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    コクメイ

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    コクメイ

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    剣盾 一人称視点

    Silence崇高な手。甚く静寂が突き刺さる、片隅の暗澹。朽ちる己が意思、意志、情動、欲望。
    ──そんなものはもう、関係ないことだと。
    そう決め、総てを諦めていたはずだったのに――それがどうだと言うのだろうか?

    こんなにも情けない有様で、ただ身勝手に。求めるだけの滑稽な私を。バテシバ様、貴女は嘲笑うのか。それともこの堕落しきった選択すらも見越しているのか。

    神とは、彼の人は、あの御方は。

    ――この選択が正しくなかったとしても、それを間違いだと断じる権利は私にはない。ただ受け入れるだけだ。それが最も大きな罪だとしても、我々のみが背負うものなら構わない。他の誰にもその咎を負わせる気などなかった。
    思索の淵に沿って、這い出でようとする。思考が、感情が、記憶が。私を雁字搦めにしていく。再び、底だ。

    月のように冷たい顔が私を見下ろし、また、微かに笑んだ気がした。

    その幻視を打ち消そうと頭を振る。その度に脳がぐらりと揺れて、また意識を奪われてしまうのだと感じる。ただ流されるように息を吸って吐いて――それを何度繰り返したのかすらも定かではないまま、私はやっとのことで目を覚ます。そんな夢を幾度となく眺めているような心地。
    幻視の中で幻視を見て、夢の中で夢を見る。多重の思索から脱しては、ふたたび違う夢に囚われる。

    その繰り返しの中で、私は何時だってバテシバ様のことを考えていた――あの方が何を思い、何を感じていたのか。
    あの御方の見せた一瞬の言葉の真意を探すように。ただその言葉だけを反芻している。

    「ね、」
    指先が伸びた。ロトのものだ。まだ目覚めきらない私の顔貌に向けて、彼は手を伸ばしている。
    「こっち」
    そのまま――私の髪に触れて、梳くように撫でてきた。その仕草はどこかぎこちない。まるで何かを躊躇うようでもあり、怯えているかのようにも思える。
    しかし、それでもその手の動きは確かに私へと向けられていたもので、彼の行為を咎めることなど出来ない。

    それは彼の癖であると思う。行為の最中にも見せる、私を窘めるようなもの。
    兄弟に対する感情に似た何かを込めた、ある種の愛敬の表れだった。気恥ずかしさと、仄かに芽吹くような懐かしさにも似た感覚を覚えながら――しかし私は彼の手を受け入れている。
    受け入れたかったのか、或いは拒絶したかったのかも分からないが、それでも私の身体が反応を返すことはない。

    「……ふ、」
    「んー。あ、また難しい顔してるね?」
    ゆっくりと目を細め――視線のテンションを緩め、微笑む。そのまま再び髪に触れ、何度か指を通しては梳いているようだった。私はその感触を黙って受け入れているしかない。彼が私に何かを求めてくるのだとしたら、それを拒絶する理由もなかった。
    「なに、考えてたの」
    ロトの声は柔らかい。それは普段と変わらない調子で紡がれた言葉だったが故に、私の胸中には違和感だけが残る。

    ――彼はいつもこんな風に笑う男だっただろうか?
    そんな、意味の無い問いかけばかりが浮かんだのだ。そしてそんな自問に対して、明確な解を返すことができない自分に対してもまた嫌気が差した。
    「……バテシバ様の事だ。お前であれば想像程度は出来るだろう」
    「あー、うん。まあね」
    そして、苦笑混じりの言葉で応じるものの、それ以上何かを語る事もなかった。
    ただ黙って私の髪に指を這わせているばかりである。まるで愛玩動物か何かを撫でているような雰囲気さえ感じたが、それでも彼の意図までは分からない。

    「俺も、そう。母さんのことばっかり、考えてるよ」
    「……」
    当然であったはずの事が、今ではそうではない。それだけが分かってしまっている。
    「バテシバ様のこと、か」
    噛み合わない言葉と、静寂だけが、私の脳を支配してやまない。

    「ね、母さんの話をしよう?」
    そう、提案される。まるで幼い子供が悪戯を企てるような声色だったが故に、その発言の意図が汲めずにいた。
    「……認識の共有か?」
    であれば、問い直すまでも無い事だ――そう言おうとして、しかしそれはロトによって阻まれる。彼は、静かに首を横に振って。そして私の髪を撫で続けながら言うのだ。
    「違うよ、ただ俺がそうしたいだけ」
    だから付き合ってほしいんだけど――続けられた言葉には強制力もなく、ただ淡々とした物言いでしかなかった。

    「――これは彼女に対する冒涜なのではないか、と」
    そう思っている――私はただ、そう口にしたかった。それは本心であり、そして同時に虚飾でもあるのだと思う。
    私は恐れているのだった。彼女に対する冒涜に、自分自身が成り果てることを。
    その神たる所以はあの御身そのものにあった。それを――彼女は、バテシバ様は。あの御方は。どう思っていると言うのだろう。

