無題 スマホが鳴る。
それは、冬弥からの着信だった。
皆でWEEKEND GARAGEに集まり、朝から練習をするはずだった休日。冬弥は、急用のため送れて参加することとなっていた。
おおよそ、用事が済み、これから参加の連絡だろうと電話に出る。まもなく昼休憩なので、タイミング的にもちょうど良い。
「お疲れ、冬弥。」
『彰人の方が疲れているだろう。遅れてすまない。用事が終わったから、これからそちらへ向かう。一〇分ほどで合流出来ると思う。』
案の定、予想通りの答えが返ってきた。つくづく真面目なやつだと思う。
ここ最近は、夜もまともに眠れないほど作曲に打ち込み、ただでさえ疲れているだろうに、オレの心配してる場合じゃねぇだろ、と、心の中でツッコミをいれる。
「わかった、気をつけてこいよ。」
『ありがとう。そういえば…ん?』
「なんだ? どうし――…」
ガサガサッ…ザザッ…ドンッ! カシャンッ!
耳慣れない雑音と、それに続いて聞こえ続ける周囲のざわめき。
明らかに、おかしい。
「おい、冬弥? どうした、冬弥? …冬弥!」
次第に語気が荒くなる。しかし、電話の向こうから声が聞こえない。
ざわめきに集中すると、断片的だが言葉が聞こえてきた…。
悲鳴の中で、はっきり聞こえた言葉。
『男の子が、通り魔に刺された』
それが聞こえた瞬間、店を飛び出し、冬弥がいるであろう場所へと全力で走った。
***
「よし、終わったな。」
冬弥は、母親からの頼まれ事も一段落したので、WEEKEND GARAGEへ向かうことにした。ちょうど交差点の信号待ちに差し掛かったので、これから向かうことを伝えようと、電話を手に取った。
三コールが鳴るか鳴らないかのうちに、電話口からは彰人の声が聞こえた。
『お疲れ、冬弥。』
「彰人の方が疲れているだろう。遅れてすまない。用事が終わったから、これからそちらへ向かう。一〇分ほどで合流出来ると思う。」
さっきまで練習をし、今は休憩中だろうか。用事をすませていただけの自分へこれ程気遣いしてくれるとは、と、冬弥は暖かい気持ちになった。
彰人は、いつも俺の事を気にかけてくれている。申し訳ない気持ちもある反面、親身に心配してくれる人があまり身近にいなかったので、嬉しくもある。そこに甘えてしまう自分もあることに、我ながら呆れてしまう。
『わかった、気をつけてこいよ。』
「ありがとう。そういえば…ん?」
遠くから、悲鳴が聞こえる。そういえば、少しざわつき始めている。交通事故でも起きたのかと、邪魔にならないよう離れようと方向転換をした矢先――。
脇を、至近距離でぶつかりながら通りすぎる男がいた。強めの体当たりによろめいて倒れ、スマホを落としてしまった。
『なんだ? どうし――…』
スマホから、彰人の声がうっすら聞こえた気がするが、落ちたスマホは遠のいてしまい、会話も出来ない。
「あき…と…。」
倒れた瞬間、脇腹から滔々と血が溢れているのに気がついた。脇腹が熱い。痛い。血が止まらない。救急車、呼ばなきゃ、なんで、ちが、とまらな、い、いたい、いたい、あきと、あき、と…。
ざわつく周辺に、通り魔事件に巻き込まれたのだということを、うっすら認識した。
近くにいた人が、止血してくれている。応急処置を受けながら、朦朧とする意識の中、周囲を見渡す。
自分と同じように刺された人達が、通りすがりの人達の手により応急措置を受けていた。犯人とおぼしき人物は、遠くで拘束され、動けなくなっているようだ。
よかった…これで、もう被害者が増える事はない…。
あれから何分たっただろう。三〇分にも一時間にも感じる時間の中、痛みと出血により、朦朧としていた意識はとうとう途切れる。その瞬間、見慣れたオレンジが目に写ったような気がした…。
***
がむしゃらに走って、冬弥がいるであろう場所にたどり着いた時、そこには惨状が広がっていた。血塗れで動けなくなっている人が、複数人いた。
そして、その中に、見覚えのあるツートーンの頭を見つけ、一気に背筋が凍る。
「冬弥!!」
駆けつけたときには意識はなく、血塗れの上半身とは対称的に肌は青白くなり、ぐったりとしていた。このまま、死んでしまうのではないかとあらぬ想像ばかり過り、だんだんと呼吸がおかしくなる。
冬弥の応急処置をしてくれていた人が何か言っている。お礼しないと、でもまだ助かったかわからない、でも今は生きてる、今は…明日は?
