シンデレラっぽいパロ「頼む!僕を女の子にして!」
僕の必死なお願いを耳にしたベリアルはぽかんと口を開けて、珍しくも不意を突かれた表情で僕を見つめた。
「…まさか村一番の好青年と名高いキミにそんな趣味があったとは…。…オーケイ、他でもないキミの頼みだ。お兄さんが手取り足取りじっくり教えてあげよう」
「…なんか誤解してない?」
了承の意を受け取ったはいいが、含みを持った返答を怪訝に思う。ベリアルは頭が良いが、同時にこちらの揚げ足取りも上手なことはここ数年の付き合いでとっくに分かりきったことだった。
これ以上揶揄われる前に詳細を伝えるため、先日家に届いた郵便物を思い浮かべた。そこにかかれていた内容を思い出す。
「ベリアルも知ってるだろ?今度のお城のパーティのことだよ」
村外れの僕の家にももれなく届いたソレは、どうやら若い娘がいる世帯全てに届けられているらしい。
なんでも、結婚適齢期を迎える第二王子の誕生日パーティで舞踏会が開かれるとか。
それだけではない。その舞踏会は貴族だけではなく、身分を問わずに首都近郊に住む結婚適齢期の女性は全て強制参加で、その中から王子のお眼鏡に叶った娘が婚約相手に選ばれるのだとか。
将来この国の王となる人の婚約者、つまりお妃様になる女性を、身分問わずに選ぶだなんて前代未聞のことで国中はその話題で持ちきりだった。招待状が届いていなくとも、情報通のベリアルのことだ、知っているだろう。
「ははぁ、キミも王子様のお眼鏡に叶いたいのかい?通りで村の娘が言い寄っても靡かない訳だ」
「だから、違うよ!」
人の話を最後まで聞け!と言わんばかりに家に届いたその招待状を投げつける。
難なく受け取ったベリアルはお城からの招待状をまるで扇子のごとくぞんざいに持ってピラピラと扇ぎ始めた。その招待状の表には達筆な字で『ジータ殿』と書かれている。
「王子のお眼鏡に叶うかどうかはどうでもいいんだ。問題は、招待状が届いた女性は強制参加ってところだよ!」
王様の命令は絶対だ。それは例え貴族であっても一般人であっても、農民であっても変わらない。
「ジータには好きな人がいるんだ。一方的に婚約者を決められるなんて、そんなところに行かせられない…」
「ああ、彼女、妙に人を惹きつけるものな」
僕の妹のジータはそれはそれは可愛くて、優しくて、愛嬌もあり、しっかり者で働き者で、彼女を知る人みんなから好かれる人格者だ。ベリアルの言うように不思議な魅力があるのは身内から見ても明らかで、このままパーティに出席すれば身分差などものともせず王子の目に留まる可能性は全くのゼロではないとさえ思える程だ。
それに、懸念事項はもう一つある。
大きな声では言えないが、ジータの好きな人は、山を越えた隣町に住んでいる、可憐な少女。
この国では珍しい、蒼く透き通った髪が魅力的な無垢で純情なとっても良い子。
その子の地域は対象から外れているから、二人が同時に今回の舞踏会に参加することはない。それはせめてもの救いなのかもしれなかった…何故なら二人一緒にいる所を見られたら、分かる人には雰囲気で気付かれてしまうだろうから。二人が『そういう意味で』想い合ってること。
同性で恋仲だとバレたら最後、どんな処遇が待っているのか想像に難くない。
過去に同性愛者に下された処罰を思い出すだけで身の毛がよだつ。この国の禁忌は決して犯してはならないと国民なら誰もが知っている。
ジータは芯の強い子だ。もし王子から求婚されても断るだろう。そしてその理由が追求された時、嘘偽りを述べれない程には真っ直ぐな性格をしている。
…兄として心配だ。
「僕は、ジータをパーティには行かせたくない。なんとかして僕が身代わりになりたいんだ」
「それで、女の子になりたい、と…」
「ベリアルならメイクとか変装とかそういうの、得意でしょ?頼むよ」
ベリアルは顎に手を置いて思案顔をした後、にやりといつもの胡散臭い笑みを浮かべて僕を見てきた。どんな言葉が返ってくるか想像も出来ずに、固唾を飲んで見守る。
「いいねぇ、面白そうだ。
何より、可愛い妹を想う兄の誠実なお願い、だろ?協力させて貰うよ」
想像していたよりもすんなり了承を貰えて、拍子抜けした。いや、でもこういう時のベリアルは何を考えているか読めないから、油断してはいけない。ぐっと拳を握りしめて再び身を固くする。
「キミ、ドレスは持ってるのか?」
「も、持ってない…」
「ふぅん」
値踏みするような視線を投げかけてくる。やっぱりきた。一番痛いところだが、しかしそれをなくして話が通る訳もない。つまり、どのくらいの労力が掛かって、どのくらいの対価があるのか、今まさに交渉されているのだ。
「…それも見繕ってくれる?一番シンプルなもので…」
「そうだなぁ。…コムギのパン、自家製野菜とハーブのサラダ、毒抜きマイコニドのソテー、バジリスクの卵のキッシュ、ウインドラビットのシチュー、グリフォン肉の丸焼き、ミード、リンゴのパイ…」
「うぐ」
ベリアルの長い指がひとつひとつ、食事のメニューを言う度に折られていく。これは、僕に対して『対価の提示』をしているのだとすぐに分かった。それにしても、毎日の食事をポリッジや野菜のシチューで済ませている僕たちからしたらとんでもなく高価な要求だ。
「…ファーさんの好物1週間分。こんなとこかな」
「1週間分!?」
※ ※ ※
両親のいない僕たちの生活は正直に言って貧しく、質素なものだった。村の人たちはみんな優しく親切だったが、首都近郊とはいえ町外れの小さな村ともなると自給自足が基本で、それぞれその日を暮らしていくことで精一杯、そんな生活水準だった。
例えば着るものひとつにしたって、破れたら手縫いで繕ってずっと同じ物を着る。新しい服なんてもう何年も買っていない。
