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    akimori_moti

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    akimori_moti

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    ルチアーノ✖️菊です。
    宗教についてのお話ですので、個人的な宗教観が描かれています。
    苦手な方、不快な方は非推奨です。
    続かないかもしれないです。すみません!

    君に捧げる最初のキリエ 1 ヴェリタ教会学園。神を信仰する信徒が集まる教会と隣接された学校。古き伝統を守り、神の教えを守り、慈悲と慈愛を育てる場所。
     数々の有名な司祭達を輩出し、ヴェリタ教会の目玉である大聖堂は、信者たちが生きているうちに一度は訪れたいと願う巡礼スポットである。
     しかし、ここは本来信徒の学生達が通う学園。その殆どが忠実な信者であり、堅実に祈りを捧げるものであったが、代1225期生の中に、教師達皆が手を挙げるほど荒んだ生徒がいた。
     ルチアーノ・ヴァルガス。
     ヴァルガス司教の名は、この学校の生徒ならば必ず耳にする。
     ヴェリタ学園を作り上げ、その後教会を併設した人物、ヴァルガス家の当主であったフェリシアーノ・ヴァルガスというものがいた。千年後の現代でも彼の善行は広く知れ渡っており、新たな聖書に載せるべきとの声もよく上がっている。
     そんなヴァルガス家の遠い子孫がルチアーノ・ヴァルガスであり、あの創始者フェリシアーノに次ぐ司教になることを望まれた新入生であった。
     しかし彼は、毎日のお祈りにも授業にも参加することはなく、立場の弱い生徒から金を奪い取ったり、施設を荒らしたりなど、期待に反して酷い有様であった。
     神に対してあまりにも無礼な行為ばかりが見受けられた末路として、入学から一か月して彼の黒い噂が流れ始めた。

     ルチアーノは悪魔である。
     この学校から出ていくべきだとさまざまな抗議がなされてはや一年。ヴァルガス家の子孫ということもあって見送られてきた措置が、い今年になってようやくとあるやり方によって取られることになった。
     二年に昇格したルチアーノに、一年間だけ監視役をつけようと。そうして見事改心し、罪を懺悔することが出来たならば、きっと神もお許しになるだろうとの決定が下された。

     そして、学園側は学園外から司祭を呼ぶことになった。

     しかし、何かしらの手違いで。
     きっとおそらく、郵便屋が間違えて封入したと思う。
     唐突にヴェリタ学園から手紙が来て、おかしいと思わないはずがない。都心部から遠く離れた山奥に住む菊は、触り心地の良い手紙を指で撫でて感嘆の息をついた。

    『ローデリヒ・エーデルシュタイン様』

     その名前だけで、この手紙が間違いなく違うものだと分かった。
     封筒にはヴェリタス教会学園の住所が記載されている。しかし、当のエーデルシュタイン宅の住所は書かれておらず、本来ならば回収されるべき手紙が、兄から送られた正しい手紙と同時にこの家にやってきた。
     内容をある程度確認し、学園内で困っている生徒がいることを知る。しかし、菊は教会の信徒ではない。自分には無縁の話だと思いながらも、この手紙をもう一度郵便局に返しても迷惑だろうと一瞬だけ捨ててしまおうかと思った。
     だが、捨てて了えば、学園側も、ひいては顔も知らないルチアーノも改心出来ずに困ることになる。
     山奥の小屋から、街の郵便局まで歩きで約一時間。一時間すれば日は傾き、郵便局は閉まってしまうだろう。もしもこの手紙が急ぎの物だとしたら、きっと皆が困る事になる。

    「…王耀さんなら、きっと」

     お人好しの兄である、彼ならばどうするか。このような事態に差し迫った時、よく彼が話していた事を思い出す。

    "情けは人の為ならず"
     人に優しくすれば、必ず巡り巡って自分の元へと帰ってくる。だからこそ、優しさを捨ててはならない。
     ちょうど、住所は封筒に記載されている。この場所ならば、五時間ほど列車に揺られれば、着けるだろう。郵便屋が運ぶよりもきっと早い時間に手紙を渡せるはず。
     さて、旅の一式はまだ倉庫に残っているだろうか。
     菊は重たい腰を持ち上げて、埃の被った倉庫へと向かった。



     時刻はちょうど、太陽が天辺に登った頃。
     背丈の何倍もある高さの正門を見上げて、そのセキュリティ性を疑った。見張りらしき人物は一人もおらず、誰でも来て構わないというように扉が開いている。
     ヴェリタ大聖堂は、この街周辺の信徒たちも利用していると聞いている。もしかしたらそのために一般開放しているかもしれない。
     ならば、学園に詳しい人がすぐに見当たるかも。そんな期待を胸に、明らかに場違いの格好をした菊が足を踏み出す。
     そもそも、菊はキリシタンではなく、仏教徒である。しかし、この学園の人達のように聖堂などはなく、年に数回ほどお寺に行く程度の信仰心だ。
     これほど豪勢な大聖堂を作りたいと思うような、超人的な何かを大きく信じることはできず、教会の規模の大きさを改めて知った。

    「どなたか、いらっしゃらないのでしょうか…」

     コンクリートで固められた道を沿って歩くが、広々とした学園内では見慣れない建物ばかりで、どれが学舎であるかさえ見当つかない。
     事務室の様な受付ができる場所さえあれば、菊はこれを学園側に手渡し、帰ることができる。
     キョロキョロと辺りを見渡してみるが、やはり大聖堂が隣接しているからか、道の側に置かれた花壇は一つ一つ手入れが施されており、薄桃色の花弁の大きな花がずらりと並んでいる。
     パタパタと小さな蝶が止まるのを、つい足を止めて見てしまった。膝を曲げてしゃがみ込むと、またさらに花の鮮やかさが目に入り込んでくる。

