あなたに残せるのは俺の誓い #2私にもようやく終わりの時が来た。
何の心残りもない人生だった、と言いたいところだが、たったひとつだけ後悔した事がある。
月島に、私の想いを最期まで伝えられなかった事。
右腕として私を支え続けてくれた月島。
いつしか私は、そんな月島を愛してしまっていた。
月島ならば自分の思いと関係なく、上官である私の言う事だから……と受け入れてくれていたかもしれないが、それは違うと思ってずっとこの想いを胸に秘めてきた。
月島。
叶うなら、今度は上官と部下ではなく、ひとりの人間としてお前と出逢い、愛し合いたい。
月島。
あたいは、わいん事をだいよりも愛しちょった……。
朝7時。
鯉登音之進は着信音で目が覚め、手探りでスマホを捕まえる。
『月島基』
と書かれた画面を確認すると、すぐにビデオ通話ボタンを押した。
「おはようございます」
画面に最愛の人の姿が映る。
交際を始めてからいつも朝7時きっかりに電話をかけてきてくれる月島は、何時起きているのか知らないが丸襟の白いTシャツ姿という事以外は職場にいる時と変わらない。
「おはよぉ、基さぁ」
画面操作にも慣れたのか、ドアップすぎる事もなくなった月島に、鯉登は応える。
「8時にはコンビニに着けますが……」
「ん……あたいもちゃんと向かうで」
「そうですか。ではまた後程」
今日は鯉登の講義が終わった後、ふたりで郊外にある、屋外型のショッピングモールに出かける約束をしていた。
月島と恋人同士になった事が宇佐美経由で鶴見の耳に入り、鶴見が気を利かせてシフトや休みが被るように組んでくれるようになった為、ふたりは仕事帰りに一緒に過ごす事が増えたものの、仕事以外の日中に出かけるのは今回が初めてだった。
急いでシャワーに入り、身支度を整える。
今日の為に考えた服装は赤のボーダーが入った白のTシャツにカーゴパンツで、可愛らしいイメージをテーマに選んでいた。
朝食は月島と朝早くから営業している定食屋に行く事になっていたので、母親には前日のうちに朝食は要らないと話していた。
「行っちくる」
「行ってきやんせ」
最大の難関である兄、鯉登平之丞は一昨日から父と共に出張で明日まで不在の為、何の不安もなく家を出られた。
徒歩10分くらいのところにあるコンビニ。
駐車場には見慣れた白い乗用車が停まっていた。
運転席を覗き込もうとすると、その前に車の持ち主が車から出てくる。
「基さぁ…!!」
白いVネックのTシャツに濃紺のジーンズ。
朝見た時のTシャツとは違うもので、あれから月島は着替えてきた様だ。
初めて見た月島の私服は想像通りシンプルで、背は自分より低いのにがっしりとした身体つきが分かる服装だった。
「音さん、朝早くから会えるなんて嬉しいです」
「うん、あたいもわっぜ嬉しか!!」
車に乗ると、月島が運転しながらも手を繋いできてくれる。
「あなたとこんな風に出かけられるなんて夢の様です」
「あたいも……」
月島に初めて出会った時、何故か懐かしい感じがして、胸が熱くなって、月島の事が頭から離れなくなった。
それが『好き』という事だと知ってからの鯉登は、月島と特別な関係になりたいと思うようになった。
願いが叶った時、鯉登は月島と前世からの縁があった事を月島から聞き、月島とは出逢うべくして出逢ったのだと思うようになり、それがとても嬉しくて仕方なかった。
「基さぁ」
「どうかしましたか?音さん」
「本当かどうかは分からんじゃっどん、あたいは昔も基さぁん事が好っじゃったち思う」
そうだったから、最初に会った時から惹かれたと思う。
鯉登はそう言って、繋いでいた手に力をこめる。
「音さん……」
定食屋の駐車場に着いた時に交わした言葉。
月島は手を離すと、鯉登に口付ける。
「基さぁ、誰かに見られたら……」
「すみません、あなたにそう言って頂けて、嬉しくて気持ちが抑えられませんでした」
愛しています、音さん。
次は額に口付けられ、身体が熱くなっていくのを感じた。
仕事の時の冷静で落ち着いている姿とは違う、周りが見えなくなってしまうくらい情熱的な月島に、鯉登はますます惹かれていた。
