Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    shiranami_bbb

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 43

    shiranami_bbb

    ☆quiet follow

    陰キャ眼鏡マリィ概念

    #ときメモGS4
    tokiMemoGs4
    #風真玲太
    reitaKazuma
    #玲マリ
    mariRei

    空を見ようよ【中編】 無機質な通知音とともに目覚めるのは、決して悪い気分ではなかった。枕元のスマートフォンんの画面をちらりと見れば、好きな人の名前が目に入って口元が緩む。ロックを解除してメッセージに目を通せば、意識はたちまち鮮明になって、風真玲太の朝が始まった。
    『おはよう』
     たった一行の短い朝の挨拶を、道端に咲いた花のアイコンが呟く画面。玲太も同じく『おはよう』と送った。すると少しして返ってきた返信。一枚の写真と短い文章。
    『お弁当作った』
     丸くて小さくて彩り重視の、彼女らしい弁当の写真だった。ハート型に切られた卵焼きがなんだか微笑ましい。『うまそうだな』と送ると『おいしいよ』と返ってくる。どうやら味見も完璧に済ませているらしい。苦笑しながらベッドから起き上がった。
     九年越しに再会した幼馴染・美奈子の対人恐怖を治すために『人と話す練習』をしようと決めてから、一ヶ月が経つ。季節はもう夏の様相だ。青空が色濃い季節になっても、美奈子はまだ顔を上げることができない。だが、スマホでのやりとりは幾分か慣れてきたようで、こうして玲太と何気ないメッセージを交わし合う日々だ。顔を合わせての会話はまだできそうにないが、これだけでも大きな進歩と言える。
     学校では人前で話しかけない。話す時は向かい合わない。登下校の際は少し離れて歩く。手探りながら、玲太はそうして美奈子を少しずつ知って、ルールを作り上げてきた。そのルールに従って、玲太は今日も彼女の少し後ろについて坂道を登る。こうして一緒に登校できるようになったのも、つい最近のことだ。
    「花椿たちとは最近どうだ?」
    「えっと、電話でおしゃべりしてるよ……みちるさんもひかるさんも、優しい」
     美奈子は女子生徒相手なら幾分か会話ができる。男子とはほぼ不可能で、人の多い場所は苦手だ。それでも、美奈子は学校に来ることをやめない。風真くんがいるからと、そう言ってくれた。
    「コンビニのレジの人と話せるようになりたいって言ってたけど、あれは?」
    「お、女の人なら、少し……」
    「そっか」
     焦る必要はない。今の美奈子にできることを少しずつ、ゆっくりやっていけばいい。そうすればいつか必ず、目と目を合わせて語り合える日が来る。玲太はそう信じていた。
     朝の匂いを吸い込んで、瞬きを数度。二メートル先を行く、リュックを背負った小さな背中。どうかこの背中に、如何なる恐怖も苦しみも降りかかりませんように。そう願って、小さくあくびをした。
     すると、その背中はぱたりと立ち止まる。眼鏡の奥の瞳は、すぐ隣の電柱に視線を注いでいた。
     どうした、と問いかけてみる。すると、目を合わせることが苦手な美奈子は、俯き加減のまま、電柱に貼られてある一枚のポスターを指差した。
    「こ、これ……」
     はばたき市花火大会。ポスターには、夜空に打ち上がる花火を背景にそう書かれていた。毎年この町で行われる、恒例の行事だ。
    「花火大会か。もうそんな季節なんだな」
     言いながら、玲太は美奈子と行く花火大会をちらりと想像する。荒々しい人波。あちこちで飛び交う乱雑な会話。大きすぎる花火の音。今の美奈子ではきっと耐えられないに違いない。
     そんな彼女が「行きたい」と希望を持ってしまわないように、玲太は「来年行けるといいな」と言おうとした。彼女が傷つかないように、危ない場所から無意識に遠ざけようとした。だが、玲太の唇が動くより早く、美奈子は叫んだ。
    「い、い、行きたい!」
     二人しかいない思い出の坂道に響いた、やや裏返った調子外れの声。今の美奈子が出せる精一杯の大声が、熱い地面に向かって響いて消えていった。
    「行きたいって、おまえ、こういう場所苦手じゃ……」
    「に、苦手だよ? でも、練習する。人と話す練習も、お出かけする練習も沢山する。だから、風真くん……」
     言いかけて、美奈子はくるりとこちらを振り返る。視線はまだ合わない。俯いたままこちらにつむじを見せて、それでも以前よりは明瞭な口調と声量で呟いた。
    「私と一緒に、お出かけして?」
     それは、玲太の言葉で表すのならデートだった。たとえ美奈子の辞書の中に、その言葉がなかったとしても。
     肩にかかるバッグの紐を握りしめる。かき集めた唾液を飲み込む。鼓動が速まるのを感じながら、玲太はたっぷり時間をかけて頷いた。
    「あ、ありがとう」
     ほっとするように肩を落とすその仕草が、どこかあどけなくて可愛らしい。心臓をくすぐられるような、未知の感覚。少しだけ苦しくて、胸をきゅっと握りしめる。その瞬間、柔らかく包み込むような熱い風が吹いて、美奈子の前髪を捲り上げる。隠された素顔があらわになって、玲太の脳裏に強く焼きついた。
     高校初めての夏休みが、すぐそこまで来ていた。


