Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    蒸しパン

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 32

    蒸しパン

    ☆quiet follow

    バチクソ去年のなんだけど すっ転びティボルトくん話なので再掲です

     雪の日の石階段が滑りやすいなんてわかってた。
     だけど、その日雪が降るなんて知らなかったから革靴で。だから余計に。
     当たり前だけど誰かに押されたわけでもないから、ただのドジだ。
     ぁあ、落ちる。そう直感した瞬間、一瞬だけ彼が俺の服を掴んだのを感じた。
     でもそれは本当に一瞬で。指先で掴んで体を支えられるわけがなく、そのまま下方向へ転んだ。石作の階段をら上から下まで綺麗に転げ落ちたのだ。

    「も〜……大袈裟ですねぇ。捻挫しただけですよ」
    「頭とか打ってるかもしれないよ、本……っ当にごめんね。まじで、俺がいながら」
     劇場を出てすぐだったので、俺はそのまま救護室へ担ぎ込まれた。大きな怪我はなくて、少し足首を捻ってしまったみたいだ。あの規模で転げ落ちて足捻っただけだよ。すっごく幸運だと思うんだけど。
     公演中じゃなくてよかったと心底思ったけど、彼はもっと落ち込んでいた。あの時、咄嵯に腕を掴めなかった自分を責めているようだった。そんなことないのに。
    「あなたは荷物持ってましたし少し遠い位置にいましたよね。滑ったのは俺が悪いですし、何をそんなに」
     気にしているんですか? そう言いかけてやめた。彼の表情を見て言葉を飲み込んだのだ。
     どうして、そんな顔するんですか。
     まるで自分が怪我をしたような、悲痛な面持ちをしていたからだ。というよりむしろ、自分の怪我にはケロッとした顔をしているくせに。なんで。
    「あなたの方が死にそうな顔をしてる」
    「、打ちどころが悪かったら、と思うとどうしても」
     ああ、もう。本当にこの人は。起き上がって彼に近づき、手を握った。そしていつものように笑う。
     大丈夫です、ちゃんと生きてますから。安心してください。
    「本当に大したことないですからね。普通に歩けますよ」
     こんな風に言っても、きっと彼の中では納得できないだろう。優しい人なんだ、とても。
     それならいっそ、と握っていた手を離す。するとすぐに彼の手が追いかけてきた。そのままぎゅっと強く握り直される。
     ほらやっぱり心配性じゃないですか。
    「あなた、自分の心配は全然しないくせに」
    「ティボルト君だってそうでしょ。心臓止まるかと思った」
    「ほぁ」
     ぎゅう、と抱きしめられて思わず変な声が出る。そんなにまいっているのか。なんだか申し訳ないことをしたな。
    「生きてますって、そんなに近かったら心臓の音が聞こえるでしょう」
     ぽんぽん、と背中を叩く。それでも彼はひどく落ち込んでいるようだった。
     彼の手をとって胸の辺りに当ててみる。
    「、え? 鼓動なくない?」
    「失礼ですね、ありますよ」
     鼓動に強いも弱いもあるわけない。動悸があるわけでもないけど、動いてないわけが。
    「ティボルト君は寝てる時も静かすぎて時々びびるよ」
    「そんなにですかぁ。そんなに死にそうかなぁ」
     元気に生きてない? 最近は。
     なんて、自分ではそう思うけどやっぱり第三者から見るとまた違うのだろう。
     静かすぎる、なんて。俺は普通に生きてるつもりだから、どうしようもないけど。
    「俺の目の前からいなくならないで欲しい……」
     小さく呟かれたその言葉に戸惑ってしまう。
     なんだそれ、そんなのあなたの口から聞いたことない。どういう意味ですか、と聞きかけて口をつぐむ。
     いなくならないで、って。それはつまり、俺がいなくなったらとかそういうことでいいんですよね。そう思ってもいいですよね。
     ああだめだ、顔が熱い。これはまずいな。誤魔化さなければ。
    「なりませんよ、多分。ティボルトと名付けられたんだから、さいごは華々しくなきゃいけませんから」
    「そういう話じゃないかもしんない……」
     元気付けてあげようと思ったのに。どうしてこうなる。
     彼が弱々しい声で何か言うものだから、ますます顔に熱が集まってくる。このままではいけない。どうにかしないと。
     でもどうしようもなくて、できなくて。誤魔化すように腕に力を込めた。顔も見られたくないし。
    「、足の手当てだけして今日はもうホテル戻っちゃいませんか」
     これ以上ここにいたらおかしくなってしまいそうだ。俺の頭はいつの間にこんなポンコツになってしまったんだろうか。
    「そうだね。自分でできる? 俺やろうか」
    「テーピングくらいならできなくもないけど……やってもらおうかな」
     彼が包帯やらテープやらを棚から取り出すのを見ながら靴と靴下を脱ぐ。ズボンじゃなくてよかったかもしれない。
     俺の頭はもうダメかもしれないけど、足は大丈夫そうだった。よかった。
    「足冷たくない?」
    「冷え性なんですよ、冬だし普通じゃないですかねぇ」
     そういえばあなたは手先まで温かいですもんね。なのに俺よりも寒がりで、ちぐはぐさが可愛いな、なんて。
     怪我したところを避けて丁寧に巻かれる。少しだけくすぐったくて身を捩るけど、それも気付かれないうちにテープで固定されていった。ありがとうございます、とお礼を言うと彼はいつものように笑った。そして俺の手を引いて立ち上がる。
     これなら歩けそう。
    「行きましょうか、あなたもすこしはマシな顔になりましたね」
     そう言って手を引く。彼は何も言わずにただついてくるだけだった。

