oneday13:00 起床
諏訪の手がドアのノブにかかる。ガチャ、と重い音を立てる扉。さらに開こうとする諏訪の動作が、ガッと鈍い音を立てて止まる。
何かにドアが当たった瞬間、諏訪の気配が周囲をぴり、と緊張させるようなものに変わる。
「スワタケぇ……」
玄関横に手を伸ばした諏訪の手は、上がった声で動きを止める。情けなさそうな声。犬彦だ。
ハア、とため息一つでぴりぴりとした気配を吹き飛ばした諏訪は、不機嫌そうに眉根に盛大にしわを寄せる。
「また飯か?」
ドアの横から顔を出すと、しょげきった犬彦がしゃがんで小さく頷いていた。諏訪は顎でドア前から犬彦をどかせると、扉を開いて片手で手招く。
「飯食ったらさっさと出てけ」
俺は今からジムに行く予定だったんだ、と言う諏訪に犬彦は無邪気に笑顔を向ける。
「おう!」
ありがとよ!と言いながら玄関で意気揚々と靴を脱ぐ犬彦に続いて履いたばかりの靴を脱ぎながら、諏訪は大きくため息をつく。
今度飯もらえるバイト紹介してやるかと内心考えながら、諏訪は犬彦とキッチンスペースに向かった。
16:00 仕事
バイクの重低音が今日の練習場所であるMusicBar Elysionの裏手で止まる。バンド仲間がそろそろと荷物をそろえ出したのを見て、青年はオーナーがもうすぐ来るのだろうと予想した。イカしたドレッドのオーナー。厳ついが愛嬌のある顔がビルの角から出てくると思った青年の予想は、大きく外れることとなる。
「バンド練の方ですね!おまたせしました。建さんはすぐ来ますよ」
あっ石長姫子ともうします!元気よく挨拶してきたのは、前髪を重く切りそろえた女子高生。オーナーとどういうご関係?と思ったのもつかの間、青年はこのあいだの練習時に聞いた事を思い出してハッとする。
「ひめちゃんっすね!諏訪さんからヴァニスタのファンって聞いてます」
えへへ、と照れたように女子高生ーひめちゃんは微笑む。どうやら正解だったようだ。
オーナーが最近、ヴァニスタ好きで女子高生しながら巫女してる子と知り合ったなんて話を小耳に挟んでおいてよかった、と青年はすこしほっとする。
ひめちゃんの明るい笑顔に目をとられていると、その後ろからぬっと大きな影が現れる。
「おう待たせたな、今開けるわ」
ミュージックバーのオーナー、諏訪がゆったりとその影を現し、半地下になっているバーの入り口に向かう。階段の振動でかちゃかちゃとなる鍵の音に混ざって、ガサガサと彼の手の紙袋が音を立てる。甘い匂いのする紙袋、有名なドーナツ屋のロゴが入っている。
がち、と扉のロックが外れる。オーナーは扉を開けながら上を振り向く。
「姫子、仕事の打ち合わせ事務所のがいいか?」
「よければ練習ききながら打ち合わせしたいです!」
いいでしょうか?と少女はふりかえる。髪の隙間から見える目がきらきらとした期待にきらめいている。
「もちろんいいっすよ!」
やった!と明るい声がバーの前に響いた。
23:00 MusicBar Elysion
カランと乾いた鐘の音がなって、Elysionのドアが開く。カウンターで客と話していた諏訪は横目で入り口をチラリと見ると、大きく息を吸った。
「っwwww犬彦おまえwwww何があったwww」
ひーひーと腹を抱えた諏訪は爆笑する。その勢いのある声に、まばらな客も入ってきた犬彦をチラリとみてくつくつと笑った。
「そんなに笑うことねえだろ」
ほっぺたに赤い紅葉をつけたいぬひこが憮然と突っ立つ。ポケットに手を突っ込んだまま、入りづらそうに入り口の壁に寄りかかってうつむいた。
諏訪は涙目になりながら、するりとカウンターから抜けて入り口へ向かう。寄りかかる犬彦を背中で隠すように、隣の壁に腕をついて顔をのぞき込む。
「今日おごってやるから話してくれよ、なあbro」
ちらりと犬彦が伏せていた目を上げる。甘えたような諏訪の顔に、犬彦はぼそりとつぶやくように応える。
「……るせえ、バーボン濃いめ」
にやりと暗い店内で白い歯が笑った。
06:00 就寝
ぽちぽちと大きな指がタブレットの画面を動かしていた。タブを動かすと同じような表が交互に表示される。違うのは記入されている言語と、金額の桁。ゼロが二つか三つほど違う表を青い目は見比べている。
「っし、まあ、こんなもんか」
そうつぶやいた諏訪は最後の確認を済ませ、表示されたボタンをタップする。暗くなったタブレットを片手に、諏訪は背伸びをしながら座っていた黒革のソファーから立ち上がった。
そのまま部屋の隅のバーカウンターに向かう。黒で統一された小さなカウンターは、コンパクトな作業台とコンロが一つついている。
コンロにおいてある鍋の低温調理器が諏訪の指で動かされ、タイマーがセットされる。中の水に漬けられた袋詰めの鶏肉は、諏訪が起きる頃にはおいしいサラダチキンに仕上がるだろう。
ふんふんと楽しげに鼻歌を歌いながら、諏訪は用意を終えるとカウンター横の黒い壁に手をかざす。ぴ、という音を立て、かちりという金属音が小さく響く。
そのまま諏訪の手が壁を引く。黒い壁は引き戸となって、入ってきた諏訪の姿を覆い隠す。無人となった部屋の明かりがふつりと消え、薄暗くなった部屋には、カーテン越しに朝日だけが細く差し込んでいた。
朝日すら入らない暗闇の部屋の中、諏訪は慣れた様子でベッド横にタブレットを置く。サイドテーブルに埋め込まれたワイヤレス充電が起動すると、間接照明の用に青い照明が薄く部屋を照らす。早朝とは思えない夜空のような暗さに部屋が包まれる。
諏訪の目はタブレットの横に滑る。三つ並んだスマホ、個性的なそれらは、青い光に照らされながらもそれぞれを主張していた。
一つはライブステッカーをベタベタに張られているスマホ。背中に入ったカバーには、石長姫子と諏訪がにこやかな顔でチェキに移っている。
もう一つは水色のラインストーンが丁寧に張られたもの。隙間なく張られたストーンがギラギラと暗闇に輝いている。
最後の一つは赤くシンプルなスマホ。バイクとおそろいのロゴがデカールで飾られ、メタリックな赤が青い部屋に沈んでいる。
その一つを手に取りながら、諏訪は丁寧に整えたベッドに寝転がる。
ロックを外し、Neinを開いて文字を打ってメッセージを送る。すぐにぽんという音とともに帰ってきたメッセージと写真を見て、諏訪は軽く笑った。
送られてきた写真を開き、写真の顔にキスを落とす。スマホのディスプレイが落とされるとともに、満足そうな笑みを浮かべた諏訪の表情も宵闇に消え去った。