     お出かけの練習、というのは文字通りの意味であり、それ以外の意味など皆無だった。家に閉じこもってばかりの生活を改善すべく、二人で様々なところに出かける日々が始まった。
     初めは、人混みを避けて植物園。美奈子は暗い色のTシャツとシンプルなジーンズ姿で現れた。
    「お、お、お願いします……」
     緊張でいつも以上に他人行儀な口調だったが、鮮やかな花々に微笑みかける横顔に、明るかった昔の頃の面影がよぎった。
     二度目は、顔を合わせなくて済む映画館。美奈子は膝まで隠れる水色のスカートでやってきた。
    「いやっ! か、か、風真くん……!」
     あの手この手で脅かすスクリーンの幽霊たちに怯え、泣き、忙しなくコロコロと変わる表情を、玲太はただ見つめていた。映画の内容は、あまり入ってこなかった。
     三度目は、勇気を出して遊園地。美奈子は眼鏡を外し、淡い花柄のワンピースをまとって、少し気恥ずかしそうに立っていた。
    「お、男の子と遊園地に行くなら、この服にしなさいって……ひかるさんが」
     いつもと違う服装が落ち着かないのか、周囲をキョロキョロと見回す大きな瞳に、不意打ちのときめき。観覧車からなんてことのない街並みを見下ろし、目を輝かせる横顔に釘付けだった。
     そうして、二人だけの夏はゆっくりと加速し始める。二人でどこにでも行った。色んな人とすれ違った。ファレミスで注文できるようになったし、遊園地のキャストに話しかけられても、簡単な挨拶ならできるようになった。異性相手では、まだ少しぎこちないけれど。
     ともかく二人は沢山の「お出かけ」を重ねて、沢山の「話す練習」を繰り返した。蝉の声に重なって響く、何気ない言葉たち。俯くばかりの美奈子に顔を上げろと急かすような、強すぎる日差し。年に一度の花火大会は一週間後に迫っていた。
    「か、か、風真くんの分まで注文、できたよ!」
     ショッピングモールのベンチに腰掛けていると、遠くからコーヒーを二つ両手に持った美奈子が駆けてくるのが見えた。練習したいと自分から言い出したので、簡単なおつかいを頼んでみたが、これも成功らしい。最初のうちは、切羽詰まって玲太に助けを求めることも何度かあった。そのたびに玲太は少し得意げな気持ちになって「しょうがないな」なんて言ったりして、手を差し伸べたものだ。
     だがそれももう、必要でなくなるときが近い。美奈子が怖い目や危ない目に遭わないように、なんてただのエゴだった。美奈子は挑戦したがっている。人と話す練習ではなく、人と繋がりを持つ練習をしたがっている。彼女のとびきりの笑顔を見たいならば、守るよりもその背中を押してやるべきなのかもしれない。
    「……ありがとな。何もなかったか?」
    「う、うん。ちょっと注文が難しかったけど、お店の人が教えてくれて」
    「そっか」
     コーヒーを受け取る。少し距離を空けて、美奈子が隣に座る。だんだんと、距離が縮まってきているような気がした。
     冷たいコーヒーを一口含んで、隣の彼女にちらりと視線をくべる。カップを両手で持って、熱くもないコーヒーに吐息を吹きかけている横顔を見つめる。好きだと感じた瞬間にはもう、言葉がこぼれ落ちていた。
    「行くか、花火大会」
     美奈子は少し驚いて、唇からストローをこぼす。眼鏡の奥の目をぱちぱちさせて、玲太の足元を見つめている。
    「なんだよ、行きたいって言ったのはおまえだろ。何で驚いてんだよ」
    「だ、だって、いつもみたいに『禁止』って言うかと思って」
    「おまえが無理してたら、言うつもりだった。でもおまえ、頑張ってるし……思ったより話せるようになってきてるし」
    「そ、そうかな」
    「まあ、まだ目は合わないし距離もあるけどな」
     腰掛けたベンチの端と端。これが今の二人の距離。でも、今はこれでいい。ゆっくり近づいていけるのなら、それがいい。
     カップの中で揺れる氷を横目に、玲太はもう一度同じ言葉を繰り返す。
    「行こう、花火大会。俺たち二人で」
     こくりと頷いた美奈子の口元が微かに綻んでいるのが見えて、玲太は微笑を浮かべた。この小さな笑顔のやり取りが、くすぐったくて心地よい。こんな瞬間をいくつも積み重ねていけたら。
     祈りを込めて、玲太はそっと小指を差し出した。幼い頃よくやっていた、指切りの形の左手だ。
     すると美奈子もまた、少し迷って右手の小指を立て、そっと差し出す。触れられるのが苦手な彼女のために、指を絡め合うことはしない。遠く距離を置いたまま交わす指切りのジェスチャー。
     触れ合わなくても繋がっているような気がして、玲太はまた笑った。俯いたままの美奈子も、少しだけ笑っているように見えた。

