いとしのイソギンチャク「おつかれ~。」
「お疲れさまでした!」
口々に声をかけあって、とりあえず解散。総力戦でマレウス氏をなんとかしたものの、当然ながらこっちだって満身創痍。本当はこのあとも色々後始末があるんだろうけれど、もはやそんなところに回せる余裕などない。はあ、後のことは大人に任せて、帰ったら寝よ。……いや、夢の中だし、実際は現在進行形で寝てるわけなんだけどさ。
僕が目を覚ましたのはそれから丸一日経ってからだった。寝すぎだろ。オルトが、兄さんいちばん頑張ってたもんね、と言ってくれたけれど、いや、オルトの方が大変だったでしょ!? シルバー氏について各人の夢を巡って起こして回ってたんだから。それに比べれば拙者の肉体的疲労なんてたかがしれている。まあ、頭脳労働はめちゃくちゃやりましたけど。あとオルトはヒューマノイドなので疲労知らずですけど……。
とりあえずオルトから現状の説明を受ける。
数日ぶりに目を覚ましたNRCはゆっくりと日常を取り戻そうとしている。だいたいのことが夢の中で起こっていたから学園の物的被害は大きくはない。オルトが、マレウス氏の魔法の解析のため、ケルベロスギアで乗り込んだときの分ぐらいで、これについては実家が動くみたいなのでノーカンとする。実家と言えば、この後――何時からかはわからないし、すぐではないみたいなんだけれど――学園長とうちとで会見を開くらしい。
あー……、まあね、仕方ないよね。NRCとしてはお預かりしている一生徒が起こしたオーバーブロットが学園を越えて世界に影響を与えてしまったわけだし。オバブロがかかわっている以上、前回のアレで存在が世間に知れてしまったうちも出ざるを得ないってこと。
茨の国は現時点では特に動きはないみたい。次期ご当主様のご乱心によるものなわけだけれど、そもそもあそこは人間の理解の及ぶところではない。彼ら的には今回のことで世間に対してなにかを説明する必要などないという判断なのだろう。
ただ、僕としてはなにかしらん動いて欲しいな、とは思っている。だってそうだろ。このままじゃマレウス氏に対する世間の心証がよろしくない。今後の人間と妖精との関わり方にも影響を与えるだろう。こんなことをしでかしたマレウス氏ではあるけれど、ちょっと魔力量とかが桁違いだっただけで、根っこの部分は僕にだって理解できるものだった。人間と妖精の間には隔たりがあって、そりゃ理解できない部分も多い。でもそれだけじゃないんだ。共通する感情だってある。今後、お互いが良き隣人としてやっていけるように、茨の国にも立ち回ってもらいたい。まあ、あくまで僕個人の意見ですけど。
眠っていた生徒たちは既にほぼ目覚めている。僕はかなり遅かった方で、マレウス氏と戦った面子でも早々と目覚めていた者もいるらしい。シルバー氏に至っては第一陣で目覚めたとか。……やはり筋肉。筋肉は裏切らない、ということが図らずも実証されてしまった。はあ、ごめんね、拙者の体力がミジンコ並みで。
学園長を始めとする、教員を含めた学園関係者は内外の対応にあたっているため、今週いっぱいは休講で、授業は来週からの再開。ただ、休講になった分についてはどこかで補講が予定されているらしいので、この休講は学生側にはまったく歓迎されていないとのこと。
まあ、だいたいこんな感じ。とりあえず来週まで時間ができたので、僕はその間ゆっくりとさせてもらうことにする。じゃあね、おやすみ。
お休みの間に僕がしたことと言えば、惰眠を貪ること――オルトはそれを疲労のせいだと思ってなにも言わないでくれたし、実際疲労による部分もあったと思う――と、あとはゲームとか。まあ、いつも通りと言われればいつも通り。
ただやっぱり普段よりは時間があって、だから色々考えてしまうこともあった。みんな、誰にも知られたくないであろうことを抱えていて、けれど僕はそのほとんどを目にしてしまったのだ。目撃したのは僕だけではないけれど、そんなことは関係ない。ただただ、ひとの抱える傷を知ってしまったことが、僕を抉った。
その中でも、僕にとってはアズール氏の件がいちばん重かった。ぶっちゃけてしまえば、相対的に見て、あの子の傷はそれほど大きなものではないだろうと思う。そりゃどう考えたって生まれ的にも如何ともしがたいものを抱えているのはレオナ氏に決まっていたのだ。現実的な話、レオナ氏が抱えている傷を癒すには革命でもしなければならない。けれどそれは全然現実的ではないのだ。現実的な話をしているのに、現実的でないところにしか行けつけない。それに比べればアズール氏の傷は些細なものだろう。