    「そうかもね」
    私の言葉に対して投げられた答えは、肯定でも否定でもないものだったが故に、一瞬ばかり混乱してしまう。ただロトは私の表情を見ていたのだろうか?
    「ああ。いや、そうじゃなくて――」
    そこで、言葉が一旦止まる。だがすぐに再開され、彼は再び話し始めた。どこか歯切れが悪く、そして迷いがあるような様子。彼らしくもない、と感じた。
    「……母さんの事を思い出してるから、なのかな。うまく……言えないや」
    そしてまた沈黙が訪れる。ロトの指は変わらずに動き続けている。私を甚く慈しむ手つきが痛く、苦しい。

    彼のこういった言動に対して、どう反応すればよいのかと迷うことが多くなったように思う。これもまた、私の心根自体が変わっていることの証左なのだろうか。
    「あの御方は私達の根源にして、絶対の象徴だった。神格は我らには無く――その在り方は尊ぶべきものだったと理解している」
    そう口にしながらも考えるのだ、どうして今なのだろうか、と。

    この身に、その絶対を裏切った心があるとする。それがもしも彼女に届くことがあれば――それを罰する権利を、誰が持つのか、などということを考える。何故、今なのか。
    考えるまでも無かったことだった。そんな、分かりきった事を――私は今更考えて、恐れているらしい。

    「そうだね――だけど、俺たちはそれを、」
    「……黙れ」
    ふと、口を衝いた。裏切りなど、あってはならない。罰されるべきは我らだけなのだと、それは疑いようもない事実で――そう思わなければならないのだ。
    そうでなくては、何の為に。

    「私達は、バテシバ様の願いの為だけに生きてきたと言える。それこそ、あの方が本当に神であったなら……私達はその手足として――」
    言葉を、紡ぐ。澱んだ思いと疑問を吐き出すように。思考する自分を信じるしかなかった。

    そう在れかしと願って生きてきたのに――今更になって揺らぐ心など無いのだと、信じたかったのかもしれない。
    だがそれでも、何故か喉が渇いて仕方がなかった。それは罪悪感などではない。私は、
    「うん、」
    私の言葉をじっと聞いていたロトが、口を開いた。そして――静かな声で言うのだ。

    「……あのね、俺さあ」
    ――もう自分が何考えてんのか……よく分からないんだよね。

    こんな行為で、事情で。
    生存に、拘泥するなど。

    「……そうか」
    淡々とした、しかしどこか縋るようなその一言は――今の私にとって、重々しいものだったのだろう。
    如何とも、しようがなかった。彼の唇が静かに動いた瞬間を見届けて、息を一つ吸い込む。

    その瞬間、ロトは私に口付けてきた――そしてすぐに離れて行く。ただそれだけのことで、私は彼の考えている事すらも分からないでいる。何もわからないまま、ただ茫然としていた。
    静寂が痛い。沈黙が甚く辛い。懲罰すら存在しない、冒涜の、罪だけが。
    「……ねえ、俺さ」
    ロトは独り言のように語り出す。その言葉は私の心情とは相反する程の明るさを内包しているように思えて、私は口を噤むしかなかった。

    それはきっと、贖罪なのだろう、と直感する。

    「ほんと、自分でも呆れるくらいに酷いやつみたいでさ。こんなにカイナンに優しくしたいって思ってるのに、急にぶち壊してやりたいとか思っちゃうし。ぐちゃぐちゃにしてやりたいって……変なのかな」

    否定も、肯定も、無かった。そのような感情すらもが、無駄だと直感していたというのに、しかし何かを言わずにはいられなかった。
    「思うだけなら、自由だろう」

    ――私がそう在り続けるように。

    私の言葉を聞いたロトは、静かに瞼を閉じて微笑んだ。
    「そっか。うん、そうだね」
    そしてまた沈黙が訪れた――今度こそは、私には彼を止める術がない。だからどうかこれが錯覚であればよいと願ったが、しかしそれは所詮逃避でしかないのだ。
    もう既に取り返しの付かないところまで来ているのだと自覚しながらも――どうしてそれを、今更。
    「なんかさぁ――」
    感じると同時に湧き上がる罪悪感の波に翻弄されながら、耳を閉ざすという選択肢すら、今の私には無いのだった。
    「俺、やっぱり。カイナンのこと、好きなのかもね」
    それはどこか諦めにも似た声色で――だから余計に、胸の奥底がざわめいた。私はただ黙って俯く他なかったのである。
    そして再び唇に触れた熱と、背中に回る腕の力強さに身を委ねるしかなかった。もうこれ以上は聞きたくもないというのに――それは私にとっての、罰になりうるのだろうか。

    「……好きにすれば、良い」

    それが捨て鉢の言葉なのか、或いは違うのかが私には判断できない。
    もう既に戻れない場所に来ているかもしれないという認識だけが、今の私を形作る全てだった。冒涜だけが在る。今、この瞬間も。
    ――全てが許されているような気さえもがする程度には。もういっそ。狂ってしまえたならば、良かったのかもしれない。

    「ごめんね」
    しかし彼の謝罪の真意が分かる訳もなく、瞼を閉じる他なかった。

    また、静寂が満ちた。明けの空の満月がもうすぐ消えようとしていて、ああ、朝が来るのだ、と私は考える。
    それと同時に――また、夜が来るのを待っていた。

    そんな逃避だけが在る。
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