討伐が終わって、授業も何にもなくて、暇だ。
朝はもう7時に起きるのが習慣になっていてどうしても二度寝できないし。そこからちょっとだらけて勉強するんだけど、昼を挟んでだいたい16時くらいには飽きてしまう。飽きたら教科書放り投げてゲームする。でもそれもなんか早くもマンネリ。何してもつまらないな。教科書だってほとんどの教科でもう高校の範囲、終わっちゃうよ。終わったら、受験対策の本でも買ってみようか。
俺の最近といったら、そんな感じ。
「永墓さん、夜飯食べに行きますか」
ごろん、とひとつ寝返りを打ったら、すぐにその背中にぶつかる。
秋口の大型堕神討伐以来俺はずっと永墓さんの部屋にいる。自分の部屋に帰りたくないからだ。あの部屋にいると気がおかしくなりそうで、まだもう少し心に整理をつけてから、と思ううちにズルズルと。永墓さんも自分の部屋に俺がいることを咎めたりしないから、帰るタイミングを失っている。
でも、いいんだ別に。今帰ったってまだ心の整理がついてるとはいえないし。衝動的なODもリスカもほどほどでやめられる自信がない。ここにいたら滅多なことがなければしようとは思わない。止められてしまうから。それに、血とか吐いたもので汚してしまっていい部屋ではない。骨董品がたくさんある部屋なんだから。
「俺お腹減ったっす」
「食べ盛りだなぁ。いいよ、行こう」
「やったっ、早く行くっすよ!」
シュバっと立ち上がってみせる。俺は年中ジャージだからこのままの格好で出られるし準備なんてないんだ。早くはやくと急かして永墓さんの襟元を掴んで引っ張る。
食堂は寮の中央棟一階にあるんだ。部屋からだとちょっと遠くて不便でめんどくさいなって思う時もあるけど、自炊するほどの食材ないし。今日はガッツリ食べたい気分だった。
この時間の食堂ならまぁまぁ人は多いけど、あんまり目立たないところに座れば大丈夫。
「はやくはやく、」
「はいはい。すぐ行くから」
3歩先に進んで、立ち止まっての繰り返し。せっかちな俺と比べて永墓さんの足取りはこういうなんでもない時は遅、のんびりしたものだ。俺に合わせる気もあんまりない。だからちらちら振り返っては催促するけど、それもあんまり意味なんてない。腹減ったって言ってるのに!
「わ、混んでるぅ……俺買ってくるんで席取っててくれません? 魚かなんかでいいっすね!」
こういう時は2人で並んで2人で路頭に迷っても無駄だ。手分けした方がいい。
永墓さんが端っこの目立たない席を確保してくれることを願って、学食の列に並んだ。
俺のは唐揚げ定食で、永墓さんのは今日は鯖のやつがあったからそれで。まぁいつもと大体同じようなもの。
お盆を二つ持つのは周囲にさえ気をつければそんなに難しいことじゃなくて。ラーメン2杯とかでもない限りは今のところチャレンジしてるし、こぼしたこともない。普段から槍とか持ってるわけだし重くも感じない。
永墓さんはどこの席とったんだろう、ってキョロキョロしながら辺りを見回して。少し歩いたところで見つけた。
「焼き鯖です! 味噌汁は今日はわかめとお豆腐、あとお漬物ついてます!」
「はいありがとう。愛もお座り」
「はいっす」
いつものようにいただきますと言う。俺の食べ方は全く矯正されていないけれど、これだけは習慣づいた。いただきますと、ごちそうさま。
永墓さんが手をつけるのを見る。永墓さんは大抵最初に手をつけるのは汁物らしいな。こういうのもなんかマナーだったりするんだろうか。
「見てないで食べなさい。待たなくていいんだよ」
視線にはすぐ気付かれて、いつもと同じ声のトーンで諭された。
「"上の人"より先に食べたら怒られたっす」
「僕はそんな小さなことでは怒らないさ。ああ、食べさせてあげようか」
永墓さんが俺の膳から盛られた唐揚げをひとつ掴んで、くちの前に。すこし躊躇ってからかぶりついたら、満足そうにしながら頭を撫でられた。
最近はコレがお気に入りらしい。何かと食べさせてくるのは、まぁ別に意味なんてないのだろうけど。ちょっと周りの視線が気になるかも。
「ひゔんれふうっふ」
「あ、そう? 偉いじゃないか」