頭が混乱している。息ができない。上手く吐き出すことが出来ず、喉からはおかしな音が出る。まずい、このままでは。
「彰人! 落ち着け!」
後ろから聞き慣れた声が聞こえ、驚いて振り返ると、そこには謙さんがいた。どうやら、ただ事とは思えないような形相で飛び出した彰人を心配し、追いかけてきてくれたようだった。
謙さんに背中をさすってもらい、ようやく落ち着きを取り戻した。
その後、到着した救急車には、知り合いだからと言うことで乗せてもらい、病院へ向かった。
***
冬弥は、病院についたと同時に手術室へと連れていかれた。
生憎、冬弥の両親は海外ツアー中のためすぐに駆けつけることが出来ず、見内枠として司先輩へ連絡して来てもらうこととなった。
会話はなされることはなく、オレと謙さん、司先輩の三人は、ただ終わるのを待っていた。その時の記憶は、あまり無い。
何時間たったかもわからなかったが、冬弥の手術は終わった。医者からは急所は外れていたため、命に別状はないと告げられた。
「良かった…。」
安心から、急に涙が溢れてくる。自覚はなかったが、冬弥がいなくなるという事実が間近に迫り、相当不安だったのだろう。唯一無二の相棒を失うことが、こんなにも恐ろしかったとは。
「彰人、ありがとう。」
唐突に、司先輩にお礼を言われた。礼を言われることなんか、何一つ出来なかったのに。
「いや…俺はなにも出来ませんでした…。血まみれの冬弥見たら、気が動転して何も出来なくて…。助けてくれた人も、冬弥のスマホや荷物拾ったって声かけてくれてたのに全然聞こえてなくて、結局謙さんに任せっきりだったし…。」
自分の不甲斐なさに、ただただ下唇を噛み締めるしかなかった。あの時、もし迎えに行っていたら…。一言、ゆっくり来いって言ってやれてたら…。後悔ばかりが頭を巡る。
「何を言う! 冬弥を心配して、今だってこんなに遅くなるまで冬弥の無事を祈り、待っていてくれたではないか。」
「それは…冬弥は大事な相棒だから…。」
「相棒として、いつもそばにいてくれてありがとう。一緒に彰人が付き添ってくれていることが、冬弥にとってどれ程心強かったことか! お前がいてくれるという事実が、きっと冬弥に生命力を与えたのだろう。」
何を大袈裟な、と、司の顔を振り返ると、目は潤み、必死に涙を堪えているようだった。冬弥が心配でたまらなかったのは、司も同じだったということは、一目瞭然だった。
「…先輩こそ、本当の兄弟みたいに冬弥の支えになってくれて、ありがとうございました。今の冬弥がいるのは、先輩のお陰です。」
それは、本心から発した言葉だった。伝える気はなかったが、つい口をついて出てしまった言葉に、少しばかり顔が熱くなる。
「…お互い、冬弥の支えになっているのは間違いない。冬弥の怪我が治るまで、二人とも支えてやるんだぞ。」
それまで静かに二人を見守っていた謙が、二人に向け声をかけた。
「謙さん…。そうですね、これから一番不安なのは冬弥に違いない。オレが、ちゃんと冬弥のそばで支えます。」
「彰人がいるなら、俺も一安心だ! 冬弥を、頼むぞ。しっかり支えてやってくれ。」
「はい。…司先輩よりは、今の冬弥の事わかってますし。問題ないっすよ。」
「いつもの調子が戻ってきたみたいだな!」
つい、素直になってしまったことが恥ずかしくて、照れ隠しに悪態をついてしまう。しかし、その彰人の姿をみた司と謙には見抜かれているのが分かって、さらに恥ずかしくなってしまった。
冬弥の無事を知り、涙でグシャグシャになりつつもいつもの調子を取り戻した二人と謙は、冬弥の無事を確認したあと、帰路に着いた。
思えば、事が起きたのは真っ昼間であった。白昼堂々の通り魔事件。
昼も食べず、気づけば夕食の時間を迎えていた。安心したら、急に空腹だったことに気がついた。
帰ったら、まずは飯だな。そのあと、ルーチンこなしていつも通り寝て、明日は見舞いに行って…。行く頃には、目、覚ましてっかな。
***
「そういえば、気を失う直前に、彰人の姿を見た気がするんだ。」
「へ?」
数日後、無事に目を覚ました冬弥は、唐突にこんなことを言った。
持ってきた着替えや荷物を整理していた時に不意を突かれ、ベッドに座る冬弥を見ながら、変な声が出てしまった。
「確証は無かったのに、なぜか彰人が助けに来てくれたんだと、勝手に思い込んでしまっていた。しかし、あの時、すごく安心したんだ。それに…嬉しかった。俺を、こんなにも心配して気にかけてくれるなんて…。」
そう微笑む冬弥を見て、どうしようもなく愛おしさの感情が募る。
気がついたら、冬弥を抱きしめていた。自分でも驚いた。
「…彰人?」
「当たり前だろ…! ホントに…、ホントに怖かった…。冬弥が…遠くに行っちまうんじゃないかって…。あの時、訳もわからずに、お前を助けたい思いに突き動かされて、ただただ走ってた。
