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    既刊④【夢華・幸】
    毎日タルタリヤが泣く夢を見る鍾離。そんな鍾離が、悪夢の原因を探しながら自分の中にある感情を理解する話です。

    こちらはハピエンバージョンになります。
    ※捏造有、モブが出てきます。

    夢華・幸 暗いくらい世界の中で、タルタリヤは一人座っていた。瞳からはらはらと涙を流し、ただ前だけを見て。その顔に感情はない。嬉しいも、悲しいも、悔しいも何も無い顔。その、無表情とも呼べる顔を見ながら、鍾離は一人唇を噛み締める事しか出来ないのだ。
    一面を覆い尽くす闇は、タルタリヤだけをほんのりと照らしていて、後は深淵を生み出している。日差しなどは、どこにもない。あるのは、一面を覆い尽くす静寂と……ほろほろと流れ落ちる涙だけ。ほろほろと流れ落ちた涙は、タルタリヤの身体を沈めるように、少しずつ……少しずつ……地面に水を張っていく。そんな異質とも呼べる世界の中で、鍾離はただ立ち尽くすことしか出来ないのだ。瞳から流れ落ちた涙で濡れていくタルタリヤを前に、鍾離が出来ることなど最初から用意されていないとでも言われているかのように。

    何度も見ているこの夢の中で、鍾離はあまりにも無力だった。

    はらはらと流れる涙を拭う事も、身を巣食う程の憂いを晴らしてやることも出来ない。ただ、透明な壁に阻まれて、はらはらと涙を零す男を見ることしか出来ないのだ。
    毎回毎回、どこか空虚を見つめながら涙を零すタルタリヤの姿は、普段の彼とは似ても似つかないが美しい。儚げと言えば良いのか……、泡沫の夢でも見ていると言えば良いのか……。今にも壊れてしまいそうなその姿を見ながら、鍾離は静かに透明な壁に触れた。熱くも冷たくもない透明な壁。この無機質な壁は、叩こうが蹴ろうが壊れる事はない。厚みはよく分からない。声が届かないから厚いのかもしれないが、もしかしたら薄いのかもしれない。そんな事を考えながら力を込めて殴っても、その壁が壊れる事は一度として無かった。
    これが夢のせいなのかさえ分からないが、鍾離はその無機質な壁に手を付いて、顔を歪める。ただただ……悲し気に……、そして、悔し気に。名前を呼ぼうと開いた口は、音を紡ぐ事なくただ空気を奏でる。その、空気が漏れ出す音にさえ顔を歪めながら、鍾離はこの悲しい夢が終わる事をいつも願うのだ。暗い闇が晴れて、美しい青空が見える事を願うんだ……。
    そうすれば、いつもの彼を見る事が出来ると言わんばかりに。その願いさえも、闇に溶ける。嘲笑うように……、世界を飲み込むように……。そうして聞こえた音に、鍾離はこの夢の終わりを知る。それに対して喜んだ事は一度も無いのだけれど。
    これは、本当の終わりではない。言うなれば……、そう、つかの間の現実を見るだけだ。

