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    tx9y_nasubi

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    tx9y_nasubi

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    寝かせていた光の翼第三部の書きかけ。以前くるっぷでフォロ限公開していたのから、縦エディタが約5,000字増えていたので読んだら増えた分は肉付け前の上にプロットを無視していた。どういうことだってばよ…。なおプロットはさっき確認してみましたが情報量が多く、いまの私には目が滑り理解できませんでした。

    境界を象った棺 だれがために
     空を翔けるのか

     十七歳のイーグルは孤独だった。彼個人としては間違いなく孤独だったのだがそれは主観の話で、第三者視点では多くの人に慕われ、憧憬を集め、いまも追いかけてくる女性士官候補生たちから逃れるため、校舎の屋上に走りこんできたところだった。人気は女性だけにとどまらず、同性からもファイターメカ操縦を手習いから学びたいなどと囲まれているのが常だった。イーグルは優秀で、何でもできた。座学は居眠りと戦うのが難であったが、実戦は特別に強く、ファイターメカの試合を国が公に始めた昔から継ぐ歴代勝者の中でも、とくに抜きんでた戦闘力を有していた。彼は国民総意の英雄とも言えた。誰もが彼を認め、反感を持つものでさえも実力は一目置かなくてはならず、もし彼を害そうとする者がいたとしても、自身を守る力を十分に備えていた。加えて全体的な見目がよく、その点でも人と違った存在感を放つのがイーグル・ビジョンだった。彼の容姿はやや中性的でありながら体作りはしっかりしており、甘い顔との対比に熱狂的な偶像視をするものもいて、イーグルはあまり人が得意ではなかった。
     追っかけから逃げてきたイーグルは、後ろ手に屋上の扉を閉めてため息をつき、身を落ち着ける場所を目で探した。しかし視覚より先に、第六感的感覚で他者の気配をとらえ落胆し、警戒した。その人物はイーグルが閉めた扉の音に気付いていないようだった。動いたり注意をイーグルに向ける様子がない。確かな生き物の息遣いをたどり、エレベーター棟の角を曲がった視界に、大柄な男性の姿が入る。男性の毛髪は黒く硬そうで、手すりにもたれながら座り、小型端末をいじっていた。ケーブルから、彼が音楽を聴いているのが推測できた。
     ごく静かにそれを確かめたイーグルは棟を回って反対側へ向かった。こちら側には誰もいない。閑散としたとしたコンクリートの空間が広がっているだけだ。そして、コンクリートと同じ、鉛灰色をした空も。イーグルはこの空が晴れればいいと、いつも願っていた。重く垂れた陰鬱な雲が、たとえばセフィーロのようだったなら。白昼に見る夢みたいな話だ、オートザムがあれほどの青とコントラストの強い白、まばゆい光に満ち溢れていたら、国民はアイデンティティをも失いそうな感覚に飲み込まれるだろう。しかしそれでもなお、あの空が恋しかった。
     セフィーロの空がほしいというのは憧れを通り越して祈りや願いに近いものだった。イーグルは、彼も手すりに寄りかかり、首を上げて空を仰いだ。そこへ突然、男の顔が横ざさまに映りこんだ。先ほど音楽を聴いていた男性だ。
    「お前、イーグル・ビジョンだよな」
     イーグルは返答をさけた。名指しで呼んでくる者には面倒を運ぶ人間が多いからだ。力比べだとか、交際相手を憧れにとられた末の決闘だとか、中でも悪いのはいやがらせだ。
    「へえ、間近で見ると本当にきれいな顔をしてるぜ。もっとゴリラみたいだったら納得いきやすいんだがな」
     ゴリラとはとうの昔に絶滅した種である。冗談にしても縁起が悪い。この失礼な男性はなんだろうと思いながらもイーグルは曇り空を眺め続け、その完全なる無視は黒髪の青年の興味を引いた。男性は若かった。だからイーグルは男性の認識を青年と改め、また眉毛がひどく剛毛だったので青年を〈眉毛〉と心の中で称した。ゴリラの仕返しに。
    「空に興味があるのか。俺もある、このうんざりする曇り空は人の心にも影響を及ぼすと思う。俺は他国に行ったことがあって、そこはもっと陽気だったぜ」
     環境と精神の関係性は昔から研究されていたことだし、他国というのも安全な貿易相手だろう。空を見つめる視線は外さず、話半分に聞く。憧れのセフィーロは、絶対の鎖国を保っている。
    「反応なしか、つまらねえやつだな。お前さんのどこにみんなこぞって惹かれるんだ、顔か?」
    「貴方の声を聞いたことがあります、ジェオ・メトロ。昨日、僕に六秒で負けていましたね」
    「そうだ、顔見りゃわかるだろ」
    「対戦相手のコクピットモニターは切ってあるんです」
     負けて唖然とした顔や悔しげな顔はもう見飽きたので、イーグルの相手はいつでも顔なしだった。
    「恨めしい顔が嫌だからか」
     妙に心をついてくる青年だと思い、この場を去ることにして柵から離した白い手を、ジェオ・メトロは取った。大きな手だというのがイーグルの感想だった。不思議と嫌悪感はない。あたたかな、大きい手。
    「わりい、お前は強いが、なんか危なっかしい気もする、顔の造りのせいかもな」
     顔の造り、母によく似ていると言われる顔。母はイーグルが五歳のときに亡くなっていて、しかし彼が成長するにつれ、どんどん似てきたと親戚内ではもっぱらの話題だ。彼女の死がビジョン家の人間にどんな影響をもたらしたかも知らずに残酷なものだと常々感じている。哀しみと、かすかな怒りがこみ上げたイーグルは、ジェオ・メトロに向かって当てつけのように微笑んでみせた。植物が花弁を落とす印象を与えるような、人があっけなく死ぬがごとき儚さを浮かべて。ジェオ・メトロはふいをつかれた様子だった。
    「これで満足でしょう、離してください」
    「惚れた」
    「え」
    「俺もお前を特別視してるが、それはお前が英雄だからじゃねえ、ひとりの人間に見えるからだ。人間なら追いつける、追いつけないまでも後ろに控えることはできるはずだ。いつかお前の右腕になりたい、お前にだって助けは必要だろ、寂しそうな顔を見逃してないぜ。これが俺の、ゆずれない願いだ」
     ジェオは鋼鉄のようなイーグルがひそかに零す憂いを見抜いていて、彼の孤独が伝わるような気がしていた。人はひとりでは生きられない。支え合う存在が必要で、それに自分がなりたいと思ったのだ。
     あのとき自分はなんと返しただろうかとイーグルは回顧する。可能性として高いのは無視か、そんな夢などと内心でまともに取り扱わなかったかだ。いまジェオ・メトロはここにいる、相方として。彼は宣言した夢を叶えたのだ。

