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    岩藤美流

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    岩藤美流

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    散歩

    散歩というお題だったので、いつもの散歩の雰囲気でオルトくんに散歩してもらいました。ぼんやり考え事をしている時間も長いので、お兄さんについて考えています。早く友達できるといいね。

    「兄さん、僕、散歩に行ってくるね!」
     その声に「うん、行ってらっしゃい」という優しい返事が有る。いつもどおりの声だ、と感じるそのメモリーが”どちら”のものなのか、もう既にわからないけれど。オルトはするりと機械の身体を翻して、建物の外へと泳ぎ出た。
     足を持たない彼にとって、移動は泳ぐのとそう大差は無いと思う。泳いだことは今のところ無いが。明るい陽射しの下に出てすぐにすることは、外部情報処理のシャットダウンだ。
     校舎内でもそうではあるが、視覚情報はそれだけで膨大なものである。人間のように「ただの背景」と「見たい物」を分けるシステムが備わっていればよいのだが、生憎オルトにはまだその機能が正常に搭載されていない。絶賛イデアが改良を重ねているところだ。
     目に入った情報を全て認識し処理をすると高い負荷がかかる。例えば教室一つにしても、教卓、机、椅子、カーテン、窓と物質の見た目とその名前、その概念と構成物質……処理する範囲を抑えなければ、無限に情報は溢れてくる。そこに生徒が混ざれば猶更の事だ。それでも校舎内はまだマシである。通常の記録とその相違点だけをピックアップするようにすれば、情報処理することは随分減るのだから。
     ところが、外の世界は少し違う。
    「外気温25.6度、降水確率0%、うーん、いい天気!」
     必要は無いけれど、人間に倣って伸びをすると心地良い気がした。機械の身体に当たる日差しは少々熱いくらいだろう。まあこれぐらいなら問題は無い。もっと熱くなれば冷却機能が有っても支障が出る可能性は否定できないけれど、そこはそれ、イデアがメンテナンスをしているのだ。自身に異常が出るようなことになれば自動的にイデアの部屋に戻るようにしてあるし、人間と同じ日常生活を送れるように設計してある。オルトは極力情報処理を押さえた双眸で、世界を見渡す。
     目の前には広い運動場が広がっていて、世界は刻一刻と変化する。風に揺れる無数の草、あの空の様々な色相の青、その向こうに肉眼ではないからこそ見える星々、部活動に勤しむ生徒達の流れるような足さばき、たくさんの声。遠くを飛ぶ鳥、近くを飛ぶ蝶。木々の下には揺らめく影、遠くで投げられているボール、土の香り、じわりと変化する気温、日照、風速、時間。全てを情報として捉えると、きっとオーバーヒートしてしまう。だから極力、余計な情報は受け取らないようにしてある。それをどう改良していくかはイデアの気分と実力次第だろう。
     今日は何処を、何を見て過ごそうかなあ。
     ゆるりと大空の下を滑る。芝生が気持ちよさそうだな、と考える。気持ちよい、という感じを理解したのはごく最近だ。例えば猫の毛並みを撫でること、洗い立てのシーツ、ふかふかの毛布、誰もいない場所で寝っ転がること、それが気持ち良いのだとインプットしている。だから風にさらさらとなびいている芝生も気持ちよさそうな気がした。試しに着地して、その手で触れてみる。地温は人肌よりも温かい。情報量を遮断していると、その程度の解析しかできなくて、まるで人間になったようだとオルトは少し嬉しくなった。芝生に触れてみると、思ったよりもチクチクしていて、気持ち良いかどうかは結論が出ない。うーん、と首を傾げて、座り込んでみた。
     ボンヤリと座って世界を見ていると、時間が雲と同じようにゆっくりと流れている気がした。ネットワークに繋がっているから、内蔵している時計の速度が変わるはずもないのだけれど。
     イデアはオルトに、人間のような不確定で曖昧なものを設定している。それが科学の進歩を目指しての事か、オルトを思っての事か、はたまた”弟”を求めての事なのか、オルトにはわからない。人間的な思考をするには、まだオルトは未熟だった。
     けれど、世界を観測し続けるうちに、オルトは少しずつ変化を重ねている。例えばpH指示薬の入れられた液体に、一滴ずつ酸性の液を、ぽとりぽとりと落としていくように。それはある時、最後の一滴が加わった瞬間、色をがらりと変える。知識も経験も、目に見えぬ蓄積を必ずしていて、その閾値を超えた時、ようやっと目に見えて変化を起こすものだ。