月島に朝食をご馳走になり、大学まで送ってもらった鯉登。
「終わりは13時ですね。その頃にこの辺りで待っています」
「うん、ありがと、また後で」
「はい」
今日の講義はふたつだけ。
鯉登は早く終わらないかな、と思いながら教室に向かっていた。
そんな事など知らない女子学生たちが鯉登の姿を見てはかっこいいと騒いでいた。
「おはよう、鯉登君」
「花沢、おはよう!」
最後の講義では友人でありバイト仲間であり月島と出会わせてくれた恩人でもある花沢勇作と同じ席に座った。
「鯉登君、相談なんだけど……」
最近、花沢から服装の事でよく相談がある。
今日は黒のワントーンコーデをするならどんな服装がいいのか、という事だった。
「普通にTシャツとパンツとか、ジーンズとかでもいいし、ボタンついたシャツとパンツでもいいとは思うけど……」
「そっかぁ、ありがとう。やっぱり鯉登君は頼りになるよ」
にこやかに微笑みながら話す花沢。
「今度兄様と動物園に行く事になったから、兄様とお揃いみたいにしたいなぁって思ってて」
「……そうなのか……」
バイトの面接の時から尾形にべったりだった花沢。
月島から、ふたりは過去に異母兄弟で花沢はその頃から尾形を慕っていた事を聞いた鯉登は一連の言動に納得しつつも、自分とは異なる花沢の兄に対する行動に違和感を覚えていた。
「花沢は本当に尾形さんが好きだな」
「うん、兄様の事、大好きだよ。ずっと兄様と一緒にいたいと思ってる」
誰に聞かれているかも分からないのに何の恥じらいもなく話せる花沢を、鯉登はすごいと思った。
講義が終わると、鯉登は足早に教室を出て、月島と待ち合わせた場所に向かう。
「お疲れ様でした。お腹が空いているのではないかと思って買ってきましたので、良かったら食べて下さい」
「ありがと、基さぁ」
無事に月島と再会すると、車内でおにぎりを渡される。
「んまっ!」
「気に入って頂けて良かったです」
「基さぁは美味しいお店、いっぱい知っててすげねぇ」
「ひとり暮らしが長かっただけですよ」
車で1時間半。
手を繋ぎながら他愛もない話をして、鯉登は月島と車内で楽しい時間を過ごした。
ショッピングモールに着くと、ふたりは並んで歩いた。
「ねぇ、あの人めちゃくちゃカッコよくない?モデルみたい」
「横の人マネージャーとかなのかな?目つき悪いし厳つくて怖い……」
何処に行っても、女性たちから騒がれる。
鯉登はそれに辟易していた。
「…………」
すると、月島が突然無言で手を繋いでくる。
「キエッ!?」
びっくりして月島を見ると、
「すみません、人前で手を繋ぐのは流石にまずいと思いましたが、あなたが俺のものだって分からせたくなってしまいました」
と言って、車内と同じように恋人繋ぎをしてくれる。
「基さぁ……」
恥ずかしい気持ちもあったが、嬉しい気持ちの方が強かった。
時間も限られていたので、鯉登はどうしても行きたいお店を事前にピックアップしていた。
優先的に行きたかったのはよく買う衣料品店のアウトレットストアで、月島と買い物をしてみたいと思っていたからだ。
「これ、基さぁに似合いそう」
「……そうですか?」
「仕事の時も白いワイシャツだから、黒か服を着ちょっ基さぁを見てみよごたっ」
「はぁ……」
服は身体に合えば何でもいい、と話す月島に、鯉登は黒いシャツと白のパンツを選んでいた。
「音さんの服は買わないんですか?せっかく来たんですから選んだ方が……」
「うん、じゃあ基さぁに選んで欲しか」
「えっ!?音さん、さっきの俺の話聞いてました?」
服には興味がほとんどないと言ったのに、と言って困った顔をする月島。
「働いている時に見たい服、選べん?」
「働いている時……ですか。それなら何とか……」
と言いながら、月島は真剣な顔をして服を見る。
「こういうのはどうでしょうか」
しばらくして月島が見せてきたのは、淡い青色のストライプで襟が白いシャツだった。
「これなら仕事で着てもいいと思います」
「ん、じゃあこれにする」