    「綺麗…」

     うっとりと惚けた言葉を吐き出した瞬間に、目の前の花は見えなくなった。何者かに目を遮られた訳ではない。
     どさり、と、重々しい音と共に花弁が散り、何かが落ちてくる。
     手足がついていたそれを人だと認識するのに、数刻がかかった。

    「!?」

     声にならない叫びで立ち上がり、痛みに悶える声を確かに聞き取る。菊の頭上には大きな木の幹が伸びており、その根元がぽっきりと折れていた。
     もしかして、木から落ちてしまったのかと、人を覗き込めば、焦げたチョコレイトの色をした髪色が花弁によって散らされて、まるで花冠の様に飾られていた。
     また、伸びたまつげに、彫りの深い鼻。一瞬だけ女の子にも見えてしまう、綺麗な顔が、強い痛みと衝撃によって歪んでいることが分かった。

    「だ、大丈夫ですか!?」

     慌ててつい声を荒げると、さも不愉快そうに顔を顰められる。

    「どうしたら大丈夫って思える訳?死ぬほど痛いんだけど?一体誰のせいだと思っ…て…」

     思っていたよりもつらつらと並べられた言葉を処理できずに固まると、彼の熟した赤い瞳が菊をとらえた。
     互いにパチクリと瞬きをして視線を交わすが、先に離れたのは相手の方だった。

    「何?お前」
    「…え?」
    「誰だよ」

     あからさまに不機嫌な顔で問われ、菊は慌てて首を振る。

    「あ、怪しい者じゃありません!」
    「怪しくない奴は皆そう言うんだよ」
    「違います!あの、この学校に用があって…!」
    「お前キリシタンじゃないだろ。キリシタンじゃないやつがここに何の用があるわけ?」

     敵対されていることが火を見るより明らかだ。身分を証明できるものが何かあれば良かったが、生憎長年山に籠っていたので、特別働いていた訳でもない。
     確かに、彼の方からすれば不審者だと疑うのは至極当然な防衛本能である。

    「あの…手紙を…」

     引っ提げた風呂敷の中から、一枚の封筒を取り出す。道中で少しできた皺を伸ばしながら彼に差し出すと、訝しげにそれを受け取った。
     彼は無造作に封を切り、中を見た。
     果たして彼は学園関係者だろうか。身なりを見るに、幼い顔立ちであるし、制服の様な者も纏っているから、学生の様に見える。
     しかし、実際に学生かどうか問えば、また更に不審者感が増す様な…。何とも言えない駆け引きに眉を顰めながら彼の顔色を窺えば、菊の雑念など全て取り払ったような清々しい表情で手紙を手にしていた。
     パタリ、と。瞼と同時に手紙を閉じて、四分の一にする。
     これは丁寧に。
     封筒に戻してくれるのかと思った。

     手紙を読む持ち方ではなくなった。上辺に指をかけ、ビリビリと音を立てて破かれた。

    「…え」

     絶句して言葉を失った。
     呆然と立ち尽くす菊の目の前に、手紙だった紙切れが花びらの様に舞っていく。
     そう言えばここは花壇だったと思い出したのも束の間、彼は柔らかな表情で平然とそれを破いていた。

     まるで、悪魔であった。

    「…あはは」

     乾いた笑みがその場を支配する。
     明らかに彼の反応は、人としては可笑しく、禍々しいものをかんじさせた。
     肌がピリピリと麻痺する。第六感が、これは危険だと警告し始める。

    「あははは」

     その奇妙な笑みに、頭の中で聡明に記憶が蘇る。
     手紙に書かれた問題児。
     悪魔。魔女。あらゆる言葉で罵られた聖なる人の血を継いだ男。
     超人的な存在を目の前にして、平凡な菊は、立っているのがやっとだった。


    「あなたが、ルチアーノ…ヴァルガス…?」

     不気味に唇の口角があがり、壊れた人形を彷彿とさせる。菊をじっと見つめたまま言葉をなくし、そのまま紙屑となった手紙を宙へと散らした。
     
     ここにいてはいけない。
     このままではいけない。
     きっと呪われてしまう。
     自分も、悪魔に連れ去られてしまう。
     そんな予感がした菊は、震える足を後ろへ一歩下げる。
     しかし、悪魔の視線をかわせない。逃げられない。避けられない。体がうまく動かない。
     ごめんなさい。
     ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
     思い浮かぶのは謝罪の言葉ばかり。喉仏は震え、舌は制御を失い、嗚咽にも似た息が吐かれる。
     許して、許して、許して許して許して許して許して許して許して。
     あまりの重責に押し潰されそうだ。自分がおかした罪、それに伴う罰。懺悔と後悔と救済と。

    「…っ…やめ…」

     恐怖に押しつぶされて、自分が自分でなくなりそうになる。
     あと少しで自我が消えていく。皮肉にもそれだけが、自我として伝わってきた。



    「こら!ヴァルガス!」

     笑みが消えた。
     悪魔の視線が妨げられ、声の方へと這いよる。
     助かった、と一瞬息を漏らしたのも束の間、やってきた人の気配に振りかえれば、目を三角にして屈強な男性がこちらへやってきた。

    「貴様、また祈祷をサボりおって…!どこをほっつき歩いていたんだ!」
    「サボってなんかないよ。木の上でも神の目線は届くでしょ?」
    「そういう問題ではない!いい加減にしろ!」