    ***
     フロントマンに軽く会釈をしてエレベーターに乗り込む。部屋のある階数を押して扉を閉めると、ふぅ、とため息が出た。
    「疲れました……」
    「お疲れ様。ひと公演意外と長いよね」
    「あなたもそう思う? だから年齢が下の役者は2人以上になるんですよぅ」
    「そうなんだ、学生だもんね。ティボルト君は全部出てるけど大丈夫なんだ」
     俺の代わりを立ててくれないんですよね。そう言ったら彼は苦笑いをした。そして「頑張ったね」と言って頭を撫でてくれる。
     エレベーターが目的の階に着き、ゆっくりとドアが開かれる。誰もいない廊下に二人分の足音が響いていた。
     部屋の前まで来て鍵を開ける。先に中に入った彼の後ろに続いて入ると、そのままソファに沈み込んだ。
    「あしいたぁい」
     歩いてみると思ったより痛かった。それになんだか眠たい。身体は疲れているみたいだ。
    隣に座ってきた彼にもたれかかると、彼の匂いがする。落ち着くような、それでいてドキドキするような。そんな不思議な気持ちになって目を閉じた。
    「寝ちゃう前にシャワー浴びてきます……」
     このまま寝てしまいそうだけど、汗を流してからにしたい。
     なんとか立ち上がって浴室に向かうと、服を脱いで鏡を見る。赤く腫れた足首が目に入って、なんだかおかしく思えてきた。案外腫れてるのかもな。
     あまり患部は温めないようにと思いつつ、いつものように髪を洗って、いつものようにトリートメントをする。
     一息ついたところでふう、と大きく息を吐きながら天井を見上げると、やっぱり眠気が襲ってきた。今日もたくさん動いたし、公演終わりだから仕方ないか。
     足、明日になったら治ってると良いんだけど。無理だろうな。まあ、いいか。
     浴槽に入らずにバスタオルで体を拭く。下着を履いて、いつもの短パンとゆったりした長袖の寝巻き。髪とついでにテーピングを乾かして、脱衣所を出た。
    「お次どうぞ」
    「わかった、じゃあ。ちゃんと温まった?」
     彼が心配そうにこちらを見るから、「子供じゃないんですから」と言う。そうだよね、と一言笑って浴室に向かった。
     それを見送ってベッドルームに行き、布団の中に潜り込んで枕元にあるスマホを手に取る。通知を確認するけれど特に何も無くて、SNSを開いて適当に眺める。
     劇団の公式アカウント。今日も写真が上がっている。稽古中の写真や、本番中に撮ったであろうもの。そのどれを見てもみんな楽しそうだ。
     自分が写っている写真は流れでコメントのところもチェックするのが習慣になっている。だから今日もなんとなくついたコメントや、その人の投稿なんかを遡って覗いてみる。
     自分の芸名が書かれたものは特に興味がある。今日もよかった。綺麗。素敵な絵文字の投稿。そんなコメントを見つけてはいい気分になったりするのだ。俺は結構エゴサが好きだったりする。
     だって、褒められてたり、感想言われてたりするの見るの楽しいし。ファンの人の声は嬉しいし。
     だから今日もつい癖でエゴサをしていた。そしたら、こんなの見つけてしまった。
    【この役の役者ってこの前少女役やってたよね、芸名女っぽいけど男なの?】
     思わずスクロールしていた指を止めてしまう。投稿は、パンフレットを写真に撮ったもの。勘違いじゃない。だってご丁寧に丸までされて。
     こういうこと言われるのは初めてじゃない。別に珍しいことじゃなくて、むしろよくあることだから気にしない。気にしたくはない。
