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    glassbottlerl

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    tamagomanju様の創作物「イタリアさん」https://www.youtube.com/playlist?list=PLry0oZ0w0s73f235W1Pa7d-mTQ44hW__8 世界の設定や成り行きを自二次創作用にまとめたものです。自己解釈や大量の誤字脱字、タイプミスなどが含まれます、ご了承くださいませ。

    「イタリアさん」世界設定集エチオピアさんの受難 1934 前夜
    エチオピアはイタリアの侵攻に対し国際連盟により強力な制裁を要請、それに対しイギリスなどはアルミニウムの禁輸などを行ったがもとよりイタリアのアルミ自給率が高いことも相まって効果はあまりなかった。

    エチオピア侵攻 1934/1~1936/3
    オーッサ併合など今回はおおむねイタリア優位で戦局が進んだ。イタリアはエチオピアの文明化を掲げていたが実際は植民地主義の延長戦であったことは後世の目からでは明らかだ。ガンベラの戦いでエチオピアが勝利したこともあってか終戦後も抵抗運動が勢いづいた、これに対しイタリアは統治の簡略化のため現地勢力に自治権を与え分割統治を行うことで統治の簡略化を図った。
    日本の青年将校によるクーデター 時期不明(二・二六事件的なもの)
    この事件により日本の国家方針はファシズムから中道に変わった。

    ドイツ内戦 1936/2~1937/3
    ドイツで反ヒトラー派が蜂起したことでドイツが真っ二つになったアルティメット大火事、これに対しイタリアは陸軍三個師団と航空部隊を義勇軍として派遣したが臨時政府側が勝利した。その結果ドイツとイタリアの関係は完全に粉砕された。

    ハプスブルク家の帰還 1936/8/7
    オーストリアが旧世代的マジックアイテムである王冠■ハプスブルク家をどこからか引っ張り出したこと。

    エストニア内戦 1936/8
    隣国のラトビアで共産主義が盛り上がりその余波で反共主義運動ヴァプスが蜂起した内戦、ヴァプス側は一時劣勢に陥ったがイタリアの介入もあり国内の掌握に成功した。

    ポーランドのグタニスク併合1936/8
    ドイツ内戦中に乗じて連合の管理下で自由都市とされていたダンチヒをポーランドが併合した事件。
    スペイン内戦1936/11~1938/10
    共和派と国粋派の内戦、途中から分裂した共和派(無政府主義者)も現れた、そして国粋派が分裂してカルリスタも現れた。国粋派はドイツの支援を期待していたが、ドイツは先に内戦を始めていたため当初期待していた支援を得ることはできなかったため言葉巧み(?)にイタリアから陸軍と空軍の支援を引き出した。途中内戦を終えたソ連の介入などもあったが国粋派が勝利した。

    ギリシャ内戦1936/10
    王国派と共和派の内戦、イタリアはギリシャに親英的政権が建つことを危惧しこの内戦にも介入した。

    リトアニア内戦1937/1
    共産主義者が蜂起したがイタリアの介入により鎮圧された。

    地政学的ロマンス1937/3
    ドイツ内戦によりオーストリアへの圧力は弱くなった、しかし自身の独立を保障できるかもわからない状況であるのは変らなかった。そんな中ハンガリーから持ち掛けられた合併案を一度は断ろうとしたが「英仏の不干渉の姿勢」「ドイツの内戦」「イタリアとの友好的関係」「バルカン諸国はギリシャ情勢に目が離せない」などの周辺要因、また「二人で別々に暮らしていてもいつ殺し合いに巻き込まれるかわからない」などの理由の元二国は再婚した。

    イタリアの中国内戦介入1937/7
    同盟国を手に入れたいイタリアは中華民国の内戦に介入した、イタリア軍は中国各地で軍閥の包囲などで戦果を挙げた。

    オーストリアとハンガリーの再婚1937/9
    王冠の力やドイツとの関係改善などで国力を増しかつての帝国は名実ともに20世紀に舞い戻ることになる。
    その後いつ頃かは不明だがチェコ協商を形成していたチェコスロヴァキアを併合するなどもした。