     激しく怒鳴りつける男性を前に、ルチアーノは平然としている。怖くはないのかと一瞬疑問符が浮かんだが、彼もまた、怖いものを持ち合わせていたことを思い出す。
     この中でたった一人だけの部外者として、ポカリ口を開けていれば、次第に男の方が菊の存在に気づく。

    「ルチアーノ、この方は?」

     二つの視線が集中し、菊は肩を窄めた。

    「知らない人」

     ルチアーノが冷たくあしらうと、男の眉の皺は更に深くなる。慌てて首を振って「ま、待ってください!」と抗議の視線を送った。

    「あ、あやしいものでは、ないんです!ただ、その!手紙を…!」
    「手紙?」

     咄嗟に風呂敷を漁る動作に、既視感を覚える。
     たった今自分の足元に散らばる紙屑は、手紙だった物。これを何と説明すれば相手の理解が得られるかと第一声を悩ませていると、次第に男の顔はどんどんと険しくなる。

    「ここら辺ではあまり見かけない顔だが…。この学園に何の用だ?」
    「違います!決して犯罪を犯そうなどとは考えておりません!ただ、御校に申したいことが…!」
    「事前にアポイントは取ってあるのか?そのような話は伺ってないが」
    「…そ、それは。その。」

     突然御校の手紙が自分の元へ運ばれてきたと伝えても、どう信じて貰えるだろうか。
     ここは大人しく身を引いて、帰るべきなのかもしれない。善意でここまで訪れたつもりだったが、それで自分に災いが降りかかるのならば、もはやそれは善意ではない。

    「す、すみません。私にも、何が何だか…」
    「…兎も角、この学園に立ち寄れるのは関係者だけだ。言いたいことは、わかるな?」
    「はい。直ぐに去ろうと思います。でも、一つだけお伝えしたいことがあって…」
    「む、なんだ?」

     ただ不審者だと思われるのは、不服だというもの。
     信じて貰えるかは別として、事情を説明すれば学園側から確認をとって貰える可能性もある。

    「私の家に、お手紙が届いたんです。その、学校からの手紙で…」
    「して、その手紙はどこに?」

     菊はルチアーノの方へと視線を渡す。気まずそうに見つめる視線を、彼は不愉快に感じたのかむっと唇を窄めて立ち去ろうとする。
     慌ててそれを制止して彼の手を掴み、文句を垂れるルチアーノをよそに彼に声を大きくして説明することにした。

    「この子が!破ってしまって!」

     ルチアーノは掴まれた腕を嫌そうに振る。

    「ちょっと、やめてよ!」
    「いいえ、貴方今去ろうとしましたね!私の無実を証明する物を破り去って、これ以上疑われるのは嫌です!」
    「何?俺が悪いって言うわけ?あんな手紙俺に見せる方が悪いでしょ。何?頭湧いてるの?」
    「っな…!怪しいと言われたから差し出したのです!私は!」

     白熱する口論と、止まない言い合いにいつしか男はわなわなと体を震わせて、ついぞ反論の言葉を遮った。

    「お前たち!いい加減にしろ!」

     大人になってから、こんなにも恐ろしい大人の怒号を直接受けるなんて思ってもいなかった。





     ___ヴェリタ教会地下室。
     ここはかつて戒律を破ったものが罰として連れ去られるために作られたものであり、現在では校則を破るものを強制的に連れ込んでいる反省室でもある。
     日も当たらず、埃が舞っている鉄格子の中で、菊は一人閉じ込められていた。

     なぜ、こんなことに…。
     
     つい先程まで手紙を学園側へ送ってから、帰ろうと思った筈なのに、唐突に訪れた生徒によって散り散りにされ、散り散りにした生徒本人との争いによって事態が深刻化し、現在部外者である菊も地下室に閉じ込められることになってしまった。
     情けは人の為ならず、とはいうが。相手が求めていない情けは、恐らく自分のためにもならないだろう。

    「どうして、こんなことに…」

     重たいため息をついて肩を落とす。
     ひんやりとしたコンクリートに背を当てれば、肌が少しずつ冷えていくのが分かる。春先とはいえ、日の当たらない地下室は少し肌寒い。

    「どうしてって。お前が来たからでしょ」
    「…私はお前などではありません」

     薄いコンクリート壁一枚隣の向こうに、ルチアーノが同じく収容されている。
     彼もまた菊が徴収しようとした手紙を破ったことで罰を食らい、菊と同時に処分が行われるようだった。

    「じゃあ何?Eretico」
    「え、えれてぃ…?そのような名前ではありません」
    「…あはは、scemo?」
    「何の言葉ですか、それは…」

     不自然に聞き慣れぬ言葉を発するルチアーノにぞわりと肌を震わせる。
     何かの専門用語なのだろうか。この学園なら尚更、ヴェリタでしか使われない言葉なのかもしれない。

    「…私は、本田菊です。遠い東からやってきました。」

    「…え、何?急に」
    「あ、貴方が変な言葉しか話さないからでしょう!」
    「ああ…変な言葉じゃないよ。蔑称だし」

     かちん、と鈍器で脳髄を殴られたような感覚がする。
     落ち着け。落ち着け、菊。
     水面のように心を穏やかにして、仏のように微笑みを忘れてはいけない。
     息を細く吐いて、怒りを吹き出していく。