    「……。どっちでもよくないですかぁ〜……?」
     誰に向けたわけでもない独り言が静かな部屋に響いた。
     性別なんてどうでもいいじゃないか。それとも、俺が男らしくないと言いたいのか。いやでもそれは違うな。男らしいとか女らしいとか、すべき理論で縛られるのは嫌いだ。そういうくだらない世界では生きているつもりない。
     俺は男という名前の生物ではないし、ただ単にそういう風に作られているだけなのだ。可愛い服が好きで、綺麗な自分の方が良くて。ああ、もうやめよう。考えると頭が痛くなる。
     考えないようにしよう、そう思いながらも再び画面を開く。
     そしてまた、気になるものを見つけた。
    【少女役をやるなら身長が高すぎるし、男役をやるなら華奢すぎる。中途半端】
     俺のことかな。俺のことを言っているのかな。わかってるけど、そんなこと。
     胸の奥がチクチクと痛む気がする。いつもだったらこんな投稿見ても見る目がないのね、って閉じてしまう。きっと疲れてるだけだ。そう言い聞かせて画面を消そうとした時だった。
    「お風呂出たよ」
     いつの間にか後ろに立っていた彼に驚いて肩が跳ね上がる。彼は少し驚いた顔をした後、優しく微笑んで俺の手を取った。
    「ごめん驚いた? なんか見てたの」
    「いえ……」
    「さっき足痛いって言ってたけど、大丈夫? 腫れてるよね」
     そう言って彼は俺の前に座り込み、足首に触れる。触れられたところが熱を持ったみたいに熱い。
    「お風呂入って血行がよくなっちゃったからじゃないですかね」
     平然を装って答える。
     彼は少し不思議そうな顔をしながら、そうかもね、と言った。湿布を買ってくれば良かった、と後悔しながら、とりあえずにと応急処置で固定してくれたテーピングを剥がす。
    「やり直す?」
    「ううん。明日の朝にまたお願いしてもいいですか」
     了承して、彼が立ち上がる。もう寝るのだろう、俺も眠い。向かいのベッドに入ろうとするのを見て、離れ難いと思ってしまった。
     これはどういう気持ちなのだろうか。よくわからないけれど、なんだか心細いような、切ないようで、不安な感じ。どうしてだろう。
     シーツを握ってじっと見つめる。
    「、どうしたの」
     視線に気づいた彼が問いかけてくる。
     なんと言えば良いのか、自分の中で言葉を探しているうちに、自然と口から出ていた。
    「さむ、くて……?」
     自分でも何を言っているんだと思った。暖房のついたこの部屋が寒いはずがないのに。
     だけど、何故か震えそうになる体を必死に抑えながら彼の返事を待つと、「そっか」と短く返ってきた。それから布団を持ち上げて、「こっち来る?」と。
     暗闇を怖がる子供みたいじゃないか。恥ずかしかったけど、恐る恐るベッドに潜り込む。彼の腕の中に抱き寄せられて、背中に回された手がトン、トン、とリズム良く叩いてくれる。
     心地よい体温と匂いに包まれると、すぐに眠くなってきた。
    「ディーディリヒさん」
     名前を呼べば、なあにと優しい声色が落ちてきて、それが嬉しくて、でも何故か不安で。
    「ディーディリヒさん……」
     確かめるようにもう一度名前を呼ぶと、彼が頭を撫でてくれる。すると、安心した眠気が堰を切ったように押し寄せてきた。まぶたが開けられなくなって、そのまま眠りについた。

