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    PA___SaRa

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    シリアスになりきれないトウ虎

    幸福な王子様「まるで幸福な王子様ですよね、あの人って」

     ツクモの事務所で送迎のタクシーを待ちながら、次の録音に使われる台本を軽く目を通していた狗丸トウマは、タブレット機器でデモ曲を作りながら時間を潰している棗巳波に視線を合わせた。

    「幸福な王子様って、それってアイドリッシュセブンの六弥のことか?」

     トウマの中で幸福な王子様と聞いて思い浮かぶ相手の名前は、アイドリッシュセブンのメンバー、六弥ナギだ。理由は至極簡単なもので、所属事務所の違うアイドルグループ4組が行った合同ライブにて、巳波が六弥のことを『幸福な王子様』と称したからであった。
     一瞬、前に撮影で巳波が童話の幸福な王子様の衣装を着たのをトウマは思い出したのだが、あの人と誰かを指す言葉を口にしていたので巳波自身のことではないのだろう。なので六弥のことではないか、と聞き返した。

    「いいえ、六弥さんのことではありません。私が幸福な王子様だと思ったのは、御堂さんのことです」
    「トラが? 全然王子様っぽくないぞ」

     全く予想もしていなかったメンバーの名前が出てきてトウマは驚く。御堂虎於は確かに育ちはいいが、王子様ではない。ましてや、童話の王子様のようにお姫様を迎えに行くような男でもない。虎於はしてみたいことを口にするのを遠慮してしまう点があるものの、求められるのを喜び、その声に応え、周りのために自分を作り上げる自信家なイイ男だ。決しておとぎ話に出てくるようなロイヤルな男ではない。
     巳波はタブレット機器から目を離し、トウマが読んでいた台本に視線を向ける。彼が持っている台本はドラマや映画の台本ではなく、ここ近年に流行り出してきたオーディオブックの台本だ。アナウンサー、俳優、声優、そしてアイドル。様々な声を扱う人たちが小説や童話、詩などを読み上げてサブスクリプションで配信をするサービスがある。ŹOOĻの中ではトウマと巳波にオーディオブックのオファーが来ているが、他のアイドルグループを見るに亥清悠と虎於の二人にもオファーが来るのも時間の問題だろう。

    「狗丸さんの台本はそのお話なんですね。読んだことはありませんが、聞いたことがあるお話です」
    「あぁ。読みやすい本でよかったよ。SFって書いてあったけど全然そんな感じなくてさ。少し不思議な話ってやつ? ミナみたいな昔の小説だとさ、難しい言い回しとか読み難い漢字とか、沢山あるだろ? ああいうの苦手なんだよなぁ」
    「あら、私は好きですよ、春琴抄。先日新しくオーディオブックが追加されたんです。幸福な王子様、久しぶりにどんなお話だったか気になって、聞いてみたんです。そうしたら御堂さんを思い出してしまって……」

     お互いの台本の話をしながら、巳波は最近発表されたアナウンサーが朗読した童話の話をする。町の中心部に作られた王子像と渡り鳥であるツバメの童話だ。金箔や宝石で彩られた王子の像からその美しい装飾を剥がし、ツバメが町の人達に配り渡す。なぜ巳波は虎於とそんな王子を結びつけるのか、トウマには皆目見当もつかない。

    「御堂さんはとてもお優しいでしょう? 繊細で、見ているこっちが不安になるくらいに素直で、傷付きやすい。それなのに人の声には応じてしまう」

    ――自分自身を剥がして相手に奉仕してしまう王子様と、まるで似てはいませんか?