年頃のジータに、可愛らしい町娘の服を着せてあげたいとはずっと思っていた。着飾れば誰もが振り向く別嬪になるだろう。
正直なところ、本人が嫌がってさえなければ、僕は兄としてジータが着飾って舞踏会に行くことは賛成だった。煌びやかなドレスを着て、お城を一見するだけでも一生に一度の機会だから。その為になら一生分の借金をしたってジータに似合うドレスを探しただろう。
…そう。お城の舞踏会に着ていくドレスや靴を用意することと比べたら、ベリアルの要求はまだなんとかなる。
野生動物の肉は自分で狩ってくればなんとかなるし、野菜やハーブも自前で作ったものがある。問題はコムギやリンゴなど、町に行かないと手に入らない高級食材だ。なんとか工面して用意する必要があるな、と帳簿を見ながら思った。
でも。
お城からの招待状が届いた時の、ジータの曇った顔。本当は行きたくないと、ひっそりと寝る前に漏らした本心。
いつだって明るく気丈に振る舞う妹の弱い部分を見て、なんとかしてあげたかった。
本当はベリアルに頼み事をするなんて出来れば避けたかったけど、例え悪魔と取引をしてでも、僕はジータの幸せを優先したいんだ。
そう思えば、1週間分のご馳走を用意することくらい、まだなんとでもなる。
「ただいまー!ねぇグラン、裏のおばさんからお野菜分けてもらっちゃった!今日はご馳走だね」
キィ、と建て付けの悪い扉が勢いよく開かれて、元気よくジータが帰ってきた。
おかえり、と帳簿を閉じて出迎える。現実的な問題は山積みだけど、ジータのこの明るい笑顔を見れば、僕はなんだって出来るような気がするんだ。
※ ※ ※
―――なんだって出来るとは言ったが、流石にこれは聞いてない。
「なんだよ、コレ!?」
目が覚めたら女の子になっていた。
…いやいやいや、まさか、そんな。
流石に、夢だよな?
頬を抓っても、ちゃんと痛い。
「ダメだろ?そんなにつねったら跡になる。折角の化粧が台無しじゃないか」
飄々としたベリアルの声に心配など一切含まれておらず、むしろ確実にこの状況を面白がっている。
僕はパニックになりながらも、早速ベリアルに頼み事をした自分自身に後悔を覚え始めていた。
舞踏会当日の朝、約束の時間よりもかなり早くベリアルが家にやってきた。
怪訝に思いながらも夜の舞踏会のことを考えて緊張していた僕は何も疑うことなく『これから準備するから、まぁまずはリラックスしてくれ』と渡された盃を無警戒に飲み干したのが運の尽きだ。
そこから先の記憶はない。
目が覚めたら既に僕の身体は全体的に丸みを帯びていて、胸も膨らんでいて、男性の象徴も消えていた。
「僕の身体に何をしたんだよ!?」
「オイオイ、今更何を言うんだ」
いつもよりも高くなった自分の声に慣れずに、ベリアルに詰め寄る。身長も低くなったのか、やけにベリアルが大きく感じられた。
「女の子にしてくれって言ったのはキミだろう?こっちはちゃあんと仕事をしたぜ」
「ぼっ僕は舞踏会に行ければそれで…っ」
ベリアルが僕の唇に人差し指を当てて、顔を寄せてきた。気色悪い、と思うよりも先に、内緒話をするように声のトーンと音量を下げて耳打ちしてくる。
「本気で言ってるのか?間違っても相手は王族、男だとバレた瞬間にその場で首が飛ぶ」
それはその通りかもしれないが…。でも、何千人もいる中でバレるだろうか。それこそ貴族のお嬢様方の方が煌びやかだろうし、派手だろうし、こんな農民は気にもされないのでは…。
「万が一キミの素性がバレたら、可愛い妹にも処罰が下るだろうなぁ」
「うぐぐ…」
「それに、俺たちに依頼してきた時点で、女装なんて中途半端をファーさんが許すと思うか?やるなら完璧に、があの御方のモットーさ」
「………これはルシファーの仕業なの」
ベリアルの言う『あの御方』もといファーさん、もとい、その名をルシファーという。
森に住む変人…本人は研究者って言っているけど、まぁ何をしているのか僕には分からない。分からないけれど、間違いなく彼は天才だ。
現に自分の性別が変わったことも、ルシファーの仕業だと言われれば納得せざるを得ないくらいには、彼が『そういう存在』であるということを理解していた。
彼を一言で表すなら、規格外。
何故そんな人物と知り合いなのかというと、ルシファーとの出会いは偶然で、普段は取りに行かない薬草をたまたま取りに行って、たまたま森で迷って、偶然行き倒れている彼を見つけたのがはじまり。
近くに小屋があったから運んで、介抱して食事を用意したことから縁が出来た。
どうやら僕のことをたまに食事を提供する召使いと思ってるらしく、(僕も催促に応えてしまうからいけないのだが)なんだかんだ今でも交流は続いている。
ルシファーがいつから森の中で生活しているかは知らないが、とてもそうは見えないほど外見は見目麗しく、身なりや振る舞いもどこか高貴さを感じられる、謎の多い人物だ。
彼に相談すればあらゆる問題は解決するし、出来ないことは何一つないだろうと思えるほど頼りになるが…勿論、対価や代償もそれなりにつく。天才の考えることは凡人には理解出来ないのだ。
今回も覚悟の上で頼んだのだから、こうなったら受け入れるしかない。
「…はぁ、分かったよ。確かに、こっちの方が都合がいいもんな。ありがとう」
「気に入ってくれたようで何より。
あぁ、ちなみに日付が変わる12時までにこっちの薬を飲まないと、キミはもう二度と男に戻れなくなるから、気をつけて」
「なんだよ、ソレ!?」
なんてもんを飲ませてくれたんだ。さっきからこれ見よがしに液体の入った小瓶をくるくる弄んでるなと思ってたけれど。万が一にも、落として割ったりしないよな…?