     朝起きて、スマホを確認する。昨日エゴサをしていた時に見つけた投稿は、まだ消えていなかった。
     やっぱり、気分が落ち込む。見なきゃいいなんてわかっているけれど。でも、見てしまうをそれを見る度に、心の中がモヤモヤする。別に性別は関係ないじゃんか。こういうことを言われるのが1番嫌なのだ。不躾で、不粋で。疑惑と好奇心に似た嫌な目で見られることには、慣れたけど、いい気分にはならない。
    「……何見てるの」
     隣で眠っていたはずの彼が起きていて、ちらとスマホを覗かれる。
     俺は咄嵯に手のひらで隠した。見られたくないから。
    「なんでもない、」
     そう言うと、彼は何かを悟ったかのように小さく息を吐いて、それから言った。
    「そっか。なんか落ち込んでるみたいに見えちゃったから、夜も少しうなされてた」
     言われてから気づく。確かに夢を見たかもしれない。内容は覚えていないけど、嫌な夢だった気がする。
    「……。もしかして俺のせいで眠れなかったですか」
    「俺が勝手に起きただけだから大丈夫だよ。足見せて」
     促されて布団を剥がす。捻ったところは昨日よりもよくなっているように見えた。
     ホッとした。本当は昨日腫れてるのを見てすこし不安だった。
     テーピングをされる間、俯いた顔をじっと眺めていた。手当てなんだから仕方ないんだけど、顔じゃないところをまじまじと見られるのは少しいたたまれないような。
    「……。あの、」
     沈黙に耐えられなくなって話しかける。
    「ん?」
    「……、えっと、」
     言いたいことは沢山ある。だけど、いざとなると上手く言葉にならない。どうしよう、と困り果てていると、彼が先に口を開いた。
    「言いづらいなら言わなくていいよ」
    「ちが、……、……」
     違うんです、と言おうとしたけど、やっぱり何も言えないまま口を閉じた。
     彼はそんな俺を見て、少し笑みを浮かべた後に、ゆっくりと言葉を紡いだ。
    「俺には話せないこと? それとも、……俺じゃ頼りないか」
    「俺が……、女の子の役やったりするの、変だと思いますか」
     彼は少し驚いた顔をした後、首を横に振った。
    「全然思わないけど」
     即答だった。それから、彼は続けた。
    「なんでそう思ったのか知らないけど、誰かに……なにか、言われたりした?」
    「言われたというか、SNSで感想とか調べるとどうしても、」
     言葉に詰まりながらもなんとか答えると、そっか、と一言返ってくる。
    「俺はあんまり詳しくないからなぁ、よくわからないよ。けどすごいなぁって思う」
     彼の表情からは本当に俺を貶すような意図を感じ取れず、純粋に感心しているような感じだった。優しく微笑まれて、なんだか苦しい。
     こんな風に言ってもらえるとは思ってもいなかった。全然興味もない分野のことだろうに、否定でも上から目線なアドバイスでもなく。
     彼のこういうところが好きだ。最初に男だと伝えた時は多少驚きはしたけれど、そのあとは普通に接してくれた。俺は俺だっていうふうに接してくれるのが、たまらなく嬉しいから。
     思わず泣いてしまいそうになると、それに気づいたのか彼が慌てる。
    「ごめん、偉そうなこと言ったかな」
     俺は慌てて首を横に振る。
     違うんだ。嬉しいんだよ。ありがとう。
    そう伝えたかったけれど、嗚咽でうまく声が出せなかった。すると、彼が手を伸ばして、頬に触れてくる。涙を拭ってくれるのかと思いきや、指先が耳元を撫ぜて首筋まで下りていくと、そのまま顎の下へと滑っていく。
     猫にするような仕草に驚いていると、ふと目が合った。
    「、……あなたにそう言ってもらえると嬉しいな」
     自然と口から零れた本音に、自分でも驚いた。彼は一瞬だけ目を丸くして、それからまた笑顔になった。
    「うん、ならよかった」
    「はい。……俺、今日は舞台稽古だけなので、夜まであなたはお暇かもしれないです」
    「そうなの? なら送り迎えだけするね」
     今日は10時ごろから夕方まで稽古がある。その間まで待たせるのはどうかと思うし、ついてきてもらうほど遠くもないはずだ。
    「んむ、大丈夫ですよ。あんまり遠くないので」
    「近くても。俺がしたいだけだからさせて」
     真剣な眼差しで見つめられては、断る理由が見つからない。結局、お願いしますと伝えると、嬉しそうに笑ってれる。