     巳波から童話の王子の自己犠牲さと虎於の奉仕の類似性を出され、しばらく考え込んでしまったトウマは、送迎のタクシーが事務所に着き、車に乗り込んでからもそのことをずっと考えていた。
     虎於は奉仕をするのが好きだ。BLASTの撮影がクランクアップし、撮影スタッフを含めたキャスト達での打ち上げの後、ŹOOĻ四人で二次会へと流れ込んだ。時間が時間だったので、完全防音マンションでワンフロア全てが自宅の虎於の家で二次会を行うことにした。家までの道中コンビニに寄り、各々飲みたい物や食べたい物を買い物カゴに入れて、誰が支払うかの男気ジャンケンをし、和気あいあいと夜道を歩いて行く。
     飲み物を含めた四人分の荷物となると大変重いもので、ジャンケンの勝者である巳波は荷物持ちを免除され、残りの三人で持つことになった。そこで虎於は、未成年である悠や成人とはいえ自分よりも小さいトウマに荷物をもたせるのではなく、自分が持つと荷物持ちを買って出た。
     アルコールでふわふわとした思考力の中、トウマは重い荷物を持たなくていいことへの嬉しさと、こういうスマートな行動がモテる秘訣なんだろうな、と呑気なことを考えていた。巳波に奉仕と自己犠牲の類似性を示された今なら別のことを考えるだろう。しかし、その時のトウマは、虎於の奉仕性が自己犠牲から来る献身さだということを、知る由もなかった。
     虎於の家に着き、二次会の準備をして、二回目の宴が始まった。一人暮らしには充分すぎるテーブルに所狭しと飲み物と食べ物が並べられ、互いに好き勝手に飲み食いをする。コンビニで沢山の物を買ったのにも関わらず、元より体力仕事なアイドルとしての激務と撮影が終わったことによる解放感からか、飲み物も食べ物もあっという間に無くなっていく。
     あぁ、せっかく寛いでいるのに買い出しに行くのが面倒だな。とトウマはひとり考えていると、席を外していた虎於が軽くつまめる物とシャンパンを持って戻って来た。

    「すぐ出せそうなのがこれしかなくてな。酒じゃないのはミネラルウォーターしかないんだが……巳波と悠はどうする? あとはコンシェルジュに頼めば色々買ってきて貰えるぞ」
    「お水を頂けますか? このラーメン、味が濃くって……」
    「コンシェルジュさんに頼んでも平気なの? もう夜遅いじゃん」

     流行り物のしっかりと味の付いたラーメンを食べる巳波にミネラルウォーターのボトルを渡しながら虎於は、コンシェルジュは交代制で動かし、二十四時間ずっと複数人が常駐のためいつでも頼み事ができる。何より買い物の代行もコンシェルジュ業務の一環であるから問題はない、と悠に伝えた。そうすると悠は喜び、どんなものまでなら代行をして貰えるのか興味津々で虎於に尋ねる。育ち盛りの体には、新たに用意された軽食だけでは物足りないようだった。

    「そこまで多くなく重たいものでも無ければ大丈夫だろう。何が欲しい?」
    「おにぎりとアイス! 具はツナマヨがいいな。アイスは新作が出たじゃん、それが食べたい。あ、あと炭酸!」
    「私もおにぎり欲しいです。梅と鮭でお願いします」
    「ハルはわかるけど、なんでミナもおにぎり食べるんだよ。今ラーメン食べたばっかりだろ……」

     わいわいと三人がはしゃぐ中、虎於は柔らかい笑みを浮かべながらスマートフォンでフロントに電話をし、代行の要件を伝える。虎於は、なんだか今までに感じたことのない胸のくすぐったさを感じた。それは、自宅に身内以外を呼ぶことも、こういった複数人が集まり賑やかに過ごすことも、これまでなら鬱陶しいと思えど楽しいと思うことなど無かったものが、嬉しくて胸が弾むような気持ちになるのだと、初めて知ったからだ。
     求められることは、過去に何度もあった。クラスメイト、知人、恋人、家族、出会ってきたすべての人たちは虎於に『御堂虎於』としての役割を求め、虎於はそれを受け止め役割を演じ応えた。中には応えにくい役割もあったが、彼には恵まれた才があったため、他の人ならば不可能なロールプレイングも行えてしまう。
     完璧過ぎる彼の演技は、人々を魅了した。一つずつ、丁寧に、虎於が持つ美しい装飾を彼を求める人たちに渡していった。求められ、応え、人を喜ばすのが好きだからだ。その行為が、誰にも触れさせない柔らかな心の表皮を浅く傷付け、治る前に新たな傷が付けられ、痛ましく爛れた皮膚が虎於を包む。
     その姿は、さながらおとぎ話の王子様のようであった。


