リノリウム　地元では比較的賑わっている方の田舎町で、男が、己の脂汗でぬめる顔をリノリウムの床に擦り付けた。
「今日中に払えば大目に見る、とのことです」
　赤く滲んだモノクロの靴、その踵を更に背中へ捩じ込ませる。とはいえ、殺人鬼ではないのですから殺すわけにはいかない。男を言葉通り踏みにじるジェイドは、相手が死なないように気をつけつつ力を強めた。
「ほらほらぁ、無駄に毎日磨いてるその舌動かしてごめんなさいしてみろよ」
　しゃがんで男の細く薄い髪を鷲掴むと、適当に引っ掴んだが故に兄弟どちらのか分からないストールが血の溜まる床を擦って汚れた。 「これ今日からジェイドのストールね」とフロイド。
「ごっ、ごへうらばい！」
「あ？　なんて？」
「ひぐっ……ぅ」
　軽肥満の男は歯抜けの口を懸命に動かし、擦れて垂れる歯茎を擦り合わせて必死に許しを乞う。たすけてくれよ、しにたくない、しにたくない、しにたくない。我儘が自業自得を生み、今こうやって地面にくたばっているのだが、まだそんなことばかりが頭に浮かぶ。

──イイ話があると言ったのはそっちじゃないか！
──今だけ特別だと誘ったのはそっちじゃないか！
──担保は簡単なモノだと決めたのはそっちじゃないか！
──甘い言葉を並べ立てたのはそっちじゃないか！
──俺は紙切れにサインを書いただけだ！

──たかが学生が作った紙切れに！！

　誰が作ったものであろうと効力があるのなら成立するのだが、男はいつだって『年下』というちっぽけな理由で相手を見下してきた。命乞いの中でもまだ消えない理不尽への怒りが目つきを鋭くさせる。それに気付いたジェイドは口元に手を添えて眉を垂らした。
「おやおや、怖い目。嫌ですねぇ、僕達はただ仕事をしているだけだと言うのに。ですよね、フロイド」
「そーだね、ジェイド。オレ達休み返上でこんな田舎まで足運んだのに。感謝してほしいくらいだっての」
　今日は日曜日。モストロ・ラウンジも賑わう日だと言うのに、支配人のアズールは取り立てを優先した。そのため今がある。
「そのわりには経費でお菓子を買い込んだ子がいますけれど？」
　背後からジェイドが疑問を投げる。
　ここに来る数十分前のことだ。「これ経費で落ちるよな？」と領収書に『モストロ・ラウンジ』『アズール・アーシェングロット』と、比較的丸みを帯びた文字で書いてお菓子を買い込んだ子ことフロイド。
「きっとその子は兄弟に唆されただけだよ、許してあげて」
　と言うのも、ジェイドが「落ちない」と言えば買わなかったものを「いいですね、アズールにもお土産を買っていきましょう」と調子に乗らせたのだ。
「唆された者の末路が、今貴方が頭皮を引き伸ばしている男ですよ」
「えぇ〜〜、オレもこうなんの？　ヤだなぁ。後でいっぱいアズールに謝ろっと」
「ふふっ」
「あはっ」
　立ったまま、座ったまま、男からは視線を外さずにふざけた会話を続ける。その間も血は流れ、そろそろ意識もあやふやになり、視界も霞んで双子の見分けがつかず元からついていない。息も絶え絶えで胸が苦しい、苦痛が苦痛を生んで止まない。何をするにも、懸命で、必死だ。
　フロイドが男に声をかける。「もういい」と請うた許しが通ったとは思えない。第一、許す許さないは彼らの雇い主が決めることで、彼らはただの手足だ。長く、強く、どこまでも伸びて、いつまでも放さない。
　先んじてジェイドが笑い、フロイドはより高く男の頭を持ち上げた。
「お前もちゃんと謝って、約束守れよ」
「大人なら、学生の僕達のお手本にならなければ。ねえ？」
　２人して鋭い歯を晒してケタケタ笑い、フロイドは男の頭を床へ叩きつけた。が、その時にはもう既に男の意識は遠退いていた。