    アルバニア占領1937/10
    イギリスはインドへの接続のため東地中海の安全を確保しておく必要があった、そのため地中海で影響力を強めるイタリアはイギリスにとって由々しき事態であった。イギリスはアルバニアに介入しようとしたが焦りを感じたイタリアはアルバニアを軍隊で占領し英伊間の関係は冷え切ることとなった。

    イタリア、ブルガリア、エストニア三同盟(後のイタリア同盟)1938/1
    スペイン内戦に参加していたブルガリアにイタリアが接近し締結された同盟、ブルガリア側は周辺諸国との領土問題も多く大国の後ろ盾を求めていたためこれを承諾した。これにファシ化していたエストニアも参加した。エストニアが「上司は多少弱いぐらいがちょうどいいんだよ」と言ったことが文献に残されている。第二次大戦中にスペインも参加し徐々にその影響を増していくことになる。

    ソ連内戦1938頃~1938/7
    内戦の結果左翼反対派のクーデターが成功し、ソ連はトロツキストが優勢になった。
    ダルマツィア併合1938/1
    イタリアがユーゴスラビアに最後通牒を送り付けた、その結果イタリアはアドリア海のほぼすべてを掌握し地中海にイタリア湾とも呼べる一帯が出来上がった。

    フィンランド内戦1938/3
    フィンランドはエストニアと結婚したいと「思う」が、それを危ないと「考えている」とも考えていた、それに対しエストニアが「待て君、それは恋愛小説なら結局私がフラれる展開じゃないか!答えを出したまえ、それまで離さん!」とした結果フィンランドさんは分裂して内戦になってしまった。フィンランドは結局結婚派が勝利したがそこにイタリア軍の介入が必要であったかどうかは議論がわかれている。

    ポルトガル内戦1938/7
    ファシストと王党派の内戦。好感度を稼ぐためイタリアは王党派を支援した。

    英伊戦争1939/3
    英仏を争わせたいイラクはイタリアに接近、イタリアは燃料確保のためイラクに対し友好的な姿勢をとることになり「絶対に守る」と口走ることになる。当初のイタリアは「ありったけの抗議をして力いっぱい遺憾の意を示す」だけで留めようとしたが結局イタリアはイギリスとイラクの戦争に参戦することになった。開戦時のイギリスは「海上での優勢」を理由にイタリアを舐めており、イランやオランダへの宣戦布告も同時に行った。しかし兵站の麻痺を予見し騎兵部隊などを投入し、主に潜水艦での攻撃を行ったイタリアが有利に立ち回る場面もありイギリスの失策もあり戦況はイタリア優位に傾いていくことになる。

    土希戦争1939/3
    ギリシャがエーゲ海沿いの割譲を要求する最後通牒を送り付けたがトルコはこれを拒否、ドイツ、二重帝国、ギリシャと戦争に陥ったトルコはイギリスの協力を取り付けるがそれはイタリアという敵を増やしただけであった。

    アメリカ内戦1939/4
    恐らく赤くなったメキシコの影響も受けているものだと思われる。内戦の結果アメリカ共産主義諸州連邦が誕生した。

    第二次世界大戦1939/3~1940/3 
    イギリスとトルコの連合国がイタリア同盟とドイツの中央同盟の双方を敵に回した戦争、中米の赤化事業を行っていたメキシコにもイギリスは宣戦し連合国はインターナショナルも敵に回すことになる。イギリスがアフリカや地中海に意識を取られていた隙をついてイタリアはイギリスに対し同時上陸を敢行その結果ビクトリアタワーにトリコロールが翻ることになる。
    戦後処理は以下の通り
    ・イタリアが地中海および北アフリカの旧イギリス領、カナダとマラヤも獲得しイギリスには傀儡政権を建て、その他こまごまとした地域にも傀儡政権を樹立した。
    ・イラクがクウェートの他アラビア半島の旧イギリス領を獲得、また旧トルコ領も獲得した。
    ・イランが西パキスタンを獲得、また旧トルコ領も獲得した。
    ・ブルガリアが旧トルコ領を獲得した
    ・中華民国がビルマからインド中部にかけて獲得
    ・エストニア=フィンランド ブルガリア オランダの間で旧イギリスアフリカ植民地が委任統治されることになった。
    またこの戦争の結果ギリシャとブルガリア間で旧トルコ領などを巡る領土問題が発生しこれが中央同盟とイタリア同盟の戦争の禍根となる。