    「ええ。そうですね…。異教徒の私は、貴方からすれば蔑称で呼びたくなるほど忌々しい存在なのかもしれません。そこは、配慮が足りていませんでした。申し訳ないです」

     宗教観は人それぞれであり、他の教徒を見て平静と信じられるわけもないだろう。
     ましてや、菊に関しては和服という服装から自身が異教徒であることを強く知らしめているから、更に憎たらしく見えていたのかもしれない。
     牢屋越しで良かった。更に彼の苛立ちを掻き立ててしまうから。

    「話を戻しましょう。東の国から来たと言いましたね。そこの国では、基本的に神仏習合といって、神も仏も同様に信じられています。勿論、別々だと仰る人もいますが、私は基本的に賛成派です」
    「…何の話?」
    「言いたいことは、私は神様も信じていますよ、ということです。ですから、特に教会に関して、何かどうこうしようだとかは、全く考えてはいないのです」

     自身の宗教観から身の潔白を訴えようと試みる。恐らく尋問の時間があるはずので、その時に同じ言葉を再度伝えるつもりである。
     しかし、現地の人は信じてもらえるかどうかは怪しい。なにしろ自身の身の保証ができるものは何も無く、唯一彼らとの共通点といえば、神の信仰その程度だ。
     だから、なるべくそこを狙っていきたいとは思ってはいた。
     彼らの信仰する神と、自身が信じている神が違くとも、互いの神の名の下に嘘をついていないとはっきりと述べたかった。

    「無駄だよ」

     不貞腐れたルチアーノの声が突き刺さる。
     お前が何を言っても誰も信じないのだと、そうやって暴言を吐かれることを覚悟して耳を澄ませる。

    「神を信じる者でも、人同士は信じられない」
    「…え」
    「例えお前が自分も神を信じていると伝えたとしても。神を信じている者なら尚更、人に疑われるよ」

     何処か的外れな反論を呟かれて、菊は唖然と空を見た。
     何もない虚空の中に、小さく埃が舞って、薄暗い照明が頼りない光源になっている。

    「何故…ですか?何故、疑われるのですか?」

    「自分が一番、神を信じていると、信じているから」

     菊は、言い掛けた言葉を喉元まで押さえ込む。
     それではまるで、椅子取りゲームのような。信じるという行為が、何かしらの優劣がつけられてしまう競争になっているような。
     教会というのは、そこまで蹴落し合うようなことを思い合って、神を信仰しているのだろうか。
     菊の知るこの教会の神は、どんな者でも平等に救う神だと聞いている。
     しかし、人はそうだとは思っていない。

    「万が一、自分が選ばれなかったら…救われなかったらと思うのが、怖いのですか?だからこそ、自分は一番信仰していると、神に示したいのですか?」

     ルチアーノは返事をしない。
     思い詰めているのか、はたまた、返す気がなくなったのか。
     質問を問い詰めすぎただろうかと目を落とし、膝を丸めてこのまま眠ってしまおうかと思った。


     徐に、自身の足元に影ができる。
     気配を感じて顔を上げれば、先程菊を牢屋に連れ込んだ一人の男と、もう一人厳かな礼服を着た男が菊を見下ろしていた。

    「君、王耀の…?」

     目を丸めて見下ろす、長い金髪の男に、衝撃を受ける。

    「兄を、知っているんですか!?」

     慌てて立ち上がり、鉄格子の握った。
     男達は鉄格子につけられた南京錠を開けて扉を開放すると、ここから出るように促す。

    「話は、校長室でしよう」

     待って。
     隣室にいるルチアーノは。
     そう言い掛けた時、男達の背後にもう一人の影があることに気づく。背から覗き込んだ赤茶色の髪色と、赤色の睨みつける視線を目にして、ホッと胸を撫で下ろした。

     どうやらルチアーノも解放されたようだった。
     この四人はその後校舎の方へと向かい、歴代校長の絵画が立ち並ぶ広い部屋へと案内される。
     甘いキャンドルの香りが美膣に香り、改めてここが異郷の地であることを自覚させられる。果たして、菊が何年働けば手に入るであろうか分からないような分厚いソファに座るように促されて、長髪の男と向き合う形になる。

    「自己紹介をしなくちゃね。俺はフランシス、フランシス・ボヌフォア。このヴェリタ聖堂の司教であり、ヴェリア学園の学園長でもある。そして、隣が教師の一人のルートヴィヒだよ」

    「ルートヴィヒ・ヴァイルシュミットだ。教師と紹介して貰ったが、一応研修生だ」

     屈強な見た目をしている割に、彼の首にかけられた名札には確かに研修生の文字が刻まれている。
     驚いて目を瞬かせると、ルートヴィヒは経緯を説明するように、菊に隣席するルチアーノを見る。

    「俺は北西の教会からやってきた司祭ではあるが、少し宗派が違っていてな。本来ヴェリタの教会を勉強するためにきたから、教師の仕事はついでのようなものなんだ」

    「そ。だからルチアーノの世話をして貰ってるけど、派遣された人材ってわけだから、上から指令があればルートは帰らなくちゃいけない。でも、ルチアーノの世話をするやつがいなくなると、それはそれで困る」

    「…手紙に、書いてありました。ルチアーノ君がヴァルガス家の子だから、ですか?」

     ヴェリタ大聖堂と、ヴェリタ学園の創始者、ヴァルガスの一族。ヴェリタ側からすれば、彼を簡単に退学させるのもヴァルガス家に対しての反故になるとは自覚しているのだろう。
     しかし、ルチアーノはあまりにも問題を起こしすぎた、と。