         ♢

     それから玲太は、日が昇って沈むたびにカレンダーを見つめ、花火大会の日付を指先でなぞることを繰り返した。そんなことをしたって時間が早く進むわけでもないのに、何度も日付を確認して、花火の上がらない、暗く静かな夜空を見上げた。月が綺麗な夜は、必ず美奈子に連絡した。
    『花火、楽しみだな』
    『花火、楽しみ』
     そんなメッセージをほぼ同時に送り合って、吹き出してしまったこともある。くすぐったい日々は時計の通りに、しかし体感上は駆け足に過ぎていき、花火大会当日の夜がやってきた。
     ざわつく駅の構内で、浴衣の帯の結び目を何度も確かめてみる。スマホの画面の反射を利用して、しつこいほど前髪をチェックする。それでも美奈子がやってこなければ、彼女の真似をして俯いて、下駄の爪先を見つめてみる。約束の時間の十分前からずっとこの調子だった。
     震えないスマートフォンを見つめる。もうすぐ着くよ。ついさっき届いたメッセージを意味もなく眺める。機械の文字の丸みにすら、美奈子らしさを見出してしまって気がはやる。会いたいと思ってしまう。
     はまり過ぎている。そんな一文が脳裏に浮かんだ瞬間に、からんと下駄の足音がして、玲太はハッと顔を上げた。
    「ご、ごめんね……ま、待った?」
     いつもと違う美奈子がそこにいた。白地に藍色の模様の浴衣を着て、髪をひとくくりにし、薄化粧をした美奈子が。いつもの分厚い眼鏡はない。キラキラと輝くラメを薄く瞼にのせて、裸の瞳で周囲をキョロキョロと見渡していた。
     言葉を忘れてただひたすらに見つめた。周囲の喧騒など聞こえない。行き交う人々の浴衣の模様なんてもう目に入らない。玲太の世界はその瞬間、確かに美奈子だけだった。
    「え、えと……変、だった? み、みちるさんに、やってもらったんだけど……」
    「いや、変じゃない……」
     反射的にそう呟いてしまった後で、もっとかけるべき言葉があることに玲太は気づく。胸をくすぐるこの想いを表す、最も簡単で最も適切な言葉が。
    「……綺麗だ」
     俯いた美奈子の顔を覗き込み、真っ直ぐにその目を見つめながらそう言った。
    「あっ、あっ、あ……!」
     完全に目があった上に、至近距離で直球の言葉をぶつけられた美奈子は、ただではすまなかった。悲鳴のなり損ないような声を上げ、じりじりと後ずさっていく。耳まで真っ赤に染まって口をぱくぱくと動かすその姿は、金魚によく似ていたけれど、そんな姿もまた、玲太は綺麗だと思った。
     苦笑いを一口分こぼして、美奈子の手をそっと掴む。
    「おい逃げるなよ。本当に綺麗なんだ」
     すると、後ずさっていた美奈子の足取りがぴたりと止まり、繋がれた二つの手に視線が注がれる。そこで玲太はようやく己の過ちに気付いた。差し伸べて、繋いで、一度は振り払われた手だ。そう簡単に再び触れても良いのだろうか。いいや、良いわけがない。美奈子はまだ、触れられるどころか至近距離さえ苦手だというのに。
     しまった。そう思って玲太は、まず手のひらの力を緩めていく。そのままゆっくり離れようとした。だが、美奈子は突然ぱっと手のひらを開いたかと思うと、玲太の手をきつく握り返したのた。
    「は、はぐれちゃうから……」
     絞り出すようなその震えた声は、コンクリートの床に吸い込まれて消えていった。二人の周囲を騒がしく行き交う沢山の人々。そのうちの一人として、この言葉を聞き取ったものはいないだろう。それくらいか細くて儚くて、煙のように消えてしまった声だった。この言葉を紡ぐのに、どれだけの勇気が必要だったか計り知れない。
     愛おしい、というのはこんな感情を示す言葉なのだろうか。初めて覚える感覚を噛み締めながら、玲太は手のひらの中の柔らかい感触を何度も何度も確かめた。どちらのものかわからない汗で少し湿っていた。
    「……行こう」
     美奈子はこくりと頷いて、玲太の半歩後ろを歩き始めた。こんなにも近い距離で歩くことができるなんて、思ってもみなかった。九千キロもの距離を一度に飛び越えてやってきて、一度は拒まれてまた距離が生まれて、今度はぴたりとくっつくゼロ距離だなんて、そんな——
    「手……怖かったら、いつでも離していいからな」
     美奈子は怖いかもしれないのに、嬉しく思ってしまうことに罪悪感を覚えて、玲太は背中越しにそう言った。小声で早口で、伝わっているか不安だった。
     けれど美奈子はシュシュのついた頭をゆっくりと振って、伏し目がちの目をぱちぱちさせながら呟いた。
    「怖くないよ。風真くんなら、怖くない」
     いつもより、はっきりゆっくりと発音されたその一音一音が、玲太の背中を優しく撫でる。
     きっと、怖いと言われても離さなかった。もう一度きつく、握りなおした。