    ◆◆◆

    小鳥の囀りに瞼を震わせた鍾離は、そのまま重たい瞼を持ち上げて、視線を彷徨わせた。見覚えのある天井に、優しい陽だまり。外からは、いつものように賑やかな声が聞こえる。起床はいつもと同じ時間。それを確認した鍾離は、ゆっくりと身体を起こして、少しだけ重たい頭に顔を歪めた。沢山睡眠時間を確保した筈なのに、体は睡眠不足を訴えている。ぐらりとゆれる視界と、気だるい感覚は、もうかれこれ数週間続いているものだった。
    公子タルタリヤの夢を最初に見たのは数週間前だった。最初はだれが座っているかも分からないぐらい、遠い場所に鍾離は立ち尽くしていたのだ。赤朽葉色の髪の人間が、ただ座り込んでいる。そんな夢からのスタートだった。毎日、毎日、夢を重ねる度に、鍾離の立つ位置は、座り込んでいる人間に近くなり、今では手が届きそうな所まで来ている。そんな不可思議で少しだけ目覚めの悪い夢。
    タルタリヤの泣く姿など決して想像が出来ないのに、夢の中のタルタリヤはいつも泣いていて、鍾離はそんなタルタリヤに、声一つかけられないのだ。そんな不思議な夢を、ここ数週間毎日見続けている。
    そもそも、毎日毎日同じ夢を見るという事は、偶然では起こり得ない。誰かがそのような仙術を使っているか、あるいは……。そこまで考えた鍾離は、今この地にいない男を思い浮かべた。赤朽葉色の髪を遊ばせ、赤いスカーフを身に着ける男。グレーの服に身を包み、弓を構えて笑う男は、存外、人の憎悪も嫌悪も恋慕も集めやすい男だと言えるだろう。
    彼がこの地を発って、早一か月。出会う事もないから分からないと放って置いたが、どうやら彼は厄介な事に巻き込まれているらしい。そう考えた鍾離は、仕方ないと思いながら寝台から足を出し、ゆっくりと床に降り立った。その際揺れた寝具の布は柔らかくて、鍾離は思わず苦笑いを浮かべる。
    こんなに良い布を与えられているのに、満足に寝る事が出来ないなど職人に申し訳ない。とか言う、見当違いな事を考えて笑った鍾離を、小鳥が笑う。柔らかな音を奏でて、朝を知らせて。そんな朝の穏やかな音楽と共に、鍾離はゆったりとした速度で身支度をする。
    たった一人、不思議な出来事に遭遇したであろうファデュイの執行官を探すために。

    彼は今どこにいるのだろう。旅人の話では、最後に目撃したのは稲妻だという。ならば稲妻に向かう方が早いか? いいや、彼なら、きっともう別の場所に行っただろう。彼の行動範囲は恐ろしく広いのだから。先回りしなければ会う事は難しいだろう。

    そう思いながらも身支度を終わらせた鍾離は、ひらりと裾を翻しながら、玄関へと歩き出した。こつこつと鳴る靴の音はいつもと何も変わらない。外から聞こえる人々の賑やかな声も、いつもと変わらない。その当たり前の日常にふうっと息を吐いて扉を開いた瞬間、一つの非日常が、自分から鍾離の元へとやって来たのだ。
     いつもと変わらない顔で、でも少しだけ疲弊した色を見せて。要らないものを身体に纏わりつかせて笑った男は、ひらりと手を上げて、鍾離にこう言った。