少しニュアンスは変わってはいたが、月島が自分のワガママに付き合ってくれた。
一生懸命考えてくれた。
その事実に、鯉登は嬉しくて胸がいっぱいになった。
「ありがと、基さぁ。わっぜ嬉しか」
「……良かったです。あなたに喜んで頂けて」
ホッとしたのか、月島は口元を綻ばせる。
「本当に良いのですか」
「うん、いつもお金出してもろうちょっし、プレゼントしよごたって思うちょったで」
「お金を出すのは当然の事です。あなたはまだ学生で、こちらは社会人なんですから」
いつも通り会計を済まそうとする月島を止め、鯉登はアルバイトで稼いだお金から2人分の洋服代を支払っていた。
「他に見たいところはありませんか?」
「うん、後は特に……」
それからはあてもなく、ふたりでモール内をぶらぶらして、それはそれで楽しかった。
様々なジャンルの店舗が一緒に入っている場所に着くと、月島が足を止めた。
「基さぁ?」
「……こういうものがあるんですね」
視線の先にはペアアクセサリーが入ったショーケースがあった。
「指輪は必ず買おうと思っていますが、音さんはこういうものは嫌いですか?」
「嫌いじゃなかけど……」
月島から指輪の話をされ、鯉登はドキッとしてしまう。
必ず幸せにする、とは言われていたものの、ここで指輪を買う予定という具体的な事を月島に言われるなんて思ってもみなかった。
「これ、面白いです」
そう言って、月島はパズルの形をしたアクセサリーを指さす。
ふたつが組み合わさると、ひとつのメッセージになるデザイン。
そこには、
『生まれ変わってもふたりは共にある』
と英語で書かれていた。
「……っ、……」
突然、頭を締め付けるような痛みに襲われて目を瞑ると、鯉登の頭の中に軍服姿の自分と月島が浮かぶ。
『月島ぁ!早く来い、桜が綺麗に咲いている場所を見つけたんだ』
『鯉登少尉殿、ひとりで勝手に行かないで下さい!!』
やっぱいそうやった。
あたいは基さぁを愛しちょったんじゃ。
言えんやったじゃっどん、ずっと一緒におろごたったんじゃ。
「音さん、どうしました?」
「あ、うん、大丈夫……」
多分、昔の事が突然頭に浮かんだだけ。
と言うと、繋いでいる手から月島がぴくりと身体を震わせたのが分かった。
「……その話、後で聞かせて下さい」
「うん……」
その後、月島がプレゼントしたいと言って、指をさしていたアクセサリーを購入した。
「ありがと、基さぁ。大切にすっね。基さぁもつけやんせ」
「はい。今度つけ方を教えて下さい」
男女ペアの為、女性用はネックレスのチェーンが自分たちにとっては短い可能性が高いと思った鯉登はこっちのデザインが好きだから欲しいと言い、男性用を月島に託していた。
(家にある他んチェーンと入れ替えて使うど)
そんな事を思いながら店を出てスマホの画面を見ると、帰る予定の時間になっていた。
あっという間だった、月島との時間。
まだ帰りたくないと思いながら駐車場に向かって歩いていると、突然雷の音が聞こえてきて、雨が降ってきた。
「通り雨でしょう、恐らく」
ほんの少しの距離なのに、大雨のせいでふたりはずぶ濡れになってしまった。
「参ったな。このまま帰ったら音さんに風邪を引かせてしまう……」
風呂に入って身体を温めないと。
と話す月島の服は濡れているせいで透けていて、その肉体がほぼ丸見えになっていた。
「一番早く風呂に入れる場所は……」
鯉登がそこに釘付けになっている間に、月島はスマホで風呂屋を探していたが、見つかったのかスマホに触れていた手が止まった。
「音さん、言い難いのですが、ここに行ってもいいですか?」
そう言って、月島が見せてきた画面にはラブホテルの名前が書かれていた。
「う、うん……」
まるで裸になっているように見える姿の月島を真正面から見てしまい、鯉登は興奮してしまっている自分に気づく。
それに意識が集中していて、月島の話は上の空になっていた。
(あ、じゃっどん、基さぁがこげん風になっちょるって事はあたいも……)
Tシャツの下に黒いタンクトップを着ていたが、視線を落とすとそれが透けているのが分かる。
(キエエエエッ……!!)