    「ゆずれない願いだから」
    『なんか言ったのか? ごめん、オレ、聞こえなかった』
     ザズの声でイーグルは回想から引き戻された。場所は修理された試作機AMXのコクピット内。仮想空間での機動テストのために握っていた操縦桿にかかる握力が強い。手を引きはがすと指の関節が軋んだ。
     試作機のAMXは現在、生産ラインに乗った量産機と違い、握力センサーによるコントロール機能があり、心理的負荷があったのだろう、イーグルは珍しく緊張していたようだった。
    「なんでもありません、搭載されている機械知能のほうはどうですか」
     白いマントのスリットから手を出して、ケーブルがたくさんついたバイザーを取る。頭が軽くなり、解放感を覚える。イーグルはもう民間人だったので、身分を示し、身を守るプレート類は装備しておらず、ただ美しい裾飾りだけはそのままにした白く細身のシルエットでいた。マントの中の防具もない、広めのすんなりした肩幅だった。
    『すっげえぜ! イーグルの操縦に重ね合わせたグラフと数値を取ってたんだけど、どっちもすっげえ強い。というかほぼ同じ機動をしてる』
     ザズの声ははしゃいでいた。異世界チキュウのメカを基軸としたAMXとチキュウ型機械知能は、自称オートザム随一である少年の心を大きく躍らせているようだった。ザズはAMXを前にしてけろりとしていた。少し前にシェルターからジェオが乗るファイターメカを所望したとき、すでにAMXの存在を知っているような口ぶりだった、その関係者であるチキュウ人も。
    「ザズ、ジェオ、この機体は僕と同じ動きをトレースするというよりは、僕の先を入力しています。これは人間の意思による体の動きより機械知能の計算力が上回っているからだと説明できますが、問題はこれらが量産されていることです。僕と同じ動きをする機体がいくつあっても、刺し違えになるだけだと思います」
    『いや、こいつらは学習できる。お前以外の相手を多数ぶつけ続ければ別物に変化していくぜ。な、ザズ、そうだろ』
    『そうそう。イーグルのお父さんはやることが桁違いだな! 本当に軍事費の削減を現実にしたんだぜ。とくに人件費と補償、これがなくなればオートザムは環境汚染の前に経済から沈むって事態を防げるんだ。この機械知能はパイロットを保護する能力がすごく高い。人も安全になる』
    『どうしたイーグル、難しい顔をしているな』
    「そうですね……」
     どう説明したらいいだろう、この〈思考と感覚を奪われている〉感じを。仮想空間なので機械知能が操作するAMXは可視化できていた。コンマ数秒、先に動く自分。己が分裂しているようだ。
    『イーグル、現段階の初期戦闘機械知能は、ほどんとお前だけを学習したものだ』
    『そう、イーグル以上にファイターメカを鮮やかな動きで操縦するデータはなかったんだ、他のデータも入れてみたけど、邪魔なノイズになることが多い』
    「それで?」
     イーグルは心にかすかなざわめきを感じながら聞いた。次にはこう来るだろう、本人だから違和感が強いのだ、と。
    『違和感はお前自身だからだろう。AMXへの搭乗登録はどうする? 大統領に新品のAMXをよこせと言っていただろう、嫌なら現状維持、FTOのままでも構わない』
     FTOもすっかり修理されている。ここから目視できる格納エリアで、白くなめらかな機体が、AMXの動物的本能を思わせる生々しい機体と対をなすように向かい合っていた。
    「言い出したのは僕ですが、すみません、搭乗登録はやめます。あれは僕の体ではありませんから、やはりFTOを選びます」
     イーグルのFTO、すべてを彼に合わせて造られた専用機。AMXはイーグルにとって危険だと思われた。第一印象から苦手意識を持っていてはうまく操れない、そういう危機感がAMXを忌避させた。〈匂い〉がオートザムと違うのだ。無機質で清潔な印象のオートザム機械群と違い、生物的な感触がする。オートザムのファイターメカは人体との互換性のために人型をしてはいるが、他の機械群は生き物にわざわざ似せて作られない。握力センサーがついた操縦桿もそうだ。オートザムは機械を人間が使い、チキュウ型はその表現よりは、機械に人間が合わせる感じがする。
    『了解。あがってくれイーグル、お疲れさん』
    「ええ」
     仮想テスト、コクピットだけだった試作AMXからイーグルは降りて、機械よりは生物的なその外殻を手でたどり、血を思わせる紅いAMXと、白銀に輝くFTOを見比べた。AMXは現在、主を失っていた。搭乗者はクライスラーだ。イーグルの父親であるクライスラー・ビジョンではない、陰鬱なクライスラー。搭乗者登録の選択権を与えられたということはつまり、あの男の思惑ではAMXを占有するつもりがないと考えられた。そもそも量産されている。どういう意図か、胸ぐらを捕まえて聞きたいところだった。
    「イーグル、どうした」
     あがれと伝えたのにいつまでもAMXのコクピットに張り付いているイーグルを心配して、ジェオがオペレーションルームからテストルームに降りてきた。
    「ジェオはAMXをどう思います? いえ、言いかたを変えましょう、これを受容できるんですね、このタイプの未来をもう描けています」
    「人が戦争に行かなくていいなら万々歳だろ、行っても安全性が飛躍的に高められている」
     戦争。引っかかったひとつはそれだ。オートザムはいったいどこと戦争するために軍拡してきたのか。強大な軍事国家として知られているオートザム、これといった資源や生産物のない国に戦争を仕掛ける考えは、周辺国にない。ではチキュウ、異世界を相手取った戦争なのか。チキュウ型兵器は昔からオートザムに散見されていて、イーグルが死にかけたのもチキュウ型武器のせいだった。あの陰気な男の動向も気になる。
    「いいからあがろうぜ。帰って、ゆっくり過ごそう」
    「そうですね」
     AMXのコクピットと操作はチキュウ流なので疲れたのかもしれない。不慣れなことに疲弊するほど神経質になっているのだとイーグルは己に結論付けた。
     
     イーグルとジェオのふたりが小さな城に着いたのは夜になってからだった。イーグルが一括で購入した、一等区画に建つスイートホーム。内面がやや空虚だったイーグルの趣向で、軍の宿舎を豪華にしただけのようなデザインとしつらえのマスターベッドルームにある、簡素な椅子に座って、イーグルとジェオは休息をとっていた。穏やかで安息が漂う部屋中に、あわく甘い香りがしている。シンプルながらスイートなのはふたりの飲み物も同じだった、ジェオが作ったミルクココア。イーグルの上品な唇が、甘い液体を口腔内に誘う。こくりと飲み下す喉仏の動きをジェオは追った。
    「今日はお前さんがナーバスだからカカオを控えめにした。甘くてうまいだろ」
    「ジェオは昔から、僕の心をよく慮っていてくれていましたね、魔法のように」
    「魔法だと? こんなわかりやすい相手が他にいるか」
     ジェオの大きな手がわしわしと薄茶色の髪をかき乱す。
    「じゃあ僕の気持ちを踏みにじる類の人間は? ジェオだから言いますけど、僕が孤独を感じていたのはそういった人たちのせいですよ。おかげで上辺の微笑みと内心での無視が僕の処世術になりました」
    「そりゃおめえ、本当にはお前を好きじゃなかったんだろ、そいつらは」
     偶像だった自分を振り返る。ジェオが〈英雄ではない〉と言ってくれたから、その日を境に少し世界の解像度が変わったのを思い出し、感謝の言葉を述べようとしたところ、ジェオが形のいい頭を抱え込んだ。
    「俺はお前の心に秘めた試験に合格したと信じている。イーグル、AMXのテストのときなぜあんなにも緊張していた。整備が悪かったか? それとも戦闘計器以外に繋がれるのが不快だったのか、正直に話してくれ」
    「僕の思考がスタッフ全員に伝わっていたからです。機械がとる心理データは、以前僕が仮想FTOでのテストをしていたときのように、思考も筒抜けにします。オペレーションルームで見た、あのときアローンで稼働していたアプリケーションはいま中枢コンピュータに埋め込まれたのですね。確認していませんが、頭の中身を含む個人情報はすべて周知のものになっているはずです」
    「なんだ、それが気に入らないんだな? 〈あのとき〉の声を盗聴されて平然としていたお前が、いったいどんな心境の変化だ」
     心境というよりは世界観の変化というべきダイナミックな心の変位だった。イーグルはこれまでに二度死にかけ、三度目はトラウマの氷解によって人生の軸を失った。新たな芯が構築され始めたいま、結果として、ずっと無視し続けてきた人間の存在、集合体を個として認知せざるを得なくなったのだ。思考を読まれるのは恥ずかしい、己の人間像をデータとして解析されるのは不服だ、といった感情が彼を複雑な気持ちにさせていた。それは人間本来の成長過程からいくと思春期に経験するものだが、イーグルの精神には部分的な遅滞と欠落が見られていたため、彼は現在軽い困惑の中にいた。
    「プライバシー保護を訴える活動家がいましたね。彼らの気持ちが理解できるようになりました」
    「俺たちオートザム国民が中枢コンピュータに把握されているのはとっくの昔からだろ。認証なくしては自動販売機でものも買えない、飢え死にだ。だがあれらは、コンピュータ群は感情を持っていない。データの集積から最適解を計算するだけのもんだ。おい、そんなに恥ずかしいのか」
     イーグルはジェオに抱え込まれた頭を厚い体に寄せていて、耳が赤かった。
    「今日のテスト中に考えていたこともわかるんですよね」
    「ああ、全然集中していなかったな。学生時代のことを回想していた。あれがまともな初対面といえる思い出だ、覚えていてくれたのは嬉しいぜ。懐かしくてにやけちまった」
    「どれくらいのレベルで伝わるんですか。当事者にしか具体性はないくらい?」
    「ないな、例の、以前お前が熱に浮かされて、しくしく泣いたときに見たデータよりもっと暗号に近い。本当の専門職でなければ読み解けないだろう。中枢コンピュータは個人の機密性を上げたみたいだ。いい加減、活動家に殺されるとでも計算したんだな」
     テスト中、ジェオはイーグルがいつブラックアウトしても迅速に対処できるよう、完全にリンクしないまでもケーブルだけはイーグルに繋いでいた。そのため生の思考が漏れ出してきていたのだ。ジェオの記憶と混ざって、体や顔の造りに幼さが残る学生時代のイーグルはいっそなまめかしく、あのときわざと見せたであろう壮絶な微笑みが脳内を焼いた。精神同士の直接接続は危険を伴い、相性が悪ければ心理的な死に至る。血液の型をたがえて輸血するのに近い。イーグルとジェオの親和性が非常に高いのは運命的といえて、それでイーグルはジェオに甘えて無茶をすることも多々あった。実際に精神を接続する機会があったのはセフィーロ侵攻時の一度きりであり、あとは愛を絡め合うためだけに利用するのだったが。
    「イーグル」
     色を乗せて低く囁いたジェオにイーグルは反応した。接続していなくても心が伝わってくる。彼らは精神障壁を必要とするほど近しい波長を有していた。薄茶色の頭が抱擁から逃れ、漢くさく優し気な瞳と太い眉を見上げる。〈眉毛〉――あのとき思ったことが脳裏をよぎる。
    「記録されるんでしょう?」
    「いったい、オートザム全土にどれくらい〈してる〉やつらがいると思ってんだ。分母を考えろ分母を。俺たちなんて塵芥のぺーぺーのぴーだ」
    「ふ……」
     ジェオの口ぶりに笑った唇がふさがれる。それが水音に変わるまで時間はかからなかった。イーグルは柔らかい舌にすべてをゆだねた。心地がよくて眠たくなってくる。ベットに運ばれた体が倒されて、あつい胸が覆いかぶさり、イーグルを包みこんだ。繊細な手首がシーツに縫い付けられて、そこから指を組み合わせるように手を繋いだ。
    「おい眠そうだな、こんなときに」
     ジェオに組み敷かれながらすでにとろけたイーグルが自由なほうの手で目をこする。
    「だいじょうぶです、しましょう」
    「そんなこと言ってお前、途中で寝るだろ。おいて行かれる俺の気持ちにもなってみろ」
    「ん」
    「じゃない。今日のテスト、結構長引いたから精神エネルギーも多く使ったしな」
     眠り病が治ったイーグルは、通常のオートザム人と同じくらい、使った分の睡眠を要した。眠れば回復する通常の反応だ。違うのはイーグルの意志が異常に強く、気を抜くまではエネルギーを使い続けられる点だ。それはブラックアウトの危険を伴ったが、そこはジェオが観察しサポートすれば済むことだった。だからイーグルの眠りを問題視するものはおらず、ジェオをはじめザズも平気でイーグルに精神エネルギーを使わせていた。エネルギーの総量は相変わらず高い数値を叩き出している。使えば眠る、当たり前の現象をそのままに、イーグルはこのところ忙しくなった日常に揉まれて睡魔にさらわれていた、健康的な範囲で。
    「今夜はもう休もうぜ」
    「んぅ……じぇお」
     細く不満そうな声が抗議する。ジェオは仕方ないと諦め、逞しい体の下のイーグルを抱え込んでキスを無数に落とした。半分眠りながら愛撫を受ける彼は美しい微笑みを浮かべ、その唇を念入りに吸えば幸せそうな吐息が漏れる。ジェオはイーグルが寝付くまであやし、安らかな寝息が聞こえ始めた頃、そろそろと下にあるしなやかな体の上から自分の重い胸をどかした。白皙の寝顔は満足げな安心を浮かべて、薄く開いた口から健やかな呼吸を繰り返していた。
     ジェオは空調をあたたかくしてからイーグルを見た。セフィーロ侵攻時には険しい寝顔をしていたものだ。親友の国に攻め込むからか、個人的な願いを隠し背負っていたからかはわからない。イーグルは少し変わったと感じられる。世界を包むベールが数枚剥がれ落ちた感じだ。それは先ほどの会話にみられるように、人間に対する認知もそうだし、時折食事を共にする父親――大統領に以前ほど従順な尊敬と畏怖を感じていないことからも判断できた。大統領といえば『最下層』を思い出す。イーグルはそこを破壊すると言ってエネルギー切れを起こしたが、いまのところ『最下層』に対する動きはない。日々の平和をかみしめているようだ。この先どうするつもりなのか。

