〇『素晴らしい副寮長』
リドルが寮長会議の場でトレイのことを自慢していたとヴィルから初めて聞いた時、正直満更でもなかったのは本当だ。褒められて嬉しくない人間というのも稀だろう。リドルは元来、能力のある人間に対しては素直に認め言葉にすることが出来る男だった。トレイに対しても、副寮長としての能力を買ってくれているのだろうことは間違いない。――それは非常に誇らしく喜ばしいことなのだが。
おやつを手に寮長の部屋をノックすると、「どうぞ」と少しかすれ気味の声が返ってきた。何かあったのだろうか。風邪か?心配になりすぐ部屋を開ける。あくまでも平静は装いつつ、「リドル、大丈夫か?おやつ持ってきたけど食べるか?」と声をかける。
すると、どうやら書類と睨めっこしているところだったらしいリドルが疲れた様子で「ありがとう」と返事をした。眉間に寄った皺を指で抑えているのも、随分と長いこと格闘していたせいだろう。今回の書類はその一部をオクタヴィネル寮長のアズールが作成しているということもあって、目を通さなければならないところが多いのだという。なるほど。確かに少しでも読み飛ばせば面倒なことになりかねない。しかし休息は労働効率の向上においては必要不可欠だ。焼いてきた6号ケーキを切り分けて皿に乗せ(今回もまた焼きすぎてしまった。リドルのおやつのためとなるとなんとなく張り切ってしまうのは悪い癖だ)、ソーサーやティーカップ、カトラリーと共にソファ前のローテーブルに並べてやる。部屋がケーキと紅茶の華やかな匂いに包まれて、心做しかリドルの表情も和らいだ。
「おいしい……」
一口ケーキを頬張ったリドルは、染み渡る甘さに思わず目を閉じ、じっくり味わっているようである。今回作ったケーキは、以前リドルのためにと作って好評だった自信作だ。もともと美味しく作れたと自負はしていたのだが、リドルがあんまり美味しそうに食べてくれるものだから、つい調子に乗ってヴィルにも勧めたあの日を思い出すと少し恥ずかしい。
「やっぱりトレイのお菓子は絶品だね」
いつもはつり上がった目尻をふにゃりと下げて笑うのは、幼少の頃から変わっていない。トレイはこの笑顔が好きだった。勿論今も。
「美味しいなら何よりだよ。紅茶も淹れてあるから、冷めないうちにどうぞ」
すると、リドルはふふふと口元に手を当てた。なんだとはてなを浮かべていると、彼はティーカップを手に取り「トレイがいてくれて良かった」と口にする。
「どうしたんだ突然」
「いや。今日の寮長会議でヴィル先輩に、トレイみたいな気が利いてフォローも上手い副寮長がいて羨ましいと言われてね。確かにそうだなと思って」
トレイは思わず面食らい、一瞬リドルから目を逸らした。当のリドルはケーキに夢中で気が付いていないようでほっと胸を撫で下ろす。
リドルはトレイを心から信頼している。好きだと言えば、きっと「ボクもだよ」と返してくれるのだろう。良き幼馴染、良き寮長として。トレイの向ける心情がそんな甘っちょろいものではなく、泥のように濘るみ重たく纏わりつく、厄介な恋情だなんて知りもせず。
「……俺はそんなに大したことはしてないさ。それより、あまり根詰めすぎるなよ。何か手伝えることがあれば言ってくれ」
真意も全て、完璧な笑顔で糖衣のように覆い隠して、今日もトレイは『素晴らしい副寮長』として、リドルの一番そばにいる。
〇ひとめぼれ(幼少期捏造/♣️母視点)
トレイは暇ができると店の手伝いをしてくれていた。流石長男気質というのか、しっかり者でよく気が利く自慢の息子だ。
そんな息子ことトレイが、最近ぼーっと外を見ている時があるのに気が付いた。いったい何を見ているのやらとその視線の先を追うと、そこには一人の――恐らく少年なのだろうけれど、少女と呼んでもおかしくない程に可憐で可愛らしい――子どもが、ショーウィンドウに並ぶいちごのタルトに釘付けになっているところだった。その子は少し先を歩いていた母親に呼びかけられてすぐにその場を立ち去ったけれども、やはりタルトのことが気になるのか、時折こちらを振り向いては立ち止まりたくてうずうずしている様子である。母親の姿から察するに、ローズハートさん一家だ。父親の姿は見たことがないが、夫婦揃って優秀な魔法医術士だとは聞いたことがある。あの少年は恐らく息子さんだろう。歩き方にも品格があったし、あの歳から様々な躾や教育が成されているのかもしれない。なんというか凄い一家だ。
トレイは、箒を手にしたままやはり少年のことをずっと目で追っていた。心ここにあらずといったような感じだ。本当に珍しい。
「……トレイ、好きな子でもいたの?」
少しからかってみたくなってそう声をかけると、ばっとこちらを振り向いたトレイは、「そんなんじゃないよ!!」と首を振り、バックヤードへと戻っていった。その顔はあのいちごのタルトに負けないくらい真っ赤になっていたのだが、これ以上つついてやるのも可哀想だったので、くふくふ笑うだけに留めてやった。