    「察しが良いね。ルチアーノは、ヴァルガスの子だ。でもこのままでは、彼の影響のおかげでヴェリタの評判にまで影響が出てしまう。
    すると、元々地域の方にも来ていただいた聖堂に人が来なくなる。来なくなれば、献金もなくなる。」
    「ひいては、ヴェリタ学園と大聖堂の運営の為に、退学を迫られている…。そういうことなんですか?」

     フランシス学園長は笑みを絶やさずにこくりと頷く。
     隣席のルチアーノは、自身の話題が振られているにも関わらず無関心そうに広い窓の外を見つめ、雲の行方を眺めていた。

    「手紙に書いてあったローデリヒ司教というのも、良いお家柄の人でね。彼は教師免許も持っているから、是非ルチアーノ・ヴァルガスを指導してほしいと思っていたんだけど…」
    「その手紙が、私の元へ流れ着いたと…」

     そして、ルチアーノに破られてしまった。
     手紙自体、いつでも書き直せるのではないか。そう思う反面、あの時を振り返って疑問に思っていたことがあった。

    「しかし、あの封筒は住所が書いてありませんでした。てっきり、急ぎの用事だと思って駆けつけたのですが…」
    「いや。本来学園側から教会側に手紙やら書類を送る際は郵便は使わないんだ」
    「………え?」

     パチクリ、と菊は豆鉄砲を喰らったような顔で瞬きをした。
     しかし、自分のポストには確かに兄の手紙と一緒に入ってあった。てっきり郵便屋が間違えて封入したのかと思っていたのだが。

    「きちんと人材を派遣するよ。無論、君が反省室にいる間に確認は取ったんだけど」
    「…でしたら、派遣された方のミスで?」

     フランシスは首を横に振る。
     神妙な面持ちで指を唇に当て、言いづらそうに言葉を紡いだ。

    「……それが、誰一人として派遣された人材を知らないんだ」

     …え。
     菊は絶句し、息が詰まった。
     そうなれば、何者か分からない人物が、意図的に手紙を菊のポストへ入れた可能性がある。菊の住所は極東の山奥の古屋。確実にこの場所を知って、ここに菊がいることを知らなければ、手紙など送れないはずだ。
     ぞわりと肌が震える。
     もしかして、菊がこの学園へ訪れることを、何者かが望んでいたのだとしたら。

    「君はつまり、何者かによって選ばれたんだ」
    「……でも、そんな。一体誰が?」

     困惑する菊をよそに、フランシスは至極冷静な声色で言葉を返す。
     
    「俺の見解では…王耀では無いかなって、思っているよ」
    「王耀さんが…?先程から聞きたかったのですが、お知り合いなのですか?」
    「まあ、ね。昔彼にあったことがある。そして、"菊"という弟子がいることを教えて貰った」
    「…何処で!?いつ、どこでですか!?」

     菊は、取り乱したように立ち上がる。
     王耀は菊の修行が終わって以来、あの山奥から旅をすると言って夜明けと共にどこかへ消えてしまい、それから数年程菊に送り先のない手紙を送って土産話を持ってくる。
     菊から返事を送ることはできず、一方的に状況報告される今の事態に日々不満は募るばかりだった。
     王耀はてっきり、郵便屋を経由して運んでいると思っていた。わざわざ旅路から菊の家にまで向かうことはまず無いだろう。
     しかし、もしも彼が実際に菊の家に来て手紙を置いたのならば。王耀からの手紙が一緒にあることも辻褄が合う。

    「二年くらい前かな。ヴェリタ聖堂に来て、異教徒だけどお祈りがしたいって言い出したんだ。どうやら物珍しさにここに来たらしくて、自分もできるならしてみたいと」
    「王耀さんらしい、といいますか。ですと、もしかして今回のことは…」
    「いや、まだ決めつけるのは早いだろう」

     ルートヴィヒは、期待を込めた菊の言葉を断ち切る。彼もまた眉間に皺を寄せて、考えがあるようだった。

    「その王耀というお前の兄が、何故学園の手紙を持っている?お前達の仲がそこまで悪くないのならば、何故直接会わない?」
    「それは、確かに…」
    「異教徒なのだろう?異教徒がフランシス学園長の側に置かれるだろうか?」
    「…つまり、振り出しに戻ったわけだね」

     三人は重たい息を吐き、室内はどんよりとした空気に包まれる。
     一方で、ルチアーノはこの時間に退屈しているのか、長い足をゆらゆらと揺らし、いつまでも窓の外を眺めていた。
     横顔を覗き見れば、虚空を見つめるその朱色の瞳が深い深い闇に囚われていることに気づく。
     反省室の中で彼は、第一印象とはまるで違う通りの叶った答えを繰り広げた。
     神を信じる者同士、人同士は信じ合えないと。
     人は救われる為に争い合うのだと。
     菊よりもまだ若い生徒が、これ程大人びた考え方を持つ事に驚く反面、悲しくもある。
     
    「あの。けれど、もう一度ローデリヒさんにお手紙を送ればいいのでは?犯人探しは、後でもできるのではないでしょうか?」

     菊は提案を試みるが、二人は顔を見合わせて首を振る。

    「ローデリヒ司教は多忙でね、一つの教会に長くいることはないんだ。だから、彼に一報を送るのに一ヶ月から半年くらいはかかる」
    「は、半年!?」
    「だから、学園長があらかじめ早めに送っておいたんだ。最後に送ったのは十一月なんだがな」

     今現在二月であることから察するに、二、三ヶ月ほど前から手紙を出しているのに返事がない状態、という事のようだ。
     ローデリヒ司教がどなたかはご存知ではないが、是非この先の情報伝達の向上の為に定住して欲しい。

