夢の続きで会いましょう ギシ、ギシとあの頃と同じように船の甲板が軋む音がする。懐かしい海風、潮の香り。ふうと息をつき、瞳を閉じて身体全体であの頃に浸る。
ここは私の夢、幸せが全て詰まった世界〈ウタワールド〉。誰の邪魔も入らない、神聖な場所。寂しい日常なんてなかったことにできる、ここはまさに天国だ。
ゆっくり瞳を開くと、目の前には最愛の家族。いつもそうやって花束をギュッと握ってて、少し花がくたびれてたよね。エレジアでも何度も探したけれど、この種類の花はどこにも咲いてなかったよ。なんて名前の花だったんだろう、あの時ちゃんと聞いておけばよかった。
「ウタ」
麦わら帽子を被ったあの日のシャンクスが花束を私に向けて微笑む。太陽みたいに明るく笑うから、私もつられて笑っちゃう。
「ウタ、誕生日おめでとう」
「………うん」
幼い頃の私に向けた、甘く懐かしい眼差し。世界で1番、誰よりも愛を注がれてると感じていた瞬間。
「ありがとう、シャンクス」
「それともうひとつプレゼントだ、こいつは高くつくぞ」
そう言うとシャンクスは私に向かって両手を広げる。
「じゃあ、いつもの宝払いでお願い」
「おっ、海賊みてェなこと言うじゃねェか」
「!……そうだよ、わたしは……赤髪海賊団の音楽家なんだから」
「はは!こりゃ頼もしいな、流石はおれの娘だ」
私はもうとっくに大きくなってしまったのに、海賊嫌いを謳っているのに、それでも目の前のシャンクスはあの頃と同じように優しく抱き締めてくれた。
***
「よし!誰もいないね!」
マストのてっぺんに登って船内にクルーが居ない事を確認した私はすうっと息を大きく吸った。
今日は私の誕生日。帰ってきたウタの誕生日を祝うってシャンクスが聞かなくて、私達はとある島へとやってきた。ここは赤髪海賊団の領地だから海軍達に追われる心配もないらしい。それでも私の存在は世間から消されたことになっているから、上陸許可は降りなかったけど。
シャンクス達が帰って来るまでの間、私にはやらなければいけないことがあった。そう、過去との決別だ。
「ハッピーバースデーウタ♫……ハッピーバースデーウタ♫」
祝いの歌を口ずさみ、私は1人ウタワールドへ向かった。
「……ふぅ。この景色も、もう全然違ってるね」
入り込んだ夢の世界。私は偽りのレッドフォース号の甲板に降り立つと、海風が交差する中を歩み、船の中央で立っている彼の元へと向かった。
「ウタ、遅かったな」
麦わら帽子を被ったシャンクスは私がお別れしたあの日のまま時が止まっているから、今よりもずっと若い、というより幼い。そりゃ12年も前の話なんだから、当たり前なんだけどね。
シャンクスはわかりやすく両手を後ろに隠して私を待っていた。
「シャンクス、今年もお祝いしてくれるの?」
「当たり前だろ?家族なんだから」
「……うん、ありがとう」
この世界のシャンクスはどんな時も私に優しい。もちろん現実のシャンクスだって同じくらいに優しいけれど、こっちのシャンクスはどちらかと言うと幼子をあやしているような、そういった甘さがあった。
それもその筈。だってこれは、当時9歳の、置いて行かれたウタが夢見た世界だから。現実とのギャップに少し傷付きながら、私はシャンクスが隠し持ってる花束を指さした。
「今年は何をくれるのかなぁ?」
「ん?そりゃあ……お前が好きなものに決まってるだろ」
「わたしの好きなもの?シャンクスでしょ、それと……お花?」
「正解だ」
シャンクスは目を細めて微笑むと、背後から花束を出して来た。勿論、ずっと握られていたのであろうそれは、いつも通り少しくたびれちゃっていたけれど。シャンクスから受け取った花束の花は、やっぱり私が知らない花だった。紫色で、そこまで大きくなくて、可愛い花びらがついている。もしかしたら妄想で作っただけで、現実には無いのかもしれない。現実。そうだ、ここは私の夢の世界で、全て妄想。もう、今のわたしには要らない。
喜びに浸かるのも束の間、私は意を決してシャンクスに話し掛けた。
「シャンクス、あのね」
「なんだ?もしかして、嬉しくて泣きそうなのか!?」
「……まあ、そんなとこ」
目尻に溜まった涙を手で乱暴に拭うと、私は首を横にぶんぶん振って、改めてシャンクスの目を見て自分の気持ちを伝えた。
「もうね、プレゼントはこれでおしまい」
「ウタ……?」
「わたし、大人になったの。だからもう、プレゼントは」