食事の時間はぶっちゃけいって前より楽だ。箸がまともに握れないから、ずっとパスタとか丼ものとかカレーとか。とにかくスプーンとかフォークを使うものだけ食べてた。ひたすらそればっかり。あとパンとか。栄養が偏るってわかってたけどどうしても、行儀の悪さも育ちの杜撰さも大好きな友達たちにはひけらかすことができなくて。
右手を折った時なんかは楽だったな。不自由だからと割り切って定食も食べられた。でもふと思う。一生そうして生きていくのだろうか。
「永墓さん」
「ん? 何かな」
「漬物あげるっす」
「、あっはは」
いいよ。と聞こえてきて、空の小鉢と交換された。
漬物は苦手。なんか変な味がする。そもそも和食が苦手なんだ。わかりやすい味付けのものは安くて、こういう健康的なものは簡単には手に入らない。少し外に出たらそういう健康的、みたいなコンセプトの飲食店なんてたくさんあるけどあんまり積極的には選ばないしさ。
こういう学校内での食事もそうだけど。小学校の給食くらいだろうか。家庭内では経験ないし、通ってた中学校はお弁当だったから、いつも自分で買ったパンだった。
和食の美味しさがわからないのは小さい頃から食ってこなかったからですか。そう永墓さんにこぼした事がある。返答は曖昧なものだった。もう少し年齢を重ねたら味覚も変わるだろうよ、とか、そんなの。
そうなのかな。いつも誰にも、何を相談しても、時間が解決するみたいな反応しかされない。わからないよ。それまで生きるのが辛いってのは、どうしたらいいんだ。
食べ終わってしまった。いつもあんまり噛まないから、すぐ食べ終わる。上半身を起こして顔を上げて隣を見た。永墓さんはまだ食べていた。連れ回してクレープだとか何だとか俺の食事に付き合わせた時は流石に夜飯を抜いてるけど、それ以外は案外このヒトも食うな。なんて、最近思った。
食器をトレーごと横によけて、机に頭を預ける。この人が食べ終わるのを待つためだ。
時刻はだいたい8時くらい。まだまだ夜は長い時間だから今までの俺だったらさっさと部屋に戻ってひとっ風呂、それで勉強とか討伐のための訓練メニューとか堕神のまとめとかやってた。けどいかんせんそれらも必要なく。やることなんてないのだ。だから、待つ。じっと食べてるところを見つめながら。
こんなに暇なのはいつぶりだろうな。
ご飯も食べおわって、お風呂も入り、髪も乾かして。さぁ寝るぞ! ではないのである。だってまだ22時だもん。
「ひま! 暇! 暇です!」
「ええ……? 花札でもやるかい」
「嫌っす! もー1人でゲームしてもあんまり面白くないし、勉強やりすぎてやることないっす!」
「おお偉い偉い。そうだなぁ、寝ちゃう?」
「全然疲れてないからねむれないんですよぉ!」
だって今までは訓練授業討伐全部こなしていたのに急にこんだけ暇になって。体力を持て余さないわけないじゃないか。
「う"〜……はしりたい!」
「走ってくればいいんじゃないかい」
そんなとこで縮こまってないで、って。机に頭を突っ込んでいたのを引っ張り出される。
「行っておいで」
既にガッツリ酒を煽ってるからか、上機嫌だ。リードを離してくれるらしい。"帰ってくる"からかな。
「ッハ、はぁ、……はっ」
最初は校舎の外周を走っていたけれど、坂を下って田んぼの脇を走ってる。
冷たい空気が肺の中に入ってきて痛いけど、景色が変わっていくのは楽しいし体を動かすのも好きだし、走っていると何より頭の中がスッキリする。
あと少し、次の曲がり角まで、あの標識まで、あの田んぼまで道まで。そうして走って行ったらいつのまにかすっごく遠いところまで来ていた。だから今は折り返して帰る途中だ。走っていると、最初は辛くて楽しくなってきて、ふとどこまでも走っていけそうな感覚になる。
俺はその感覚が好きだ。どちらかというと短距離走の方が得意ではあるけど、ランニングも好き。
ランニングは吸って吸って、吐いて吐いて。このリズムに集中するのが好き。リズムに身を任せてどこまでもいけるような気がする。
田舎の夜がこんなに暗いことは、ここにきてから知った。新宿に夜はなかった。ちっちゃい頃住んでた家も住宅地だったし、夜中に出ても廊下には電球が光ってて。道路には電柱が暗闇を排除していた。