    イタリアのユーゴ介入1940/3
    イタリアがユーゴスラビアを陣営に引き込むためにファシズム側のユーゴスラビアを支援した

    ブラジル内戦 時期不明~1940/4
    どこからともなく武器が飛んできてヴァルガス政権が崩壊、内戦を経て帝政に回帰した。ポルトガルとの結婚の反対派をぶっ潰していたらしい。

    エストニア=フィンランドのイタリア同盟からの追放1940
    フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ソ連に跨るサーミ族を統合しようとしていたエストニア=フィンランドが陣営から蹴りだされた。その結果二人はドイツ率いる中央同盟へと接近して行くことになる。

    ドイツのダンツィヒ再併合1940未明
    国境に並んだドイツ戦車に脅されたポーランドがグダニスクを割譲した事件。その結果ポーランドは怒りのあまり右に倒れきることになる。

    イタリア同盟(2)
    イタリア ブルガリア オランダ イラン イラク スペイン ポルトガル=ブラジル 中華民国などは参加する同盟、仮想敵国は中欧の古びた帝国や共産主義者。後に内戦の結果ファシズムになったユーゴスラビアも参加した。

    エストニア=フィンランド ノルウェー スウェーデン戦争1940未明
    ラップランドに対する最後通牒をノルウェーが拒否したことで発生した戦争。スウェーデンもノルウェー側で参戦したが後世の研究ではノルウェーの工作であったという説が有力である。

    仏伊戦争1940/8~
    なぜか飛んできたスイスの領土要求をなぜか快諾したフランスとなぜかもらえたスイスことアルプス連邦、二国は協力し複雑に動き回る世界情勢に対抗しようとした。昨今の研究では国内が不安定だったフランスがスイスの要求を断れなかったのであろうと言われている。その二国に対しイタリアは断続的に再発生した第二次世界大戦に乗じて二国に戦線布告。初期はスイスがイタリア領内に侵攻したがそれが戦力の分断を招くことになり9月には降伏、ヨーロッパに兵を回していなかったフランスもパリまでひき殺され本国は9月中に降伏した。
    また陣営の本部が置かれていたルクセンブルク、そして植民地が欲しいからという理由で飛び火したベルギーも巻き込まれることになる。
    戦後処理は以下の通り
    ・中華民国がチベットとネパールを獲得、また膠州湾が返還された。またラオスとカンボジアの統治も任された。
    ・イタリアはサヴォイア、ティチーノ、コルシカ、そしてベトナムを獲得。またスイスをスイス保護領として支配下に置きフランスにも傀儡政権を建てた。
    ・イランがアフガニスタンを獲得
    ・イラクがシリアを獲得
    ・ブルガリアが西アフリカ一帯の植民地を獲得
    ・オランダがベルギー本国、旧ベルギー植民地、ルクセンブルクを獲得、その結果低地諸国は統一された。
    ・サヴォイアより西の旧フランス領はフランスに返還
    ・その他残りの植民地はポルトガル=ブラジルとイラン、イラクによって分割された。