    「お客さん、お客さん! 着きましたよ!」

     深く考え込んでいる間に、タクシーはトウマの自宅前に着いたようだった。巳波から虎於がおとぎ話の王子様であると言われてから、家に着くまでの間の約三時間をトウマはずっと考え込んでいた。今まで気にもとめていなかった虎於の甲斐甲斐しさが、実は自己犠牲から来るものだと思えて仕方がなかった。

    「すんません! ありがとうございます。あと一応、領収書頂けますか?」
    「わかりました。お名前は? 上様かツクモプロダクション様、どちらにしましょうか」

     事務員がタクシーを呼んだからだろう。領収書の名前をどうするか聞かれた時にツクモの名前が出たので、トウマは領収書に書く名前をツクモにして欲しいと頼んだ。用意された領収書を受け取り、お代は後で事務所さんにまとめて支払って貰うので結構ですよ、と声を掛けられ車から降りる。
     丁度マンションのロータリー前に降ろして貰えたので、そんなに歩くこともなさそうだ。この時期に入口から遠いところで降ろされるのは、たいそう酷なことであった。タイミングが悪いと他の車が停まっていたりするため、ロータリーから離れたところで降ろされることもある。そうなると暑かろうが寒かろうが否応なしに歩かなくてはならないのだ。
     オートロックを開け、ボディバッグから家の鍵を出しながらエレベーターに乗り込む。玄関までの道すがら鍵を出すのは危ない、とよく虎於を然り他のメンバーからも言われていることだ。住まいのマンションに着いたのだから一秒でも早く部屋に帰りたい、トウマはその気持ちを抑えることが難しいため、よく鍵を扉の前に着くよりも早く手に持ってしまう。
     エレベーターが目的の階に着いた。大股気味にエレベーターから降りたトウマは、自宅前までせかせかと歩いた。深夜ではないが、世間一般的な帰宅時間を過ぎた時間帯のためか、人気のない静まり返った廊下に足音が響く。夜遅くなるならもうこの靴は履けないな、と気に入ってはいるがどうにも足音が大きく鳴ってしまう靴を履くタイミングを考えながら、玄関前に到着し中に入ろうと鍵を鍵穴に差し込んだ。
     鍵が勝手に動いた。ひとりでに動く鍵を見ながら、トウマは中にいるであろう人物にあたりをつける。きっとそれは、トウマの意識を占領していた人物である――御堂虎於だ。
     狗丸トウマと御堂虎於は、少なからずいい関係を持っていると言えた。その関係は友人のようであり、相棒のようであり、ほんの少しの兄弟のような雰囲気もある関係性であった。BLASTの撮影中のことであった。虎於のスタントをやってみたいという希望の一件から、二人の関係が少しずつ変化していったのだ。気付けば二人は恋人になっていた。
     オートロックの暗証番号も合鍵も虎於には渡してある。虎於がトウマの自宅にいるのは何ら不自然なことではない。ただ、明日は二人とも撮影が入っているのに、何故虎於は家に来ているのだろう、そうトウマは不思議に思えたのだ。

    「おかえり。随分撮影が押してたんだな」

     鍵を開け、玄関の扉を開き、家主であるトウマを虎於は出迎えた。普段ならばトウマが帰って来るよりも早くに家に訪れる虎於を見ても、あぁ、来ていたんだな、と声を掛けて終わるのだが、今のトウマにはいつも通りのことが出来ずにいた。理由は簡単なことである。虎於がトウマの自宅に来ていることが、自己犠牲の奉仕かどうか、を見極めるためだ。