     入り組んだ駅を抜ければ、ぼんやりとした屋台の灯りが、海岸に向かって道標のように灯っていて、目に入る何もかもが華やいでいる。この景色を、ずっと二人で見たかった。閉じこもるばかりの美奈子を連れ出して、誰もが空を見上げるこの場所に来たかった。その願いが今、叶う。
     だが、美奈子の方を伺うと、これまでにない人の数に圧倒され、玲太の浴衣の裾に縋りつきながら縮こまっている。その視線の先には、はずれクジのへばりついた地面しかない。
    「……大丈夫か? 動けそうか?」
    「だ、だ、大丈夫……」
     大丈夫じゃない時の声色であると、ここ数ヶ月で学んでいた。美奈子はここぞというときに無理をする。その無理が上手くいくこともあれば、当然上手くいかないこともあって、そんなときでも美奈子は素直に感情を表せず、あの裏庭の木に寄りかかって涙ぐむだけだった。
     全然大丈夫じゃない今の彼女が、どうか大丈夫になる方法を、玲太は考える。考えながら、汗で束になった前髪の艶やかさに見惚れた。
    「そうだな……じゃあ、上向いとけ」
    「上?」
    「そう。そうしたら他の人の顔なんて目に入らないだろ。俺が手を引いてやるから、俺の背中に隠れて空でも見とけ。な?」
    「う、うん……」
     躊躇いがちに美奈子が頷く。人混みの熱気のせいか、その頬が上気しているように見えた。手のひらも、心なしか熱い。熱を意識するだけで玲太の肌もまた微熱を帯びて、首の下がかっと熱く燃え上がる。握りしめた手に、恐る恐る力を込めた。
     そして道ゆく人々の、様々な紋様でできた浴衣の波を割るように歩き出し、二人は祭りの一部となった。たどたどしく、けれど迷いのない足取りで、二人は橙色の光の中を進んでいく。
    「空、何が見える?」
    「え、えっと……星、見える」
    「それから?」
    「それからえっと、つ、月が綺麗」
    「ほんとだ。綺麗だな」
     やりとりが途絶えた。色んな人にぶつかって、ぶつかられながら、時折空を見上げて歩き続けた。九年間引き離されても、ずっと想い続けていられたのは、この空で繋がっていたからかもしれない。今なら、そんな臭いことだって口にできそうな気がした。
     そうして、二人は海岸へたどり着いた。花火がよく見える、空が広くて近い、秘密の場所。
    「時間ちょうど。もうすぐだ」
    「うんっ」
     頷く美奈子の声も弾む、打ち上げ数分前。人混みを抜けても、繋いだ手は離さない。今自分がどれだけ高揚しているか、どれだけときめいて胸が弾んでいるか、絡み合った指先から伝わればいいのにとすら思った。
     誰もが空を見上げて、第一発目を待ち侘びる海岸線。玲太も美奈子も、顔を上げて夜空を仰いだ。街明かりにわずかに霞んだ半分の月が、こちらを見つめ返している。
    「……本当に、綺麗だ」
     たった一言呟いた。そして、花火が打ち上がる。
    「わ……」
     隣で美奈子が感嘆を漏らす。そのささやかな響きは胃の底まで響くような轟音にかき消されて、二人以外の誰にも聞こえない。二発、三発と連続で打ち上がっていく。小さくて儚げな月を彩るように、色とりどりの花火が咲いては消えていく。
     強烈なほど鮮やかで、切ないほどに儚い輝きを、二人は無言で見つめていた。手と手を握り合って、空を見上げて、言葉ではない部分で通じ合う。こんな瞬間が訪れるなんて、九年前の自分が知ったら、いったいどんな顔をするだろう。
     そんなことをちらりと考えて、ふと美奈子の方を見下ろした。鮮やかな輝きを映した瞳に全てを奪われる。