     そして一拍おいて、果たしてこの状況に部外者である自分が乱入して良かったのかと、菊は再度自身の行動を改めて見てみる。
     学園側に混乱を招き、ローデリヒ司教の訪問をいつまでも遅らせているのではないだろうか。
     第三者から見れば、菊も歴とした被害者側である。しかし菊自身は、自分がやられた側というよりも、自分が事態を更に歪ませてしまった側だと後ろめたさを感じていた。

    「すみません。…私が誰から手紙をもらったのか、見ていれば良かったのですが」
    「ああ、そんなに気にしないでよ。まだ悪意が入ってると決まったわけじゃない。君が何者かに襲われたりしなくて良かった」

     肩を落とす菊に、フランシスは丁寧に言葉を投げ掛ける。
     そうして一つ息を吐いた後、長髪を耳にかけて、相席者をまっすぐ見つめた。

    「菊、君にお願いがあるんだ」
    「お願い?」

     問われて、フランシスは薄く微笑む。
     迷惑をかけたお金を払えだとか、ローデリヒ司教をお前が見つけてこいだとか。もしかしたら、そんな無理難題かもしれないと半ば諦めかけて彼の問い掛けに首を傾げる。
     勿論、この件に関して自分が取れる部分は責任を取ろうと思っていた菊に関して、できるものに関しては喜んで受け入れるつもりだった。

     フランシスの目が、菊の隣に行く。
     ルチアーノの不貞腐れた横顔を瞳にうつして、また戻す。
     菊の第五感は何故か警鐘を鳴らし、嫌な予感が頭をよぎった。


    「ローデリヒ司教がみつかるまで、ルチアーノの世話役になってほしい」


    「_______え」

     最後に自分が、どうやって言葉を発したのか。もう覚えられないほどに、頭が霞んでいた。





     何故、菊がルチアーノの世話役になるのかと問い掛けた。
     ローデリヒ司教が来るまで、繋ぎ役をしてほしい。
     ルートヴィヒはその繋ぎ役ではないのかと問い掛けた。
     ルートヴィヒは、研修生である。本来、教師の側に立つことはない。
     菊もまた、教師側ではない。
     しかし教会側でもない。
     ルチアーノに関与しなければならない理由は?

    「君がここに来たから。」

     思い返すだけで暴論だったような気がする。フランシス学園長は見目こそ麗しく、一見理にかなったようなことを話すが、菊にお願いをする時の彼は狡猾な蛇のようだった。
     あくまでもルチアーノの世話役。何かを教えたりしなくても良いとは伝えられたものの、彼の世話をすることがいちばんの難題ではないかと訴える。

    「何。朝から晩まで管理する必要はないよ。ルチアーノが健康に生きられるくらいにストッパー役をしてほしい」
    「健康に生きることに、ストッパー役がいるのですか…!?」

    「あの子には自傷癖がある」

     フランシスは面持ちを重くして、確かにそう伝えた。
     ルチアーノがルートヴィヒに連れられて、寮に戻っていて良かったと内心思う反面に、あまりにも重たい彼の闇の部分を謳われて内心消化できずにいる。

    「手紙にも書かれていたこと、覚えているかな?彼は悪魔だ」
    「悪魔…」
    「彼の狂気さで、生徒の何人かが発狂した」

     身に覚えのある状態にぞくりと肌を震わせる。
     一生徒の噂としてはあまりにも暗いものだ。問題児だとか、その呼び名は確かに可愛らしいものだ。
     悪魔、と呼ばれる所以もこの身を持って何となく理解が出来た。

    「…であれば、もう、学園から」
    「追い出せるならとっくにしてる。けど、ヴァルガス側の圧力は強くてねえ。ヴァルガス家には沢山献金をもらっているし、言い出しにくいんだよ」
    「…っ。結局、お金ということですか」

     フランシスは頷かなかったが、黙っていた。恐らく、肯定を意味していたのだろう。
     確かに教会、学園を共に運営するならば途方もない資金がかかることは予想できる。しかし、金に変えてまで、自身の生徒や信徒たちを危険にさらしたいかと問われれば、菊はNOと言える。

    「お金といえば、君にはきちんとお給料を払うよ。ルチアーノと同じ寮だけど、部屋も用意させる。遠いところから来たんだろう?」

     彼は菊が世話役になる事前提で話を進め始める。
     もはや、何を言っても聞いてもらえないのかもしれない。ズキズキと痛むこめかみを押さえつけながら息をつき、フランシスを見上げる。

    「お金は、かまいません…。三食と住む所さえ用意していただければ、それで…」

     山奥で生活していた菊にとって、最低限の生活さえあればやっていけると自負している。
     実際に、大雨の季節の時に山道が崩れ町に降りられなくなった時も、山頂の木の実や山菜を分けていただいて生活していた。
     流石に街中での食糧採集は困難だが、食事と雨風をしのぐ場所さえ保証して貰えれば、着るものの工夫も厭わない。
     フランシスは少し目を丸くした後、まるでおかしなものを見るような目で歯を見せた。


     男子寮三号館。アンティーク調の厳かな洋館が三つ立ち並び、その一番奥の建物の裏側、酉の方向に山が聳え立ち、日がじわじわと山頂に食われていく。
     すっかりと早まった夜の訪れに感嘆の息をつきながら重い扉を開き、中央の螺旋階段を登る。
     ズキズキと痛む足腰を叩きながら四階に入ると、すれ違い様に生徒たちが物珍しい顔で菊を見ていた。