    「どうした? 疲れてるのか? もしそうならすまない。明日の撮影が同じ撮影所になったから、一緒に入りをすればいいと宇都木さんに言ったんだ。トウマの家から同じタクシーに乗ればいいと思って……」
    「あぁ!! 違う違う!! トラの車がないからビックリしただけだよ! それと、撮影が一緒って、マジ??」

     確かに虎於が乗っている車は、トウマが借りている駐車スペースには置いていなかった。普段からロータリーに入る前にマンション横の駐車場を覗く癖があった。虎於が来ているか確認するためである。トウマは車を持っていないので、駐車スペースは主に虎於の車が停めてある。元々は駐車スペースの契約を大家としていなかったため、今借りている駐車スペースは虎於専用と言っても過言ではないのだ。
     あんなにもいつもとは違うことに意識を取られていたのに、トラの車があるかを確認するのは無意識で見るんだな、とトウマは少し自分の可笑しさに笑みを浮かべる。虎於はトウマのその笑みを見て、トウマが来訪を拒絶していないのだと判断し、胸を撫で下ろした。

    「事務の人から聞いてないのか? 俺の撮影がトウマが撮影するスタジオに変更になったんだ。入りの時間もそんなに差はないし、場所が場所だから俺の車を出すよりはトウマと一緒に送迎で向かった方がいいだろうって宇都木さんと話したんだ。てっきり宇都木さんが、トウマに伝えておくよう事務の誰かに言ったと思ってたんだ。俺からも連絡しておけばよかったな」
    「んー、あー、待って、なんかそんなこと聞いた気がする。……うん、言ってたわ。ちゃんと言ってた。俺のド忘れだ」

     事務所からタクシーに乗り込む前に事務の人から、虎於の撮影所が変更になったこと、それに伴って送迎が同じタクシーで同乗し、入りの時間が同じになったこと、を聞いたことを今さっき思い出した。トウマが思っていた以上に虎於のことについて頭を占めていたようだ。もっとも、聞き逃した事柄も虎於についてのことだけれども。
     玄関にずっといないで、まずは家に入ったらどうだ? と声を掛けられて、今自分が靴を脱ぐどころか玄関先で立ち尽くしているのに、トウマはようやく気付いた。ただいま、と声に出して中に入る。その姿を見て虎於は柔らかく微笑みながら、おかえり、と再び声を掛けるのであった。


     もし腹が減っているなら軽食がある。あまり重たいものは、時間が時間だから用意していないが……と虎於が用意した食事を見てトウマは空腹を覚えた。どうやらタクシーの中で思いの外、頭を使い続けたらしい。

    「すっげぇ、レストランで食べるものがいっぱいあんじゃん。おっ、これ食ってみたかったんだよなぁ」
    「軽食でレストランもなにもないだろう。いつも何を食べてるんだ」
    「大体コンビニのおにぎりかカップラーメン。深夜回るとおにぎりさえもなくてさ、そういう時はカップラーメン食ってる。疲れ果ててるときはゼリー飲料」
    「頼むからもっとマシなものを口にしてくれ……」

     買ったきた軽食なのか、はたまた虎於お抱えのシェフが作ったものなのか、普段ならばトウマが口にしないような小洒落た食べ物がテーブルに並べられている。その中でも最近流行りの物を見つけ、トウマは早速箸を伸ばしてそれを口にした。
    「なぁ。なんで俺が帰ってきたって分かったんだ? 鍵差したら勝手に動いてビビったんだけど」
     あまりにもの丁度良すぎるタイミングで鍵が開いたことに、トウマが驚いたのは事実だ。普段なら気にも止めないことさえも、今は過敏に反応してしまう。奉仕か、たまたまか。空調が効いているとはいえ、トウマが帰って来るのを待つには、玄関はあまり適しているとは言えない。そんな場所でずっと待っていたのならば、あまりにも奉仕的過ぎるのだ。
     帰りを待っていてくれるのは嬉しい、出迎えてくれるのも嬉しい。でもそれは虎於の負担にならない程度であるのが前提である。虎於のことが大切だからこそ、トウマは彼自身にも虎於を大切に扱って欲しいのだ。