     ――眠り病の研究もこの部屋で行われているの。今は国民の〇.三%にも満たないこの病気も、試算では二百年後には九割は眠りにつく。この星の支配者は人ではなくなる。張り巡らせたネットワークと機械知能が、この星の代表になるのよ。

     あの女の言葉だ。イーグルはチキュウ型機械知能を使うよりFTOを選んだ。彼の直感をジェオは支持するつもりだった。
    「イーグル、俺はいつでもお前さんについて行くからな」
     愛する人の穏やかな寝息はゆるりとした眠気を誘った。ジェオは寝るための準備もそこそこにベッドへ入り、隣の体を引き寄せた。弛緩したイーグルが眠気まなこでジェオの感触をたどり、すっぽりと太い腕におさまる。その髪からは、AMXのコクピットで嗅いだ、不思議な匂い、異世界の匂いがかすかに香った。

          *
     
     地球、東京にひとりの男がいた。彼はクォーターで、日本の血は祖父のものだけだったので顔の彫が深かった。ごく幼い頃にはいじめといかないまでも、からかいや注視の対象にはなったものだ。だから彼は気配を消し、つまらない人間になろうと努めてきた。しかしどの星の巡り会わせなのか、彼の周囲にはトラブルが絶えなかった。一家は彼が義務教育中に離散したし、怪しいバイトの勧誘も無数に少年を取り囲んだ。真のトラブルは異世界に行く羽目になって、その世界を救ったことだ。つまらない人間でいたい彼は大いに憤慨した。異世界を救う道中も最悪だった。魔物を呼び寄せる能力があると疑わしいほど襲われたし、仲間にも最後まで心からは馴染めなかった。あれは明らかに人選ミスだ、創造主の。彼、陰気なクライスラーは『異世界』の入り口に立っていた。
     地球が存在する宇宙と、異世界。互いに影じみた存在であるふたつの空間が歪み、立体から平面になる。重なり合った地球を通り、また立体に戻った『異世界』に入っていく。クライスラーはこの『道』を保持するよう創造主に言っていた。『道』は資格、もしくは相応の心を持つものなら誰でも、なんでも通ることができた。心を持たない物体も通れた、所有者の意思によって。そのような穴は宇宙のどこにでもあり、クライスラーも利用してきたし、武器の密輸入も自在にしてきた。得意先はオートザムだ。
     オートザム人、イーグル・ビジョンは愚かだ。クライスラーは考える。FTOとNSXを放棄すると言いながらまだ自身の定義としている。AMXの試乗もした。あれは地球でも新しい類の技術、しかし戦争に使うわけにはいかないので人道支援に応用されている、くすぶった技術と兵器。異世界人たちがどう扱うか見ものだった。
     つまらない人間になる夢から見放されたクライスラーは、異世界および多次元宇宙への干渉を通して、創造主による世界の乱立を妨害したいともくろんでいた。それは混沌から生まれた地球人にしかできないことで、実際に意思の力において世界を渡り歩けていることが証明になった。創造主は、クライスラーを自由にさせている。
     異世界でのオートザムは異端だった。異世界ではひとりの意思がすべてを決める秩序の国が当たり前であり、唯一、選挙による共和制、国民個人の意思が国に反映されているのがオートザムだった。オートザムは地球にある国家に近かった。国民も異端を示しており、性善説一択の他国と違って、疑心暗鬼、仮想の敵や性悪説も内包していた。それは軍拡にも繋がっている。魔法や幻術を使う他国がオートザムの兵器を買い求めることはない。それで、資源の少ないオートザムは人間の精神エネルギー、言い換えれば心を資源にして国を保っていた。心を削りながら生きる国は人を疲弊させ、セフィーロと国交を持った今でも希望が国土全域を覆うことはなかった。懐疑心だ、オートザム人特有の。そういえば懐疑心がとくに強い男の記憶がある。その男はクライスラー、クライスラー・ビジョンだった。