    「やぁ、久しぶりだね。先生。今ちょっと良いかな? お土産があるんだけど」
     あぁ、これは本当に面倒な事になった。そう思った鍾離は、ピタリとその場で足を止めて、タルタリヤの首に巻かれたそれをじっと見つめた。凡人では見えないであろうそれは、まるで執着を具現化したかのようにタルタリヤの首を絞めつけている。それに圧迫感を感じていないのか、タルタリヤはへらりと笑ったまま鍾離の目をじっと見つめた。
     白い首に、まるで手でも添えられているかのように纏わりつく黒いもや。そのもやをじっと見つめながら、鍾離は口元に手を当てて唇を震わせた。その瞬間、春の風は凍てつく氷風のように吹き荒れ、風に舞った葉は刃のように辺りを傷つけていく。その中で石珀色の瞳をスッと細めた鍾離の視界では、深淵が今も瞳の中に疲弊を潜ませていた。
    「公子殿は、何か他に、俺に何か言いたい事があるのではないか?」
     その言葉に、タルタリヤは目を丸くして、それから楽しそうに笑ったのだ。ゆらりと揺れる靄に包まれて、世界を奈落に突き落としてしまいそうな深淵を呼びながら。そうして笑った顔は、彼がファデュイの執行官だと言う事を物語っていた。触れてしまえば……、近づいてしまえば……、最後。そう言われているような気がして、鍾離は思わず眉を寄せてしまう。
     伸ばしかけた手を下して、タルタリヤの首だけをじっと見つめる鍾離。その鍾離の視線に気付いていながらも、タルタリヤはただ微笑んで、お土産と言っていた袋を一つ手渡したのだ。その顔は、これ以上踏み入れるなという感情を滲ませていて、鍾離は何も言わずにただその手土産を受け取る。わざわざ踏み込んで来るなと言っている人間の内情に踏み込む趣味はない。まして、相手はファデュイだ。勝手に足を踏み込んで勝手に呪いを貰い受けても、それは鍾離が気遣う範囲でもない。
     それでも……、それでも何故か、鍾離の脳内には、あの泣いているタルタリヤの顔が浮かんだのだ。
     感情を持たず、ただ涙を流すだけのタルタリヤの顔が、どうやっても離れない。そう思いながら目を細めた鍾離の視界で、タルタリヤはへらりと笑って鍾離に背を向けた。その瞬間、流れたのは冬を思わせるような冷たい風。その風はまるで彼の故郷に吹く風に似ていて、鍾離は思わず目を見開いた。
    「じゃあまたね。先生。……あぁ、そうだ。一応報告しとくけど、俺、今日からまた璃月に配属になったから……くれぐれもよろしくね?」
     少しばかり重たい声。その声はやはり氷のように冷たく、鍾離はふぅっと息を吐いて腕を組んだ。
    「あぁ、こちらとしてもファデュイに深入りするつもりはないからな。安心すると良い」
     その言葉に、タルタリヤはうれしそうに笑って背を向けて歩き出した。春の風が吹き、彼の赤いトレンドマークを揺らす。その首には、今もなお黒いもやが纏わりついている。誰に恨みを買ったのか、どこで拾ってきたのかそんな事はどうでも良いが、鍾離は少しだけ……、そうほんの少しだけやるせない気持ちになったのだ。

