お誕生日おめでとう、アンドルー僕にとっての誕生日とは罪の最たる象徴だった。母さんは毎年、顎が痛くならない柔らかなパンと新しい服をプレゼントに用意して祝ってくれていたけれど、僕が生まれたせいで彼女は働いても働いても追いつかない貧しい暮らしを強いられ、さらには奇怪な見目の息子の存在で他人から邪険にされてしまっているのだとは流石に幼い僕でも理解ができていたから。
だというのに「おめでとう、私の可愛いアンドルー」そうやって窶れた顔で笑ってくれる母さんを見て胸中に生まれるのは、歳を重ねる歓喜でもプレゼントへの高揚でもなく、頼りない鼓動を奏でる心臓が強く締め付けられるほどの申し訳なさだった。──荘園に来てから、その漠然とした申し訳なさは罪悪感という名前なのだと教えてもらった。
2月13日、クソッタレな世界の中でも特に忌々しい一日。──まだ教会で働いていた頃、ある同僚に誕生日を聞かれたことがあった。別に世間話でもなんでもない、ソイツは女性受けする煌びやかな職業に就けない鬱憤を僕で発散するのが好きだったから、単に見下す材料を探していたのだろう。
『生まれてこない方が幸せだったな』下卑た笑いを浮かべる口がねちゃねちゃと音を立てたとき、僕は頷くしかなかった。僕が生まれてこなければ母さんはあんな不幸な目に遭わずに済んだ、母さんの不幸はアルビノの男児という重荷のせいだった。僕さえいなければ、あの優しい人は今だってきっと生きていただろう、華やかな陽だまりの世界で安らかな生を謳歌してくれていたかもしれない。
寒さが深まり、僕の髪のような色をした雪が降る頃、そもそも明るい気分になれたことなんてない僕の心はますます鬱屈へ近付いていく。世界でただひとりだけが喜んでくれていた冬のある一日は、彼女がいなくなった年から懺悔の日と化していた。祝いの言葉はなく、プレゼントなんてものも当然ない。ただただ、罪深き原罪を背負った僕の懺悔だけが紡がれる一日だ。
そして今日は荘園に来てから迎える初めての誕生日となる。時間の流れすら麻痺してしまう夜の中で生きていた頃は忘れることが多かった今日を覚えている理由は、この荘園の奴らが事あるごとに話題に出してくるためだ。
先月、先々月から目に見えて誕生日の話ばかりを、それもサバイバーのみならずハンターにまで頻繁にされては役に立たない僕の脳にも流石に刻まれてしまう。それだけでも大変だったのに、日が近づくにつれループする頻度は毎週から毎日へと変化していった。試合中ですら、僕を椅子に縛ったハンターが思い出したように僕の誕生日について触れてくる。見事に救助恐怖を取られた後で、さらに付け加えると主に僕が一方的に怖がっているせいであまり交流がない写真家や隠者にそんな話をされても反応に困るからやめてほしかった。
そうこうしているうちに迎えた当日、珍しく試合は入っていなかったので部屋に籠って一日中懺悔をしようと決めていた。この荘園のイカれたゲームさえクリアすれば莫大な金が貰える、そうしたらあの聖殿で眠って──そしたらまた母さんに会えるんだ。再会できたらたくさん謝りたい、僕なんかのせいで苦労をかけてしまってごめんなさいと。
謝っても許される罪では到底ないけれど、母のことは神様が救ってくださるはずだから。だからただ僕の自己満足なのだ。神様、天上におわします主よ、母だけでなく貴方様にもたくさんたくさん懺悔します。罪を告白します。出生の罪悪を胸に刻み、僕が生まれたことによって迷惑を被った全ての人へ詫びます。…こんな僕が粗末に扱ってしまった肉体たちに謝ります。だから、どうか、母さんのことは許してください。世界で一番美しく清らかな母さん、聖人とは彼女のことを指すのだろう。あの人がどうか神様の御許へと招かれていますように。