でもこの町にはそういうのは少ないみたい。だからだろうか、心地が良くて、居心地悪いのは。
どこまでも走っていたい。いつまでも走ってたい。難しいことは、あまり考えたくない。
校舎が見えてきた。だんだんと大きくなっていく。現実が近づくに連れて、足取りは重くなる。
まだ走りたい。俺のゴールは、あれじゃない。
走り疲れた足を引きずって、なんとか部屋まで戻ってきた。止まったら途端に体が痛くなる。1時間半も走っていたみたい。
息も整わないうちに帰ってきたからか、永墓さんに本当に走るのが好きだねと笑われた。
「ほっぺたが真っ赤だ。寒かったろう」
「ん"ん"、布団敷くっす」
俺の布団は俺の部屋からこっちに持ってきてあって、リビングに置いてある。クローゼットで寝落ちして夜中に起きてビビるのはもうごめんだからね。ベッド用のマットレスだから上げ下げもまぁまぁ楽だし、今のところは不便していない。歯を磨いてから、部屋の中に布団を運ぶ。
「寝るっす」
「電気消してあげよう」
「いいっす。歌舞伎町の路上でも寝れるっすよ俺」
勢いよく潜り込んだ。昨日より一昨日より、体が疲れているからはやく眠れそうだ。
布団に入って毎日思うのは、これからどうしようかなってことばっかり。これでも俺の人生のさいあく度は、少しずつマシになっている。放置子のうちに死ねずに、ずっと惨めでくだらない人生を送ってきた。体も手も汚して頑張っているんだから、幸せになりたいな。そのための最善を教えてくれる人が、現れたらいいのにな。
真っ暗な部屋。ぼんやりとした頭が目の前に見えるのは壁だと主張する。頬に触れるのはわずかに柔らかい手のひら。
「かあさ、……」
違う。
「は、なせッ!」
長くて黒い髪の毛。不気味に楽しそうに笑う女が、こちらに手を伸ばしていた。
違和感を感じたら、マズいと思ったら体はすぐに動く。この反射神経は討伐を始めるよりもっと前に身についたものだ。
思いっきり足を蹴り上げる。それは肉体ではなく空気を掻っ切って、だから起き上がった。起き上がる時に肩で倒したのは多分一升瓶。簡単に倒れたから中身はないのだろう。
それを片手に取って、捻った体を戻す勢いに任せて振りかぶる。避けられた時のために次の手を。次の何かを。黒髪をかすめた瓶は手を離したら飛んでいった。かがむ体を、首を掴む。
力を込めて体に乗り上げようとしたけど、徐々に押し負けていった。片手、だからじゃない。たとえ片手でも、相手が女なら俺は競り負けたことは今までなかった。
ぐぐ、と押される腕を掴まれた。細いけどしっかりした男の手に。
「、っあ、ぅあ」
「いいこいいこ」
女は怒鳴る、男は殴る。これが俺のなかの常識。だから俺は先に力づくでねじ伏せるし、でかい声出して威嚇する。けど。
「思ったよりずっと驚かせてしまった」
力の抜けたまま強張る俺の体をそっと抱き寄せる腕。骨っぽい肩。宥めるようにされながら、心臓が痛いほど鳴っている。
「目の前にいるのは誰?」
「……なが、つかさん、」
「よしよし。わかるね」
また改めて抱きしめられた。抱きしめる、拘束か。また暴れ出したら今度は床にでも叩きつけられるのだろうか?
暴力的なところ、あると思う、俺には。咄嗟に足が出る。咄嗟に大きな声も出る。カッと頭に血が上ったりしてもそうだし、今みたいにパニックになると周りが見えなくなる。衝動性。良くも悪くも。自分に向くならまだいいけれど、こうして自分でも制御できなくなるたびに親を思い出して嫌になる。
たまらず声をあげて泣き出したら、赤ん坊をあやすみたいに背中をたたかれ始めた。
「いきなりで驚いたなぁ。僕が悪かったよ」
何にも悪いだなんて思ってなさそうな優しくて甘ったるい響きが頭に入ってくる。
癇癪を起こして暴れるだなんて本当に幼児のようだなぁ。
「ままならなくていじらしい」
吐き出す言葉の酷さには気付いているけれど。それに対抗する気力は持ち合わせていなかった。分かり合えないのに分かり合う必要はないし。何より今は疲れちゃってて。
脅かしてくるだけならずいぶん優しいなぁ。としか思えないんだ。