青い春から続く道、玄い冬をも君と笑み。逢禍学園校舎全壊。俺達の青春が在った世界は終わりを迎えた。涙と笑顔に見上げられた美しい青空の広がったその日から、先生も生徒も在校生も卒業生も大忙しで、親兄妹は兎も角仲の良い友達とも面と向かう時間が取れなかったくらいだ。それでもどうにか白兄さんの卒業式が無事終わり「外の世界を見てみたい」と旅に出た兄さんを見送った後、俺は妹である灰ちゃんの親友……許されるなら俺も友人と思っている男、柳田騎士君を個人的な用事で呼び出した。
「紅君、どうしたんだ? 灰ちゃんがいないのに俺を呼び出すなんて。……灰ちゃんのことで何か相談?」
カタンカタンと無機質な音を立てて彼は現れる。生命力を傾けた義肢が動いている音だ。彼は戦いの中で両足を標識化させて、その進行が随分と早かった。彼は物をよく考える性質だから、七億不思議の存在にさえ肯定的な男だから、迷い悩むことで肉体を変質させる七億不思議とは相性が悪いと言えた。旋律先生の幼馴染だという天竺先生がドッ祓いの能力を持つ人形遣いでなければ、彼はより苦労をして両足がない人生を生きることになっただろう。まるで元から自分の両足だったみたいに使っているその義肢を、彼は決して簡単に使い熟したわけではない。
「……足、大丈夫か?」
「ん? ああ、もうだいぶ慣れたよ。今じゃ走っても転ばなくなったし」
ふにゃっと人の良い笑みを浮かべる彼に、どうしてこの男はこうも傷だらけなんだろうと思った。そりゃあ、彼は決して絶世の美男子ではないのだろうけれど、一見して一昔前の不良漫画に出てきそうな顔立ちをしているけれど、それでも彼は俺から見て好ましい精神性をしているし、事実俺以外にも彼を愛おしいと思う人間は何人もいる。それでも彼は害されることが多い人生を歩んで、だからこそ彼は自分の親を殺し自分の命を救った七億不思議を「お母さん」と呼んでいたという。彼が標識化してしまった足の治療をしている時、隣でその話を聞いた。ずっと、七億不思議を悪と断罪していた、自分の浅はかさに死にたくなったし、そのことを口にしたら「そんなことで死んだら俺は君を殴るぞ」と怒られた。俺が死んだら灰ちゃんが悲しむからと、自分の両足を無くすというのに彼は他人の心配をしていた。
(そもそも君が七億不思議を悪と呼んだのは、家族の弔いの為だろう)
誰にも言った覚えのないそれを騎士君に教えたのは、俺が守っていたと思い込んでいた最愛の妹の灰ちゃんの口からだった。灰ちゃんはお祖父ちゃんのことを覚えていたし、なんならお祖父ちゃんは可愛い末孫の元に遊びに来ていた。お祖父ちゃんは亡くなったその時の姿をすっかりと身綺麗にして、なんなら綺麗な螺鈿色の角を生やした姿で言ったという。
(ごめんな灰。祖父ちゃん、人の形になるのが下手でな、真実を話すことがなかなか出来なかった)
(祖父ちゃん、実は自死したんじゃないんだ。……ある大事な人を、救いたかったんだ)
お祖父ちゃんは、祓った七億不思議がまだ人間の女性だった頃、彼女の祖母に当たる人に殺されていた。その老婦人は、七億不思議となった孫娘をその両親よりも愛していた。孫娘が卑劣な犯罪によって心を壊され、自ら七億不思議に成り果てた先でも、彼女は出来うる限り孫娘を隠し通し守ろうとした。それでも、祖父は彼女を祓った。祓わなければ、彼女は己の罪悪感で地獄に自縛されかねなかったと。しかしその想いは、祖母であった女性には通じなかった。人間とは呼べない鬼畜生共から酷いことをされた孫娘が、死んでからもまた世界から追い出されたと思った彼女は、お祖父ちゃんを鬼畜の仲間と仇討ちをすることにした。