     せっかくだし朝ごはん食べていきませんか、と誘えば、喜んでと快諾してくれた。劇場の近くのカフェのモーニングが俺は好きだから。いつも1人で食べてるお店だけど、共有したかった。支度をして、朝食を食べに出る。
     朝の大通りはとても寒かった。もうすぐ12月なんだから当たり前だけど。
     マフラーをぐるぐる巻きにしてコートを着て、手袋もしっかりはめて完全防備。それでもまだ寒いくらいだった。

     いつもの店に入って、席に着く。ホットティーを頼んで、トーストを1枚。彼はサンドイッチを2つ。
     向かい合って座っているから、俺がもたもたパンにジャムを塗ったり、紅茶を飲んだりしている様子をじっと見られている。なんだか恥ずかしいな。食べるところをまじまじ見られても嫌な感じがしない。俺もちょっとは成長できてるかな。人前で食べるのが怖いなんて、変だから。ちゃんと大人になる前には治したいと思っている。
     食事中はあまり会話をしなかった。特に話題もなかったから。ただ、時折、美味しいですね、とか、普段朝ごはん食べないけどこれは好き、だとか、ぽつりと呟くように言うと、その度に返事をくれる。
     ディーディリヒさんも毎食毎食がっつりしっかり食べる方ではないらしい。けど胃が強いらしいね、朝から大きめのサンドイッチを2つだ。食べるのも一息ついて、何か話したそうにしている気がしたので、俺の方から尋ねる。どうかしましたかと。彼は少し躊躇うような素振りを見せた後、ゆっくりとはにかみながら口を開いた。
    「ううん、なんでもないよ。ティボルト君といるとなんか……落ち着くなって思ったんだ」
     なんだそれ。どうしてそんなに、嬉しいことを言ってくれるのかな。そんなの俺も一緒だ。
     あなたと過ごす時間は穏やかで、とても心地がいい。
    「……俺もそう思いました」
     彼は驚いた顔をした後、俺と同じように笑った。
     あぁ、幸せだな。この人ともっと一緒にいたい。ずっと話していたいし、できれば同じ時間を過ごしたい。
     そんなことをぼんやりと考えていたら、ディーディリヒさんよりずっと時間はかかったけれどいつの間にかお皿の上のものは全てからっぽなっていた。
     そろそろ行こうか、と促されて立ち上がる。会計を済ませて外に出るなり、冷たい風に晒される。やっぱり寒い。でも不思議と嫌じゃなかった。顔が熱いから。
    「手繋いでください」
     そう言えば、彼は少し照れ臭そうな顔をしながら、そっと手を絡めてくれた。彼の手が温かかったのか、自分の手が冷えていただけなのかわからないけど、じんわりとした感覚に胸の奥が熱くなる。
     転ばないように、離れないように。ぎゅっと握ると、応えるように握り返される。
     それだけのことなのにこんなにも満たされた気持ちになるなんて。
     どうか気付かないでいてほしい。このまま時間が止まればいいのに、だなんて少女のようなことを考えてしまう自分のこと。馬鹿みたいだと苦笑いしながら、今日は足元しか見れずにいた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works