sunrise「・・・・・よし、これで、なんとか」
文字を打ち終え、モニタに白く浮かび上がるスライドの最終確認をする。新製品ティンガーリングの説明、効果、調査内容に想定販売層。後は細かな調整だけすれば問題なさそうな出来で、オレはほっと息をつく。クラウドへのアップロードのボタンを押した瞬間、肩にずしり、と重さが掛かった。
「よーやく終わったのかよ」
待たせるじゃねえか、と暗闇から姿を現した諏訪がオレの肩に手を回す。高級そうなスーツから、爽やかなシトラスの香水が香った。
「明日初めての製品プレゼンだろ?ヘマすんじゃねえぞ犬彦w」
「るせえな、そっちこそイベントの全調整任せたぜ」
ハイハイ、と言いながら、諏訪は真っ暗のオフィスにタブレットを振る。サイリウムのように光る端末の画面には、チャットツールにスケジュール、メールやら何やらが映っている。どうやらオレの残業の間、イベントコーディネーターとしての方で作業と連絡を行っていたらしい。
オレが立ち上げた会社は、ティンガーリングなどの開発のほか、電子制御―プロジェクションマッピングとか―を使ったイベントも引き受けている。
ちら、と画面を見ると、諏訪のスケジュール欄は新製品の開発でオレが抜けた穴を埋めるようにみっしりと予定が詰められていた。
「なぁ、俺を待たせたねぎらいはねえのかよ、シャチョーサン?」
肩に回った腕が酒を傾ける動作をする。今の時間は日付をぎりぎり回る前。はあ、とため息をつき、期待を向ける顔を見上げる。
「一杯だけな」
「しゃ、おごりだなサンクス」
諏訪はする、と腕を離すと、着ていたジャケットを脱いで肩に掛ける。楽しそうな鼻歌までつけて扉を閉める背中に、オレは慌てて声を投げる。
「おい待てよスワタケ!」
ガシャンと扉を閉めて鍵を掛ける。
カンカンと階段を降りる音だけが、真新しいビルの踊り場に響いた。
改装して黒基調となったバーエリュシオン。スタイリッシュになった黒いバーカウンターから、オレはグラスを二つ受け取った。首を巡らせてそこそこ混んでいる店内を見渡すと、壁際のハイテーブルを諏訪が陣取っている。音楽に聞き入るように伏せられていた諏訪の目が瞬き、オレとかち合う。そのままニヤリと笑うと、指先だけでオレを手招いた。
引き寄せられるかのように、オレはテーブルへ向かう。
「モヒートな」
ミントの飾りが乗ったストレートグラスを諏訪へ渡す。
「サンキュ、そっち何頼んだんだ?」
「あー・・・秘密」
んだよ、と言いながら諏訪はくくっと笑う。
オレはオレンジと赤のグラデージョンになっているカクテルを持ち直すと、諏訪のグラスとぶつけて乾杯の音を鳴らした。
カクテルに口をつけながら、正面の諏訪を見つめる。細かい三つ編みをした髪を後ろでまとめ、きっちりとした印象となった顔は、日に焼けて精悍さを増した雰囲気になっていた。
一口でモヒートの半分を飲み干した諏訪は、こちらの視線に気づいているかのように眼を合わせた。
オレはどこか気まずくなって、目線をそらしながら口を開く。
「明日のプレゼン通ったら、しばらくはお互い休みもとれねえよな」
は、とため息にも似た息を諏訪が漏らす。
「確かに。こっちも八島サンの方から色々降ってきてるし、次のイベントシーズンに向けてしばらく回らなきゃならねえわ」
「頑張れよエイギョーカチョーサン」
「課長も何もオレ一人じゃねえか」
ぶすっとした声色にオレはつい吹き出す。
何かを言おうとした諏訪は、オーナー、と言う声に言葉を遮られる。店のメンバーに片腕を上げて応える諏訪を見ながら、オレはカウンター越しに諏訪と対峙していたあの時を今と重ねていた。
あの頃の諏訪は、今より夜の気配をさせていた。ピリピリとした雰囲気、ウッディでスパイシーな、危険で魅力的な香り。今談笑しているスワタケからは、その気配は限りなく薄い。
月あかりから日の光の下へ、オレが背中を押したから。そう思うと、思わずオレの口端は上がる。
諏訪と話していたメンバーが去り、同時にBGMが切り替わる。テクノからまったりとしたエレクトロニカへ。
から、と目の前のモヒートが飲み干され、グラスがテーブルに置かれた。
オレの笑みをどう解釈したのか、青い瞳が薄暗い店内でギラリと光る。
「今日はどうする?泊まるか?」
にや、と笑いながら諏訪は言った。そのまま体で隠すように、舌を出しながら壁際の手で指の輪を作る。
ディスコライトが、てらりとした舌の表面を一瞬照らす。
「疲れてんじゃねえのかよ」
「疲れてるときの方が燃えるだろ、bro」
テーブル越しなのに低音が腰に響いて、ぞくり、とする。ごまかすかの様に、オレは手元のカクテルを空けた。
「明日早えのに・・・・・・スーツ汚さねえなら」
「分かってるって」
オレがハイスツールから降りると、するりと腰に諏訪の手が回る。手を肘でいなしつつ、俺たちはバーの出口に向かった。
モダンな外階段の横、黒い壁と同化している様なエレベーターのボタンを押す。すぐにぽんと音がして扉が開いた。
4階までのボタンがついている横にセンサーが取り付けられている。それに諏訪がカードキーを当てると、ボタンにすらない、5階のランプが点灯した。
扉が閉まった直後、オレの唇へぬめりとした感触がかすめた。犯人をにらみつけると、諏訪はいたずらっぽい笑みを浮かべ、舌をちろりと端だけ出している。
「んだよ、テキーラサンライズの方か」
「おい、キスで味見すんな」
「味見じゃなきゃいいんだよなぁ?」
諏訪の舌がねっとりと自身の唇を撫でる。とっさにオレは諏訪の顎を指ですくうと、逃げ遅れた舌を口で捕まえた。
夜明け直前の空の様な青が一瞬見開かれる。それに気をよくして、ちゅ、ちゅと口内の舌を吸い上げる。
5階の扉が開き、センサーで朝焼けの様な光が部屋にあふれる。名残惜しさを覚えつつ、唇同士を離した。
「・・・は、やってくれんじゃねえか」
まどろむような青に挑発的な光が戻る。閉じたエレベーターに背中をつけ、オレはシャツに隠された首のタトゥーを抱き寄せた。