    「はじめまして。訳あって、ここに居候させていただきます本田菊と申します」

    「ホンダ…?」
    「知ってる?」
    「知らない」

     目の前に本人がいるのに、不躾に首を振る彼らに後ろめたさを感じながら、ぎこちない笑顔を崩さずに後を去る。

    「私、向こうの部屋なので…」

     一番奥の角部屋。そこに指を指すと、生徒たちは目を丸くした。

    「悪魔の部屋だ」

     唱えられた瞬間に、衝撃が走る。
     慌てて生徒たちの方を振り返れば、彼らは奥に見える部屋を忌々しそうに見ていた。
     思えば、あの角部屋の扉だけ木の色が違う。廊下の繋ぎ目も不自然であるし、突き当たりの窓のカーテンも閉められている。

    「お兄さん、あの部屋は悪魔の住んでいた部屋だよ」
    「悪魔の部屋だ」
    「かわいそう。かわいそう。」

     悪魔の住んでいた部屋。
     悪魔、と呼ばれて一瞬亡霊のような、幽霊のような訳あり物件を想像したが、一刻おいてようやく気がついた。

    「悪魔、とは…ルチアーノ君のことですか?」

     生徒達は眉を顰めて耳打ちしあう。その冷たい視線にぞわりと肌が震えた。

    「名前を口にするのも恐ろしい」
    「悪魔だ」
    「悪魔だよ」

     ルチアーノが腫れ物のように扱われている理由は、手紙にも記載されていた。実際に菊も由縁を感じた一人であったが、改めて彼が迫害を受けているのを見て感じの良い気分にはならない。

    「呪われないようにね」
    「じゃあね」
    「ばいばい」

     生徒たちはくすくすと笑いながら、階段を下っていく。
     その様が不気味に感じ取れ、後味の苦さを噛み締めながら割り当てられた部屋を開く。
     率直にいうと、彼らが悪魔の部屋という程、悪い部屋ではなかった。
     深いシーツのベッドや、広々としたクローゼット。装飾を惜しまない部屋は、簡素ながらも優雅さを損なうことなく実に教会チックらしい部屋だった。
     奥の窓からは裏山の山肌が見える。景色を眺めるついでに換気をしようと思い立ち、鍵を探すと、何か固いものにつっかかる。

    「…これは」

     鍵が壊れている。
     しかし、不自然だ。隙間が人工的に埋められたように見受けられる。鍵が開閉する部分に、何か固められたものが詰まっている。
     窓を開けられないようにするのならば、鍵を作る必要はない。ガラス一枚を貼り付ければ良いのだから。
     しかし、二枚窓になっているということは、元々は窓としての役割がきちんとできていたのだろう。

     想像できる要因は、ルチアーノの行動。
     もしかしたら、ここから飛び降りてしまうことを予測して、おそらくは、飛び降りようとしたことがあったか。

     フランシス学園長は、彼に自傷癖があると言っていた。
     それを無理矢理に止めるのは恐らく精神状態に大きく影響を及ぼすだろうが、自殺に大きくつながってしまうような出来事は、子供を見る役の大人としては必ず避けたい。

     そういえば、前のルチアーノの部屋だとは聞いたが、現在の彼の部屋は何処にあるのだろう。
     その部屋でも、同じような工夫がされているだろうか。あるいは、この部屋よりも施されているだろうか。
     どっちにしろ、生徒たちの反応を見る限り良い環境に配属されているとは思えない。

    「お世話役として認定されたわけですから、お部屋にお邪魔しても…良いんですよね?」

     菊がこの学園に留まるように頼まれたのは、ルチアーノの世話役としてが第一である。これがなければ菊は今頃、帰りの電車に乗れただろう。
     ルチアーノのという存在が、菊をここに引き留めている一番の要因になっている。
     これも何かの運命なのだろうか。
     糸で繋がれた強固なものならば、何故運命は菊を選んだのだろう。
     なんて、途方もないことを考えながら荷解きをし、部屋を後にしてルートヴィヒを探した。


    「あまりルチアーノの部屋には近づかないほうがいい」

     ルートヴィヒは鍵を渡す際に、忠告をした。

    「あいつのプライベートには、あまり干渉しないほうが良いと思ったんだ」
    「それは…そうですね。誰だって、自分の場所に知らない人が来るのは怖いでしょうから」

     思春期に、大人から過度な干渉を受けるのは良くないだろうと思い発言すると、彼は緩やかに首を振る。

    「いや…違うんだ」

     ルートヴィヒは目を細め、悲哀に満ちた表情をする。

    「それだけじゃない。ルチアーノは様々な理由でこの学園にいる。恐らくヴァルガス家からの抑圧もあるだろう」

     どうやら、ルチアーノにとって家柄というのはとても重要らしい。
     ヴァルガス家の名前が再び出たことに注目していると、彼は更に言葉を続ける。

    「しかし、最終的にあいつはきっと、自らの意思でここにいる」

     でなければ、とうにこの学園から去っているだろう。
     ルートヴィヒは言う。
     
    「俺はあいつが、この学園にいるべきだと思っている。どんな問題児であれど、通うことに意味がある。
    だから、本田。
    ルチアーノが嫌がることは、しないでおいてほしいんだ」
     
     あいつが授業に出たくないと言うならば、尊重してやって欲しい。
     あいつが祈祷を捧げたくないのならば、許してやって欲しい。
     あいつが何もしたくないと願うのならば、受け入れてやって欲しい。