さっきのお礼を撤回したい気持ちだ。
だけどまぁ、実際僕は舞踏会に長居する気はない。招待状を持って参加したという事実さえ残せば、あとは理由をつけて途中退場するのは自由だろう。農民のひとりやふたり、慣れないお城に気圧されて体調が悪くなることだってあるさ。
そもそもダンスなんて踊れる訳がないんだから、舞踏会に僕が居ても邪魔なだけだろう。
この時まではそう思っていた。
※ ※ ※
ベリアルが用意してくれた馬車に乗って、単身お城へと向かう。馬車の手綱を握るサリィという男は怖い顔つきとは裏腹にあどけない性格をしてして、話しているといくらか緊張も解けた。
お城への移動手段を徒歩くらいにしか考えていなかった僕は素直に頭が下がる思いだ。
それにしても馬車まで用意出来るって、ベリアルは一体何者なんだろう。ルシファーの付人みたいなことをしていて一緒に森で暮らしてるかと思いきや、町で色々働いてる姿を見ることもあるし、かなり顔も広いみたい。
まぁ、あいつの素性を知ったところで、知らなきゃ良かったと後悔するのが目に見えているので深入りする気は全くないけど。
さて、段々お城に近付いてきた。
いつもは遠くから眺める風景の一部。神聖さを感じるお城の中枢は、近付くにつれて城壁に阻まれて見えなくなっていく。
今日は特別にこの立派な城壁の一部を開放して、門番が受付を行なっているらしい。門番に招待状を見せて、チェックをして、問題がなければ通る。
一世一代の大勝負だ。
ここでジータ本人でないとバレたら、人生終わりといっても過言ではない。
ぎゅっと拳を握りしめて覚悟を決める。
「…ダイジョーブ?」
「ありがとう、サリィ。ここからは僕一人で行けるよ」
あんまり近付いて目立つといけないので、門から少し離れたところで馬車を降りる。
「それより、帰りもお願いしていいの?」
「うん。帰りは、副官と一緒に待ってるよ」
楽しんできて、と不器用な笑顔で送り出してくれて、少しだけ勇気を貰えた。
ベリアルの知り合いと思えないくらい良い人だ。ベリアルまで迎えにきてくれるなんてとんでもない、そんな手間をかけずとも、元に戻る薬だけサリィに持たせてくれれば僕はそれで十分なのに。
さて。
改めて自分の姿を確認する。
いつもは無造作なくせっ毛も、今日は綺麗に整えられてパーティに相応しいショートヘアになっていた。顔はベリアルが施した化粧で、それなりに血色良く見えるだろう。
青を基調としたシンプルだけど立派なドレスを見に纏い、側から見ればそれはもう完璧な女の子………。
(大丈夫だ。お城の人間は農民一人一人の顔なんて覚えてないさ。僕がジータの招待状を持って入ったとしてもバレやしない…)
一歩一歩、慎重に門に近付く。色とりどりのドレスが花々のように整列しているのが見えてくる。すごい行列だ。自分もあの中に紛れてしまえば大丈夫だ。
一歩が重たくなる。
それにしても、歩きにくすぎる。
僕がヒールに慣れていないだけかと思ったけど、やっぱりこれ、靴としてどうなんだろう。
最初、用意されたこの靴を見た時は目を見張った。ガラス製の靴なんて高級品(それも透き通ったガラスだ)はじめて見たし、光を反射してキラキラ輝くその様は、一生かけてもただの農民がお目にかかれない物だと思った。履くのを躊躇う程どうしようかと慌てていたところに「本当の気品ってのはドレスじゃなくて靴で決まるもんだ」とうまくのせられて履いてみたが、今ようやく分かった。これは観賞用の贅沢品であって実用品じゃない、絶対。
ベリアルの意地悪な笑顔が容易に思い浮かんだ。こんな高級品をわざわざ用意したのは何故だろうと思ってたけど、これはただの嫌がらせに違いない。土踏まずの部分に伸縮性がない靴なんて、機能的に問題がある。どうしたって歩き方もぎこちなく見えてしまう。まぁ、こんなに人がいるんじゃ、多少歩き方が変であっても誰にも見られないだろうけど…。
そんなことを考えながら列に並んでいたらとうとう順番が回ってきて、心臓が張り裂けそうになっていたが、それは一瞬で終わり、驚くほど順調に通して貰えた。
ひとまず息を吐いて、一安心する。
今日一番の難関を乗り越えた!後は舞踏会に顔を出して、ちょうどキリの良いところで適当に切り上げればいい。
もしも軽食や食べ物が出てきたら、ジータにお土産に持って帰りたい。サリィにも分けてあげれるだろうか。
※ ※ ※
―――どうして、こんな事に…。
シミひとつない真っ白な壁。過度すぎない品のある装飾、そして豪華絢爛な調度品。
お城の中のとある客室にて、いまだかつて座ったことのないふかふかの椅子の上で、僕は身を縮こませて震えていた。さっきから止まらない冷や汗で椅子を汚してしまわないか等、余計な事を考えていないと胸から込み上げてくる吐き気を誤魔化せそうにない。
ここは自分の家とは何もかもが違いすぎて、夢の中にいるのではないかと錯覚しかける。
