年末年始は忙しいでしょ。当たり前に。お休みなのはサラリーマンくらい。俺みたいな、人の多いところでよく活動する人は、むしろ休めない。
12月の公演、1ヶ月ほぼ休みなしで。本当に死ぬかと思った。普段なら通院の時に1時間くらい時間をとって病院近くの公園を歩いたりして、他のものから気持ちを切り離すようにしてたけど。そんな時間も取れず、分単位のスケジュールで本当に疲れたな。俺にそういうかつかつのスケジュールは向いていないのだ。±3時間くらいで生きてるのに。
飛行機までようやく辿り着いたものの、降りたら力尽きるような気しかしない。
まだ離陸まで時間はあるし、飛行機内に乗客はあまりいない。今のうちにお父さまに連絡を入れなければ。今から寮に戻ります、年明けはお世話になりました、と。
「……。……」
電話。今ならあの人は出るかな。連絡する暇すらなくってもう2週間はお互い音信不通だけど。いつのまにか年も越してしまったし、あの人の仕事も落ち着いたろうか。いや、忙しくて無理かもな。でも。
思い切って発信をタップ。出られない時は多分電源入ってないから、電話をかけること自体は迷惑になるとは思わないけど。いつも出てくれるかは五分五分だ。
まずあって、落ち着いた声がする。
「……もしもし」
「、ディーディリヒさん。お久しぶりです……今どちらにいますか」
「今? さっき空港降りたとこだよ、これから帰るかな」
よかった、出てくれた。ちょうどタイミングよかったらしい。何となくあの人の声は安心できる。日頃から安心感のある人だからかなぁ。
今ちょうど空港、というなら多分俺も同じとこにつくだろうな。だってどうせ国際線だ。
「あの、……や、ううん……」
「どうしたの」
「さ、3時間くらい待っててもらえないですか」
思い立ったからすぐに口からでてしまったけれど、言ってからしまった、と思った。やっぱり言わなきゃよかったかなと。
ディーディリヒさん、とても疲れた声をしていたから。いつも別にハイテンションでもないけど、彼も少し前から年末休みなさそうと言っていたし。今帰るとこならきっと、1秒でも帰りたいはずだ。まってて、だなんて。俺だったらちょっと渋ってしまうかもしれない。
断らせるのも申し訳ない、と思って慌てて挽回しようとすると、電話の向こうでディーディリヒさんが笑ったようだった。
「いいよ、今から飛行機?」
「……うん、もうすぐ離陸する、」
ウィーンからロンドンは大体2時間半だろうか。そうしたら帰るのは日付ぎりぎりかな。
「ご迷惑ではありませんか」
「3時間くらいなら。それに夜も遅いしさ」
「ごめんね、」
電話越しにまた柔らかい笑い声がした。
お礼を言って、電話を切る。どうしよう、こんな時間なのに快諾されてしまった。うれしい。負担をかけてしまう自覚は大いにあるから、やっぱり電話をかけずに飛び乗っても良かった気がするけど。でもこうして気づかってくれるのは嬉しいし。早く会いたいと思っていた。いいと彼が言い切ったのならいいんだろう。たぶん。
気づけば乗り合わせた客も皆ほとんど席についていて。窓の外には雲が多くて夜空はよく見えない。もうすぐに離陸するらしい。
飛行機を降りて、ゲートを潜って。きょろきょろしながら案内に沿って空港を進む。5分か10分くらい彷徨って歩いて、見つけた。遠くからでもわかりやすいあの人。重たいキャリーケースを両手で掴んで、なるべく急いで向かう。
「おまたせしました、ディーディリヒさん」
「おかえり。ココアいる?」
差し出されたのは缶のココア。まだ暖かい。もしかして、買ったばかりなのか。
「いいんですか、あなたは」
「ゆっくりしてたから大丈夫だよ。お疲れさまだね」
「おつかれさまです。大変だったんでしょう」
「ティボルトくんこそね、帰ろうか」
そっと缶を俺の手に持たせてくれる。自分のほうがよっぽど寒がりなのに。俺、そんなに冷えてるように見えますかね? や、彼がとっても寒がりだからこその気遣いなのかも。お返しに、ポケットの中であちあちになっていたカイロを渡してあげた。
ゲートからすぐ出たところにタクシー乗り場があって、いくつか空いている場所があったけれど、ディーディリヒさんは迷わず1つ開けた。後ろからついていって隣に乗り込む。キャリーケースは渡してしまった。
「……あの、おれもう、限界なので、」