でもそうじゃないんだ。今回夢を渡ったメンバーの中で、僕が一番知るのはアズール氏だった。だから、アズール氏にとって、それがどれだけ大きな傷だったかがわかってしまうのだ。だって、あんなのは僕の知るアズール氏ではない。でもあれがあの子にとって、なんの痛みもない世界が行きつくところなのだ。陰湿なところは……まあ、なかったとは言えないけれど、それでもあの世界があの子にとっての理想だったというなら、今の世界はいったい何なの? 双子の話だと、あのアズール氏はユニ魔さえ発現していないみたいだし、いまのアズール氏が経験した血の滲むような努力とは無縁なんだろう。ユニ魔を発現させるほどの努力を強いて、性格さえ変えたであろう傷が浅いはずがない。
授業が再開して、部活で会うとき、どんな表情をすればいいんだろう。君の傷の一端を知ってしまった、僕はどんな表情をして君に会えばいい?
そう思えばアズール氏ってすごいな。あんなことがあったのに僕と普通にゲームをしてくれた。過去の傷どころではない。あの子は、僕が自身のエゴで世界を滅ぼそうとするのを目の当たりにしたというのに。
あの子だけじゃない。みんな僕なんか足元に及ばないぐらいに強かった。
だから僕もうじうじしている場合ではない。できるだけ普通の表情で部活に行こう。今まで通りに煽って煽られてゲームができればいい。なんならちょっとぐらい夢のことをからかったっていいだろう。君の傷を茶化すつもりはないけれど、その傷に触れることを許されたい。
ふと思い出してタブレットを裏返す。そこにはもちろんなにもない。だってあれは夢の中での出来事だ。このタブレットそのものが夢の中にあったわけではない。
君のサインが残っていればよかったのに。そうすればからかいやすかった。
「どんなサインだったんだろ……。」
いまと同じなんだろうか? でも君のなめらかな筆致はサインを書きなれた者の手だ。あのアズール氏だって、花形の選手だったんだからサインは書きなれているのかもしれないけれど、でもそれは署名とは違うだろう? ならいまとは全然違うサインだったんじゃないだろうか。なんかこう……陽キャっぽい、もっといけ好かない感じのやつ。あ、でも僕には見ることができなかったけれど、あの双子がなにも言わなかったってことはいまと同じだったってことかも。違ってたらなにかしらんの反応するでしょ、あのふたりなら。
あとなんだっけな……。
そうそう、そういえば僕をイソギンチャクにしてたな、あの子。
「……。」
いや、違うでしょ、おかしいでしょ。拙者がイソギンチャクにされるなんてなくない? え、もしかしてあの子の中では可能性としてあるってこと!? それ、拙者の解像度低すぎでは……!?
たしかに、リドル氏、レオナ氏がイソギンチャク化してたのもアレだけど、あのふたりは根拠がなくもないわけで。レオナ氏はもともとアズール氏との契約経験があったわけだし、リドル氏はああ見えて寮生の面倒見はいい方。あのときイソギンチャク化されたのはハーツの寮生も多かったし、あれだけ多くの寮生を盾にされたら交渉の席につかざるを得ないでしょ。そこからはアズール氏お得意の手八丁口八丁でなんとか丸め込めてもおかしくはない。
でも拙者は違う。あの事件では元々イグニの寮生は多くなかった。単純にイグニはよく言えば研究者気質、悪く言えばコミュ障のオタクが多くて、モスラなんて陽キャの吹き溜まりに出入りできる寮生は少なかった。おかげで被害は最少だったし、多かったところで僕は取引になんか応じなかった。いやだって、そんな契約しちゃった方が悪いでしょ。オクタじゃないけど自己責任でーす。拙者に尻ぬぐい任せんといて。
だから寮長としての僕がアズール氏と取引するはずがないし、僕個人としてはさらにだ。だってアズール氏が悪どいのはよくよくわかっていたので。絶対尻の毛までむしり取られるじゃん。
それなのにイソギンチャクにされてた。なんで? 君、僕のこと全然わかってなかったってことじゃん。友好的な関係が築けていると思っていたのは僕だけだった、ってことなんだろうか。え。なにそれ。アズール氏にいいように転がされてたってこと? あまりにも残酷な仕打ちでは?