     自分とファデュイの……ましてや、騙した相手との関係性が良好ではないと分かっていても、多種多様な知識を持ち合わせている鍾離に、何も尋ねてくれなかった事が。自分なら、どうにか出来るかもしれないとタルタリヤだって分かっているだろうに……、それでも頼ってくれない事が。
     何故そんな事を思うのかも分からないが、それでも、鍾離は思ってしまった。遠ざかっていく青年を見つめながら。

     きっと今日も夢を見る。彼が泣く夢を。
     そんな彼に胸が締め付けられる理由が分からないままに。 
    ◆◆◆


     音の無い湖。その幻想的とも呼べる大きな水溜りの上に、鍾離は一人立ち尽くしていた。風が吹く事も、小鳥が羽ばたく事もない、切り取られた無音の時間。それはまさしく静寂と言えるもので、その静寂の中で、鍾離は未だ目の前にある透明な壁に手を付いた。熱はやはり感じられない、ただ無機質な壁。その壁の向こうには相も変わらず公子タルタリヤが座り込んでいて、鍾離はそのタルタリヤの横顔をただ見続けていた。
     時間の流れがあるのか無いのかも分からないこの場所では、鍾離自身も、どれだけの時間タルタリヤを見つめているのか分からないのだ。一瞬なのかも知れないし、一生なのかも知れない。毎日毎日同じ夢を見ているせいで、いよいよどちらが夢で、どちらが現実かさえも分からない。そんな膨大な時間の中で、鍾離は無表情のままに泣くタルタリヤを、じっと見つめ続ける。そうして、今日はそんな男を見ながら、ゆっくりと顔を歪めたのだ。
    不愉快とでも言うように。この美しい幻想世界を呪うように。
    「お前は何故泣いている? 何故毎回、俺の夢に出てくる? 伝えたい意図はなんだ。何を求めている。……何故、現実のお前は俺に救いを求めようとはしない?」
     そこまで音を奏でた鍾離は、自分が何故こんな事を言っているのか分からないと言わんばかりに、また顔を歪めた。口元に手を当て悩み始め、そのまま理解が出来ないと言わんばかりに首を傾げれば、自分の内部に、もやもやとした感情が生まれている事に気付いたのだ。言葉に上手く表せられない渦巻く感情。その感情は、鍾離の腹を少しだけ重たくしていて、鍾離はその感情を前に眉を寄せた。
     上手く言葉にできず、口からは空気だけが漏れ出す。何か、何か不満な事がある筈なのに、それが何かうまく纏められないのだ。それでも、脳内にはタルタリヤの顔ばかりが浮かぶのだから、自分はきっとタルタリヤに対して何か不満な事があるのだろう。
     そう思いながら彷徨わせていた視線をタルタリヤに戻せば、タルタリヤは昨日と変わらず何処か空虚を見つめたまま、はらはらと涙を零し続けていた。こちらを見ることもせず、ただ空虚だけを見つめるタルタリヤ。そのタルタリヤに対して、昨日までの自分なら胸が締め付けられるような息苦しさと、無力さを感じていたが、今日の鍾離は違っていた。苛立ちが体内で暴れ、眉が自然と中央に向けて寄る。
    「お前は何故、頼らない。何故こちらを見ようとしない。お前一人で解決が出来ると豪語するならば、俺にこんな夢など見せるな」
     苛立ちが音に変わり、荒々しい音が透明な壁を震わせる。それでも、タルタリヤの鼓膜を揺らす事など一つも無くて、鍾離は苛立ちを顕わに、無機質な壁を殴った。ドォンっと言う人の身体では出せないような音が響き渡るが、それでも壁が壊れる気配は全くと言って良い程無かった。壊れないと分かっていて叩いたが、それでも、こうも壊れてくれないと腹が立つのは仕方ない事で、鍾離は舌打ち一つ零してタルタリヤをジッと睨み付けた。
     どうせもうすぐ夜が明ける。この世界に小鳥の囀りと、優しい日が差し込んだから間違いない。つまり今日も、何も出来ずに終わったのだ。その事実がまた不愉快で、鍾離は石珀の美しい瞳を瞼に隠した。
    「お前が嫌がろうと、俺はお前にかかっているそれを必ず解いてやる。毎日毎日、夢にまで現れて本当に迷惑しているんだ。分かったな」
     言葉が届かないと分かっていても、宣言しないと気が済まなかった。これが凡人らしい感情なのかとも一瞬思ったが、多分違う。存外、自分は負けず嫌いだったらしい。そう思いながら、鍾離は優しい風と暖かな陽だまりに身を預けた。もうすぐ朝が来る。そう言わんばかりに。

