善悪の彼岸　あれからどれほどの時が経ったか。いよいよ食糧も底をつく頃のことである。
　奇妙な夢を見た。

　海辺だった。
　寄せては引いていくさざ波の潮騒を聞きながら、空に光源がなく足元に影も落ちていない。これは夢だ、と分かるが手を引く女の力や体温がいやに鮮明だった。
　
　肩の線より短い赤毛の女が自分の手を引いて歩いている。
　向かう先はずいぶん遠いことだけが分かっている、そこに行けばおおよそ碌なことにはならない確信が胸にある。
　しかし女の容姿が気に掛かった。見慣れた髪色だったが上背は高く、その横顔は大人びている。
　知っている子供に似ているが、その子供はもうこの世にはいない。天国でも地獄でもない異次元へ行ったか、はたまた素粒子まで分解でもされているか。
　
　「あんたを真人間にはできなかったわね」
　ぽつりと呟いて立ち止まると、振り向いて物悲しげに眉尻を下げる。
　「次は、ちゃんと向き合ってもらうから」
　ぐいとより強い力で手を引かれて、つんのめりそうになるのにお構いなしでまた歩き出す。
　
　遠く潮騒の向こうから子供のような声がする。不意に背筋に走る悍ましさを振り切れない。
　手を離せと言おうにも声が出ず、夢なら早く覚めてくれと焦燥を覚える。
　にこ、お前は俺に何をするつもりだ。