    「前に見たドラマで、探偵が依頼人の足音や仕草から相手がどういう人間か推理をしていたんだ。面白そうだったからな、トウマや悠、巳波達の足音とかを聞き分けてたんだ。あとこのマンションはセキュリティが甘すぎる。足音が丸聞こえだったぞ。俺のマンションに引っ越せばいい」
    「いやトラのマンションは家賃が凄いだろ……俺の足音ってそんなにわかりやすいもんなのか? ずっと玄関前で待ってた、とかじゃないよな?」

     蓋を開けてみればなんてことのない、ただ虎於が探偵の真似事をした結果、トウマが帰って来たことをいち早く知ることが出来ただけだった。しかし、トウマはそれだけでは納得か出来ず、虎於の顔をまじまじと訝しげに見る。虎於はその視線に居心地の悪さを感じたのか、目線をあちこちに配らせ、あぁ、や、うぅ、などといった意味のない音を口にし始めた。

    「トウマの足音が聞こえたのは事実だ。エレベーターから降りた辺りから音が響いていたしな。ただ……その……玄関の前でずっとではないが……待っていたのも事実だ。宇都木さんからトウマの撮影が終わる時間を聞いていて、多分この時間くらいに帰って来るだろうなってあたりをつけて待ってた。はは、こう口にすると鬱陶しいことをしたな」

     悪い、ごめん。そう言うと虎於は立ち上がり、スマートフォンや着替えの荷物をまとめだした。トウマは虎於が玄関前で待っていたことを聞き、俯いていた顔を勢いよく上げて、帰りの支度をする虎於の手を掴んだ。

    「トラ、トラ。よく聞け。帰らなくていい。鬱陶しくなんか思ってないし、別に謝ることでもない。でも、俺はそのことについてトラと話がしたい」

     トウマからいきなり手を掴まれ、虎於は大層驚き掴んでいたボストンバッグを落とした。トウマの腕を振り払うこともできず、バッグを掴み直すこともできず、虎於はまるで親に叱られるのを怖がる幼子のようにトウマの前に座り込んだ。

    「大丈夫、怒ってなんかねぇよ。どっちかって言うと心配……かな。なぁ、トラ……お前――」

     何を言われるのだろう、何を心配させてしまったのだろう、どこで間違えたのだろう。虎於の頭の中で嵐が吹く。どくどくと風の音が耳の中で反響する。いやだ、聞きたくない、こわい。手が震える。トウマに気付かれたくない。馬鹿なことをしてごめんなさい。許して。許して。ごめんなさい。
     
     虎於の手を掴んでいたトウマの手は離れ、虎於の頭へとのびて、くしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜた。

    「怒ってねぇって言っただろ。そんな顔すんなって。結論から話したほうがいいよなぁ。なぁトラ、お前無理してないか? 待っててくれるのはすっげぇ嬉しい。自分の家に恋人がいてさ、おかえりって言ってもらえるのって、こう……グッと来るもんがある。でもそれがトラの負担……負担? なんか上手く言えねぇな……」

     トウマは事務所で送迎のタクシーを待つ間、巳波と、虎於の気遣いは童話の『幸福な王子様』のような自己犠牲的なものに見える、という話をしたと虎於に伝えた。トウマのことを待つのも、ŹOOĻのメンバーで二次会を開いたときも、虎於の優しさや献身が虎於の柔らかい心を一枚ずつ剥がし、配るような行為であるように思えて仕方がないのだ。もしそうならやめて欲しい。自分の心を大切に扱って欲しい。
     強い言葉にならないように、でもしっかりと虎於に届くように、トウマはそう願いながら伝える。簡単な話である。虎於とは対等な関係性でいたいのだ。優しい心を配り傷付いた虎於の隣に居続けるのならば、虎於の優しさを享受しているだけでは、彼の負担にしかならないのだ。