そのまま錯綜して何もかも忘れて、この空間を楽しむという選択もあるのかもしれないが、目の前にいる人物がどうしてもそれを妨げていた。
作り物のように端麗な顔立ち、清楚そのものを表すような色素の薄い髪。白を基調としたシンプルな正装は彼の美貌を際立たせていた。ただ座っているだけなのにそれすら様になるプロポーション。
天司の写身と言われたら納得してしまいそうなその御方は、本日の舞踏会の主役であり、カナン王国の誰もが知る第二王子・ルシフェル様だ。
客室には彼と、彼の従者と、僕の三人のみ。
ルシフェル様は柔和に微笑み、僕の言葉を待っている。圧倒的な美の前では、無言も圧力になるのだと痛感して、それでも尚僕は続きの言葉を紡げずにいた。
お城の門をくぐる時の緊張など比ではない。今すぐにでも叫んで逃げ出したい…。
本来なら今頃王子様は舞踏会に出て婚約相手を探し、僕はサリィの馬車に乗って家路へと向かっているはずなのに…。
何故こんなことになったかというと―――
舞踏会の会場である大広間に入るまでにもすごい行列が出来ていて、僕は慣れない靴で既に足が痛くなっていた。そしていざ、会場に入ってみると、色とりどりの可憐だった花々はその形相を変えて、我先に獲物を喰わんとする食虫植物へと変貌していたので僕は仮病を使わずともすっかり具合が悪くなり、早々にその場から退散した。いくら見目麗しくとも、競争心に駆られた女性達は恐ろしい。
大広間から回廊に出て、御手洗いへ向かう。女性用の厠を使うことに気が引けるよりも、胸から込み上げてくる気持ち悪さの方が優っていた。人混みに酔ったのと疲労と気疲れが一気に襲ってきたのだろう、今は静かな場所で休んでいたかった。
しばらく休んで、なんとか気分も落ち着いた頃には随分日が傾いていた。大広間から微かに聞こえる優雅な音楽と温かな光はどこか幻想的だったが、足はそちらに向かなかった。
そこでは今頃、たくさんの女性が王子様に見つけてもらえるように踊っているんだろう。
僕には分かる、その中には家族の期待を一心に受けて送り出された貧しい家の娘さん達がいることを。王子様に見初められたら、人生が一転する、今回限りの大チャンスだ。
多額の借金をしてでも全身を過度に着飾って、王子様に選んで貰う為に手を尽くした家庭もあっただろう。或いは、王子様は無理でも来賓の貴族の男性陣とお近付きになれれば大出世だ。
けれど現実は無常だ。一般人や農民がどれほど頑張って着飾っても、本物の貴族の女性たちの前ではどうしたって見劣りしてしまう。
贅を尽くした豪華なドレスだけじゃない、パーティの作法も、上級貴族らしい女性の振る舞い方も、場慣れした堂々たる態度も、全てが美しく、その場にいた男性たちの目を引いた。身分差は圧倒的に、夢見る一般人や農民のハンディキャップとなっていた。
仮にこの場にジータが来ていたとして、この人数では王子様の目につくことなどなかったかもしれない。けれど今は別の意味で、妹をこの場に連れてこなくて良かったと思っていた。世界の不条理の一片を目の当たりにした気分だったから。
そんなことを考えながら、舞踏会をお暇しようと回廊を外れて中庭に出る…違うんだ、中庭じゃなくて門に向かいたいのに。
あれ、ヤバい。迷った?足も痛いのに。
焦れば焦るほどにどんどん庭の生垣が迷路めいてくる。
方向感覚はある方だ。だけれども丁寧に作り込まれた庭は思ったように進めずに、城壁に向かっているはずなのにどんどん木々が茂っていく。そうこうしている内に黄昏の空もだんだんと紺に染まりかけていく。ヤバい、こんな灯りのない庭園で迷ったら洒落にならないぞ。
それに、予定よりもかなり長居してしまった。ここから城壁まで辿り着くのにどれくらいかかるだろうか…。
一旦、大広間に戻った方が早い?いや、結構な時間のロスになる。
門限を思い出して冷や汗が垂れた。
全く、なんて物を飲ませてくれたんだろうか。ジータをここに来させる訳にはいかなかったから、僕を女の子にしてくれたことには感謝する。でも12時までに別の薬を飲まないと一生元に戻れないなんて。
そもそもその薬を持たせてくれれば良かったのに…いや、懐から怪しげな薬が出てきたら流石に兵に捕まっちゃうか。それなら、別の方法はなかったんだろうか。
ルシファーは天才だけど、やっぱり何を考えているか分からないや。
そんなことを考えていたからなのか。
突然開けた視界、庭の端にひとつだけあるランプに照らされた古びたブランコ、そしてそこに座る人物。
ランプの心許ない光にぼんやりと照らされてキラキラと輝く銀色の髪、表情なくどこか虚空を見つめている整った顔。
ふと視界に入った予想外の光景に、疲労で碌に働かなくなっていた頭は思考を放棄して、そのまま声が出てしまった。
「ルシファー!?なんでこんなところに居るんだよ!」
…0.5秒後には自分の発言を激しく後悔した。
何故なら、ブランコに座る男性は僕の声に驚いた顔をして、こっちを見てきたから。
断言するけどルシファーは絶対にこんな表情をしない!
