言葉を遮るように、エルツの怒号が飛んだ。思わず肩が跳ねる。ずっと恐ろしくて顔が見られずにいたが、ようやくペトロはエルツに目を向けた。
エルツの眼は真っ赤に燃えていた。正確には初めて会ったときに見たあの浅葱色と何ら変わらない色ではあったが、その奥では言いようのない怒りが煮え滾っていた。
「貴様に俺の何が分かる!?何もかもを奪われた怒りも悲しみも、それをどこにもやれずに生きる糧にするしかなかった虚しさも……貴様は俺に全てを忘れて生きろと言うのか!?ふざけるな!!」