4話「受容」部内会議。これから部の重大な規定変更のための投票をするので、部員ほぼ全員が集まっている。カキツバタは横目でこっそりとスグリの表情を伺ってみたが、驚くくらいに無表情で、無感動だった。――自分の進退に関わる重要な事項が議題であるのに関わらず。
部の規則は基本的には部長に改定の権限が与えられている。しかし、重要な規定は部員全員の投票によって改定することとしている。重要な規定というのは、例えば、部長の決め方だとか、部長の改定権限そのものの変更だとか、そういうものだ。
今日は、まさにその、部長の決め方について、チャンピオンを部長にするのではなく、部員の投票によって部長を決めるようにしてはどうかという改定の提案に係る投票を行う予定だった。
発案は、以前スグリに罵倒されていた部員……に、カキツバタが改定案の原稿を渡し、このままで良いのかと焚きつけて、提案させた。最近の部の空気に居心地が悪そうにしていた他の複数の部員にも声を掛けてある。
過半数には届く、とカキツバタは思った。
「スグリ現部長の御意見は?」
発案者の部員がホワイトボードの前でしどろもどろに改定案の説明を終えたところで、カキツバタはスグリに水を向けた。無機質な瞳が、カキツバタをチラと眺め、ホワイトボードの方ですらなく、誰もいない正面を向いた。
「この時間がもったいない」
発案者の部員が、上目遣いでスグリの方を見た。
「ほーん。そんじゃ、他に意見ある人」
カキツバタが声を上げると、一人の部員が恐る恐る手を挙げたので、指名する。
「あの、俺も、カキツバタ先輩に声かけられて、部長を変えようって言われて、俺も確かに、賛成するつもりですけど、スグリくんが嫌ってわけじゃなくて、投票で部長を決める制度がいいなと思ったからで……」
「……ちょっと待って。カキツバタに、なんですって?」
ゼイユが声を張り上げ、カキツバタは内心舌打ちをした。口止めが甘かった。
「あんた…カキツバタ、あんた、自分がルール変えたいからって、まさか人使って提案して、人使って投票させようとしたってことじゃないでしょうね?!」
ポリポリと頬を掻きながら曖昧に笑うと、ゼイユは発案者の部員に視線を向け、彼の表情からその推測が正しかったとみて、怒りを露わにした。そういうの良くないと思います、という声も真後ろから聞こえてくる。自分でやればいいのに、なんで?という大きな声も響く。
「でもよぉ~。そうしちゃいけないって、規則はないだろぃ?」
「常識的に考えなさいよ! 卑怯じゃない!」
「いーや。他人に提案させても、根回しがあっても、議題は議題、一票は一票。違うかい?」
激しくかみついてくるゼイユをいなすが、周囲の部員の様子を見るに少々旗色が悪い。カキツバタが声を掛けた部員たちは、互いに顔を見合わせている。声を掛けられた時期や内容などを確認しあう小さな声も聞こえる。
「他人を操って提案なんて、良い訳ないでしょ!」
「……良いとも悪いとも、現行の規則にはありません」
ネリネの方を向いて、悪くはないなら良いだろぉ、と言いながら、カキツバタはついでにもう一度スグリの方を見やった。スグリは、もはや正面すら向いておらず、手元の本に目を落としていた。
「わかったわかった。そんじゃ、部長様に、部長権限で、アリかナシか決めてもらおうぜぃ」
それでも勝てる、とカキツバタは思っていた。自分のことを疎んでいるスグリが、ナシだと言って否定するなら、スグリの暴虐を周囲にそれとなく再認識させることができる。それから、自分がこの場で同じ改定案を再度提案すればいいだけだ。あるいはこの無関心さのまま、アリだと言うなら、スグリ自身が部長を降りても良いと言っているように聞こえることだろう。
「……。……過半数以上、賛成したんだな」
スグリは本に目を落としたまま、呟くように言った。それから、かまわない、と一言言って黙った。
「ちょっと、スグ! こんなの許して良いわけ?!」
ゼイユが声を荒げ、立ち上がる。
「……初めてじゃ、ねっから。かまわない」
シン、と部室が静まり返る。ゼイユは、風船がしぼんだように元気をなくし、音も立てずに席に座った。
何が「初めて」じゃないのか、正確なところはわからなかった。しかし、本に目を落とすかのようにして俯いていたスグリの、久しぶりに聞いた方言交じりの言葉。その声色は、不自然なくらいに固く、冷たく、色々な、例えば苦しさに類する何かを、無理に押し殺したと推測させるに足りるものだった。
「まーまーまー! 部長様の許可が取れたところで! 投票しようぜぃ!」
空気を払おうと、笑顔で大きな声を出してみたが、その時には既にカキツバタは自分の作戦の、完膚なきまでの失敗を悟っていた。
投票結果は、やはり否決だった。スグリは真っ先に棄権し、カキツバタが声を掛けた部員たちも、発案者の部員すら棄権した。元より乗るかどうかわからないと思い声を掛けなかった部員は、もしかしたらこの騒動が無ければ賛成の可能性もあったのかもしれないが、反対に回った。ゼイユも反対。タロとネリネとアカマツは棄権。カキツバタだけ、賛成。
「はぁ~。やっちまったねぃ」
ポーラエリアへの帰り道。自分のあんまりな大失敗に、うっかり独り言が漏れてしまう。
「カキツバタ」
「!!おおう!?」
思いがけず突然声を掛けられて驚く。会議解散を宣言した途端にいの一番に出ていったはずのスグリが、氷山の陰に隠れて待ち伏せていた。
「最強チャンプたる部長様がこんなところにいらっしゃるたぁ」
「バトルしてよ、カキツバタ」
被せるように言ったスグリは、手元では音でもしそうなくらいにボールを強く握り、しかし無表情でカキツバタを眺めていた。
「……」
「バトル、してよ」
「……」
スグリはカキツバタを待たず、ボールを投げた。雨が降る。
ああ、とカキツバタは思った。カキツバタもボールを投げる。
もし涙を見てしまったら、自分は今後の彼の横暴を受け入れてしてしまうかもしれないと思った。
そして、たとえ雨が降っていたからって、涙なんてそうそう誤魔化せるものではないとも思っていた。
しかし彼は予想に反して、少しだけ眉の角度を下げただけで、目元も口元も、それ以上には、何も歪めることはしなかった。
ただ、雨に濡れ続けただけだった。