ああもう、やだやだ。君といつも通りに接しようと思っていたのに。こんなのどう考えても無理だ。
とは言え、週が明ければ授業は始まって、そうなると当然ながら部活もやってくる。
正直、さぼろっかな~、とは思った。だって、どんな表情してあの子に会えばいいかわからない。でもそんなのはいまに始まったことじゃなかった。あのときだってそうだったし、そんな中、あの子は部活で僕を待ってくれていたんだ。本性では僕のことをどう思っているのかわからないけれど、それでもあのとき、あの子が僕を気遣ってくれたことはたしかだろう。だったら僕だって、あの子の傷をなんでもないことのように受け入れ、扱ってあげるべきだ。それは、あの子が僕のことをたいして理解してくれていないだろうこととはまったく関係ない。
部室のドアを開けると既にアズール氏はいた。いつもの席に座って、僕に気づくと顔を上げた。
「おや、イデアさん。遅かったですね。てっきり今日はいらっしゃらないかと。」
「拙者かていつも授業飛ばして部室に待機してるわけじゃないですぅ~。」
アズール氏の言葉がどっちの意味を持っているか測りかねて、とりあえず文字通りの意味にとっておくことにした。
ちらりと横目で確認した部室はアズール氏以外に誰もいなくて、あんなことのあった翌週だから、まだみんな様子見みたいなところがあるのだろう。それを踏まえて、僕も来ないかと思った、という解釈とする。それに深読みで対応して、向こうにそんな意図がなかったら地獄だからだ。
「つまり今日は生身で出席されていたと。」
「そういう日もあるよね。」
これはホント。今日の授業は生身での出席が必要だったからちゃんと教室で授業を受けていたのだ。終業後に移動したからいつもより部室に着くのが遅れた。単純にそれだけのことである。
アズール氏はそれで納得したみたいだったから、どうやら他意はなかったようだ。よかった、変に言い訳じみたこと口にしないで。
アズール氏がいそいそと机の上にあった箱からチェス盤を取り出した。駒を並べる。途中から僕も手伝って、僕らは盤を挟んで向かい合う。ジャンケンで先攻を決めて、ゲームスタート。
さてそれじゃあさっそく先輩が夢の件をからかってあげよう。
「この間はおつかれ。」
「イデアさんこそおつかれさまです。シルバーさんについてみんなの夢を渡られたのでしょう? まあ、タブレットでしたけど。」
おおっと、早速の弄り返しじゃん。いや、拙者はまだ弄ってないのでむしろ先攻をとられた感じ。でもそれは悪手ですぞ~。タブレット弄りは完全に失敗です。
「そうそう。いや~、いきなりアズール氏にサインされてビックリしましたわ。さらさら~、ってずいぶんサイン慣れしてたじゃん。あのアズール氏も。」
「う……。うるさいですね、希少な僕のサインですよ? 夢の中とはいえ書いてもらえたことに感謝されてもいいのでは?」
「希少なの? あれだけ普段契約契約言ってるのに!」
「あの僕は……その……ユニーク魔法も発現してませんし……。」
悔しそうに眉を寄せる。頬がほんのり赤いから、悔しいというよりは恥ずかしいのかもしれない。僕としてはからかうつもりはあっても辱めたいわけではないから、すぐにフォローを入れた。
「いいんじゃない。すごくわかりやすい夢だったと思うよ。」
「バカにしてるでしょ……。」
「してないよ。……まあ、普段の君からは想像できなかったけど、でもよくある普通の夢だったと思う。誰だって一度は思うことだ。」
人気者になりたい。かっこいいスポーツ選手になりたい。恥ずかしい夢ではない。
ただ、あの夢がそうであるならば、現実はそうではない、ということなのだ。どうあがいたって叶うことのない夢。努力の鬼であるこの子にはあまりにも惨い現実だ。
「あ、でもひとつ物申したいことはあるんだった。あのさ。」
「はい。」
「君の中の僕ってあんななの?」
「あんな、とは。」
「……イソギンチャクにしてたじゃん。拙者ってあんなに迂闊に思われてるってこと?」