    ◆◆◆ 

     重たい瞼をふるりと震わせて、鍾離はゆっくりと揺蕩う世界を見つめた。眩しい日差しはカーテンによって遮られ、小鳥の囀りもどこか遠くに聞こえる。そうして、いつもと同じ起床時間に、いつも同じ気怠さを感じた鍾離は、頭を押さえながら、ゆっくりと体を起こしたのだ。柔らかいシーツは昨日と変わらないのに、今日の鍾離にはそのシーツに何か思うだけの気力はない。
    ただ重たい身体を起こしただけの鍾離は、見慣れた室内で視線を彷徨わせた。朝日が差し込んでキラキラと輝く室内に、見慣れた装飾品の数々。そうして、テーブルに視線を移せば、昨日タルタリヤが持って来たスネージナヤのお菓子が、封を開けられる事もなく、置かれたままだったのだ。日持ちのするお菓子。それが視界に入った瞬間、鍾離はそれでなくても痛い頭がさらに痛くなったような気がして、思わず顔を顰めた。
     璃月に今日からまた配属となったらしいファデュイの執行官、公子タルタリヤ。首に黒いもやをつけながらも、それでもこちらを頼ろうとしなかった子供に、鍾離は言い難い不快感を覚えて、寝台から降りた。昨日、夜更けまで調べものをしたが、これと言った原因が分からなかった。鍾離は、その事を思い出して、優しい陽だまりのような世界の中で、一人苛立ちを覚えてしまう。
     明確に仙術、呪いの類が絞れなくても、正直仕方ないのだ。何故なら、公子タルタリヤは何一つ鍾離に伝えなかったから。何処で貰って来たものか、タルタリヤの身体に何を及ぼしているのか、何一つ分からない以上、鍾離は調査の幅を狭める事は出来ない。膨大とも呼べる症例から一つのそれを絞り込むなど、ほぼ不可能に近い。そう思った鍾離は、早々に調べるのを諦め寝台に潜り込んだのだが、結局、上手く睡眠を取る事さえ不可能だったのだ。
    「公子殿に聞くほうが早いだろうな」
     結局はその結論に至る。ファデュイの事になど深入りしたくないが、璃月に害を及ぼさないとも言い切れない。そう考えてしまった鍾離は、重たい身体を引き摺って璃月の街に出向くしかないのだ。
    服を着替え、髪を整え、少しばかり隈の浮かんだその顔に溜息を零しながらピアスを着けた鍾離を、一体誰が想像してくれるのかも分からないが。
     そう思いながら、革靴に足を通した鍾離は、さほど重たくもない木の扉に手を触れて、柔らかい日差しが溢れる璃月の街へと誘われたのだ。つい昨日、深入りするなと忠告してきた男に会いに行くために。
     一歩進めば、風が鍾離のピアスを揺らし、もう一歩足を前に出せば、子供たちの声が耳に届く。そんな柔らかい世界の中で、鍾離は目元を緩めて笑みを浮かべ、そのまま北国銀行へと足を進める。蝕むような夢が全て嘘かも知れないと思える程暖かな世界。そんな鍾離の足を止めるように響いた声に、鍾離は目を丸くして足を地面に貼り付けた。その瞬間、蝕むような夢が鍾離の脳内に流れ込む。
     身体に圧し掛かる重たいそれと、少しばかりの苛立ちを携えて。
    「あれ? 先生、朝からどうしたんだい?」
     橋の上から聞こえるテノールボイス。その声は鍾離の求めていた声そのもので、鍾離は渦巻くような苛立ちが、少しだけ治まったのを感じた。ぐつぐつと煮立っている鍋の火が消えるように、苛立ちが少しずつ収まっていく。それは、彼の声が柔らかいものだったからなのか何なのか、鍾離にも分からないが、それでも鍾離は息がしやすくなった気がして、ふっと顔を上げたのだ。
     その瞬間、視界に映り込んだのは眩い日の光に照らされる赤朽葉色の髪で、鍾離は思わず目を見開いた。闇の中ではあまり認識出来なかった彼の柔らかい髪。その髪はきらきらと輝き、彼の深淵の瞳を一等目立たせていた。
    「公子殿」
     そう言葉を零せば、視界の中のタルタリヤはきょとんっと目を丸くして、次の瞬間、橋の手摺りに足をかけて一気に飛んだのだ。羽が生えたように、大空を舞うタルタリヤ。この世界に渦巻く風は、ふわりと彼の髪を揺らすだけではなく、赤いストールまでもを、ひらひらと揺らしていた。
    その美しいとも呼べる色に、鍾離は意識を奪われたまま、立ち尽くしてしまう。
    「先生? 鍾離先生、どうしたんだい? 何か変じゃない……? というかその隈、昨日も気になっていたけど、最近寝られてないの?」
     自分はこちらに深入りするなと言うくせに、遠慮なく人のテリトリーに入る男。その男を前に、鍾離は少しだけ顔を後ろに引いて視線を逸らした。普段ではあり得ない対応。それでも、今の鍾離には、表情豊かなタルタリヤの後ろに、あの虚ろな顔のタルタリヤが見えたのだ。はらはらと、今も涙を流しているであろうタルタリヤの姿が。
    そう思ったら、何となく直視する事が出来なかった。
     夢であるとは分かっている。だが、あの夢がただの妄想だとは……、現実から離れたものだとは、とてもじゃないが思えなかった。目の前のタルタリヤによって影響された夢。そんな夢だからこそ、鍾離はあの“虚ろに泣くタルタリヤ”を放置できなかったのだ。
     