「うん、着いたら起こすからね」
小声でする会話。でも、もう頭がほとんど動かない。
「これで払ってください……お釣りはあげますから、」
「タクシー乗るのに多分こんなにいらないよ……!?」
これくらいあれば充分だから、というかこれポケットに入れてたの。危ないよ。なんて、起こそうとする声は聞こえてたけど。ちゃんと返事する前に、まぶたが降りてきてしまった。ごめんなさい、あとで聞きますから。って言葉が口からちゃんと出たからわからない。
見慣れた部屋。ベッドの上。暗い室内の中で、目を覚ますとディーディリヒさんと目があった。ちょうど俺のアウターに手をかけているところだった。あれ、いつのまにここまで戻ってきたんだろう。
喉を鳴らしてディーディリヒさんは飛び退く。
「違うよ!?」
「まだなんにもいってないですよぅ」
「アウター脱がないと流石に寝づらいかなって思っただけで……っ」
それだけだから。ぐっすり寝てたから起こすのも可哀想と思っただけだから。って、必死に弁解してる。別に何も言っていないのに。何かやましいことでもあるのでしょうか。
ベッドから降りて、テーブルにあるペットボトルから、水を一口飲んだ。
「さむい、暖房つけてぇ」
「ハイ。あ、あとお金返すよ」
「がめてもよかったのに。はやいとこシャワー浴びてねましょうね」
ディーディリヒさんが暖房と電気をつけてる横で、受け取ったお金をそのまま横にポンと置いた。しまったほうがいいよと諭されてしまった。ちょっと不服。どうせこの部屋には俺かあなたかヘルメスくらいしかこないから大丈夫なのに。
よたよたとディーディリヒさんの手を握りながらシャワールームへ。堅苦しく締め付ける服をすっぱり脱いで、熱いシャワーを浴びる。帰ってきたなあという感じがする。ここは寮だし俺の家じゃないんだけど、でもなぜか帰ってきたと感じる。なんでだろう。外泊も多いのにな。そりゃまる6年、住んでたら愛着のようなものも湧くか。
お風呂の煌々と明るくて清潔感のある照明が眠い目に眩しい。そういえばシャワールームに2人ってよく考えたら狭いし、人に言ったら意味わかんないって言われるだろうなぁ。実際狭い。俺も時々ん? って思うことあるんだけど、彼もあんまり抵抗ないみたいだから、なんというか、まぁいいのかなぁ。なんて思ったりする。自分から誘ってるわけだし。あれ、いいのかな? いやでも、おかしかったら多分ディーディリヒさんは止めるし、いいのか。
「寒くないですか、洗ってあげましょうか」
「いや大丈夫。もう終わったから」
温まっておいで。ってシャワールームから出て行った。相変わらず烏の行水である。俺の方がメインでシャワー使ってるのに合間合間に使うディーディリヒさんのほうが早く終わるのは不思議なことだ。なんで? というかこの石鹸ひとつでなんとかしてそうだけど、お顔痒くなったり髪の毛ぱさぱさになって大変なことにはならないのだろうか。
眠気を洗い流してタオルドライしたら部屋に戻る。お風呂場は寒い、洗面所と廊下も寒くて、お部屋は暖かいから駆け足で。
お湯を浴びて少し眠気も覚めて、ちょっとお腹も減ってきたかも。明日は平日だっけ。でも多分起きられないだろうな。というかあんまり起きる気ない。一日中寝ていようと思う。だからなるべく、万全な状態で眠りたい。
くしとドライヤーを持って部屋に戻ったら、毛布で出迎えられた。
「ふふ、ふふふ。年明けちゃいましたねぇ」
「そうだね、ティボルトくんは公演がずっとあったんだっけ」
「そうですよぅ、あと劇団の打ち上げとか、パーティ的な催し物に渋々出てました」
毛布をかけられて、そのまま抱きついて。じりじりと部屋の奥へ。
「あなたは、たくさんぱわはらされました? うふふ」
「まぁ多少はね……。この時期になると浮かれるからなぁ、みんな」
「よく頑張りました。いい子いい子」
「ご機嫌だね」
うふふ、って、喉からいくらでも笑いがこみ上げてくる。手を伸ばして頭上の彼によしよししてあげる。お仕事おつかれさまでした、ってことで甘やかしてあげているのである。
彼は仕事中ものすごく気を張ってるのだろう。仕事をしているところを見たことがあるわけではないから想像に過ぎないけれど、そんな気がする。怖い顔してるのかな? それともにっこり笑顔を貼り付けて? 意外と普通の顔してるのかも。なんにせよ、いつも割とへとへとになって倒れ込むように眠る。