    「……べつに負担だとは思ってない。好きでやってる」
    「そうは言うけど、前にトラは求められたから相手してるって言ってたじゃん。それと同じだろ?」

     付き合う前、ŹOOĻとして結成してからトウマは虎於が女遊びを頻繁にしているのを知っていた。一度あまりにも女遊びが酷く、スキャンダルの火種になりそうな流れの時に、虎於と女の間に入って仲裁をしたことがあった。その時に、さほど興味もない行為をしなきゃいけないのが色男の義務と面倒なところだな、と言っていたのだ。当時は鼻につくモテ男アピールだな、としか思えなかったが、今では献身的な奉仕行為としか見えなくなってしまった。
     虎於とは何回かセックスをしている。そのどれもが虎於がトウマを受け入れる側なので、元々性欲が少ないのだとすると虎於により一層の負担を強いているのだ。虎於の優しさの上に胡座をかいていないか、心配で仕方がないのだ。

    「……今までの女や俺の名字に釣られてきた奴らには……そういう対応もしてきたところはある。でも、トウマ達には……ない。俺がやりたくてやってる、負担になんて思ってない」
    「そうなんだろうけど……無意識ってのもあるじゃん」

     自分で自分の行いが自己犠牲的であると認識出来ているのなら話は早い。しかし、虎於の過去を顧みるに、虎於の献身は無意識的な行為と言える点が多々あるのだ。自覚があるのならいい。こちらからも強く言える。だが、無意識で行う行為をどう伝えればよいのか、トウマには上手く伝えられる自信――虎於を傷付けないようにする自信がないのだ。

    「何回でも言うよ。トラの優しさはすげぇ嬉しい。でもその優しさでトラ自身が傷付いて欲しくない。本当にそれだけなんだ。嫌だったら嫌だって言って欲しい、もちろんやりたいことも言って欲しい。俺達は対等な関係でいたいんだ。二人の間も、四人の仲でも」

     トウマは髪をかき混ぜていた手を離し、小さくするかのように猫背になった虎於の体を、上から覆い被さるように抱き締めた。手は背中に置き、緩く一定のリズムで優しく叩く。小さな子供を寝かし付けるリズムで、その行為は虎於のささくれ立った心を落ち着かせた。

    「嘘じゃない。俺がやりたくてやってる。……トウマ達といて、俺を求めてくれてそれに応えているとき、心がぽかぽかするんだ……」
    「ぽかぽか……」
    「だから無理はしていない、本当に好きでやっているんだ。トウマと寝るのだって……その……改めて言うのは恥ずかしいが、満たされる感じがして気持ちがいい。むしろトウマからは貰ってばかりだ」

     ぽつりぽつりと柔らかい胸の内を吐露するのが恥ずかしくなったのか、虎於はトウマの背中に腕を回し、体重を掛けて二人して床に倒れ込んだ。トウマの背中が床に当たって出た鈍い大きな音と、彼の痛がる声を聞いて、虎於はなんだか胸が温かく擽ったい気持ちになった。ŹOOĻの四人で集まり賑やかに過ごした夜と同じ感情だった。

    「いったぁ……いきなりはやめてくれ……トラん家みたいに防音じゃないから下の階に響くんだよ……」
    「トウマ、ありがとう。俺を見捨てないでくれて。俺を、ŹOOĻを好きでいてくれて、ありがとう」
    「すげぇいいこと言ってるところ悪いんだけど、マジで騒音の苦情って来るからな。男二人の重量って馬鹿にできないんだからな。あとトラ、重いから退いて……腰がヤバい……」
    「人の決死の告白をなんだと思ってるんだ」