「待て待て、これが反抗期か?それに、プレゼントはもう一つあるぞ」
複雑そうな表情でシャンクスは両手を広げると、ぐちゃぐちゃになりそうな私を抱き締めた。
「せめて全部受け取ってから断れよ」
「……シャンクス……今まで、ずっとず〜っと、わたしのそばに居てくれて、本当にありがとう。でも、私もう大人になったから……だから、これでバイバイだよ」
「そうか……ウタ。それでもお前は、一生おれの娘だ」
「!……ありがとう………」
私が一番欲しかった言葉と共に、麦わら帽子を被ったシャンクスは光に包まれて姿を消した。残されたのは萎れた花束だけ。私は花束を抱き締めて甲板に座り込み、1人声を上げて泣いた。止めどなく流れる涙は船から海に流れ落ちて、海面が少し上昇した気がした。これじゃあまるで不思議の国のウタだ。ともかくどれくらいの時間泣いたのか、自分でもよくわからなかった。
「………あ、れ?」
ふと、誰かの気配を感じた。私しかいない筈なのに、一体誰なの?邪魔しないでよ、まだ私はこの12年の余韻にーーー。
「おいおい、何泣いてんだ?」
「えっ」
先程まで聞いていた声と全く同じ声が背後から聞こえて、慌てて振り返るとシャンクスが目を丸くして突っ立っていた。麦わら帽子はもう被っていないし、片腕も無い。このシャンクスは現実のシャンクスだ。
「ひと足先に船に戻ったら歌が聞こえてな。久しぶりにお前の世界に入ってみたんだが……もしかしてまずかったか?」
「え、ええええ!」
今の今までだらだらと流れていた涙は急に引っ込んで、私の心臓はバクバク鳴りっぱなしだ。やばいやばいやばい!一体どこから見てたんだろう。
「とりあえず隣、座っていいか?」
「へ?」
「島中探し回ったから疲れちまってな、ほれ」
シャンクスは座り込む私の隣にどかっと座ると、私に花束を差し出した。白いラッピングに真っ赤なリボン。花は私が毎年ウタワールドで受け取っていたものと全く同じで………
「こ、これ……!」
「なんだ、もう先客がいたのか?」
私が持っていた花束を指さしてシャンクスが苦笑する。「おれが一番目だと思ってたんだがな」と笑うとシャンクスは私の頬についていた涙を親指で拭った。
「あ、こ、これ、えっと、なんでもない!」
ポン!と音を立てて自分が持っていた花束を消すと、シャンクスは一瞬驚いたような表情をしたけど、その後すぐにいつもの、ううん、あの時と何にも変わらない優しい眼差しで私を見つめた。
「この花束のこと、ずっと覚えててくれたんだな」
「!………うん、」
あ、まずい。視界が一気にぼやける。忘れるわけないない、忘れるなんて、出来っこない。やっぱり私の欲しいプレゼントはいつの時代もシャンクスとこの花束なんだ。鼻の奥がツーンとしてきて、やばい、また泣きそう。このままじゃまたシャンクスに泣き虫だって揶揄われる。ぐっと下唇を噛んで顔面の筋肉に力を入れてみるけど、私の努力も虚しく涙腺はどんどん緩んでいく。
「ウタ」
「わ、っ!」
涙の粒がぽたりと落ちる直前に、シャンクスが強引に抱き締めてくれた。
「シャンクス……?」
「誕生日おめでとう。12年越しになっちまったが、また受け取ってくれるか?」
「……いいよ」
私の短い返答に、シャンクスはホッとしたように溜息を吐いた。シャンクスがくれた花束からはバニラみたいな甘い香りがした。そう言えば、昔貰っていた花束からも同じ匂いがしていたっけ。
甘い花の匂い、私よりもちょっぴり早い心臓の音、温もり、波の優しい音色。私の五感を刺激する全てが幸福に満ちて愛しい。私が欲しかったものは、今ここにあるんだと全身で感じた。
しばらく抱き合ってから、私はシャンクスがくれた花束を改めて眺めた。ラッピングに包まれた花はあの時と同じ、紫色の花びらが可愛らしい、上品な花。
「ねぇ、この花どこに咲いてるの?エレジアにはなかったよ」
「こいつはとある春島の秋の季節にしか咲かねェ花なんだ。花畑もそこにしかなくてな、あまり流通してないらしい」
「そうなんだ……ねぇ、いつか私も、その花畑に行ける?」
「当たり前だろ。おれが連れて行ってやる」
「………うん、約束だよ」
再び目頭が熱くなってきたけど、それは一旦置いといて。今はただ、愛する家族に抱きしめられたまま、この幸福に浸っていよう。
(お互いに一方通行だったこの気持ち。今度は2人で大事に抱えて、私達の人生を明るく照らしていくのね)