そんなになるまでよく頑張りました。なんちゃって、そのあと無理やり引き留めて負担を増やした俺が言うことではないけれど。
ディーディリヒさんがベッドに腰掛けて、俺はその膝の上に乗る。
「ティボルトくんも大変だったね」
「クリスマスだったから、プレゼントたくさん貰いましたよ」
「ん、それは聞いてもいいやつなのかな」
「別に構いませんよ」
家族とは揃ってというふうにいかなかったんですけれど、お父さまから可憐なネックレスを貰った。すごく可愛いから積極的に身につけようって。
劇団では楽屋にお菓子がたくさんあったり。お土産をもらったり。誰かが配ってたマシュマロや、ハンカチやハンドクリームも貰った。年末は何かと物入りで、よく貰い物だってする。
「あ、あとね。薔薇の花束貰ったんです」
「えっ」
あれ、どうしたのかな。すごくびっくりしている。彼の膝の上に座ったおかげで珍しく見下げることになるので、顔がよく見える。ディーディリヒさんの視線がゆっくり下がっていくのがわかってちょっと面白くなったけれど我慢。何考えているのかはわからない。
「受け取らなかったから、安心していいですよ?」
「えっ!? あ、いや。よ、よかったの」
「今時薔薇の花束で告白とかしゃらくさくてたまりません」
あまり知らない人からだったし。だからいいんですよと抱きついてみる。
しばらくそうやってディーディリヒさんの膝の上で彼の首に頭を擦り付けていたけれど、一向に頭を撫でられる気配がない。
そうして数分くらいだろうか、寝てしまいそうで危なかった時ふいに、体が持ち上げられて横に追いやられた。それでドライヤーの音がして、ちょっとびっくり。何してんのこの人? 子供でも抱き上げるように軽々と移動させられた。こういう、ふとした時の、普段意識しない力強さとかには少し狼狽えてしまう。だって急なんだもん。声かけてくれたらびっくりしないし、予備動作ないし。というか普通に退いてって言ったら退くのに。放り投げるわけじゃないからいいんだけれどさ。
せっかくならうとうとしてしまうけど、ふわふわに乾かしてもらわなければね。甘えたくて、髪乾かしてって何度か頼んだんだ。俺が頼んでからは、時々やってくれるようになった。彼、あまりスキンシップ自分からは取らないから、たくさん撫でられてるみたいで心地よい。
完全に眠ってしまいそうなところでドライヤーの風が止む。これで乾きましたかね?
「ありがとうございます。もう寝ちゃうんですか」
「もう遅いしなぁ、眠気覚めちゃった?」
「ううん、もう眠たくてねむたくて」
ふっと離れる体温。あれ、どこかへ行ってしまうのかな。自分の部屋に戻ろうとしているのかな。
気づけば、無意識に、立ち上がった彼のズボンの生地を掴んでいた。
「、一緒に寝ないんですか」
一言、その一言に対してディーディリヒさんは3秒くらい考えるそぶりを見せた。またこれだ。
「、ドライヤー戻してこようと思って」
嘘だ、と思ったけど。騙されてあげることにした。深く聞いてもおもしろいことではなさそうだとも思った。
戻そうとコンセントから引き抜いたコードを畳んでテーブルの上に置くのを見届けながら、俺は布団へ入り込む。今の俺は眠たくって暖かいし、お風呂にも入ったからきっといい匂いもする。抱いて寝るには素晴らしいと思う。
この部屋は暖かくて、あなたの部屋は寒いし、そこまで帰る道中だってきっと寒いでしょう。わざわざ戻って寝るメリットなんてないはずだ。
「おいで、」
隣をトントンと叩く。もう彼は観念したみたいで。隣へ入ってくる。ふたりで入ったらこのベットはやや手狭である。だからくっつくの。仕方ないよね。彼が頭を抱えるように寝るので、俺は胸板に頭を預ける。心臓の音と人の体温が心地よくてあっという間にうとうとしてしまう。
そばに人肌があると安心して眠れる。って、誰にでも同じことが言えるわけではない。こうして添い寝して安心して眠れたのは、すごく小さい頃のお兄さま相手とかの話だった。今まではそう。今はこの人と寝るとよく眠れる。
「……おれ、でも、あなたにお花もらったらきっとうれしいよ」
ディーディリヒさんの顔がちょっと動いて、見えた目は優しかった。ような気がする。暗かったし俺は夜目なんてきかないし、気のせいか夢かもしれないね。