そう願って冷たい十字架を握り込んだ瞬間、僕の部屋の扉がどんどんと強く叩かれて心臓がけたたましく飛び跳ねた。
「アンドルー!アンドルー、いるのは分かっているぞ!出てきたまえ!!」
「ちょっとバルサー、声が大きい。耳に響くからやめてくれない?それにアンドルーもびっくりするでしょ」
「ん~…」
扉の外から聞こえてくるのは馴染みがある三色の声だ。ひとりを除き、彼らがここまで騒ぐのも珍しいが何事だろう。
未だどくどくと暴れる心臓をどうにか宥めてゆっくりと扉を開ければ、ルカとエドガーとビクター、そしてウィックが揃って僕を見上げている。エドガーはいつも通りの不貞腐れた顔だからともかくとして、ルカとビクターが妙ににこやかな笑みを浮かべているので思わず一歩後退ってしまった。
「な、なんだよ、揃いも揃って」
「なんだもなにもないだろう、主役が一向に来ないから迎えに馳せ参じた次第さ」
どこか演技がかった口調のルカは、これまた芝居のように腕を広げ深々と一礼をして見せる。確か囚人に堕ちる前は貴族だったと教えてくれた、所作がサマになってるのは慣れているせいか。
ただ話が読めない、迎えに?誰を?僕を?困惑していれば、両サイドから挟み込むようにしてエドガーとビクターが身を乗り出してきた。
「ん!(今日はアンドルーさんのお誕生日じゃないですか!)」
「早く広間に来てよ。この僕がデザイン案を出してあげたケーキが傷んだらどうしてくれるの?」
「広間…?ケーキ…?」
「キミのことだから誕生日だろうと引き籠るつもりだったんだろう。だがそんなことはこの荘園が許さないぜ?」
「お、おいルカ!ビクターに、エドガーまで、っ…」
確かに僕の誕生日だ、だからなんだというのだろう。困り果ててさらに深く眉を垂れさせる僕の腕を引き、有無を言わさぬ足取りでずかずかと廊下を進んでいく三人の考えが読めなくて、右隣のビクターに助けを求める眼差しを送る。ビクターは僕が分からないことをいつも丁寧に教えてくれる、そんな分け隔てない暖かさにとても好感を持っている。
だが頼みの綱のビクターはにっこりと微笑むだけだった。ウィックも従順に主人へ寄り添っている。
「ど、どこに連れて行く気だ!」
「はぁ、本当に忘れてるの?呑気なことだけどさ、此処じゃ誰かの誕生日を盛大に祝うのが当たり前でしょ?」
呆れたように振り返ったエドガーの言葉にようやくそれを思い出した。彼は言葉選びこそ容赦がないが、僕を見た目で差別せず能力についての批評だけを率直にしてくれる。その公平に向けられる厳しい価値観と実直さが僕の光となったことを知っているだろうか。
にしても──そうだった、どうしてなのかは分からないが、この荘園ではサバイバー・ハンター問わず誕生日を皆で祝う習慣があるらしい。僕は此処にきてまだ日が浅いが、何度か祝いのパーティーに参列したことがある。僕なんかに祝われても嬉しいものなのか、華やかな場に化け物がいたら折角の祝福を台無しにしてしまうんじゃないかと懸念していたが、おずおずと「おめでとう」を伝えればみんな喜んでくれていた。
ああ、それなら三人がわざわざ僕を引っ張り出したのも合点がいく。
「すまない、手間をかけて」
「んぅ?(どうして謝るんですか?)」
俯きながら溢した謝罪にビクターが首を傾げた。
「…僕なんかの誕生日まで祝わせてしまって。そんな時間があるなら、きっと他にしたいことが山ほどあっただろうに」
「おいおい!冗談がキツイぞアンドルー!まるで君を祝う時間は無駄だとでも吐き捨てるかのような言い方は控えたまえ!」
「…でも、実際に僕は祝われていい立場じゃない。僕にとっての誕生日は、罪の自覚を新たにする日なんだ」
「は?罪の自覚?」