    第二次(?)第二次世界大戦 1940未明(北欧戦争開始時)~1942/9
    北欧での戦争中エストニア=フィンランドはレニングラードを爆破しソ連にも宣戦布告、ドイツ達はなし崩し的に対ソ戦に巻き込まれることになり、ノルウェー、スウェーデンはソ連と同盟することになる。
    初期はドイツの劣勢であったが北進論を採用している日本がドイツに接近、日独同盟が接近しオーストリアもドイツの要請を受けて参戦(ハンガリーはルーマニア攻撃のため不参戦)した。その結果ルーマニアのインターナショナルへの加盟などもあったがおおむね戦力は増強され殴り合いの第二次大戦はその息を本格的に吹き返すことになる。一時期中欧で劣勢になるなどしていたが満州里で爆発事故が起きたことを理由に日本がソ連に宣戦布告したこともあり対ソ戦線は好転の兆しが見えた。ドイツとの密約であったというのは一般的な陰謀論として人気はあるが否定されている。
    この戦争のさなかイタリアが秘密裏にルーマニアやスウェーデン、ノルウェーに対し一時期まで武器や義勇兵などの援助を行っていたというのが定説である。
    戦況が大きく動いたのは1941年の5月のことでありアメリカ共産主義諸州連邦が参戦しインターナショナルに加盟、そしてアメリカはイタリア領イギリスに宣戦布告した。その結果対インターナショナル戦にイタリアも参戦し共産主義は二大陣営を相手取ることになる。41年10月にはソ連が降伏、アメリカも極東は日本の飛び石作戦でフィリピンなどを失い、東部はイタリア領カナダからのイタリアの電撃戦(グエッラ・ランポ)に挟まれることになり苦しい戦いとなる。メキシコは42年7月に降伏アメリアも同年の9月には降伏した。
    戦後処理は以下の通り
    ・イタリアがブルガリア、スウェーデンの中心地、アメリカ内陸部、ノルウェーの中心地に傀儡政権を樹立
    ・ブルガリアがドルブジャを獲得
    ・中華民国が旧アメリカ西海岸、モンゴルを獲得
    ・イランがカフカス、トルクメニスタンを獲得
    ・ドイツがスカンジナビア半島の南西部、ウラル山脈以西の旧ソ連領を獲得
    ・日本がフィリピン、ハワイ、アメリカ西海岸、メキシコ、極東の旧ソ連領を獲得
    ・オーストリア=ハンガリーがトランシルヴァニアを獲得しウクライナ方面までの回廊とウクライナを獲得
    ・エストニア=フィンランドが旧ノルウェー、旧スウェーデンの領土の北半分の殆どを獲得、またヘルシンキからタリンまでを陸路で繋げることにも成功した

    南アフリカ独立派平定1943/2
    ポルトガル=ブラジルを主力とした多国籍軍を前に鎮圧された。

    ポーランド分割1943/9
    ファランジスト・インターナショナルの盟主となっていたポーランド、同陣営の加盟国は南米の小国のみであり実質ポーランドの単独陣営となっていた。ポーランドはドイツなどに17日間で制圧されドイツ7割オーストリア=ハンガリー3割の形で分けられた。

