ふたつの世界の、ボクとボクと俺。「…こっちのテルミナって、全然違うよネ」
バンクリフがぼそりとつぶやく。パレポリに占拠されてにわかに緊張感の増したテルミナだが、別の世界に住むバンクリフやセルジュにとっては賑やかに感じるらしい。
「こっちのボクも、全然違うけどさ。金持ちなりに大変そうだけど」
テルミナの奥にある大きな家を見ながら、もう一言呟く。『同じ世界』のバンクリフは、近所に住んでいると言うこともあり何度か見かけたことがある。実家に住んでいた頃は奥の家はそこまで大きくなかったはずだが、龍騎士団に入団した位の頃から家がみるみるうちに大きくなっていた。実家の母に事情を聞いたところ、バンクリフの母親が死別してから、父親は人が変わったように稼ぎ出したとのことだった。バンクリフ自体もあまり見かけなくなったため、騎士団の内外でも『奥のでかい家のぼっちゃん』で通るようになり、本名をしばらく忘れていたほどだ。
一方で、行動を共にしている方のバンクリフはあまり裕福でないようだ。衣服や鞄にところどころ補修した跡が見え、できる限り節約して少しずつ小遣いを溜めたり、セルジュやオーチャが作った料理を一滴も残さず綺麗に食べたりしている。どうしても裕福なイメージが強いので、仲間の方も『ぼっちゃん』と呼んでは「イヤミかい?」と怒られている。
ふたり揃ったラディウスやバンクリフを見るまでは、異なる二つの世界があるとは信じられなかった。…ただ、事象が異なる二つの世界があるならば、境遇の違う自分が別の世界にいるかもしれない。
…それこそ、リデルと恋仲になっている自分とか。
誰もが一度は想像した、『異なる自分』への淡い夢を抱いてしまう。
「そういやよ、てめえらの世界の俺には会ったか? ぼっちゃんが二人いるんなら、俺だって二人いるんだろ?」
軽い気持ちで聞いた問いかけに、セルジュとバンクリフは固まってしまった。
「…えと…」
「…あー…」
ヤマネコの姿になってから口数が少ないセルジュはともかくとして、年のわりに生意気で毒舌気味のバンクリフも口をつぐんでしまった。少年たちを暗くしたかったわけではない。軽口で返答する。
「…何だよ、会ってねえのか? まあ、忙しいだろうから仕方ね——」
「……死海に、取り込まれてたんだよ」
それは、セルジュの口から小さく小さく告げられた。
「…は?」
「幽霊みたいに透けてた。話しかけたけど、何も反応が返ってこなかった。
ボクやバンクリフだけじゃない。ザッパさんも見たから間違いないよ…」
異なる世界では、自分は死んでいる。
それでは、セルジュと立場が一緒じゃないか。
「…死海ってのは、向こうの世界での神の庭だったよな。 …そのあと、どうなっちまったんだ?」
「……凍てついた炎をボクたちに渡さないように…死海は、丸ごと消滅したんだ」
「…!」
ようやく、合点が行った。
酒場に潜んでいた際に訪れた父親が、「生きていたのか!」と感情を爆発させて喜んでいたこと。あれは異世界の父親で、死海に取り込まれた『本当の息子』を見てしまったからだったのか。そして、取り込まれた場所ごと消滅してしまった。セルジュたちの世界の自分は、この世に骨一つ残さず、跡形もなく消え去っているのだ。
『自分が他の世界では死んでいる』という事実が、混乱と後悔をもたらす。こうして生きているのに、半身が欠けてしまった感覚すら覚える。セルジュはずっとこんな気持ちを抱いたまま、厄介者扱いされてさまざまな言葉を投げかけられてきたのか。アカシア龍騎士団一同がこの少年に対してしてきたことは、指図されたこととはいえ許されるものではない。これまでの行動を恥じた。
「…そうか。…悪い、てめえからしたら俺が亡霊みたいなもんなのに、亡霊だとか言って追いかけ回してよ。…情けねえ」
「ううん、もう気にしてないよ。だってあれは、ヤマネコが悪いから」
優しく微笑む獣面。この少年は、とても優しい。この旅で何度も辛い目に遭ってきたのだろうに、その度にさまざまなものを許してきたに違いない。全く、この少年には頭が上がらない。
「…すまねえ。なんか悪かったな、暗くさせちまってよ。蛇骨まんじゅうでも食うか」
どこかに入って食事をすることは憚られても、買い与えて人目の少ないところで食べれば、周囲の目も気にならないだろう。それに、暗くなった雰囲気を変えたい。
過去をいくら恥じて後悔しても、今を大事にして前に進むしかないのだから。
「…うん!」
「ん、いいね。オタクが奢ってくれるのかい?」
二人の少年は明るく返事をした。マルチェラと言い、相変わらず子供に食事をたかられるのは気になるが。
「しょうがねえな、今日は俺様の奢りだ。好きなだけ食え!」
…向こうの世界に行ったならば、実家に戻らねばならない。そう、父親とも約束をしたから。