     ふいに近くを横切る影にじじ、とレンズの焦点を動かす。顔の前で優雅に蝶が舞っていた。その不規則な羽ばたきの軌道と風の流れを観測しようとして、オルトはそれを中止した。今は計測する時ではない、”感じる”時だ。蝶の不可思議な動きを見つめながら、オルトはそうしていても常にパルスを計測している兄のことを考えた。
     入学したての頃は、兄のそばを離れることはできなかった。少しでも距離を取ると、心身共に不安定になっていたから。入学して一月が経ったこの頃は、少し慣れたのかこうして離れることもできるようになった。それでも彼が何か極度の不安にかられたりすると、オルトは飛んで戻っている。今日は今のところ安定していた。GPSによれば自室に籠っているようだし、ネット接続履歴を見れば彼がネットゲームをしていることもわかった。
     こんなにいいお天気なのになあ。オルトは青空を見上げる。透き通った青はその実、一色ではなくて、こうして真上を見つめると、その向こうに広がる暗黒の宇宙が透けているのか、吸い込まれそうな濃い蒼をしていた。世界は無限に広がっている。情報も無限に。人間や哺乳類、動物はおろか植物、微生物まで含めると、いったいどれほどの膨大な数の命を視界に入れている事やら。この途方もない世界に生まれ落ちて、兄は狭い自室で、有限の世界に生きている。
     ――ううん。
     オルトは思考を否定した。あの部屋はただの部屋ではないし、兄が使っているコンピューターも、彼の覗き込むネットワークも、そしてその頭脳もそれはそれで果てしないのだ。物理的側面に捉われてはいけない。さっきのは人間的な悪い思考だったな、とオルトは考え直して、また蝶を見る。風にあおられながらもぱたぱたと飛び続けていた蝶は、一休みでもするようにオルトの手の甲に舞い降りてきた。
    「ごめんね、蝶々さん。僕のボディからは花の蜜や液は採取できないんだ」
     オルトはそう呟いたけれど、蝶は羽根を閉じて、じっとしている。だからオルトもそのままじっとしていた。
     そうは言っても、やっぱり部屋に閉じこもりきりは体に悪い。筋肉量も落ちるし、陽に当たらないとビタミンや骨の形成にも問題が起こる。適度な運動はホルモンの分泌を促すし、それに――。
    「……話し相手、友達、とかがいたら、きっと、”楽しい”だろうし……」
     楽しい、という感覚をオルトは理解している。兄と一緒に笑うこと、兄と一緒にゲームをすること。それが楽しい、だ。オルトにとって楽しいは兄と直結することだけれど、ここ最近はそうではない気がしてきている。例えばこうして、蝶を眺めているのも、楽しいに近い気がするのだ。
     よくイデアは「僕にはオルトさえいればいい」と言うけれど、本当にそれでよいのかどうか、オルトは思案するようになっていた。例えば他に対等な話し相手、あるいは学友、もっといえば友達が居たらきっと兄さんも楽しいんじゃないかなあ。オルトはそう考える。考えることを、許されている。
     なら、本当は兄さんも望んでいるんじゃないか。そう思うのだ。本当に困ることは、プログラムで選択できないようにされているはずだから。そういえば、ボードゲーム部に所属しているのだ。子供の頃からイデアはゲームが好きだったから、ここに入学しても部活動はボードゲーム部を選んだ。もっとも、幽霊部員になってしまっているけれど。
     でも、ネットゲームではお友達がたくさんいるんだし、きっとボードゲームも一緒に楽しめるお友達を作ろうと思えば作れるはずだよね。
     オルトがそう考えていると、蝶が羽ばたいていった。それは風に乗ってふわふわと漂い、森の方へと消えていく。
     蝶の羽ばたき一つで世界が変わる可能性があるわけだし、兄さんがボードゲーム部に行けるようになることで、なにか変わるかも。それが兄さんにとっていいことか悪いことか、それはわからないけど……でも、なにも変化しないよりはいいかもしれない。僕が兄さんと一緒に部活に行きたいって言ったら、兄さんも動いてくれるかな……。
     目まぐるしいシミュレーションを何百と繰り返しながら、オルトは思案する。最終的にイデアがどう決断するかはわからないけれど、提案の仕方を工夫することで賛同してもらえる確率は48%まで上げることができた。やってみる価値は有るかな、と判断したのは、オルトの感情的な部分かもしれない。オルトは立ち上がって、早速校舎へと戻ることにした。
     まずは、僕がボードゲーム部に行って活動状況を調査する。設置されているボードゲームの品名をリストアップ、所属している生徒と活動人数の割合、戦績を記憶。あとは兄さんが興味を持ちそうな事柄をまとめて、機嫌のいい時に――。
     計画を立てるのは”楽しい”ことだ。オルトはふふっと一人で笑いながら、ブースターの音だけを静かに鳴らして廊下を進んで行った。



     友達、かもしれない人間がイデアにできるまでには、まだ一年近い時間を要する。
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