かくれんぼ酒の勢いで思い出した、遠く儚いあの頃の記憶。儂の妻・岩子は幽霊族でありながら人間を深く愛しておった。人間は恐ろしい。自分達の命、そしてご先祖の命までも奪おうとする傲慢で強欲な生き物。なのに岩子はそれをまるで道端に生えている花や草のように優しく優しく愛でていた。儂には到底分からないこと。夫と妻という関係になってからもそれは変わらなかった。
「ねぇ あなた
今日は雨だそうですよ」
「むう そのようじゃのう」
「ふふ 猫ちゃんが来てくれないのはそんなに寂しい?」
「ふむ ちぃとな」
とつまらなそうに猫じゃらしをヒラヒラさせるゲゲ郎。親指と人差し指で挟めてしまいそうな薄い唇を突き出してシトシト振る雨を見つめ、ついには肘枕をついて完全に暇をもて余していた。大きな体をしているのにどうしてこうも子供らしさが抜けないのだろう、この人は。そんな事を考えながらちゃぶ台にあるせんべいにかぶりつく岩子。するとその音に釣られてゲゲ郎が這いつくばりながら此方へ向かってきて、一体何を食べているのかを問う。おせんべいというのよあなた、と教えてあげると目をくりくりさせて赤い瞳がキラキラ輝いた。岩子はもう一口せんべいを口にして、これかもしれないと確信した。
「あなた
お暇なら私の相手をしてくれない?」
「おぉ良いぞ!
岩子の頼みとあればなんでも引き受けよう」
「あら じゃあ〝かくれんぼ〟して遊びましょう」
「〝かくれんぼ〟?
なんじゃそれは」
「人間が考えた遊びでね
鬼と子で分かれて10秒間の中で隠れた子を探す遊びなのよ
見つかれば負け、逆に鬼が降参すれば勝ちっていうルールなの」
どう、やってみない?と顔を覗き込むとゲゲ郎は顔の半分を真っ黒に染めてブツブツと念仏のようなものを唱えていた。よぉく耳を澄ませてみると、どうやら〝人間の遊び〟なのが気に食わないらしい。困ったわね、どうしましょう。しかしこんな時岩子はどうすれば良いのか知っている。気の迷いで気持ちが沈み、姿勢が崩れていく夫に対し岩子は耳打ちで「見つけてくれたらご褒美あげましょうね」と二つに分かれた舌を見せびらかしながら言う。先程とは比べ物にならないほど、まるでヤカンが沸騰したみたいに湯気を発して、耳を押さえながらはくはくと畳に倒れ込む。
「い、い、岩子ッ!
そんなに己を安売りするでない!
ご、ご褒美など…ご、ご褒美……」
「安売りだなんて失敬ねえ
あなただから言ってるのよ
あなたにしかこんなこと言わないわ」
ご褒美。あなただから。あなたにしかこんなこと言わない。ゲゲ郎はそれが嬉しかった。そして同時に気になるのはそのご褒美とやら。それはなんじゃと尋ねれば、儂も人間のように変わらん欲を持っていると岩子に思われてしまうのじゃろうか。じゃが、なんとも気になって仕方がない。ゲゲ郎はもじもじして出来るだけ顔色が見えないよう伏せながら岩子に言う。
「のう岩子」
「はぁい なんですかあなた」
「ご褒美…は、何か聞いてもいいかのう」
信じられない、今にもピンとちぎれてしまいそうな糸を想像させるか細い声でゲゲ郎は問う。その後キャーッと乙女っぽく声にもならない声をあげて後ろに倒れていくゲゲ郎を見て岩子はつい笑みが溢れた。笑わないでくれ岩子と情けなく泣きつく姿もなんと愛おしい。
「たくさん抱きしめてくださいな
それがご褒美ですよ」
「い、岩子ぉ~!」
「今はだめですよ かくれんぼが終わってから
それから沢山沢山、包み合いっこしましょう」
「うむ!
儂は絶対岩子を見つけるぞ!
何があってもじゃ」
「まぁ!
ふふふ 随分と頼もしいお人ねえ」
そうと決まればかくれんぼじゃ!
ゲゲ郎はグッと拳を高くあげ、柱に目を伏せる。
嗚呼、なんて、なんて愛い人なの。
一生懸命わたしに届くようにと大きく数字を数えて。
「…のつ、とお!
岩子~ ちゃんと数えたぞ
今から探しに…」
と振り返ると隠れたはずの岩子がそこには立っていてゲゲ郎は静かに驚く。かと思えば岩子は自分から抱きついてきて「見つかっちゃった」と呟く。
「岩子!?
おまえまだ隠れておらんかったのか?
言うてくれれば儂は……」
「いいえ 違うのよ
なんだかあなたを残して隠れるのが勿体なくて」
少しの間だけ、今のあなたを見ていたかったの。
だからもう一度やり直しましょう。
「約束じゃぞ 岩子
次こそは儂がおまえを見つけてビックリさせてやるからのう」
「ふふっ 楽しみですねえ」