     オートザム歴某年、全天がとくに厚い雲に覆われ、昼でもライトが必要だった日。クライスラー・ビジョンは学生で、ラボに入り浸り、研究をしていた。クライスラー・ビジョンの課題はオートザムの人的消耗を食い止めることと環境汚染からの回復、兵器の安全化だった。オートザムにはもはや人しか生産活動のもととなるものがない。人が減るのを食いとめ、機械ができることを増やす、それが目標だった。そのとき異世界に来ていた陰気なクライスラーは、オートザムには珍しい、いやここにしかない〈紙の〉国会図書館の本に没頭していた。本が好きなのだ。紙は正しく扱えば保存性が高い。光データのほうはともすれば一瞬で消失するが、紙、もっといいのは石板などは数世紀以上の維持が可能だった。図書館内のとくに静かな一角に陣取り、読書に耽っていた陰気なクライスラーに声をかける人物がいた。
    「ねえ、あなた」
     女だ。穏やかな女の声。
    「ここのラボに行きたいの、場所を知らないかしら」
     女の持つ個人端末に小さな建造物が表示されていた。
    「見ればわかるだろう。地図を読めないのか」
    「そうなの、私、方向音痴で」
     また面倒が舞い降りた。クライスラーはそう思ったが、無視をするのは経験上得策ではないと直感し、女を案内することにした。男が、ひとりの女を案内するというのは、オートザムでは危険行為だ。なぜこの女は同性でなくおれを選んだのだろうとクライスラーはいぶかしんだ。
    「あなたはオートザム人ではないわね、そんな感じがする。どこの人?」
    「……異世界だ」
    「まあ異世界」
     花がほころぶように微笑むこの女は魅力的なのだろう。だがクライスラーは冷えた気持ちで本を片付け、図書館を出た。女は半歩後ろを従順についてきた。クライスラーが歩調を合わせないので、時々走っていた、文句や注文は付けずに。ただの女ならよかったのだが、クライスラーには図書館で見た、人を射抜くような、透き通った金色の瞳が印象に残っていた。だから案内しようと思ったのだ。この女はおそらく賢い。しつこくされてはたまらない。
     やがて目的のラボが見えてくる。クライスラーは手で指し示し、そこで別れようとした。
    「だめ、異世界の人なら話を聞きたいわ、貴重だもの。セフィーロと関係があるんでしょう? 鎖国されたところからどうやって来たのかしら、ね、教えて」
    「なんだと」
     女はクライスラーの手をなんの躊躇もなく取ってコンクリート小屋のようなラボに引きずっていった。打ちっぱなしで無骨な建物だ。それはラボが乱立する研究区画のすみにあり、建物は味気ないが周囲に植物は豊富だった。人工のものと考えられる。
    「失礼しますクライスラー・ビジョンさん、プリムスです。遅れました」
     ドアを開け、プリムスと名乗った女とついた場所は、様々な計器や機械が乱雑におかれた空間だった。機関室を思わせる奥の影から、精悍な顔つきの男が出てきて、プリムスを迎えた。
    「クライスラー・ビジョンだ、初めまして。遅れただって? もうそんな時間か」
    「言わないほうがよかったかしら」
    「なにを後ろ手に引いているんだね」
    「彼は……あら」
     陰気なクライスラーは忽然と姿を消していた、プリムスが握った手の形はそのままに。クライスラーは意思の力で魔法、ここでは仮に魔法という、を使うことができて、皮肉にも地球的常識があるオートザム人には理解の外のことをやってのけた。意思、心が力になるのはセフィーロだけだと思われていて実際には『異世界』全体が心を事象に変換している。ファーレンの幻術なども根本の原理は意思であり、地球人、しかも異世界の各国家を渡り歩いたクライスラーにはわかるが、異世界人にとっては魔法はセフィーロ独自のものという考えが強い。あるいは魔法も幻術も精霊も表現が違うだけで同じものなのかもしれない。しかし鎖国されたセフィーロだけを特別視するあたり、異世界人とクライスラーには認識の隔たりがあると思われた。
    「どうしたのかな」
     プリムスが動かないのでクライスラー・ビジョンは声をかけた。
    「案内してくれた人がいたの、一緒に来たはずなんですけど。こう、彫の深そうな男性で」
     プリムスは異世界人のクライスラーの特徴から、言わないまでも呼び名を〈目隠しさん〉と勝手に決めた。目隠しというのは悪くなかった、陰気なクライスラーは世を消すことが叶わない代わりに、自分の目を隠していたのだから。偶然なのか洞察力があるのか目隠しと名を落ち着かせたプリムスは、薄茶色のふわふわした髪を肩で切りそろえた美しい女だった。クライスラーの容貌を身振りで説明したため離してしまった手首の行方を探して不思議そうな顔をしている。クライスラー・ビジョンは停滞した場を仕切った。
    「君のような花が咲けばこのラボも華やぐ。なにせ全員、研究以外に興味のない人間だらけだからね」
     そういうクライスラー・ビジョンは気取った男だった。白い毛は生来のものだろう、年を取っている感じではない。ごく薄い青色の瞳をしており、そのせいでどこか酷薄な印象がある。それだけだ。つまらなくなったクライスラーは姿を消したままラボを出た。
     しかし話はこれで終わらなかった。女、プリムスはなんの勘があるのかそれからというものクライスラーのいるところにいつでも現れた。最初に〈目隠しさん〉と呼ばれたとき、クライスラーは心底ぞっとした。礼節がある女だと思っていたプリムスは淑とした顔つきとは違い奔放で、異世界の人間であるクライスラーになんでも質問をぶつけた。プリムスは頭が柔軟だった。世界観や概念も、常識にとらわれないところがあり、それでクライスラーは彼女に地球の知識や技術を伝えた。世界同士を干渉させるのが目的だったためだ。
    「なにかしら、えーあい?」
     ラボの外、少し離れた場所にある瓦解した建物に、コンクリートの裂け目から花が咲く小さな広場でプリムスは口を開いた。風が吹いている。人工の風が。それで花々は可憐に揺れていた。
    「お前たちには機械知能という言葉のほうがわかりやすいか。この国の機械群にはAIが搭載されていない」
    「それがあるとどうなるの」
     薄茶色の髪が首を傾けたプリムスの肩から落ち、彼女は新たなおもちゃを見つけたように目を輝かせた。
    「使い方次第ではオートザムの未来のためになる」
     クライスラーは嘘を言わなかったが 、たんなる希望的観測を述べるにとどめた。プリムスは折った人差し指を唇に当てながら考えているようだった。彼女の頭脳はフル稼働しているだろう、考えごとをするプリムスは周りを忘れる。
    「ラボに持ち帰ってもいいの?」
    「好きにしろ」
     クライスラーから頼みたいほどのことだった。
    「地球型機械は作れたのか」
    「ええ、問題ないわ」
     作れるのか。ならばオートザム人がAIを己がものにするのも時間の問題だろう、オートザム型コンピュータの性能は地球より高いと思われ、計算能力で凌駕する可能性も出てくる。
    「チキュウ型機械、生物型のメカも設計図が出来上がったわ。オートザムにはなかった発想よ、ヒトとの同調性を考慮して作られたファイターメカ以外も、生き物を模した形にするなんて」
    「その中で人型の機械はとくにアンドロイドという」
    「アンドロイド……そう、私たちは医療用サイボーグしか作ってこなかった、欠けた部位を機械で補う。わかったわ、さっそくクライスラーに話してみる」
    「女、お前はすべてをクライスラー、あの男の手柄にしているが、いいのか」
    「いいの、私、目立つの苦手だし、それに」
     プリムスは、はにかんだ。
    「私たち交際しているの」
     オートザムでは子を産むことができる女を表に出さない風習が見受けられたが、それは女性の名誉を傷つけるものではなく、にもかかわらず交際相手の男に託すとは、よほど信頼しているのだろう。それともこの女の性格かもしれない。ラボに行くための道を〈目隠し〉に頼んだのは、殺されても文句は言えない行為だった。向こう見ずか、男を知らないかだ。
     ラボの主、クライスラー・ビジョン。カリスマとはあれのことだろう、多くの若者を引き連れて学生棟の中橋を渡っていた、その隣にはたしかにプリムスの姿があった気がする。クライスラーがどうでもいい記憶をたどっていると、プリムスが言った。
    「AMXのひな型、凍結することになったの。いまのままでは数世代先のファイターメカになるだけだわ。でもあなたが光明をもたらしてくれた、機械知能、これを開発して組み込むことができれば新たな時代が拓けるかもしれない」
    「しらん。勝手に研究をしろ」
    「ねえ目隠しさん、あなたって人嫌いというわりにはよくしゃべるのね。私に対して警戒してないもの」
     それはいつでもこの女を密かに殺せるからだし、そもそも世界間の干渉が目的のクライスラーにとって、頭と飲み込みがよく従順なプリムスは敵でも味方でもなかったからだ。そう、敵でも味方でもなかった。
     クライスラー・ビジョンとプリムスの交際を聞いてから二年後、プリムスは〈目隠し〉にある報告をした。
    「私たち、子を授かったの。結婚も決めた。検査の結果は男の子だったわ。私の因子、遺伝しなければいいのだけど」
    「なにが遺伝するんだ」
     〈目隠し〉はうんざりしながら質問した。プリムスの世間話を無視すると彼女は少し絡んでくるのだ。
    「私、精神エネルギーの値がとても高くて、放出していないと発熱するの。それが遺伝してほしくない。だって」
     プリムスは言葉を切った。
    「だって短命の人が多いから」
     女は気丈で、悲しみや哀愁は見せなかった。ただ事実を述べただけのようだ。陰気なクライスラーは何も返さなかった。
    「でも最近は発熱の頻度も下がっているのよ。貴方が教えてくれた機械知能、そのデータ取りの被検体に私は抜擢された。凍結していたAMXも将来的には製造が始まるはずだわ。ありがとう」
     ありがとう、感謝の言葉をほとんど聞いたことのないクライスラーは内心驚いた。おれは世界を破壊しようとして動いている。感謝されることはない。陰気なクライスラーの沈黙を肯定的な感情ととって、プリムスは微笑んだ。
    「感謝されることに慣れてないのね。いいわ、私がいっぱいありがとうってしてあげる」
     余計なことはするな、そう言いたかったがクライスラーの唇は動かなかった。何かを告げることこそ余計なことだと感じたからだ。
     子は無事に生まれた。父親譲りの薄く青い瞳に、母親譲りのふわふわした毛髪。名はアクレイム・ビジョン。利発だが体が弱く、プリムスが心配したとおり発熱型だった。絶望したプリムスだが、それは夫であるクライスラー・ビジョンにしか明かさず、アクレイムは大切に育てられ、科学者の道を選んだ。眠り病の研究のためだ。しかし彼が十七歳のとき、自身が眠り病に罹ってしまう。アクレイムは最期まで研究を続け、特定のゲノム変質を発見した。完全停止した息子を悼みながら、クライスラー・ビジョンは数本の毛髪と皮膚片を保存した。
    「あの子いつも言っていたわ、環境汚染も眠り病もないオートザムを見たいって」
     〈葬儀〉の日、プリムスは夫の肩で泣きながら額を寄せた。終末に至った眠り病患者の体は死体として扱うか保存するか選択される。その日は雨だった。自動反降雨シールドが中枢コンピュータから提供されている、生きている人間とは反対に、アクレイムの棺は弱毒性の雨に打たれ冷たくなっていた。だが中身はないのだった。形式上の葬儀だ。ふたりは息子の体を別所で保管することにしていた。
    「前を向こう、プリムス。アクレイムは我々に希望を残してくれた、かけがえのない天使だよ」
     触れるふわふわの髪が湿気でいつもより重い。
    「クライスラー、私ひとつ確かめたいことがあるの。また子供を作りましょう」
    「考えがあってのことだね」
    「ええ、私の遺伝子が役に立つかもしれないわ。もし次の子がまた発熱型でも、命に変えて守ってみせる」
     そうして生まれたのがイーグル・ビジョンだった。