     トウマの体の上から起き上がり、彼の腕を引いてトウマも起き上がらせる。早いうちに退いたので腰は無事なようだ。
     
     途中、トラが帰りそうになった時はどうなるかと思った、とトウマはひとり安堵する。虎於に傷付いて欲しくないことを伝えたいだけで、彼を傷付ける気持ちなど毛頭ないのだ。何がしたいか、何がしたくないか、どんなことでもどんな状況のことでもいい、俺に伝えて欲しい。と虎於に言うと、虎於は少し悩んでから口を開いた。

    「もう一度抱き締めてくれないか? 出来ればさっきよりも強く」

     悩んだ末の要望には大層可愛らしいもので、トウマは少し、そんなもんでいいのか、と驚いてしまった。トウマが虎於が望むものとして予想していたのは、映画に行きたいだとか、アレやソレを夜の場ではしたくないだとか、そういったものを想像していたので、強く抱き締めて欲しいという可愛らしい要望は微塵も思い付かなかった。
     そんなものでいいのならば、とトウマは再び虎於のコトを抱き締める。二人共座り込んでからの抱擁のため、目線の高さが数センチしか変わらない。抱き締めやすくていいな、と思う反面、身長に差があるのに目線は大して変わらないのな、と少しの悔しさを力に込めた。
     ぎゅうぎゅうに抱き締めても、虎於からもっと強めに締めてくれ、と再度要望が掛かる。何故、こんなにも虎於は強く抱き締めて貰いたがるのか、トウマには皆目見当もつかない。痛くないのか? と聞いても、返ってくる言葉は、余裕だな、の一言だけであった。

    「親や兄に……家族に抱き締めて貰うことはあった。みんなが忙しくないときは遊んで貰えた。幼稚舎に行くようになってから、クラスメイトが遊んでいるような遊びがしたくなって兄に言ったんだ。そうしたらなんて言ったと思う? 危ないからそんなことはさせられない、だったよ。別に危険な遊びなんかじゃないんだ……」

     淡々と虎於は昔話をする。危険だからと閉じた箱庭で過ごす幼少期は、どういう世界だったのだろうか。何の変哲もないごく普通の家に生まれ、一般的な育てられ方をしたトウマにとって、過保護なまでに管理された世界は息苦しく思えた。

    「ヒーローごっこで遊んでは貰えたが、ずっと俺が勝っていた。クラスメイトはぐちゃぐちゃになりながら戦っていたよ。それがなんだか、眩しく見えたんだ」

     トウマは綺麗な少年が置物のようにぽつんと佇み、賑やかに騒がしく遊ぶ子供たちを見ているのを想像した。そうしたらなんだか胸が苦しくなり、力を込めている腕にもっと力が入った。

    「苦しいだとか、痛いだとか、文句を言いながらも楽しそうにしていた。こういう気持ちだったんだな」

     生まれて初めてキラキラとした眩しい宝物を得た子供のように、虎於は心から楽しそうにそう言った。全てを持っていると思っていた虎於は、トウマからしたら何の変哲もないものを持つことを許されず、ガラスケースに入れられた置物のような日々を過ごしてきた。小さなことでもいい、くだらないものでもいい、虎於が屈託なく笑えるようなものを渡していきたい。トウマはそう決心をする。

    「この先もずっとトラが欲しいもんをくれてやる。嫌なことは、俺ができる限り排除してやる。だから何でも言ってくれ。俺は、お前が息が出来るような存在になりたいよ。息苦しい思いはさせたくない。つばめなんじゃかなく、お前を照らす光になりたい」
    「それはトウマが読む朗読の本から来てるのか?」

     トウマと巳波に依頼された朗読の仕事は、本の名前は他のメンバーには伝えられているものの、本筋どころか概要さえも伝えられていない。現にトウマは巳波が読んだ話を昔の人が書いた小説、くらいにしか知らない。トウマにオファーされた本は数年前に発売されたもので、学校の授業や新聞、雑誌で連載していたために読む機会がある本でもない。虎於自体も自ら進んで本を読む人間でもない。つまり、虎於はトウマが朗読をする小説だから、その本を読んだのだ。