    ユーゴスラビア侵攻1943/10
    周辺国に対し赤化クーデターを起こそうとしていたことがばれたユーゴスラビアは陣営から追放され制圧されることになった。
    戦後処理は以下の通り
    ・コソボとモンテネグロはイタリア領アルバニアが併合
    ・ブルガリアが北マケドニアと南セルビアを獲得
    ・イタリアが残った土地に傀儡政権を樹立した
    第三次世界大戦 1943/10~1948/8
    ユーゴスラビア侵攻に気を取られているだろうと思ったギリシャがブルガリアに宣戦布告、戦力差を埋めるためドイツも宣戦しそれに対し中華民国も宣戦、それに対し日本と満州国も宣戦し恩を高値売れそうだとポルトガル=ブラジルも宣戦、スペイン、オランダ、イラン、イラク、オーストリア=ハンガリー、エストニア=フィンランドも宣戦し最後にイタリアがドイツやギリシャとかに宣戦し二次から一年程で彼女たちは次の大戦へと足を踏み入れたのである。
    初戦はギリシャやオーストリアに侵攻するイタリア同盟が優勢かと思われたが低地諸国がドイツ軍によって占領され、北京や山東半島も日本に占領され陣営ごと劣勢に陥ることになる、イタリアは2000年前のローマ帝国気取りで、リメスと称して同盟国の領土に軍を分散配置していたがドイツを中心とした中央同盟が、そのイタリア軍を各地で打ち破って進撃に成功している戦況は象徴的なものであった。ドイツがパリを落としていたころオーストリア軍が北イタリアに侵攻、ロンバルディア、上海、南京、トスカーナなど主要な都市を占領されその進行の手はローマにまで迫ることになる(ラデツキー作戦)。そんな中、中央同盟との単独講和を望む一派によるクーデターの試みの結果イタリアは内戦状態に陥いった、共和派は十分な支持を得られず南イタリアを追われジェノヴァを拠点としてピエモンテ・リグリア両州を支配するにとどまった、なおこの政権は、南イタリアを逃れてきたイタリアへと拠点を移した結果、北イタリアに存在しながら南の王国と呼ばれる奇妙な状態であった。一方南イタリアで存続しているファシスト政権は王政を廃し「イタリア社会共和国」へと国名を変更、イタリア王国の正統な後継者として中央同盟に徹底抗戦する構えを見せている。
    イラン、イラクに侵攻する「十字軍作戦」、スペイン・ポルトガルに侵攻しそのまま北アフリカのイタリア植民地まで進行する「ヴァンダル作戦」、イタリア空・海軍の残党が立てこもるイタリア領イギリスに上陸して制圧する「ゼーレヴェ作戦」、イタリア領ロシアに侵攻するための「バルバロッサ作戦」日本が中国を壊滅させる「大陸打通作戦」これらの作戦が世界中で行われる中イタリアは反攻作戦を開始する。ギリシャとスペインに派兵したイタリアは本土奪還作戦を開始、陽動としてメッシーナ海峡を越えたイタリア軍はリヴォルノ、ピサ、グローセット、ジェノヴァ、チヴィタヴェッキアの北に同時に上陸作戦を敢行、アドリア海沿岸まで部隊を進ませイタリア半島で敵軍を孤立させた後大軍をもってアルプス山脈付近まで進軍し賽は投げられた、そしてイタリアが勝利した。
    本土を奪還したイタリアはバルカンにも進行、アルバニアを解放した後ブルガリアやスペインの宣戦を押し戻し、45年3月にはイタリア、スペイン、フランスが陸路で再接続されその勢いでオーストリア=ハンガリーにも侵攻しイタリアの巻き返しは順調かと思われた。
    それはヴェネツィアに落とされた、古代ローマのがれきの中から生まれたこの「海の都」は十数世紀の間、水の城壁に守られてその栄華を保ってきた。ヴェネツィア共和国を滅ぼしたナポレオンもこの街にとってのアッティラとなる事はついになく、同時に幕を開けた近代においても、人々はこの町の歴史と美しさをたたえてきた。その町の姿を最後に見たのが、1945年9月24日、この年に新型の爆弾を投下したドイツ空軍のパイロット達であった。V4、すなわち報復兵器四号と呼ばれたその原子爆弾の投下はほとんど完全に成功した。ヴェネツィア本島(リアトル島)北のテッセラ島上空で爆発したV4の爆風は、ラグーナの北側に位置していた航空基地のイタリア軍機2000機あまりを破壊しつくし、海軍の艦船にも多大な被害を与えた。そしてガラス工房の立ち並んでいたムラーノ全域が廃墟と化し、リアルト橋、サン・マルコ大聖堂、アルセナーレといった歴史的建造物も瓦礫となり、「負の遺産」と化した。世界のだれもがその風景を知る数少ない都市ヴェネツィアの完璧な破壊は、イタリア人のみならず全人類にドイツの力の恐ろしさを見せつけたのだ。ヴェネツィアの名前は残り続けるだろう。

    美しい都市ではなく、美しかった都市として。
    ヴェニスの商人の栄華ではなく、現代戦争の恐ろしさを伝える承認として。

    ドイツ軍は「心理的ダメージ」を核攻撃がもたらす有用な効果として捉えているのだろう。

    11日にローマ、14日にオーストリア、27日にはベオグラード、翌月の2日に再びベオグラード。11月18日にパリ、フィレンツェその九日後にローマ、その後もブルガリアのブルガス、ソフィア、プロブディフ、フランスのオルレアン、リヨン