血塗れのお前見て、もうダメかもしれないって思った。何も出来なくて、何しに来たんだって、後悔した…。でも、オレ、少しでもお前の役にたててたんだな…!」
司先輩がお礼を言っていたことは、あながち間違いではなかったんだなと思った。まさか、ここまで見越していたのだろうか。だとしたら、司先輩は今までもオレ達の事をよほどよく見ていたに違いない。
「…ったく、司先輩は、ホントに冬弥の兄さんみたいだな。」
「ふふっ、急にどうしたんだ。先輩は…、いつでも俺達を見守ってくれている。その上で、彰人ならば、俺を任せても大丈夫だと言われた。本当に、お兄さんみたいだ。」
「あぁ…。」
冬弥にもそれを言っていたのかと、少し苦笑いを浮かべる。全く、過保護な兄さんだ。
「…今回、刺された時に真っ先に思い浮かんだのが、彰人の事だった。」
「え?」
急な展開に、抱きしめていた腕の力を思わず緩め、冬弥の顔を見た。
「彰人と、もう歌を歌えなくなるんじゃないかって、怖かった。歌えなくなったら、お前はもう俺が必要なくなって…」
「んなわけねーだろ!! 歌が歌えなくたって、お前がそばにいて…、オレをわかってくれるだけで、それだけで充分だ!!」
「彰人…!」
…言った。言ってしまった。
オレは、ずっと冬弥に好意を抱いていた。困らせたくなくて、ずっと黙っていた。
少し鈍い冬弥の事だから、この包み隠して伝えた言葉の本当の意味に気がつくことはないだろうと思っていたが。
「俺も…今回の事で、彰人と一緒にいられなくなることがとても辛いと感じて…。彰人が隣にいないと、生きられない体になってしまった。彰人が、俺をこんなにわがままにしたんだ。責任を取ってくれ。」
…思考が追い付かない。冬弥から見たオレの顔は、大層滑稽に見えていることだろう。
それほど間抜けな顔をしている自信が、確かにあった。
責任を、とる…? それじゃあまるで…。
「告白、みたいじゃねぇか…。」
「その通りだ。彰人だって、俺に告白してくれただろう? 俺からも、伝えなければと思ったんだ。」
かっこわりぃ、思ってたことが声に出てた。しかも、ちゃんと正しい意味に解釈していた冬弥は、あろうことかそっくりそのまま、下手したらそれ以上の想いで返してきやがった。
「いつ死ぬか、分からないからな…。伝えられることは、ちゃんと伝えようと思った。」
「…あ。」
そうか。こいつは、ついこの間、生死の境を彷徨ったばかりだった。なら、オレも。
「そういうことなら、全力で応えてやる。んで、お前が思ってる以上にお前の事ずっと考えてんだってこと、わからせてやる。」
「あぁ、楽しみにしてる。」
そう言って微笑んだ冬弥が愛おしくて、今度はさっきよりも想いを込めて、抱きしめた。
ふふ、苦しい、などといいながら、嬉しそうな冬弥の温もりを感じて、改めて生きていることに安堵する。
***
「そろそろ疲れたろ。まだ完全に治ったわけじゃないんだから、ゆっくり休むんだぞ。」
しばらく抱き合い、お互いの気持ちを確かめ終えたあと、少し冬弥の顔色が悪くなっていることにに気がついた。
調子に乗っちまったと反省しつつ、休むよう声をかけると、冬弥は少し寂しそうな顔をした。
「どうした? 傷口、痛むのか?」
「痛くはないのだが、そろそろ帰ってしまうだろう? せっかく気持ちを確かめることが出来たのに、なんだか寂しくなってしまって…。」
「何言ってんだ。明日からも毎日、ここに来てやる。そんで、早く治して、退院したらまた一緒に歌うぞ。そのためには、休息は必要だ。」
偉そうなことを言いつつも、彰人だって寂しくないわけじゃない。
冬弥を励ましながら、自分にも言い聞かせていた。
「そうか…。ありがとう。実は、先程から少し頭がクラクラしていて…。すまないが、リクライニングを倒してもらえるか?」
「おう、任せろ。」
ベッドの背もたれを倒し、寝る姿勢になった冬弥の身の回りを整理してやる。
こんなときでも、無理をしてしまう冬弥が、やはり心配だ。きっと、傷口が痛くないと言うのも、心配かけまいと思う気持ちから出た嘘だったに違いない。これからは、調子が悪いときは先に気づいてやって休ませよう、と、小さく心に誓った。
冬弥は、程なくして眠気が襲ってきたようで、うとうとし始めた。
「おやすみ冬弥。明日も元気な顔、見せてくれよ。」
「おやすみ彰人…。ありが…と…。」
最後まで言い終えるか終えないかのうちに、眠りについた。どうやら、少し疲れさせてしまったらしい。
心の中で、小さくごめんなと呟く。しかし、大きなターニングポイントを迎えた今日、彰人もまた疲れていた。
「…帰るか。また来るからな。」
返事は聞こえない。顔色が悪いながらも、すーすーと規則正しい寝息をたてる冬弥に、安堵する。
冬弥のおでこにかかる髪をくしゃっとかきあげ、軽くキスをする。今度、退院したら、冬弥の唇を奪ってやりたい。
その日を楽しみに、また翌日からも足繁く病院へお見舞いに行くのであった。