「は~な~せ~!」
「こら、暴れんじゃねぇ!」
年端も行かぬ青年を大の大人が担ぎ上げているという光景は傍から見れば実に不穏だ。だがしかし、ここは仙舟羅浮雲騎軍訓練場。このような場所で怪しいことなど起ころうはずもない。
「逃げても無駄だぞ、もうお前の荷物も屋敷に運ばせてる。お前は今日から俺のもんだ」
「ふざけるなよこの人攫い!」
前言撤回、怪しいことこの上ない。これが許されるのは一重に相手が羅浮の龍尊、飲月君応星だからである。周りの雲騎兵の『また始まった』という冷めた視線もなんのそのだ。
武器の作製に生き甲斐を見出した龍尊が見つけ出した青年は、けれどそんなこと知らぬとばかりに自らの得物と他の武器を同じものだと抜かす。そんなことが許される筈もない。分からないというのなら、分かるまで教え込むのが年長者の務めというものである。
「というかお前、腰ほっそいな。ちゃんと飯食ってんのか?」
「ひっ……! 触るな、変態!」
あれほどの動きをしていたにも関わらず、腕の中の丹楓は華奢な体格をしていた。一体この細い身体のどこにあのような力があるのか。それとも、豊穣への憎しみがそうさせるのか。応星には預かり知らぬことである。
「というか、荷物を運んだ? 余の部屋に入ったのか」
「あぁ、もう従者を手配したけど」
「部屋には荷物だけではなくて、……あぁもう、いいから一旦下ろせ!」
じたばたと応星の上で暴れる丹楓であったが、いまだ成長途中の身体では体格の良い応星に敵うはずもなく。そんなじゃれ合いのような犯罪行為を平凡な兵たちは眺めることしか出来ない。お前達の龍尊だぞ早く何とかしろと、誰もが匙を投げている中、人込みの中から応星に向かっていく人がいる。
「まってぇ」
迷いなく進む応星の足に、ひしと何かが抱き着く。違和感に足元を見下ろせば、膝のあたりで小さな黒い塊が応星の動きを止めようと必死に纏わりついている。
「ふーのこと、つれていかないでぇ」
子猫のようなか弱い声で訴えかけられ、ようやく応星も動きを止める。ゆっくりとこちらを見上げた顔は、抱え上げた丹楓によく似たつくりをしていた。丹楓よりも少し大きく丸い瞳が、今は涙でうるうると潤み、零れ落ちた涙で濡れた頬が哀愁を誘う。
「丹恒!」
「ふーはいいこなんです。こーもいっしょにごめんなさいするからゆるしてぇ……」
「余のことはいい。危ないから離れろ!」
「やだぁ!」
自分よりも大きな大人に対し、拙い口調でも立ち向かう弟とその弟を庇う兄。美しい兄弟愛に傍観者の中には目頭を押さえる者も現れる。足元でぴるぴると震える幼子を見下ろしながら応星が尋ねる。
「お前、こいつの弟か?」
「はい、ふーはこーのおにいちゃんです」
「俺のことは知ってるか?」
「……わかんない」
返された返事に応星は大きく溜息を付く。幼子とはいえ自らの舟の龍尊も知らないとは。兄弟揃って無礼な奴らである。とはいえ、子ども相手に牙を剥くほど幼稚ではない。どうしてやろうかと考える応星の顎が、がつり! と勢い良く掴まれる。
「おい」
そのまま力任せに引っ張られ、無理矢理顔を向けさせられる。先ほどまでの感情を削ぎ落したかのよう丹楓は無表情で応星を睨みつける。
「弟に手を出すな。例えお前が龍尊だとしても、余の宝物に手を出すというのなら、その喉笛噛みちぎってやる」
まるで研ぎ澄まされた剣を喉元に突きつけられているようだ。興奮により開いた瞳孔に光を反射しぎらりと輝く。体格も力も何一つ敵わないはずなのに、丹楓の言葉には必ずやり遂げるという意思を感じる。
あぁ、これだ! これほどまでの激情を持つ男がその全力を持って振るう武器。それが作れれば、応星の長きに渡るこの乾きもきっと潤せる。そんな予感があった。
有象無象から「短命種の分際で」「龍尊様になんて口を」と声が上がるが、そんなことはどうでもいい。地位も種族も関係なく、応星はこの丹楓といういきものが欲しくなってしまったのだ。
骨を砕かんばかりに力の込められた丹楓の手を外し、宥めるように応星は言う。
「心配するな、お前の弟に手を出すような真似はしねぇよ」
「本当か?」
「あぁ、この応星の名に誓って」
そうして足元で泣いている丹恒の頭を優しく撫でた。びくり、と身を跳ねさせ、おそるおそる顔を上げた丹恒ににかりと笑いかけてやれば、丹恒もぎこちないながらに笑顔を返す。敵意のない応星の様子に丹楓も一応、怒りを落ち着かせる。そのまま丹恒の頭を撫でながら笑顔で応星は言う。
「ちゃーんと弟共々面倒見てやるよ! 俺は飼い猫の面倒は最後まで見る男だからな」
そうして、空いている方の腕に幼い丹恒抱えた応星は走り出した。
「ぴゃぁ~!」
「誰が猫だ、弟と余を離せ誘拐犯―!」
丹楓の罵倒など創作意欲の怪物と化した応星の耳には届かない。今の応星にあるのは丹楓に持たせたい槍の図形で埋め尽くされている。一刻も早く図面に書き写さなければ。忙しくなって来た!
「止まれ馬鹿者が!」
そんな応星の後頭部にがつん、と衝撃が走る。あまりの衝撃で目の前に星が散り、腕の中の二人を取り落して倒れ込む。
「丹恒、無事か?」
「へいき!」
「やれやれ、なんとか間に合ったようだ」
「遅いぞ景元、不審者に丹恒が汚されでもしたらどう責任を取るつもりだ」
応星の腕から零れた二人は傍にいた景元が受け止めたようだ。お互いに頬を寄せ合い兄弟が束の間の安寧を享受する傍らで、すらりとした人影が龍尊に投げた刀の鞘を拾い上げる。
「いってぇー!」
「白昼堂々うちの者に手を出すとは、言い度胸だな応星」
痛む頭を押さえて振り向けば、背後には反射を背負った鏡流が冷ややかな視線でこちらを見下ろしている。どうやら景元が呼んで来たようだ。余計な真似をと舌打ちをする応星に鏡流は刃先を向けて言う。
「そこまで暇を持て余しているというのなら我が相手をしてやろう。剣を取れ」
「いや、俺今から図面書くので忙しい……」
「問答無用!」
そのまま鏡流との地獄の鬼ごっこに突入しながらも、応星の脳はやっと見つけた月の光で眩しく輝いていた。