    オーストリア=ハンガリーは45年9月に降伏、その後は情報をソフィア同盟側に引き渡すことになる。

    ドイツ軍は「心理的ダメージ」を核攻撃がもたらす有用な効果として捉えているのだろう。両都市の象徴であったエッフェル塔とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はそれぞれ爆心地付近に存在したことから壊滅的な被害を受けた、その悲惨な光景を捕らえた写真はドイツ国内へさえも流入し、激しい動揺を招いているようだ。ケルン、アーヘン、リューベックなどの諸都市は合同でヨーロッパ各地の文化財を「世界遺産」としてリストパップし、戦時であっても破壊を控えるようにドイツ政府に強く要求している。

    46年1月遷都先のトルンも占領されたドイツは降伏、エストニアはドイツを引き渡すことで好条件で講和しようとしたがその試みも失敗、ギリシャは本国から叩き出されたがトルコなどをひき潰し古のマケドニア帝国の9割を再興するなどしていたが結局は東アフリカで追いつめられることになった。エストニア=フィンランドはイギリス軍の空母などの活躍で降伏した。
    46年の3月にインドに宣戦布告したイタリアはその勢いのまま日本占領下の中華民国に侵入そのままシャム国境を越え中国沿岸部を奪取、47年の12月には満州国が降伏し48年1月には日本本土へ侵攻7月には日本が降伏し第三次世界大戦は終了した。
    戦後処理は以下の通り
    ・イタリア王国の解体
    ・オーストリア=ハンガリーはオーストリア・ハンガリー・チェコスロバキア地域に限り存続を認められた
    ・ポーランド、リトアニア、ラトビアはイタリアの傀儡政権を樹立
    ・エストニア=フィンランドはロシアが独立したときのため存続を許された。
    ・オランダは植民地を含む領土が返還された。
    ・ギリシャは本土はブルガリア領、クレタ島含むエーゲ海諸島はイタリア領となった
    ・イギリスは戦争での貢献や装備の提供で自治率を高めている
    ・ブルガリアがベラルーシからウクライナ方面まで、そして旧日本領メキシコを獲得
    ・ドイツには新イタリア的な政権を樹立させ、厳しい賠償金を課され軍備を制限され、植民地は没収、アルザス・ロレーヌはフランスに返還されることになった。
    ・日本はイタリアの傀儡とされ海外領土は軒並み放棄することになり、独立した韓国もイタリアの傀儡国となった。
    ・中華民国は満州、残っていたインド、旧ドイツ領東インド、フィリピンの半分を獲得した
    ・イランはコーカサス山脈を越えてイランの領土が広がった
    ・アフリカは中央同盟諸国の植民地がポルトガル=ブラジル ブルガリは イラクに割り振られた
    ・南米の領土はブラジルが獲得 
    ・スペインは旧ドイツ領東インド、フィリピンの半分を獲得した
    ・ロシアにはロシア帝国なるものが建てられておりおそらくイタリアの傀儡だと思われる。
    また以上の内容は「ベルリン条約」にて締結された。

    ソフィア条約機構(STO)1944/4
    イタリア社会共和国を中心にイタリア同盟の後釜として「ソフィア条約機構」が設立されイラン、イラク、スペイン、ポルトガル=ブラジル、ブルガリア、中華民国が参加した。
    イタリア共和国1944年12月20日
    イタリア社会共和国はローマにてイタリア本土の「解放」を宣言、この日がイタリア社会共和国の建国記念日となった。

    エピロゴ
    イタリアは10年で覇権国家に上り詰めたもののその代償は大きく傷跡は深かった、一時の派遣国家であったイタリアはそれ以降日和見的な外交を続けることとなる。
    ドイツは天文学的な賠償金、領土を狙う隣国の動向など国内の不安定化はとどまる所を知らない。
    その後イタリア主導のもと国際連合が作られ常任理事国はイタリア、ブルガリア、スペイン、ポルトガル=ブラジル、中国とされていた。しかし実態は有名無実化しておりポルトガル=ブラジルによるウルグアイ侵攻の際は
    あの国際連盟の再来を世界中に知らしめた。
    イギリスとアメリカは中華民国に接近。1950年までに全員がイタリアの影響を排除できるよう、またそれから四半世紀の内に「ファシスト帝国」を完全に解体できるように彼女たちは結束している。
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