          *

    「おはようさん、イーグル。よく寝たな、十六時間だ」
     まどろみの中にいたイーグルはジェオの声で意識が覚醒した。あたたかで広いベッド。シーツを探ってもジェオの体温は感じられなかったので、彼はとうに起きていたのだろう。
    「それはオートザム時間で、ですか」
     寝ぼけた声が発せられる。
    「なんで他国の時間を使う。オートザム時間だ、もちろん」
     立ってイーグルをのぞき込んでいたジェオがベッドに腰掛けて、スプリングがたわむ。イーグルは欠伸をひとつした。
    「撫でてください」
    「なんだ、藪から棒に」
    「だってジェオは僕を甘やかすのが趣味でしょう」
    「認めるが本人から聞くセリフか。それに俺は人間と結婚したわけで大型犬と一緒になった覚えはねえぞ」
    「撫でたいって、顔に書いてありますよ」
    「ったく、どこから来るんだろうな、その自信は」
     ジェオはそれでも愛おしそうにイーグルに腕を伸ばした。色はない。本当に動物を扱うよう、横に寝た背中や髪、頬を大きく撫でまわした。首をくすぐるとシーツで防御するので、それを剥き取ってこめかみにキスを落とし、上体を抱え込んだ。
    「ジェオ、したいです」
    「面倒くせえ」
    「精神を繋ぐのは?」
     イーグルは濡れた瞳でジェオの手を自分の腰に導いた。
    「下着は汚れるだろ」
    「どうしたんですか、そんなに男性ホルモンが多そうな眉――いえ、なんでもありません」
    「お前さんがこっそり俺を眉毛扱いしてるのは知ってるぜ、寝言をたまに零してる。眉毛か、俺も整えてみるかな」
    「眉毛はジェオを構成する大切なパーツですよ、もったいないことは許しません」
    「いや、ちょっと待てよ。こりゃ、あるいは」
     ジェオは自分の小型端末をスリープ状態から目覚めさせて、なにかアプリケーションをダウンロードし始めた。
    「なんです?」
     抱擁から逃れたイーグルがジェオの手元をのぞく。それは美容アプリで、画像をカメラで取り込めばパーツを加工できるものだった。
    「しゅっとした眉毛の俺を見せてやる。きっと惚れ直すぜ」
     数秒後、そこに写っていたのはどこにでもいそうな男性だった。
    「無個性ですね」
    「あ、ああ」
    「個性がないというのは美形の側面でもありますから、もしジェオが本当に眉毛を整えたいのなら僕は慣れる努力をします、眉毛という認識を改めはしませんが」
    「お前は整えてるんだろ」
    「僕のは自前ですよ、産毛だけは全部抜きました」
    「俺の産毛はどこからどこまでだと思う」
     イーグルは思わず吹き出した。
    「いまさら眉毛を気にするんですか? 年ごろの恋する男子でもないのに」
    「眉が整ったこの画像を見慣れたら、いい具合に思えてきた。これでお前と並んでも、もう少しマシになれるだろ」
    「伸び散らかした眉毛はジェオの象徴です」
    「鍛え抜かれた筋肉のほうを言ってくれ。なにをむきになっている」
     イーグルは意味ありげに声を潜めた。
    「ジェオ。ジェオは軍でとても人気があったことを知らないんですか。僕が守っていなかったら、どちらにでもなってましたよ」
    「なんだそりゃ」
    「とにかく、その眉毛で均衡がとれているのですから、整えるのなら自分を守る厳しさも学んでからにしてください」
     自分を守る厳しさ、イーグルは『最下層』で撃たれたことを思い出した。ひたりと浸かるように精神を乱したあの赤い明かりのともった環境で、知らず油断した末の出来事。ジェオも記憶がよみがえったのだろう、イーグルを見つめた。
    「お前はあのとき迷いなくあの部屋に入ったな。何がそうさせた」
    『最下層』のことを幼少期に少し調べたと言っていたイーグル、考えがあってのことなのかジェオは案じた。振り返ればオートザム全土を停電にさせた罠に自ら飛び込んだところからして、彼は少々興奮気味か好戦的になっていたのだろう。真っ先に前へ出たがるのはいつものことだが、あのときはお互い慎重な行動をとるべきだった。
    「実はジェオに隠していました。話すことでもないと思っていたからです。僕には兄がいるんです、いた、というべきでしょうね。兄は僕が生まれる前に眠り病で完全停止しました。墓は、からっぽです、以前スキャニングしました。でも体の安置場所を僕は知らされていません。だから『最下層』が怪しいと思ったんです」
    「未就学時、憲兵にしょっぴかれそうになったのはその兄さんの体を探すためか」
    「はい」
     イーグルは少し遠い視線でシーツの波に目を落とした。
    「父と母は生きている僕より亡くなった兄を愛していると、子供の頃に思っていました。勝手に寂しくなっていたんですね、いまならそうは感じませんし、ジェオがいます」
     敏いからこそ、愛を疑ってしまったのだろう。イーグルの性格は少しずれている、ほんのわずか、感情を勘違いする程度には。
    「セックスするか?」
     急にいとけなさがこみ上げたジェオは先ほどあしらった行為を誘った。
    「しません、気分がどこかに飛んでいきました。それよりいい加減に起きます。起こしてください」
    「どこの要介護者だ」
     苦笑したジェオだがイーグルを扱う手はどこまでも優しく、上体を自分の胸に抱え込んで柔らかな髪に唇をつけた。
    「愛してる」
    「僕もです、ジェオ」
     互いの体温を布越しに確かめ合っているときだった。閑静な環境を切り裂いて警報が響いた。それはオートザムが敵襲を受けたときに鳴るもので、年に一度の訓練でしか聞かない音だった。
    「これは、本物か?」
    「間違いで鳴らしたら生身の首が飛びますね。間違いならいいんですが」
    「いや、よくはないだろう。親父さんに連絡する、お前は起きて支度しろ」
     間違いならすぐにやむだろうに警報は鳴り響き続けた。大統領個人へのコールは長く繋がらなく、その間にイーグルが着替えなどを終え、クッキータイプの携帯食で簡易なカロリー摂取をしながらジェオの手から端末を取ってデスクに置いた。
    「今回は先走りません。この件は父からの接触を待ちましょう」
    「あ、ああ」
     警報はいつの間にか止まっていた。不思議なことに避難の指示もない。間違いだったのか。ふたりで椅子に座っていると、イーグルがふと不敵な笑みを零した。
    「これを機会とみて『最下層』に行ってみるのはどうでしょう」
    「なんだって。お前、おとなしくしてるんじゃなかったのか」
    「セキュリティが更新されているかどうかだけでも知りたいんです。それに、僕が言ったのは警報についてだけですよ、チャンスなら、あそこに何があるのか調べたい。重大な警報が鳴るということは中枢システムに障害が生じているのかも。僕たちネズミ二匹くらい見逃してくれる可能性があります」
     イーグルは本気だった。セフィーロに侵攻すると決意を語ったときと同じくらい真剣な顔をしていて、ジェオはまた相方の悪い癖が出たと思いながら、しかしよく知るイーグルだからこそ、こうなったらてこでも動かないと諦めた。
    「少しでも一般人がいたら、または異変があったらすぐに帰るからな、絶対だぞ」
    「はい。ところで状況的に以前のときと酷似していますがいいんですね、また罠かもしれませんよ。止めないんですか」
    「止めてほしいなら止めてやる。ここでおとなしくしてろ」
    「嫌です」
    「なんなんだ、お前は」
    「心の儀式ですよ。行きましょう」
     イーグルは手早く武装し、白いマントを着た。そうすると彼は寝坊助の顔が払拭され、戦士となる。変容ぶりは素晴らしいものだった。ジェオは愛しい大型犬の勇敢な姿に惚れ惚れとして、口づけをひとつした。そして、ふたりはホバーに乗り込んだ。