恥ずかしい。
興奮している自分も、裸に近い服装になっている自分も。
それで胸元が見えないように腕を組んでいると、月島に寒いですよね、急ぎますからと言われたので申し訳ない気持ちになった。
ホテルには車で5分くらいで着いたが、雨は相変わらずものすごい勢いで降っていた。
月島に言われて母親には帰宅が遅れる事を移動中に連絡し、月島どんが一緒ならだいじょっねと言われていた。
「とりあえずこれに着替えましょう」
「うん」
濡れた服を脱ぎ、バスタオルで身体を拭いてから部屋にあったガウンに着替える。
鯉登は恥ずかしさで月島と自然と距離をとっていたが、視界に入った月島の身体に傷があるように見え、思わずあっ、と声が出てしまった。
「どうかしましたか?」
「ぁ、その、基さぁの身体に傷があるのが見えたから……」
「……あぁ、これですか。これだけ生まれつき痣になって残って生まれてきたんです」
割れた腹筋に深く刻まれた茶色い傷のような痣。
鯉登は手を伸ばしてしまっていた。
「あたいのせいでこうなってしもたんか?」
「違います。まだあなたと出会う前の戦争で負傷しました」
風呂、用意してきます。
鯉登に背を向けると、月島は浴室の方に歩いていった。
服は上だけが絞らなければいけないくらい濡れていたが、下はそこまで濡れていなかった。
「帰るまでに乾かなければ買った服を着て帰りましょう」
「うん……」
購入したばかりの服は洗濯してから着たいのだが、今は仕方ない、と鯉登は思った。
「音さん」
先程の話、聞きたいです。
並んでソファに座ると、月島が言う。
「あぁ、あたいが基さぁに桜を見け行こうちゆて走っちょって基さぁがあたいん事を鯉登少尉って呼んで走って追いかけちょったのが浮かんだ」
「……確かにそういう事もありましたね」
それから、月島は山の麓で桜を一緒に見た話をしてくれた。
「あなたの仰る通り、綺麗な桜でした。それをあなたに教えたらとても嬉しそうに笑ってくれました」
来年は、一緒に桜を見に行きましょう。
と言って、月島は鯉登を抱き締めてくれる。
「もっと色々な事を、俺が知らなくてあなたが知っている事を一緒に楽しみたいです」
頬に、額に、唇に。
嬉しい、けれどもどかしい気持ちにもさせる優しいキスをされて、鯉登は月島を抱き締め返す。
「んじゃ、まず、ネックレスんつけ方教えちゃるね」
「はい……」
それから、月島とは別々に風呂に入り、室内のテレビで映画をいくつか観て、服にドライヤーの風を当てたりして何とか着られる状態になったところでホテルを出ていた。
『ネックレス、付けられました』
寝る直前、月島からそんなメッセージが来たので、
『見せて』
と返すと、ネックレスをした、首筋から胸元にかけての画像が送られてきた。
『似合うちょい』
『ありがとうございます。では、また明日』
『うん、おやすみ』
鯉登は、何とも言えない色気の漂う画像にため息が出た。
「こげんと送ってくっなんて……」
顔が映ってない事をいい事にスマホのロック画面に設定すると、しばらく眺めて眠れなくなっていた……。