    「俺も全力でお前のサポートをする。だからどうか、ルチアーノを…頼んだぞ」

     それはまるで、祈りのように託された想いだった。

     人から何かを託されると言うことは、初めてだったかもしれない。
     何せ、昔から兄の弟分として、兄に施してもらうことが常だった。自分の責任と、使命が浮き彫りになる。
     もしもこのままルチアーノが改心しなければ、彼は退学になる。しかし、ルートヴィヒはルチアーノを尊重して欲しいと願った。ローデリヒ司教へ伝達が届く日も、この先遠いだろう。
     菊は改めて自身の立場について考えてみた。
     ルチアーノから、この学園側からすれば、名も知れぬ怪しい異教徒であり、そんな人間にルチアーノを託して良いものかとも疑念に感じる。
     自分には何ができるだろう。
     ルチアーノの心を、少しでも開くことができたなら。

    "四階の上に、屋根裏部屋がある"
     コツ、コツ、と古びた階段を登り、埃っぽい廊下に出る。四階から上は老朽化がひどく、工事も怠っているとルートヴィヒは教えていた。
     この部屋は、元々反省室に使われていたらしい。しかし、教会が新たにできたことにより、生徒以外の一般信者も入れるようになったことから、安全を考慮して教会の地下を反省室としたようだ。
     しかし、役割としては遠からず、問題児などはここに住むように言われるらしい。今年は、たまたまルチアーノだけが屋根裏部屋に住んでいるようだった。

     木目に手の甲を当てて、こんこんと扉をノックする。
     思いの外早くに扉は開き、じっとりとした赤い瞳が菊を見つけた。

    「…何の用?」
    「改めて挨拶をしておこうかと」

     ルチアーノは重たくため息をつく。

    「いらない」

     パタン、と。無情にも扉が閉められ、菊は呆気に取られる。
     要するに、お世話役としての課題点はルチアーノの信頼をとることだ。そうすることで少しは自身の悩みを打ち明け、学校への復帰につながる糸口が見つかるかもしれない。

    「ま、まって!まってください。ルートヴィヒさんがこの部屋を教えてくれたんです。ここのお部屋は快適ですか?お掃除はしていますか」
    「何。お前は俺のマンマにでもなったつもり?」
    「まんま…?私は、ルチアーノくんを見るように頼まれました。ですので、きちんと見なければいけないのは当然です」

     素っ気ない声が扉の向こうから聞こえ、慌てて釈明を唱える。しかし、声色から察するに本人にはちっとも届いていないようだった。
     気持ちはわからなくはない。突然現れた知らない人間に生活を管理されるのはひどく嫌なことだと思うから。

    「ルートヴィヒさんから合鍵をもらいました。けど、あなたの目がないときに入ったりはしません。これから毎日、おはようとおやすみの挨拶に向かおうかと思います」
    「…何で、そんなに乗り気なの?」

     ルチアーノの声は問いかける。

    「気持ち悪いでしょ。突然知らない問題児の世話を任されて、家にも帰れなくて。でも学園長が言ったことには何の拘束力もない。お前は好きに帰っても誰にも咎められないよ」

     彼は菊を同情してか、帰るべきだと伝えている。
     菊も実際は、帰れるのならば帰りたいと思うのが本音だった。
     しかし、ルチアーノが許しても、兄は、仏は許さない。

    「ルチアーノくん。私には、好きな言葉があります」

     自分が小さな頃から、兄は何度もその言葉を続けた。

     "情けは人の為ならず"
     
    「相手に施した優しいさや思いやりは、巡り巡って、自分に返ってくるんです」
    「俺は優しくしてだなんて頼んでない。情けも思いやりもいらない」 

    「違います、ルチアーノ君。貴方だけのためじゃない」

     ルチアーノの声がぴたりと止む。
     扉の向こうで、息を吸った音がした。

    「私のためでもあります。私は昔からこうして、生きてきたんです」
    「…」
    「貴方が望まなくとも、貴方に優しくしてくれる方はきっと沢山いらっしゃいます。その方達が幸せになれるように、世界はきちんと回っているんです」

     ルチアーノの胸の内を、何が苦しめているのか。何が彼の心を閉ざしているのか、菊には見当もつかない。ついたとしても、全て理解できる日は訪れないかもしれない。
     しかし、彼がもしも人の優しさを受け取りたくないと、それが同情で、何の救いにもならないことだと言うのならば。

     自分は声を大にして伝えなければいけないと、そう思った。それが、大人にできることだから。

    「私の言葉はまだ信じてもらえないかもしれません。けれども、私はこれを信じています」
    「…何で?何でそんなことが言えるの?」


    「信じたいからです」

     かつての自身の声が聞こえたような気がした。
    『何故、そんなことが言えるんですか?』
     何も知らない子供だった頃。押し付けられた優しさが重たくて、苛立ちに任せて不躾なことを聞いてしまった。
     けれども、兄は。
     先生は、何も疑う事なく伝えた。

    『信じたいからある。』

     あのはっきりとした声色を今でも覚えている。
     もしも自分と同じように迷い子がいるのならば、彼に導いてもらったように、少しでも暗い道を照らせる街灯になりたい。

    「…なんて、すみません。実は受け入りの言葉なんです。まだ私のことは怪しい大人だと思ってもらって構いません。これから先、信頼して貰えるように頑張ります」

     扉の向こうで、頭を下げる。見えるはずもないのに、相手に誠心誠意を伝えたかった。

    「これから、宜しく願いします」

     これから先、思いがけないことに出会うだろう。ルチアーノと過ごしていく上で、困難は容易に想像できる。
     しかし、これは乗りかかった船。長い長い航海の中で、止まることはできない。

     いつかこの選択が、ルチアーノにとって、自分にとっても、良いものであると願いながら。
     菊は、古びた扉をそっと撫でたのだった。

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