乾燥機の扉を開けて、ジャージを取り出す。
洗剤のやさしい香りと、あたたかな熱が心地よい。
抱きしめて頬を寄せると、
今日の記憶が鮮明によみがえってくる。
彼の体温、触れた唇の感触、名前を呼んでくれた時の声。
どれもが願ってやまなかったけど、あきらめていたものばかりだ。
「……夢みたい」
彼のジャージに顔を埋めながら、文哉は甘いため息を零した。
ジャージの胸に刻まれた「羽鳥」の刺繡を見て、鼓動が高鳴る。
ふわふわとした熱に浮かされるように階段を上り、自分の部屋へ戻る。
ジャージをハンガーにかけて、ベッド横の壁に吊るす。
「渉くん」
自分の唇に触れて、彼との口づけを思い出すと
胸の奥がきゅぅんととろけて、それだけで頭がぽーっとしてしまう。
「こんなに幸せでいいのかな、わたし」
彼が自分をずっと好きでいてくれたこと。
この心も身体も全部受け入れて、女の子として見てくれたこと。
彼に嘘をつき続けていた自分に、優しくしてくれたこと。
すべてが夢みたいな出来事で、文哉にはまだ実感できずにいた。
「もう渉くんに隠し事しなくていいんだよね。
本当のわたしを知ってもらえたから……女の子のわたしを」
言葉にすることで、またきゅんとなってしまう。
文哉は両手で頬を抑えるも、口の端が上がるのをこらえられない。
今までだって、彼への恋心を隠せていたか分からない。
それなのに、相思相愛だったなんて分かった今はもう
彼への大好きが溢れてしまいそうだ。
彼のことを思うだけでどきどきして、
彼が名前を呼んでくれるだけで顔が赤くなって、
彼が隣にいてくれるだけでふわふわ舞い上がってしまう。
頑張って会得したつもりの男の子のふりも、
簡単にメッキが剥がれてしまうんじゃないかと文哉は思う。
***
「デート、何着ていこうかな」
恋人同士になったからと、お願いしたデートの約束。
身体は男の子なのだから、渉が奇異の目で見られないためにも
男の子の服を着るのが妥当だと文哉は考えていた。
だが、渉は真剣な顔で考え込んでからこう言った。
「文華に可愛い服を着てほしい」
一気に鼓動が早まる文哉をよそに、渉はいや、と言葉を続ける。
「でも他の奴に見せたくない……」
「わ、わたるくん?でもその、きっと似合わないよ。
わたし、見た目は男の子だし」
「絶対似合う。絶対可愛い」
「ひゃっ……!」
彼に真っ直ぐ見つめられて、文哉は思わず上ずった声を上げてしまう。
「文華が嫌なら無理強いはしたくない。
けど、小学校の時みたいに可愛い服着た所が見たいんだ」
確かに小学校の頃の彼女は女の子らしい服を好んだ。
もちろん彼女の好みでもあったが、
実は渉の気を引くためだったりもする。
淡い下心はちゃんと効果があったようで、
その頃の服を褒めてもらえたことに文哉ははにかんだ。
「じゃあ、えっと、おうちデートにする……?
わたしも、渉くん以外に見られるのはヤだな」
渉の頬が色づいたかと思うと、返事の代わりにぎゅっと抱きしめられた。
ついさっきまで片想いだと思っていた相手から、急に愛情表現の供給過多を食らって
文哉は既にオーバーヒートしそうだ。
なんとかデートの予定も決まり、渉が文哉の家に送り届けてくれるまで
二人で寄り添いながら色んなことを話した。
***
そんなやり取りを思い出し、文哉は自室の鏡を眺める。
やわらかなウェーブを描く茶色の髪。
男の子として生きることを決めた時に切り落としたが、
少し伸ばすぐらいなら変じゃないかも知れない。
引き出しを開けて、小さなリボンのついた赤いカチューシャを取り出す。
まだ彼女が女の子だった頃に、毎日つけていたものだ。
買ったきっかけは、大好きなショートケーキのいちごと同じ色だから。
そんな他愛もない理由だったのだが、羽鳥の好きな色も自分と同じと知って
毎日このカチューシャをつけるようになった。
試しにつけてみようとするが、さすがにサイズが合わない。
文哉はがっかりしながら、カチューシャを引き出しに戻す。
気を取り直して、文哉はワードローブを開く。
隅の方に追いやられた、まだ一度も履いたことのないロングスカートに
おずおずと手を伸ばす。
誰に見せるでもなく、一人きりの時だけでもスカートを履きたくて
高校に上がる前にこっそり通販で買ったものだ。
買った後に鏡で自分とスカートを並べたら、
なんだか滑稽に見えてしまって封印してしまっていた。
今更女の子に戻れるわけがないのに、何をやっているんだろう。
そんな絶望を思い出してしまうから、見えない場所に追いやっていた。
けど、彼が、大好きな彼が「絶対似合う」って。
「絶対可愛い」って言ってくれたから。
胸の中にそっと、しまっておいた女の子のわたし。
もういちど、彼のために、女の子に戻ってもいいのかな?
ロングスカートを身体にあてて、鏡を確かめる。
前はいびつに見えた自分の姿なのに、不思議と今はそんな風には感じなかった。
「……渉くん、褒めてくれるかな。
わたしのこと、可愛いって言ってくれるかな」
身体の奥に、甘い熱が集まるのが分かる。
内側から優しくとろかされて、ちっぽけな不安なんて溶かしてくれそうだ。
叶うはずないと思っていた恋が、叶ったのだ。
きっと今のわたしは何でもできる。
昔読んだ少女漫画にも書いてあったもん、
恋する女の子は世界で一番強いんだって。
そう自分に言い聞かせて、文哉は--文華は、スカートに脚を通す。
くるりと一回りして、裾を翻しながら小さくステップを踏んだ。
彼のために、彼のためだけに女の子でいたい。
女の子のわたしをもっと見てほしい。
いっぱい甘えて、ぎゅっと抱きしめて、キスして、それからそれから--
まだ気が早い想像に頭がパンクして、枕に顔を埋める。
ただ男友達として毎日を過ごせればいいと思っていた昨日までとは違う。
彼氏と彼女になれたのだ。
顔を上げて、もう一度彼のジャージを眺める。
きれいに洗濯された一着のジャージが、
今日のことが夢じゃないことを証明していた。
「渉くん」
ジャージの「羽鳥」の文字を眺めてつぶやく。
今まで心の中だけでしか呼べなかった、彼の下の名前を堂々と呼べることが嬉しい。
「大好き」
彼の笑顔を思い浮かべながら、蛇崩文華は幸せに浸った。