(罪悪感で自死したように見せかけることで、大事な家族を奪ってしまった彼女が警察に捕まらないように庇ったつもりでいた。だが、自分で刺したか他人に刺されたかなんて傷口で簡単に分かってしまう。お前達の父さんと母さんは、子供達がお祖父ちゃんの仇と人を恨まないように、真実を隠したようだったが……結局それが、儂を敬愛してた紅に傷と歪みとを残してしまった)
お祖父ちゃんは悪くない。悪いのは七億不思議だ。そう思い込むことで、俺は祖父の死を受け入れようとした。七億不思議は人を惑わす、七億不思議は強い人にすら自死を選ばせる、七億不思議の所為で大好きなお祖父ちゃんが死んだのだ。そう思い込んだ俺は、恥じることもなく騎士君に「七億不思議など全員滅べるべきだ」と宣っていた。
「……君の、お母さんのことも知らず。俺は七億不思議を延々と罵った。俺が馬鹿だったんだ」
「馬鹿なんかじゃないよ、無知だっただけで」
「……それは慰めているのか、貶しているのか」
「……えへへ、言い返すならちょっと元気になっただろう?」
また、君は人の為に言葉を重ねて笑う。お祖父ちゃんも、灰ちゃんも、そうして騎士君も。どうして彼らはこうも綺麗なんだろうか。
「……お祖父さんはね、灰ちゃんに言ったって。自分の間違った庇い方が、皆の傷を深めたって。でも、間違いだったとしても。誰かの為って行動することを、俺は全否定は出来ないよ。だから、紅君がお祖父さんを思って俺と対立したことも、俺と殴り合いをしたことだって、謝らないでほしい」
君の愛は少し暴走しがちだけど、いつだって一生懸命だ。騎士君はそう、簡単に言い切ってしまう。
「……なぁ、騎士君」
「何、紅君?」
「……付き合ってくれないか」
「どこに? あ、灰ちゃんに何かプレゼントするのかい?」
「違う! ……俺と、付き合って欲しい。好きなんだ」
沈黙が永遠に続くかというくらい耳の中で痛かった。騎士君はそれから、二度三度瞬きしてから「罪滅ぼしとか言ったら」と小さな声を上げた。
「俺の両足が義肢になった罪滅ぼしとか言ったら、君の鼻が後頭部から飛び出すまで殴るからね」
「なんて恐ろしいことを言うんだ。……君は、自分から俺のことを殴った時なんてないじゃないか。そんなことできないだろう」
「……出来るよ。仲の良い友達だと思ってる子に、罪滅ぼしで交際を求められるなんて殴られるより酷いことだからね。それで、罪滅ぼしじゃないよね?」
「そんなことあるわけないだろう! ……いくら俺だって。罪滅ぼしで初恋を虚偽するほど、愚かな人間じゃない」
「……そっか、初恋か。ごめんね、変なこと聞いて」
書き物に一生懸命な、ペンダコとインクの染みが目立つ両手を差し出される。掌を見せてくるから、その掌に俺の手を置いた。赤ん坊の手でも握るように優しく触れられて、耳のあたりが熱くなる。頬だの鼻だのが赤くなってなければ良いのだが、なんて考える俺に騎士君は笑う。
「俺で良ければ……何て言ったら怒られるかな。俺からも、お願いします。俺と、付き合ってください、紅君」
へちゃ、と、笑う彼はいつも通りの強面で、そんな彼が無防備に笑う姿が愛おしくて堪らなかった。愛おしさに指を絡めて「ありがとう」を重ねる。こういう時はキスとかした方が良いんだろうか、なんてことを思っているうちに騎士君は俺の左手手首を握って歩き出す。
「おあっ、な、騎士君!? え、何処に行くんだ!?」
「灰ちゃんに報告しないのかい? 付き合っていることを黙っているなんて、確実に『可愛い親友と妹に隠しごととは水臭いものだな!』って膨れてしまうよ?」
「……それもそうだ。ちゃんと伝えて、祝福してもらわなきゃな」
笑い合いながら灰ちゃんの元へ向かう。今日は家でお菓子を作ると宣言していたから、運が良ければちょっぴり焦げているが美味しいマグカップケーキを食べることが出来るだろう。騎士君と付き合うことを伝えたら、強くて優しくて可愛い妹はきっと「騎士君とも兄妹になっちゃうとはな!」なんて笑いながら、一人増えた兄を全力で祝福してくれるだろう。