     それはなぜ? そう問いかける自分に、鍾離は答えを見出せなかった。

    「最近、夢見が悪い。多分だが、公子殿の首に巻かれているもやと関係あるのだろう。公子殿は聞かれたくないと言っている感じではあったが、それが何か教えてくれないか? 俺であれば、それをどうにか出来るかも知れない」
     そこまで音を紡げば、目の前のタルタリヤは分かり易く顔を歪めて、近づけていた顔を引いた。分かり易い拒絶。その拒絶に気付いた鍾離は、はぁーっと溜息を零して腕を組んだ。
    「先生。俺は、あまり深入りをしないで欲しいって態度で示したと思うけど?」
    「そうだな。俺としても、あまりファデュイと関わりを持ちたいわけではない。だが、こうも夢に出て来られると困るんだ。数週間前から毎日同じ夢を見ている。この夢は本当にお前と関係ないものか?」
     そう音を零せば、目の前のタルタリヤは眉を寄せて、諦めたように深い溜息を零した。両の手をひらひらとさせ、降参だと言わんばかりに脱力する。その姿を見た瞬間に、胃が軽くなったような気がしたのは、きっと気のせいだろう。そう思いながら、タルタリヤの声に耳を澄ませた。
    「時期的には、俺にかけられた呪いと同じだね。これじゃあ、黙っておくのも難しいか。別段、俺は困ってなかったから放置で良いと思っていたんだけど、まさかこんな所に支障をきたすとは」
     そう言ったタルタリヤは、深淵の瞳でこちらをじっと見つめて、にこっと笑って首を指差した。その先には、今も黒い靄が手のようにタルタリヤの首に絡みついていて、見ていて気持ちが悪い。そう思いながら眉を寄せた鍾離に、タルタリヤは渇いた笑いを零し、ゆっくりと唇を震わせた。
    「任務の途中だったよ。ちょっと任務の事は組織内秘密だから言えないけど、魔神が埋められたという土地に行ったんだ」
    「それだけでおおよそ、お前達が何をしようとしていたのか分かるな。禁術でも漁ろうとしたのか」
     目を細めて呆れたように音を紡いだ鍾離に、タルタリヤは困ったような笑みを浮かべて、肯定も否定もせず話を進め始めた。それが肯定だという事に、鍾離が気付いていると知っていながら。
    「だがその遺跡には何もなかった。ただ悲しい末路を辿った魔神の話が書かれた石板以外は何も。それでこの任務は終わりの筈だったんだけどね……。部下の一人が、自分の私利私欲のために、その遺跡の財宝に手を出したんだ。その瞬間、その物言わぬ遺跡は牙を向いたよ。魔獣が放たれ、辺り一面が霧に覆われ、そうして俺の耳に届いたのは、悲しい末路を辿った女の声だった」
     そこまでの話を聞いて、鍾離は一人の魔神を思い出した。名前までは流石に把握していなかったが、愛した人間に倒された魔神が居たという話はモラクスの元にまで届いていた。
    その魔神は殆ど力を有してはいなかったが、幻想や夢を見せるのが得意だったと言う。
    「墓地を荒らした事により、お前はその魔神から呪われたのか?」
     そう尋ねた鍾離に、タルタリヤはへらりと笑って首を縦に振った。毒々しい黒い手。それが纏わりつく首が、意図も簡単に折れてしまいそうで、鍾離は目を細める。そこまでの呪いを発動できる魔神だとは思わなかったが、それでも数千年、積もり積もった憎悪というのは、人の命までもを脅かせるらしい。
     それほどまでに、彼女は人間を愛していたのかもしれない。信じて……信じて……、そうして裏切られたのかも知れない。

     そう思いながらも、鍾離は別段同情などしなかった。死して尚、人を呪う神に同情の余地はないからだ。人も神も、死した後は安らかに眠るべきだ。残された力が、想いが、良い方向に進む事など、そう多くはないのだから。

    「それで、お前は何を貰い受けてしまったんだ」
     タルタリヤは笑った。悲し気に、でも楽し気に。自分には関係ないと言わんばかりに。そんなタルタリヤに、鍾離は少しだけ心の臓が苦しくなるのを感じた。彼の笑いは時々、どこか残酷に見える。そう思いながら耳を澄ませた鍾離の元に、タルタリヤの楽しそうな音が届いた。その音に誘われるように、陽だまりの世界が、少しだけ陰る。この世界を包み込むように。

    「一番愛する人に想いを告げたら、死ぬ呪いだよ」

     その瞬間、陽だまりのような世界が、蝕むような静寂に包まれた。そんな気がした。
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