父性の根源 パパはあんまり笑わなくて、ぶっきらぼうなひと、だったんだけど。
パパが高いところからおっこちて頭を打って、わたしはしばらく長野のみちお姉ちゃんの家にいた。
みちお姉ちゃんのお家はおばあちゃんやお姉ちゃんのママがお洋服とかお人形を作ってくれて楽しかった。
わたしのママがパパと迎えに来たのはいっかげつ? くらいしてからだった。
パパがわたしを見て目を丸くして、それからすごく優しい顔で笑ってちょっとびっくりした。他のおうちのパパみたいで。
しゃがんでわたしに目を合わせる。ふにゃっと笑って、かわいいなあと言うのでますます変だ。そんなこと言われたことない。
「こんにちは、サシャちゃん。あ、いや……すまないね。僕は君のお父さんなんだよね」
ママがパパの隣にしゃがんで、困った顔をする。
「さっちゃんあのね。パパは頭を強くぶつけちゃって、いまは色んなことを忘れちゃってるの。さっちゃんに会ったら思い出せるかなって……それでお迎えに来たのね。一緒におうちに帰りましょ」
みちお姉ちゃんも目をぱちぱちさせて、それからママとしばらくお話ししていた。
パパが困ってるふうに見えたから手をつないであげる。そうするとすごく嬉しそうにわたしを見る。こんなに笑ってお顔が疲れないかしら。
ママが戻ってきて、ちょっと離れたとこにとめた車に乗る。パパが運転しないのって聞いたら、まだときどきフラフラしちゃうからってママが答えて、パパはなんだか寂しそうな顔をする。
パパはもう運転しないのかな。パパじゃないみたいで変なかんじ。ときどきわたしを見てにこにこ笑う。ママはきんちょうしてるみたい。
◇◇◇
パパはぜんぜんわたしのことを思い出さないけど、ママとはふつうにしてるみたいだった。
パパはいまお仕事がお休みらしくて、ご飯を作ったりお掃除したり、お家のことをたくさんしている。
ママはちょっとお疲れみたいでよく寝てる。夜はわたしのお部屋かパパとママのお部屋で寝てたけど、さいきんはずっとわたしのお部屋で寝てる。
パパとはお人形遊びもしたけど、パパとちがってお芝居をちゃんとしてくれる。
パパの中にパパじゃないひとが入ってるみたい。
わたしを抱っこして、あのね、とすごく優しい寂しそうな声で話す。
「サシャちゃんのことを思い出して、すぐに本当のお父さんに戻るからね」
「そしたらいまのことは忘れちゃうの?」
後ろから抱っこしてお膝に座ってると、まえとおなじぽかぽかの大きい体にほっとする。それだけは変わらないから、パパだよね。
「そうかもしれないけど、ずっとサシャちゃんのことが大好きだよ」
パパはそんなこと言わないけどなーって思う。このパパがうそをついてるとは思わないんだけど、そしたらパパのなかにはわたしを大好きってきもちがあるのかな。
夜、ママのおむねにくっついてトントンしてもらうと眠くなるのにぜんぜん寝れなくてママとおしゃべりをする。
みちお姉ちゃんが作ってくれたパパに似たぬいぐるみをぎゅっとする。
わたしの知ってるむすっとしたパパのお顔だ。
「いまのふにゃふにゃのパパはパパなの?」
「そうよ~、本当にさっちゃんのことを忘れちゃったわけじゃないのよ。ちゃんと少しは覚えてるからね」
「そう?」
「パパがあなたをサシャって呼んでたことは言ってないの。でもちゃんとサシャって呼んだでしょ」
なんだか寂しそうな顔をしていたお昼のパパを思い出して、ちょっとかわいそうな気持ちになる。
「……今日はパパと寝ていい?」
「あら、そう? ママもパパと寝たいな~。そうだ、三人で寝ましょ、ねえ? パパに聞いてみようか」
いいよって言うとママがわたしを抱っこして部屋を出る。パパの部屋のドアをノックすると、嬉しそうな顔のパパが出てきて三人で寝ようって言いながらわたしを受け取る。
抱っこの時に私を持ち上げる腕も、背中を支える手のあったかさもおんなじなのにすごく笑うからふしぎだ。パジャマの肩を掴んで片手でパパの髪を触るとくすぐったいよって笑う。
わたしを挟んでパパとママがベッドに寝ると、二人で顔を見合わせてる。
おやすみってパパがわたしをとんとんする叩き方はちょっと違うし、なんだかほにゃほにゃと笑っている。
ぬいぐるみのパパはぶっきらぼうなのにな。
起きたらサシャちゃんじゃなくてサシャって呼んでほしいかもしれない。
でもこのふにゃふにゃのパパはどうなるんだろう。
これがパパのほんとうの性格なのかな。
緑色の目が優しく笑って私とママを見る。こんな顔見たことない。パパなのにパパじゃないの。
優しいのにすごく怖くなってぎゅっと目を閉じる。ママの手が私を撫でて、おやすみって声がする。
あなたは誰、パパはどこなの……。