     こっちを向いて。そう願った瞬間に、美奈子はぱっとこちらを振り返った。
    「綺麗だね、玲太くん!」
     不意打ちに目が合って、なぜだか玲太の方が動揺した。心臓が大きく跳ねる。繋いだ手のひらが、再びかっと熱くなる。久しぶりに聞くその響きが、花火よりも大きく重く、耳の奥で響いた。
    「あ、ご、ごめん……『風真くん』」
    「『玲太』でいいよ……『玲太』がいい。美奈子」
     動揺からか羞恥心からか、咄嗟に手を振り解きそうになった美奈子の手を追いかけて、再び繋ぎなおす。もう、繋ぐ理由なんてないはずなのに。
    「俺もずっと、タイミング探しててさ。やっぱ、こっちの方がいいよな、俺たち」
    「うん……」
     唇を震わせながら美奈子は呟いた。頬だけじゃなく、襟元から覗くうなじまで桜色に染まっている。それはきっと、今打ち上がった赤い花火のせいではない。
     再び沈黙が訪れた。花火を見るふりをして、美奈子を見つめた。美奈子もきっと、同じだったに違いない。
    「玲太くん……あのね」
     数十秒か数分の間続いた沈黙は、意外にも美奈子が破った。
    「わ、私ね、玲太くんが帰ってきてくれて、すごく嬉しかった。私に会いにきてくれたのも、裏庭にいた私を見つけてくれたのも、こんな私と一緒にいてくれるのも……すごくすごく、嬉しかった」
     桃色の花火が打ち上がって、同じ色の光が二人を包み込み、美奈子の瞳の黒に溶けていく。
    「だからね、ほら……玲太くんが言ってくれた『とびきりの笑顔を見せてくれ』っていうの……叶えたくて。玲太くんの隣で笑いたくて。それで……」
    「それで『お出かけの練習』?」
    「うん……花火大会、玲太くんと一緒に来たことなかったし、沢山お出かけして一緒にいられれば、笑えると思って……」
     美奈子の首がゆっくりとこちらを振り返って、二人の視線が時間をかけて絡み合う。ずっと地面を見つめ続けてきた美奈子の瞳が、その瞬間、ようやく玲太のものとなった。
    「玲太くん。私を連れ出してくれて、ありがとう」
     ぱっと打ち上がった一際大きな花火と、花が咲くような笑顔。不安げな表情ばかりだった美奈子が初めて見せる、花火の灯りにも負けない眩しい笑顔。ずっとずっと、見たかった景色。
     だめだ。自分の中の誰かが叫んだ。自分は、はまりすぎてしまった。引き返せないくらい、好きになってしまった。
     もう昔には戻れないことも、自分が抱いた感情が美奈子を怖がらせるかもしれないことも、何もかも本当はわかっているのに、全部わからないふりをして、この恋を追いかけたくなってしまう。
     彼女が人を信じられなくなったのは、自分のせいなのに。それすらも忘れて『好き』が加速していく。
    「……敵わないな、おまえには」
    「え?」
    「なんでもない」
     零れ落ちてしまった独り言は、花火の音がかき消してくれた。今なら「好き」と言っても美奈子にはわからないかもしれない。そう思って、言いかけて、やっぱりやめた。
    「これからも『練習』しに行こうぜ。おまえの好きなところ、どこでも」
    「うん!」
     美奈子はこの晩、最後の打ち上げまでずっと空を見上げ続けていた。花火の灯りがとびきりの笑顔を照らし続けていて、玲太には直視できないほど眩しくて——それでも、目を離せなかった。
     色鮮やかな光が網膜に焼き付いて離れなくて、その中に浮かぶ美奈子の笑顔が、いつまでも消えない。