    『最下層』があるビルの入り口、イーグルが破壊したそれはきれいに修復されていた。一見するとただのオフィスビル様のそこは電力も回復しているらしく、自動ドアが抵抗なくすべらかに動いた。中は以前来たときと違って、大人がひとかかえする大きさの箱が積み上がり、倉庫のようだった。これもカモフラージュだろう。人の気配はない。イーグルは真っすぐにワンフロア降り、以前作動させたエレベーターへと向かった。
    「おいおい、そう急ぐな。安全確認をだな」
     ジェオは腰に下げて携帯していたビームサーベルに手をかけていた。
    「してますよ。FTOでいうならスーパーサーチ・モードですね」 
    「こら、冗談で言ってるんじゃねえんだぞ」
    「入力できました」
    「パスコードだな、お前覚えてたのか」
     記憶力のよさにジェオは感嘆を通り越して呆れる。なにも目の前でひとつひとつのキーを丁寧に押して見せられたわけではないのだ。一瞬のことをすぐに覚え、しかも記憶できるとはその目と脳が人間か疑いたいところだ。イーグルというと、こちらはなにか思案していた。納得がいかないと顔に書いてある、あるいはことの真意を探るような。
    「更新されていたほうが自然だよな」
    「帰りましょう」
    「中に用事があるんだろ、まあ生体認証が無理だな」
    「いえ、拒絶されないのなら、それがわかればいまは大丈夫です、と」
     ふいにイーグルの端末が鳴った。音声のみで繋ぐ。位置情報の発信も切っていた。
    『私だ、イーグル、大統領だ。セフィーロが大変なことになった。進軍されているんだよ、チキュウから』
    「チキュウ?」
     イーグルの横顔に驚きが走る。ジェオはイーグルがなぜ映像を切り、位置も送信しないのか疑問に思いながら、現在地が現在地であること思い出し、疑問をしまった。だが中枢コンピュータにアクセスできる権限を持つ大統領には無駄なことだ、そこには咄嗟に考えが及ばなかった。
    『友好国としてオートザムも軍を出す。しかし〈道〉を作れるだけの人間はごくごく少ない。お前にも協力してほしい』
    「わかりました。ですが僕は」
    『無論、お前はもう軍人ではない。NSXへの搭乗手続きは煩雑になる。だから友人としてセフィーロを救うのだ』
    「屁理屈に聞こえますが」
    『あそこには親友もいるのだろう。行ってくれ。以上だ』
     通信が終わり、ジェオが口を開く。
    「簡単に言ってくれるぜ。今度はあれだろうな、俺のGTOも出せるんだろうな」
    「当然でしょう。でなかったら直訴します。さあ」
     戦争ですね、そう言って上げた顔は普段の穏やかさが鳴りをひそめ鋭かった。

     イーグルとジェオはすぐにオートザムを出た。『道』は先に進軍した部隊によって、細いが作られていた。道さえあれば行くのは早い。ふたりは最大速度で先を急いだ。有事であることからGTOも汎用機ではなく専用機がジェオに与えられていた。やがて前方に戦艦NSXが近づいてくる。もとはイーグルの艦だ。いまは後任者がいると大統領から伝達されている。オートザムから見てセフィーロの方角にある巨大な星の存在、魔法騎士とイーグルが同時にトウキョウに入り、同時に出てきた異例から現れたそれがチキュウであることを知ったのは、セフィーロに向かうFTOとGTOの中で聞いた通信からだった。
    「それで、チキュウの方々が来て、なぜいきなり戦争になるんです」
    『不明だ。偵察隊の話だと、あといち日ともたず交戦に入るだろう』
     NSXの艦長はよく経験を積んだ初老の男性が務めており、イーグルは本来自分の艦橋にいる相手と話していることに新鮮さを覚えながら、己を振り返ってみた。司令官じきじきに斥候兼人型機雷兼巨大兵器をやっていることに軽い違和感を覚えた。味方の損害が一番低いからとっているという建前のやり方だが、他者にとっての自分、つまり指揮する人物を大切にするのも仕事の内かという気持ちが起こったのだ。艦長が続ける。
    『この件は、創造教の人間たちが絡んでいるらしい』
     創造教。クライスラーの思想を信仰する退廃者の集団。規模は判明しておらず、あの陰鬱な男と関わったイーグルでも想像が難しかった。信仰とはいえ『道』や『異世界』たる地球に接触できる人間はそういないだろう、心の強さを別にしてもいまは柱制度も途絶えている、行き来自体が不可能だと、イーグルには思われた。

     そうか?

     急に意識へ入り込んできた声にイーグルは反射的な動きで全方位の索敵をする。
    「どうした、イーグル」
     ジェオだ。FTOとリンクしているレーダーから突発的な大出力を感知して危険を察した。
    「ジェオ、急に僕たち以外の声が聞こえました。そちらはどうですか、異常は」
    「声? なにもなかったぜ」
     錯覚か。だが異様に明瞭な声だった。耳ではなく頭に話しかけられたような、セフィーロで療養中に心で聞いていた声に近い。
    「異常がないならいいんです、僕の気のせいでしょう。艦長」イーグルはNSXに呼びかけた『僕が〈道〉を拡げます。いま展開しているものは戦艦が通るには細すぎです、斥候に追いつけるよう速度をあげることを提案します』
    『そうしてくれ』
     言うが早いかFTOは艦の前方に回り込んで飛翔し『道』を作った。それは衝撃波をもたらさんばかりの勢いで前進した。
    「イーグル、無理はするなよ」
    「大丈夫です」
     とはいえセフィーロとランティスのことが心配なので彼は多少の無茶をした。精神エネルギー供給用のパイプは豊富に準備してある。最悪、NSXがあるので、睡魔に襲われたらそこで仮眠をとらせてもらえばいい。セフィーロは他国と戦争らしい戦争をしたことが結局ない。三国が同時侵攻したときにはオートザムが他二国を制圧したからだ。イーグルはジェオとふたりだけか、単独行動ならもっとファイターメカの機動性を活かせると思いながらも、NSXが大切であり、おいていくことができずにいた。
    「さっきのことなんだがな、お前さんの聞こえた声はなんて言ったんだ。ひたすら確認するぞ、ひとりで抱え込むなよ」
    「柱制度、魔法騎士が不必要なこのときに異世界との行き来が可能なのかと疑問を感じたら、そうか、と」
    「嬢ちゃんたちはしてただろ」
    「それは彼女たちが強い心の持ち主だからです」
     魔法騎士として召喚されるほどに突出した意思の持ち主。イーグルはGTOとデータを共有して、艦からの情報を確認した。偵察部隊からはオートザムにおける三個小隊ほどが観測できると連絡が来ている。
    「おかしいと思いませんか。まるで世界の秩序に穴が開いていくようです」
    「まずおかしいのはお前だ。速すぎる。ガス欠になるぞ」
    「実はもうFTOを降りて〈道〉を作ることに専念したいところです。眠くなってきました」
     ここでNSXより入電。
    『イーグル・ビジョン、君たちの格納許可が本国より出た。降りてきたまえ』
    「ちょうどよかったな」
    「ええ」
     イーグルが噛みころした欠伸をジェオは聞き逃しはしなかった。