    「きっと、トウマが読み上げる小説に救われるやつは多いんだろうな。俺や俺達がそうだったように」

     作中の氷の世界に閉じ込められたくじらは、息が出来ずに死んだ。だが虎於の隣にはトウマがいる。隣に大切な人がいると何でも出来る気がする、この言葉の意味を虎於は強く実感した。息苦しく無気力に流されてきた日々が、トウマという灯りに照らされて変化し、宝石のように輝き出す。なんだって出来る、何者にもなれる。
     少し離してくれ、と虎於から言われトウマは腕の力を弱める。身動きが取れるようになった虎於はトウマの顔を両手で包み込み、軽い触れるだけのキスをした。

    「好きだよトウマ。これからも、ずっとよろしくな」

     相手からのキスはよくあるが、滅多にない虎於からのデレに、トウマは欲望と理性の限界が見え始めた。ふわりとした穏やかな笑みと共に言われたのも、トウマの中では危ないものだったらしい。
     
     ここ最近のオフでの虎於は、前の気怠げで刺々しいスキャンダラスな色男さが薄れ、甘え上手で愛される可愛い弟さを隠さなくなってきた。その可愛さにトウマは、随分素直に懐いてくれたな、という感動と、可愛すぎてムラっとしたな、という性欲と、こんなにも素直な男を好き勝手に抱いていいのだろうか、という理性がぐちゃぐちゃに混ざり合うのだ。

    「トラが可愛いことやると、今までセックスしてたことが悪いことのように思えるよ……罪悪感が凄い……」
    「ならもう今後一切、俺を抱くのをやめるか?」
    「それは無理! 絶対嫌だ。罪悪感はあるけど恋人とはヤりたいじゃん。本当は今日だってしたいのに……」

     理性と欲望の決闘の末、欲望が勝ったトウマは虎於と時計を見て溜息をついた。夜遅い時間になってしまったし、なにより明日はお互いが仕事なのである。準備も片付けもある行為をするには、タイミングが悪かったのだ。
     決まった時間の仕事ではなく休みはお互いに不規則、加えて全国ツアー真っ只中という多忙なスケジュールのせいで、二人が恋人らしく過ごせたのはもうだいぶ前の話だ。

    「来年までおあずけかもな。はは、ヒドイ顔だ。飢えた犬みたいな顔してる」
    「どうにか休み合わせられないかな。意識しだしたらトラが足らなくなってきた……」

     軽いキスだけでは足らなくなったトウマは虎於の口、頬、額や髪などいたるところにキスをしながら彼の胸に右手を置き、浅く指を沈ませる。性欲のままに手を出されて驚いた虎於は、おい馬鹿やめろ、理性を働かせるんだ、とトウマの体を力いっぱい押し離し髪を逆立てた。

    「なぁトラ……頼むよ……最後まではしないからさ。ちょっと咥えてくんね?」

     舌を入れられ唾液で濡れた虎於の唇をトウマは左手の親指でなぞり、指を性器に見立てて口の中に入れ、虎於の舌をぐにぐにと刺激する。虎於は咥内を好き勝手にされ、仄かな快楽が全身に行き渡るのを阻止するべくトウマの親指に歯を立てた。
     思わぬ痛みに襲われたトウマは親指を虎於の口から引き抜き、自分のことは棚に上げ情けない顔を向ける。

    「嫌なことはちゃんと言えって言ってたよな。食べ物以外を口に入れるのは絶対にイヤだ! この馬鹿!!」
    「指も痛いしチンコも痛いんだよぉ……なぁトラァ……」
    「知るか!! この大馬鹿が!!」

     夜遅い時間なことを忘れた二人は大騒ぎをし、隣部屋の住人から壁を殴られて、ようやく静かになった。トウマは虎於にフェラチオをして貰うことを諦めていないし、虎於もいくら恋人の頼みだからといって性器を口に咥えるのは拒否したい。二人の攻防に決着が着くのは、当分先の話である。
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