三人が揃って怪訝な顔を浮かべるものだから、居心地が悪くて視線を床に投げながらも乾燥した唇を開く。
僕はルカのように流暢に喋れないし、ビクターのように細かな感情の名前を知らない、エドガーのように分かりやすく順序立てることもできないからとても拙くて、理解し辛かっただろうけど。でも彼らは──彼らだけじゃなく、この荘園の人たちは僕の下手な話をいつもちゃんと聞いてくれる。無視したり急かしたり怒ったりしない、それは、上手くは言えないがあったかいなと思った。
そんな彼らなら、僕の行いを無意味だと嘲ったりせずきっと聞いてくれるという信頼があった。
僕のせいで母が苦労の末に報われない最期を遂げたこと、僕という存在が罪であること、だから誕生日は毎年懺悔するということ。これまで僕一人で抱えていた罪悪感を全部話した。
「お前の境遇は分かったけどさ、だから神に謝り続けますなんて馬鹿馬鹿しくない?」
「ん~…(僕はアンドルーさんの想いも、おこがましいですけど少しだけわかります。でも僕たちはアンドルーさんが生まれてきてくれたことに感謝しているんですよ)」
「グランツくんの言う通りだ。キミが生を受けなければこうして出会うこともなかったんだぞ。キミがどう思おうと、私たちの祝福まで否定される謂れはないな!たとえ神が咎めようと、私たちはキミの生誕を喜ぶよ」
足を止めて僕の話を聞き呆けていた三人は、互いに顔を見合わせ──示し合わせたように破顔する。軽んじているわけではなく、化け物の身に余る暖かい受容で包み込んでくれる。
"だから部屋に戻してくれ"という暗に願ったそれをあっさりと否定した彼らは、僕の腕を引いて広間へと再び向かい始めた。
「お、お前たち正気か!?僕は救助だってそんなに上手くないし、役に立てないし、足を引っ張ってばかりだろ!?」
「でもどんな時でも諦めずに助けようとしてくれるじゃん、それで負けが分けになった試合も多い。見捨てだろうなと諦めたときに椅子の前へ現れたお前の姿が、一体何人のサバイバーを安堵させたと思ってるの?ま、過去と混同して自分を過小評価しすぎるのは間違いなく悪いところだけどね」
「…けど、面白味もないし、学もないし、ただでさえ普通じゃないのに優れたところがひとつもない…!」
「んーん!(アンドルーさんと一緒に過ごすととても落ち着きます。知らないことを素直に知らないと言えるのってとてもすごいことなんですよ。それにアンドルーさんはいつも僕たちの話を真剣に聞いてくれるじゃないですか、それは誰にでもできることじゃありません。思いやりという立派な取り柄で、アンドルーさんだけの美点なんです)」
「……でも、いくら荘園恒例とはいえ、僕にまでわざわざ付き合ってもらうなんて申し訳ない」
「何を言う!キミなぁ、どれだけ皆に好かれ、頼りにされているのか自覚が無さすぎじゃないかい?義務だからパーティーの準備をする──なんて人間はいないぜ?あのがめついキャンベルくんだって自発的に参加している、サバイバーだけでなくハンターもだ!一ヶ月も前からみんなで楽しく相談していたよ、今キミの手を引いている私たちも含めてな。…さぁアンドルー、キミが本日の主役なんだ!胸を張って入場したまえよ、バースデーボーイ!」
広間の扉の前に立つ。ビクターとエドガーがそれぞれプッシュプルハンドルを引き、僕の背中をルカが励ますように強く押した。扉の隙間から漏れ出る光は、開かれていくにつれ賑やかな歓声を伴って眩さを増していく。
駄目なのに、懺悔をしなければならないのに。──久方ぶりの祝いを喜んでしまう心とそれを咎め立てる罪で板挟みにされどんな顔をしていいのか分からない僕を迎えたみんなは、盛大な拍手と共に喜色がありありと滲む声を張り上げた。
「お誕生日おめでとう、アンドルー!!!!」
END