         ♢

     それから、夏休みは加速して止まらなかった。バイトや課題に追われながらも、時間を見つけては二人で出かけた。
     天守閣から見上げる空の高さ、水族館のきらめく水飛沫、遊園地のナイトパレードの強すぎるあかり。もう地面を見つめることのない美奈子の瞳は、様々なものを映した。美奈子はそのたびに「綺麗だね」と言って、他の何よりも綺麗な笑顔でこちらを振り返るのだった。
     練習など、もはや口実に過ぎなかった。美奈子はもう知らない人とだって話せるし、人の多い場所でも以前ほど緊張しなくなった。できないことよりもできることのほうが増えた。
     もう玲太の助けがなくたって、どこにでも行ける。誰とでも話せる。
    「玲太くん。私、こんなに楽しい夏休み、初めて」
     どもりの少なくなってきた喋り方をし、美奈子は目を細めて笑った。求めていた笑顔であるはずなのに、自分だけのものではないという事実が歯痒くて、胸が締め付けられる。
     もう、手を離してやる頃合いなのかもしれない。自分だけがこの笑顔を独り占めするのではない。美奈子を遠巻きに眺めている教室の連中に、彼女はこんなにも明るく笑えるのだと見せつけて、閉じられた二人だけの世界から解き放ってやるべきだ。
     胸の奥で誰かが囁くそんな正論に、玲太は耳を塞いでやり過ごした。この夏が、どうか終わりませんように。ただそれだけを願って、美奈子と一緒にやたらと笑った。やたらとはしゃいで、やたらとふざけた。そうすれば、泣けるくらいに高く澄んだ夏空が、二人を永遠に閉じ込めてくれるような、そんな気がしたから。
     けれど、終わりは必ずやってくる。夏休みはあっけなく終わって、長すぎる残暑がのぼせた体を徐々に冷ましていって、やがてひょっこり秋がやって来た。

    「今年のクラス出展は和風喫茶に決定しました」
     クラス委員が淡々と告げる。黒板に記されていく、各役割とクラスメイトたちの名前。
    『給仕 小波美奈子』
     美奈子はその一文を、背筋を伸ばしてまっすぐに見つめていた。もう俯くことなどしない、何か決意めいたものを感じさせる後ろ姿。それを玲太は、頬杖をついて姿勢を崩しながら横目に見ていた。
     手を離すときが来てしまったのかもしれないと、そう思いながら。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭😭😭👏👏👏🎆🎆🎆🎆
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works