    「眠いです、ジェオ。全力を傾けて〈道〉を作るとこんなに疲れるんですね」
     応急的にあてがわれた部屋でイーグルはマントをジェオに預けた。自分でたためるのだがここは甘えだった。ジェオはマントをべッドに置き、ポシェットから吸収のいい糖を固めたものを数個、手渡した。口腔内でほろほろと崩れ溶けるものだ。
    「精神エネルギーのつぎ込みかたは最重要時ではない、通常運転で十分なはずだ。イーグル、俺が」
    「どんなに心配しているか、でしょう。ちゃんと自制できました、ほめてください」
     イーグルが大統領の息子であり、大変な戦力にもなるためだろう、部屋は適度な広さがあり、ベッドも寝心地のよさそうなものが備え付けてあった。
    「横になってろ」
     ジェオが部屋の確認と物色している間にイーグルはベッドに転がった。
    「ベッド人。僕はベッドの民になり果てたのかもしれません。こんなにもベッドしています、十六時間でしたっけ、眠ったばかりなのに。ジェオはどう思います?」
    「お前は昔からベッドの民だよ、式典の日の寝坊、まだ覚えてるからな。このやろう」
     あのときは本気の叱責を受けたものだった。
    「ランティス、大丈夫でしょうか」
    「俺に聞くな。というかまず世話になった導師の心配をしろ、ランティスはなんだかんだ、ぶらぶらしていただけだろう」
    「そうでしたっけ」
     ランティスに関しては純な好意で見がちなイーグルである、ジェオは自分も青色のコンタクトレンズをつけてやろうかと思ったが、大地の色である緑に惚れられているのでそれも考えものだった。
    「彼はよく僕のところに来てお喋りに付き合ってくれました。ランティスはほとんど聞いているだけでしたけどね。あの人といると未知の心持がします。親しいのに、安心より胸が高鳴るような」
    「お前さん、俺に嫉妬心や独占欲が微塵もないとでも思っているんだな。自分の言っていることがわかっているのか」
    「え」
     ジェオは腰に手を当て、もう片方で顎をこすりながらイーグルをまじまじと眺めた。顔の造りは大人だが、子供と同じ表情をしている。ジェオをベッドから見上げる瞳は飴玉のように澄んでいて、邪気がない。
    「やれやれ、なにも考えてないことは知っている。こちらだってなにも感じないようにするよ」
    「どういう意味ですか」
    「俺が嫉妬したら、まるで嫁を餓鬼にとられたような、可愛がっている犬がおやつをくれる隣人ばかりに懐くような、くそ、なにをごねているんだろうな。餓鬼が移ったみてえだ。例えばだが、俺とランティスがお前を放って仲良くしたらどうする」
    「抱きしめに行きます、ふたりとも」イーグルの答えは端的で迷いがなかった「ジェオもランティスともっと仲良しになりたかったんですね。無事に終われたらまた一緒にパーティーを開きましょう」
     にこりと笑ったイーグルに、今度こそジェオは脱力した。
    「そうだ、お前はそういうやつだ。もういい、仮眠をとってくれ」
    「ええ、浅く、少し寝ます。〈道〉はゆっくりになりますが」
    「なんなら止めてもいいくらいだ。いいかイーグル、本番はチキュウの勢力とやり合うときだからな、そのときお前が万全でないと困る」
    「わかっています、では、おやすみなさい」
     イーグルは数秒で眠りに落ちた。寝落ちだ。これは正常な寝入りではなく気絶と同義だった。本人が自覚している以上に精神エネルギーを使うのは人格に染み付くレベルでの癖なのだろう。ジェオは畳むつもりだった白いマントを体にかけてやった。

         *

     オートザム。大統領は人払いをした執務室でひとりの男と話していた。
    「今回の件、本当にお前が仕組んだものではないのだな?」
     問いを投げかけた相手は長い前髪の中から大統領を見つめて首を横に振り、低く答える。
    「おれではない。東京の防衛を実質誘導している国の仕込みだろう。あれだけ繰り返し、魔法騎士の少女たちが異世界との行き来をしだんだ、空間変位を観測されても不思議ではない。あの国は超常現象が好きだからな」
    「ふむ」
     大統領の手に握られたガラス玉のペンダントが光る。中には薄茶色の毛髪が埋め込まれていて、その反射光は机上を小さく儚げに照らした。
    「乗じるとするか。AMXの製造と配備のフェーズを限界まで上げる。そして機械人間、アンドロイドだったな、そちらにも着手しよう。設計図とシステムの手直しは済んでいる、造るだけだ。セフィーロの危機とあれば国民も他国も口出しをしないだろう」
    「おそらく地球はセフィーロとは戦わない。いや、戦えない」
    「どういうことだね」
    「そのうちわかる」
     陰鬱な男はセフィーロの方向へ首を巡らせた。

     NSXの一室で仮眠をとっているイーグルに呼びかけがある。
    『イーグル』
     眠りの中にいる青年に声がかかり、彼は自分の呼吸音を感じた。戦艦の動力炉が振動を体に伝えるが、起きようとしても指ひとつ動かない。これは夢か現実か。イーグルは問いかけに応じる判断をした。低い声の持ち主は、聞き慣れた親友のものだったからだ。
    「ランティス?」
    『国に戻れ』
     唐突だった。
    「セフィーロはどうするんです、僕はセフィーロを助けに」
    『柱が復活した。柱は、俺だ』
    「柱システムが復活?」
    『ああ』
    「ヒカルがなくしたはずです。いったいどうやって復活したんです」
    『ああ』
    「願いの力ですか、強い心の持ち主による。ランティスはあのときセフィーロで一番強い心を持っていると創造主に言われていましたね」
    『ああ』
    「それはつまり貴方の」
    『導師によると民の悲鳴の結果だと』
     要するに、得体のしれない対象へ向けた、国民一致の拒絶らしい。
    「いまセフィーロはバリアに守られた状態なんですね? チキュウからの攻撃は」
    『チキュウではあるがチキュウ人ではない』
    「どういうことです」
    『無人だ。無人の、お前たちオートザムの機械に似たものに攻撃を受けている』
    「ちゃんと防げているんですよね」
    『ああ』
     とりあえず安堵のため息をつく。
    『人の気配があるものは、方向をオートザムに変えた。国に戻れ、イーグル』
     イーグルの脳裏へ割り込むようにイメージが叩きつけられる。バリアにぶつかり爆散する無人機、舵を切る巨大な戦艦のような物体、ひし形に近い飛翔体。卵状のバリアに守られたセフィーロ内部の自然は美しいままだった。ランティスが愛し、また同時に柱への多大な負担を案じて柱システムを破壊しようとした国。当の柱となった彼はいま何を思うのか。イーグルはバリア内部に自分とジェオが入るのが可能かどうか聞くつもりで声をかけた。
    「ランティス。ランティス?」
    「俺はジェオだ、失礼なやつだな」
     ジェオの柔らかい苦笑でイーグルは目を覚ました。
    「あ、夢? いえ違います、状況が変わったようです、艦橋にいきましょう、現実の現状を確認しなくては」
    「急にどうした」
     ジェオは急いで立ち上がろうとするイーグルをいったんとどめて、ゆっくりと起きるよう促した。
    「ランティスと心で会話をしました。セフィーロでは柱が復活して、それで」
    《全艦に告ぐ。前方に敵性体あり、即時戦闘準備》
     艦体がずしりと揺れ、臨戦態勢に入る。
    「こんな中途半端なところで戦闘だって?」
     ベッドの枕元に置いた小型端末が鳴る。
    「お前さんのだ」
     枕もとのそれをジェオは取ってイーグルに手渡した。
    「はい」
     イーグルはビデオ通話のため名乗らずに応答し、微かなノイズがかかった画面に映し出された大統領、自分の父親に顔を見せた。もうイーグルたちとNSXはセフィーロ圏内にほとんど入っている。艦の基幹コンピュータにまだ接続していない、いや、民間人であるイーグルには許可されていないシステムのために、パーソナルな小型端末では通信状態が怪しくなっていた。
    『イーグルだな、そちらの偵察隊と私はリアルタイムでリンクしている。じきに我がオートザムはチキュウ軍とぶつかり合うだろう。お前はそこを抜けてセフィーロに向かえ。セフィーロを守るんだ』
    「セフィーロは柱が復活して自力で持ちこたえられるはずです。僕もチキュウ本隊と戦います」
    『セフィーロ付近の〈道〉を保持している生物がいる、おそらく人間が。それらを叩くのがお前の役目だ』
    「しかし人間はオートザム方向へ切り替えしたと聞きました」
    『チキュウの人間、ならな」
    「どういう意味です」
    『創造教の連中がいる。クライスラー本人からの情報だ、間違いない。ただ彼は関わっていないそうだ、独断行動だろう』
    「オートザムの敵はオートザムってか、皮肉だな」
    「ジェオ」
     イーグルはオートザムの軍拡を内紛の結果だと思い、その想像を打ち消した。そんな悲しい国だと決めたくない。
    『艦長には私から話をする。すぐに準備をしたまえ」
     通信は終わった。いつもながら要件だけの簡潔なものだ。しかも一方的な命令に近い。
    「行くのか、セフィーロへ?」
    「どちらにせよランティスのことが心配です。無人機も、どのようなものか確認する必要があります。チキュウ型兵器は人の心がありませんから」
    「無人機に心もなにもあるもんか」
     イーグルは少し笑った。
    「言葉選びを間違えましたか。でもジェオにもわかるはずです」
     オートザムの兵器は身体に与えるダメージの回復までを考慮して作られたものが多い。チキュウ型は破壊力を集中的に高めていて、残忍かつ後のことを考慮しないものがある。
     話をしながら身支度を整えてもらっていたイーグルは、右腕の武器を調整しながら言った。
    「セフィーロへ向かいます」