「君は、一体―――」
ヤバいヤバいヤバい!
街でも滅多に見かけない髪色だからてっきり思い込んでしまった。かなり暗くなってきたから、見間違えてしまったか?
ここに居る男性ということは、王族の関係者か今日の舞踏会に来賓として呼ばれた貴族の方だ。そんな御人に無礼を働いただなんて、どんな仕打ちが待っているか分からない。
先程までとは違う種類の冷や汗が止まらない。すぐに頭を下げる。
「すっすみません!人違いでし―――」
「…ルシファーは数年前に家を出てしまった私の兄だ。君は『友』…いや、彼を知っているのか?」
思いもよらない言葉が返ってきて混乱する。あと、声がルシファーそっくりなのに口調が全く違うので更に混乱する。
兄?
ということは、ルシファーは元貴族!?
「えっと……僕の知り合いに高貴な身分の御方はいません…。彼は、確かに頭は良いけれど、口調も立ち振る舞いもぶっきらぼうで…だから人違いです」
これは本心だ。
確かにルシファーの仕草からは高貴さが垣間見られるし、最初の頃はお忍びの貴族を疑ったけれど、中身を知った今ならその思想は全く貴族のソレじゃないとわかる。付き人っぽいのはいるけどベリアルは趣味でやってるしな…。
だけども目の前の人物はそんな僕の言葉を聞くや否や、意外にもにこりと笑った。
「君はその人物にとても詳しいようだ。是非とも話を聞かせてほしい」
まずい、完全に疑われている。口元は微笑んでいるが、何を考えているのか読めない表情に不安になる。この人と話している時間はない。なんとかしてこの場から立ち去らないと…。
「ぶ、舞踏会に、戻らないと…」
なるべく不自然にならないように後退って距離を取る。このまま振り向いて駆け出してしまおうか、と思ったところで。
「ルシフェル様!こんなところにいらしたのですか」
僕の背後から大きな声が聞こえてきたのでビックリしながら振り返ると、鳶色の髪の青年が息を切らして走ってきた。
え?今、この人が言った名前って―――
「サンダルフォン、ちょうど良かった。このお嬢さんと話をしたいのだが、客室を使えないだろうか」
サンダルフォンと呼ばれた青年がその赤い目を丸くした。お互いに話についていけずに「は?」「え?」と思わず顔を見合わせてしまったが、正気に戻るのはサンダルフォンの方が早かったようだ。
「畏まりました、今すぐ部屋の用意を」
「ちょ、ちょっと、待―――」
サンダルフォンが僕の顔をじっと見てきたので、僕は言葉に詰まる。シュッとした輪郭、切れ長の目。美しい貌だけど、その目付きに気圧された。
鋭い視線はそのままに、ニコリと笑顔が象られた。
「…舞踏会でルシフェル様に見初められた世界一の果報者は君か。
生涯に一度の幸運と、この世の森羅万象に感謝するといい」
告げられた言葉に、僕は全身から血の気が引いた。貴族なんて比じゃない、僕はなんて人に話しかけてしまったんだろうか…。
ふわふわ過ぎる椅子は座った心地がしなくて、ふわふわすぎる絨毯も踏んだ心地がしなくて、まさに地に足がつかない状態だった。
ちょっと話をする程度にしては立派すぎる客室に連れてこられてから、僕はずっと弁明を繰り返しているのだが、ルシフェル様は微笑みを浮かべるだけで解放してくれなかった。これじゃあまるで詰問だ。
とはいえ僕は本当にルシファーのことはよく知らない。尊大な態度で食事をせびってくる森に住む天才、としか。仮に本当に家出したという第一王子だったらこんなことルシフェル様の前では口が裂けても言えないし、またそうでなかったとしても、ルシファーにどんな事情があったのかわからないので不用意に話すべきではないと思った。下手に話して僕の素性がバレるのも避けたい。
「すみません、本当に、その御方について僕がお話出来ることはもう、ありません…。
なので、あの、そろそろ舞踏会に戻られた方が………」
ルシフェル様の後ろに立つサンダルフォンの目付きがますます厳しくなっていく。そりゃそうだろう、今の僕は自他共に認める不審者だ。
『せっかくルシフェル様にお声を掛けて頂いたのに、何を言ってるんだお前は』…視線がそう訴えている。僕も逆の立場だったならきっとそう思っただろう。ていうか、今でも十分に失礼すぎるかな、もう緊張で常識が飛んでしまってまともに考えられない…。
「そうか。誤解をさせてしまったようだ」
ルシファーを100倍くらい穏やかにしたようなルシフェル様のお声からは、僕の態度など全く気にしていないように感じられた。
「私は、兄に友人ができた事実を嬉しく思う。あの気難しい兄と交友関係にある君のことを、もっと知りたいのだ」
交友関係っていえるのかな。向こうは僕のこと召使にしか思っていなさそうだけど…。
「それに私自身、短い間だが君と話していてその謙虚さを好ましく思っている」
ギクリ。僕に興味を持たれても、それこそ何も答えられない。まさかそのルシファーに怪しい薬を貰って女になったジータの兄、なんて本当のことが言える訳がない。どうしよう。この場を切り抜ける方法がないか頭を捻ることに集中しすぎて、気がついたら目の前にルシフェル様がやってきていた。明るい部屋で、こんなに近くで御尊顔を拝んでしまったら、男の僕でもドキッとしてしまう。…緊張と恐怖のドキドキの方が強いけれど。
「…将来の私の伴侶には、家族として兄とも仲良くしてほしい。君なら、私の一族も歓迎するだろう」
ルシフェル様の動作は全てが優雅で流れるように自然だったのでその違和感に気付くのが遅れた。
僕の横に跪いて、両手で恭しく僕の手を取る。
「今宵の私のお相手に、君を選ばせて貰えないだろうか」
―――ヱ゛ッッッッ!!!!!