「ああ。そういえばたしかに。……別に迂闊だとは思ってはいないんですけれど。」
どうしてでしょうね、と口にするけれどどこか空々しい。たぶん、どうしてか、に心当たりはあるのだろう。実はやっぱり軽んじているのかもしれないし、それとも他の理由があるのかもしれない。
「ただどうもあの僕は既に学園を牛耳っているようだったので、まあ、当然のようにあなたも手下にしてただけじゃないでしょうか。」
「そんな雑な理由で!? もうちょっとちゃんと考えて!」
「ううん……、あなたのユニーク魔法はたぶん要らないんですよね。」
「さすがにひどない?」
たしかに僕のユニ魔は『僕の』ユニ魔というよりは『シュラウド家』のユニ魔だから、アズール氏にとっては無用の長物だろうけれど。
「でも奪ってはいるだろうと思うんですよね。あんなの持たせておくのは危険ですし。」
なるほど。要らないけれど管理はしておきたい代物だと。
「……むしろユニーク魔法を僕が管理する、という契約なら……あなたが受ける可能性があるのでは……?」
「は?」
「いえ。実際あなたが受けるかどうかは関係なくて、それならあなたを納得させられるのでは、と夢の中の僕は考えたんじゃないでしょうか。現実のイデアさんがそんな無責任でないことは承知していますが、それでもあのユニーク魔法がなければ、あなたはシュラウドとしては生きられないでしょう? あなたを責務から解放してさしあげます、そう言ってあなたに取り入ったんじゃないでしょうか。」
……ありえる。
いや、実際のところ、アズール氏の言う通り、僕はシュラウドであることを投げ出したりしない。正確には、投げ出すことなんてできない。だからアズール氏の甘言をもってしても取り込まれることはないだろう。けれどその強固さはアズール氏には量れない。
たとえばもう少し僕が器用だったら、もう少し逃げることへの後ろめたさがなければ。アズール氏にユニ魔を始末してもらう道もあったのかもしれない。まあ、たらればなんてないんですけども。
でもそうか。方向性としては極めて正しい。解釈違い、と思ったけれど、なかなかどうして、この子はしっかりと僕のことを見てくれているんだな。
それでもまだ納得いってない部分もあるんですが。
「でもなんでイソギンチャクにしてるわけ? アズール氏と契約したかもしんない。でも拙者ってわざわざ手下にする必要なくない? もともとアズール氏とは友好的な方だと思ってるし、そりゃ異端の天才を体よく使いたいのかもしれませんが、それだって結構君の言うこと聞いてあげてない?」
「それはそうですね。別にいまでもシステムのメンテとかしてくれてますし。」
「でしょ!? なにが悲しくてイソギンチャクにされなきゃいけないわけ? しかも陽キャのすくつ、モスラに待機させられてさあ! あの拙者のメンタル、完全に死んでるって!」
「巣窟です。……あ。でもそかもしれないです。」
「は?」
「イデアさん、どれだけ誘ってもモストロ・ラウンジにいらしてくださいませんし。来てもらうためにしたのかも……。」
「なにそれ。」
「だって、忙しいんですよ。あの僕はレオナさんに契約書を砂にされることもなかったですし、オンボロ寮を手に入れることもできたんです。二号店の出店だとか運営だとか、全然手が離せないに決まっています。部活にも来れないでしょうし、……こうしてあなたとゲームをすることもできない。」
アズール氏がなんでもないことのように口にする。ちょっと待って。それってさあ、つまり……。
「ぼ、僕とゲームしたくて……イソギンチャクに……?」
「だってそうでもしないとあなたモストロ・ラウンジに来てくれないでしょう。……それぐらいしか考えられないんですよね、あなたをイソギンチャクにする理由。」
それぐらいって! 全然『それぐらい』じゃないから! 自覚ないのかもしれないけど、君、相当すごいこと言ってるからね!?
だってさあ。だってそんなの、まるで僕を好きみたいじゃないか……!