     ファイターメカの格納庫は慌ただしかった。いつも薄暗いそこにはこうこうと明かりがつき、幾人もの整備員、パイロットたちが忙しく作業をしていた。イーグルが占有するようにNSXの艦長を務めていたときは、ほとんどFTOとGTO専用の発着口だったため、このようにずらりと並んだファイターメカの半分以上に人がついている光景は初めてのものだった。
     イーグルはまた不思議な心持ちがした。自らのワンマンを改めて思ったからだ。
     FTOのコクピットにつき、ケーブルに繋がった、通信機能つきバイザーを装着する。GTOのジェオも準備ができた。オペレーターの声が聞こえてくる。
    「確認します。あなたたちはセフィーロへ向かい、『道』を作る勢力を撃破、可能ならそのまま反転、本軍と協力し、チキュウ軍を挟撃してください」
    「了解しました」
     ファイターメカの中で急ぎのブリーフィングを済ませる。FTOとGTOの翼にエネルギーが回るとハッチは開き始め、機体を外光と風が包んだ。
    「ご武運を」
     二機のファイターメカは艦から飛び立った。『道』はイーグルが作る。ジェオは心配だったが、精神エネルギーを充填したカートリッジをFTOは満載していた。
    「緊急とはいえそこまでするのか?」
    「僕はランティスが心配なんです。彼はセフィーロの柱システムを終わらせるために命までかけていました。そんな彼が柱になったんですよ。どんな思いでいるんでしょう。ヒカルのことは? 彼女への思いを断ち切らなければならないのは気の毒です」
    「どうも思うがな、柱の制約ってやつは本当に絶対なのか。ヒカルはシステムそのものを一度はなくしちまった。それがいまは復活している。それこそ、心次第なんじゃねえか。ランティスもことが済めば柱をやめちまえばいい」
    「そんな乱暴な。でも一理ありますね。僕たちオートザム人にとって空は曇っているもので、晴れるのは悲願ですが、案外、チゼータあたりに浄化システムがあるのかもしれません」
    「チゼータがなんだって?」
    「例えばの話ですよ。固定観念に凝り固まっていては解決にならないという」
    「そういやあの国、ファーレンも一緒に協力してくれてるが、オートザムの入国が許可されたことはねえな」
    「僕たちは武器を持ちすぎていますからね、自業自得ですよ」
     武器。オートザムの兵装。それは突出していた。先ほどの固定観念から脱して考えてみると、それはどこかと戦争をするわけではなく、単純に技術を高めるためだけに開発をしてきたと想像することもできる。オートザムにとってもはや周辺国は相手にならず、チキュウ型武器の脅威に対していたとしたら。
    「イーグル、そろそろセフィーロ圏内だ」
    「静かですね。セフィーロを攻めたチキュウ勢は一掃されているようです」
     それは目視でもレーダーでも確認できた。
    「穴となる〈道〉を作っている勢力はどこに」
     ファイターメカのレーダーは、現在、精度が低かった。チキュウ側の信号、敵味方をわけるそれが未登録だからだ。
    「とりあえずランティスに聞こうぜ、ってどうやるんだ」
    「心の声を開くんですよ。ランティス」
    『なんだ』
    「おわっ。なんだ、じゃねえだろ。まあいい。ここいら一帯を掃除したのはおめえか、ランティス」
    「セフィーロ流の〈消失〉という最後ではなく、残骸を空に置いてくれたんですね」
    『必要なものだと思えた』
     破壊された無人機は色が様々で、マークがついていて、イーグルにはそれが識別用のものに思われ、チキュウも一枚岩ではないと想像した。
    「レーダーが使い物にならないのなら、心で〈道〉を探しましょう」
    『ああ』
     イーグルとランティスはそれぞれに意識を集中させた。ふたりが導き出したそれは合致していて、イーグルは腹を決めた。
    「ランティス、ヒカルのこと」
    『愛している』
    「え、大丈夫なんですか」
    『俺はエメロード姫やザガートと違ったようだ』
    「そんなことだろうと思ったぜ。よかったなランティス、セフィーロは安泰だ」
    「それならそれでいいんです。ジェオ、いきましょう」
    「ランティス、俺たちは異世界との穴に行く。しっかり自衛してくれよ、イーグルの負担にならないようにな」
    『わかった』
     ランティスの気配は途絶えた。
    「さて、いいのかイーグル、休まなくて」
    「急ぎましょう」
     FTOは空になったカートリッジをひとつ捨てて答えた。

     * 

    「また熱があるわ、アクレイム」
     プリムスはいつまでも起きてこない七歳の息子を心配して部屋に入り、頬を包んだ。アクレイムは掛布を口まで引き上げてベッドに埋もれていた。
    「ごめんなさい母さま、僕また夢中で朝まで設計してて、気がついたら体が冷え切ってた、風邪を引いたみたい。でも試作機はできたよ」
     アクレイムが指したところには、大人が両腕を広げたくらいの機械があった。
    「機械知能を積んだ、雲の中の探索機。人の視界に頼る負担が減るから、観測も正確になっていくと思う」
    「ひとりでこれを作ったの?」
    「うん、だってラボで作ったら、なんでもすぐ兵器に流用されてしまうから。僕、平和のためになにかしたいな」
    「そうね、私もそうよ」
    「ね、この無人機のこと、父さまにはまだ内緒でいてくれる?」
    「貴方の好きにしていいわ。待っていなさい、解熱剤を持ってくるから」
     プリムスは後ろ手に子供部屋のドアを閉めてため息をついた。可愛いが無茶をする我が子、末恐ろしい才覚と実行力があった。あの子は将来、引く手あまたとなるだろう。自分を守って世間を泳ぐ力をつけさせなくてはならない。とくに軍へ入ったらと思うとプリムスはおそれを覚えた。
     薬と水を持って子供部屋に戻ると、アクレイムはなにやら機械に取りついていた。
    「駄目よアクレイム、続きは今度にしなさい」
    「うん待って。大事な部品だけ外してしまうから」
     そう言うとアクレイムは子供のこぶし大のコアをいくつか取って、机にしまい、鍵をかけた。周到な子だった、あれらが開発したパーツなのだろう、これだけの大きさを持つ機械があったら、父親から世間に見つかるのも時間の問題だ。
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    tx9y_nasubi

    DOODLE寝かせていた光の翼第三部の書きかけ。以前くるっぷでフォロ限公開していたのから、縦エディタが約5,000字増えていたので読んだら増えた分は肉付け前の上にプロットを無視していた。どういうことだってばよ…。なおプロットはさっき確認してみましたが情報量が多く、いまの私には目が滑り理解できませんでした。
    境界を象った棺 だれがために
     空を翔けるのか

     十七歳のイーグルは孤独だった。彼個人としては間違いなく孤独だったのだがそれは主観の話で、第三者視点では多くの人に慕われ、憧憬を集め、いまも追いかけてくる女性士官候補生たちから逃れるため、校舎の屋上に走りこんできたところだった。人気は女性だけにとどまらず、同性からもファイターメカ操縦を手習いから学びたいなどと囲まれているのが常だった。イーグルは優秀で、何でもできた。座学は居眠りと戦うのが難であったが、実戦は特別に強く、ファイターメカの試合を国が公に始めた昔から継ぐ歴代勝者の中でも、とくに抜きんでた戦闘力を有していた。彼は国民総意の英雄とも言えた。誰もが彼を認め、反感を持つものでさえも実力は一目置かなくてはならず、もし彼を害そうとする者がいたとしても、自身を守る力を十分に備えていた。加えて全体的な見目がよく、その点でも人と違った存在感を放つのがイーグル・ビジョンだった。彼の容姿はやや中性的でありながら体作りはしっかりしており、甘い顔との対比に熱狂的な偶像視をするものもいて、イーグルはあまり人が得意ではなかった。
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