今夜の舞踏会はこの国の第二王子の婚約相手を選ぶパーティで、その王子様の相手に選ばれたということは…僕が王子の婚約者!?
僕は本当は男で!本来ならこの舞踏会に参加してはいけない人間で、素性を偽ってここにいるのであって…って、こんなことがバレたら打首だよ!
もし、このまま誘いを受け入れたら…僕は男に戻れなくなって…素性を明かせないから、もう二度とジータにも会えない…。
そんなのは嫌だ!
何より、今この場で王子様と居ることが何かの間違いなのだ。今日この日を待ち望んだ全ての国民に対して申し訳なさすぎる。罪悪感に押し潰されて涙が出てきた。かろうじてその一粒を流さずに堪え、僕は世界一情けない声で震えながら懇願した。
「お願いします、、、トイレに行かせて下さいぃ…」
後ろのサンダルフォンがものすごい顔をしていた。
※ ※ ※
やってられるかー!!!
もうなりふり構っていられない、こうなったら僕は逆賊の限りを尽くしてやる!
ひたすら廊下を走る、走る、走る!
トイレまで案内してくれた下女の目を盗んで僕はお城からの脱出を試みていた。
流石に王子様自らに厠の案内はさせないだろうと思ったが、その通りだ。あの鋭い目つきの従者が付いてきたらどうしようと思ったけれど、王子様を一人にする訳にはいかないからなのか、案内人が別の人で助かった…!
それにしてもルシフェル様、本当に穏やかな人だな…僕の不敬極まりない発言にも「それは気付かずに申し訳なかった」と気の毒そうにしてくれていたので、もう申し訳なさで胸が一杯だ。本来なら、彼のことを好きになってくれる素晴らしい女性を舞踏会で見つけるはずだったのに、僕のせいで時間を無駄にさせてしまった。
とはいえ、ルシフェル様は自分の伴侶を選ぶのだというのに家族のことばかり口にしていたような…。やっぱり、王族にもなると制約も多くて、自由に恋愛も出来ないんだろうな。
お城の生活はやっぱり窮屈なのかな。どうしてもルシファーには似合わなさすぎて、第一王子のイメージと結びつかない。逆に、だから嫌気がさして家出した、とか。
…というか、本当にルシファーが家出した第一王子なら、僕は完全に巻き込まれ損だよな?お城に行くって分かってたんだから、説明くらいしておいて欲しかった。それならお城で瓜二つの顔を見てもウッカリ声なんてかけなかっただろう。
薬を頼んだのは僕だと分かっていても、どうしてもこの状況を八つ当たりしたかった。ルシファーに会ったら一発殴ってやりたい…と、思ったけどこの国の王子様と一緒の顔なんて殴れないな…。
そんなことよりも、まずはここから逃げなきゃ。連れて来られた時の道順を思い出して、外に出るルートを思い描く。とはいえ、来た時とは違って僕は第二王子の誘いを断った挙句逃亡してる逆賊だ。お城の人に見つかったらすぐに捕らえられてしまうだろう。
でも、門さえくぐってしまえば。
僕の名前は知られていない。男の姿に戻れば、ここにいる僕はもういない。そのあとどれほど町や村を捜索されたって見つかることはない。招待状を参照されたって、この日ここに来たのはジータで、王子様とは会っていないことになるのだから。
誰にも見つからずに、12時までに門まで辿り着く…ここまで来たら、やるしかない!
廊下にも敷き詰められた絨毯のお陰で足音が消せるのは有り難い。そしてまさか王子様から逃げてる女性がいるなんて誰も思わないだろう、人と会ってもなんとかやり過ごせているが、これも時間の問題だ―――
バァァンッ!
「あの不敬者め!どこに行った!」
凄まじい音とサンダルフォンの怒声が響いてきた。ドアを蹴り破ったとしか思えない轟音は、この閑静な廊下に壮大に響き渡る。
―――ヤバイヤバイヤバイ!思ったよりも早い!
「ルシフェル様に叛いた不届者がいる!見つけ次第捕らえろ!」
こうなってしまっては兵達に見つかるのも時間の問題だ。何よりあのサンダルフォンという従者、ひとつひとつの動作から推察するに身のこなしが常人じゃない。見つからったら逃げるのは至難の業だろう。
僕は意を決して、靴を脱いで素足になる。そしてその靴を両手にはめる。
格闘武器:ガラスの靴
「うおおおおーーー!」
こうなったらガラス製というのは心強い。今や僕の両手は完全なる攻防一体の武器だ。両手を前に構えて、裸足で思い切り駆け抜ける。
目の前に人が現れても、ヒールのある両手を突き出して突進すれば大抵の人は怯んでくれるので、その合間をぬくのは容易いことだ。
鎧を着た兵であっても数人なら対処できる。
「そこか!」
後ろからサンダルフォンの鋭い声が聞こえてきて、僕は咄嗟に振り返った。姿を捕捉すると同時に容赦なく剣が投擲されたのを見て、反射的に飛び退く。
だけどそれはおそらく僕を狙ったものではなくて、僕のドレスの裾を正確に捉えて床に縫い止められた。足止めのための投擲とはいえかなり緻密なコントロールだ。
僕は一切の躊躇いもなくドレスの裾を破って拘束から逃れる。裾が邪魔になっていた分、短くなったことでだいぶ動きやすくなった。
とはいえその一瞬で詰められた差はかなり痛い。なんとかしなくてはと、僕はサンダルフォンに剣を投げ返した。
「小癪な…ッ!」
サンダルフォンは僕の動作に一瞬目を見開いたが、走る速度は落とさずに体勢もそのままで正確に剣の柄をキャッチした。少しだけ時間を稼ぎたかったが、そんなに甘くなかったようだ。結果的にかなり差を詰められてしまった。
このまま直線距離を逃げていてはすぐに捕まる…!
近くにあった扉を開けて部屋の中に入り、ガラス製の窓目掛けて突っ込んだ!
―――僕のガラスの靴とお城の窓、どちらが強いかな?!
ガシャーーーン!!!!!!
ベリアルが用意した怪しげな代物に勝てると思うなよ!…自分でも何を言ってるかわからない、とりあえず、窓ガラス代の弁償も全てこの姿と共に消えてほしい、そんな願いを抱きながら、割れた窓から僕は外へ逃げる!
「貴様…ッ!」
もちろんサンダルフォンも追ってくる。ただし外は灯りがないので、お城の中の鬼ごっこと比べればまだこちらにも分がある。
地の利はあちらにあるとはいえ、庭を抜けて茂みの中に隠れられればひとまずは凌げるだろう。
土の上を裸足で走ることなど造作もない。何よりここは整備されたお城の庭だ、細かい石や砕けた岩の破片もないので、足裏を怪我する心配も無い。家の裏の山と比べたら動き易いし走り易い…最も、ただの町娘だったら地面に足を取られてすぐに動けなくなるだろう。
例えば山に生息するウルフリーダーは鼻も効くし音にも敏感、何より賢いので無造作に森を駆けていたらすぐに群れに囲まれてしまう。森の中は基本的に隠密行動が鉄則だ。
逃げながら自分の痕跡を隠すことには多少慣れている。サンダルフォンが僕のことをただの町娘だと侮ってくれたら、撒けるのだけど…。
流石に剣の投擲には驚いたみたいだったけど、思ったより足止めにならなかった。如何なる状況であれ瞬時に状況を判断できる優秀な従者なんだろうな。
僕だって剣の扱いには覚えがある。狩りだって伊達に行なってない。
それは、とある狩の日のこと。
―――翼の生えた蜥蜴の、鋭い爪が襲い掛かる。
上空から急降下する相手のスピードと風圧は、まともに受ければたちまち吹き飛ばされて体勢を崩し、爪の餌食になるだろう。
岩陰に身を隠しながら風を凌ぐ。この強風では弓矢は届きそうに無い。とすれば相手がこちらを狙って降りて来た時に剣で迎え撃つしか無い。とはいえ、全身硬い鱗に覆われており、生半可な打撃では有効打にならない。
まずはその飛行能力をなんとかするため、狙うのは翼の付け根だった。
岩に隠れてばかりでは、その隙はつけない。
再び空高く舞い上がり旋回するその姿を見て、誘うかのように思い切って岩陰から飛び出した。狙った通りに相手が降りてくる。
風圧が襲い掛かる。ものすごいGに体がバラバラになりそうだ。
それでも握り慣れた剣から手を離すことはなく、逆に力を込めて、吹き荒れる強風の中、眼球が乾き切る寸前まで視力を全開にして見極める―――ここだ!
ザシュ…ッ!
甲高い雄叫びをあげながら、その巨体が地面へ墜落する。翼を折ったがまだトドメは刺していない。むしろ手負いの状態で激しく動き回り、近づくことさえ困難だ。
しかし、ここで長引かせてはこちらがリスクを負うだけだ。岩に飛び乗り、蜥蜴の目を狙う。
一歩間違えたら鋭い牙に切り裂かれてしまうところを、慎重に頭に飛び乗った。そのまま目に剣を突き立てる!
耳をつんざくような断末魔と、最期の悪足掻きに怯みそうになるが、角のように尖った鱗にしがみついてなんとか振り落とされるのを耐えた。目から剣を引き抜き、全体重をかけて眉間へ突き刺す。今度こそトドメとなり、暴れていた巨体は動かなくなり、宙に浮いていた翼や足はゆっくりと地面に落ちた。
重量が鈍い音を立てて、周囲に砂埃が舞い上がる。激しく動き回った余韻の空気はまだ微かに振動しており、しばらく落ち着くのを待った。
砂埃が晴れてくるや否や、こちらに近づいてくる人影があるのに気付く。
「―――単独でワイバーンを倒すか」
蜥蜴の息の根が止まったことを確認して一息ついてると、白いローブを靡かせてルシファーがやってきた。
埃ひとつ付いていない彼の姿は、巨大な蜥蜴の血で汚れた僕とは正反対だ。
「著しい劣化種とはいえ腐っても神の系譜である翼竜を斃すとはな。貴様はドラゴンナイツだったか?」
「ドラゴンナイツって、あの、海を越えた国に居るっていう噂の騎士様のこと!?」
剣を抜いて、血を振り落としてから鞘にしまいルシファーの元へ駆け付ける。思いがけず出てきた憧れのドラゴンナイツという単語に、詳しく聞けるかもしれないとすこし期待した。
「ルシファーって、ドラゴンナイツを知ってるの?」
当然のように僕の質問は無視された。
話しかけておいてなんだよと思わなくもないが、いちいちそんなことを気にしていたらルシファーの相手は務まらない。期待に膨らんだ気持ちはしおしおと萎んだが気を取り直す。
「まぁでも、僕が倒したのはドラゴンじゃなくてただの蜥蜴だよ。空飛ぶ奴ははじめて見たけど」
「そうか」
それだけ言って、視線は倒れた巨体から逸らさなかった。見慣れない個体だから、ルシファーの興味を引いたのだろうか。あるいはどこかの部位を実験に使うのかもしれない。
「…お前がいつも連れているあの赤い蜥蜴も処分対象か」
「ビィは友達だ!そんなことしないよ」
「そうか」
抑揚のない声で端的に返答される。ルシファーと会うのはこれで片手で数えられるくらいの回数だが、今日はいつもより喋ってる気がする。
「神に叛逆したかと思えば、神と共に在る―――
…お前への認識を改めよう」
ルシファーが珍しく僕の顔を見て話しかけてきた。言っている意味が全く分からないけれど、明確に僕に話しかけているのが分かるので僕もルシファーに向かい合う。相変わらず、見惚れるくらいに美しい貌をしている。
「利用価値があると判断した」
「は、はぁ…?」
言うだけ言って、それっきり黙って帰ってしまった。思えば、それからベリアルと知り合って、たまに呼び出されるようになったんだっけ?
あの時の狩りとは全く別の緊張感がある追いかけっこだ。しかしうまく撒けたのか、追手の足音が聞こえない。ということは、サンダルフォンは単独で僕を追いかけるのをやめて、兵達を集めることに専念したようだ。切り替えの判断が早い。人海戦術でこられたら、いくら茂みに身を隠そうと見つかるのは時間の問題だろう。
人が集まってくる前に、そして城門を閉められる前になんとか門まで辿り着かないと。
自分で言うのもなんだが、田舎育ち山育ち、方向感覚はあるほうだ。さっきは本調子じゃなかったのと、お城の庭の造りを想像出来ずに生垣の迷路に迷ってしまったけれど、同じ過ちは二度犯さない。
大広間と客室の位置はだいたい分かったので、自分が今いる場所から入ってきた城門までのルートは把握している。
お城の周りは360度、同心円状の城壁に囲まれていて、東西南北の4カ所に門がある。僕が入ってきた門が正面門で、もっとも利用頻度が高い門といえる。
ただし、真っ先に押さえられるのはその城門だろう。人の出入りが多いということは、見張りも多いと言うこと。まして今日はいつも以上に人の出入りが多いため、警備も厳重だ。
仮に正門を施錠した場合、まだ大広間には舞踏会に来た客人が多く残っている。その人たちの為に別の門を開ける可能性があるならば、そちらを狙うのが順当だろうが…舞踏会に来た人たちを巻き込む可能性も高い。
となると、使用人達の出入りも多い裏門がいいだろうか。例え門を閉められても、そこなら人が通れる通用口があるはずだ。
ただし多くの使用人が使っているので、城の人間に見つかるリスクは最も高いだろう。例えば僕が悪人だったら下女を人質に取って強行突破も出来たかもしれないけどそんなことは出来ない。
残るは行軍が行われる西門だが…ここから一番遠い上に、行くまでには人目につくルートを何度も横切ることになる。ただ、使われる回数は少ないのと、兵は今、僕を探す為に集められているから、そっち側は手薄になっているだろう。あと、サリィの馬車が停まっている場所に一番近いのが西門だ。
ルートが分かり易いが厳重警戒な正門。
一番近くて緊急事用に開けられる東門。
使用人に見つかり易く複雑な道の裏門。
高リスクだけど迎えの馬車に近い西門。
…さて、どうする!?
―――
※ルート分岐※
①サンダルフォンに捕まる→折檻ハードプレイの監禁BAD END
②ルシフェルに見つかる→お飾りの王妃として政治に利用され、お城で軟禁END
③ベリアルorルシファーと合流→家に帰れるけど男体には戻してもらえずファーさんのお嫁さんEND
④異常に気付いて駆けつけたジータと奇跡的に会える→男に戻れてみんなと和解HAPPY END
世界観の補足画像も上にアップしておきます