「エグザべ少尉、こちらへ」
業務連絡を終えた後のちょっとした空白の時間。
シャリアがエグザべの肩へ手を伸ばし、自身の方へと引き寄せる。エグザべは何も言わずそれに従った。適切に開いていた距離が縮まって、上司と部下というにはだいぶ近い位置に収まる。
引き寄せられたは良いものの、何も言わないシャリアをエグザべが見上げると、その眉間に皺が出来ていた。
「あの、どうかされましたか?」
「君、少し細過ぎやしませんか?」
「えっ そうですか?」
「体が薄いというか…。きちんと食事はとっていますか?」
「もちろんです。規定量は毎食摂取しています」
「それでこれ、ですか」
今すぐどうこうすることも出来ず、エグザべはシャリアをじっと見る。すると、不意にシャリアがエグザべの腰を掴んだ。
「わっ、」
「腰もだいぶ細いな…。肩周り…はまだマシか。腕もまあ…機体を乗りこなすには支障はない」
「中佐?そろそろ…」
「後は足……」
「…中佐、………シャリア中佐!」
「!」
ぶつぶつと呟いていたシャリアがハッとエグザべを見る。その頬が赤く染まっていて、自身がしてしまったことに気付いた。パッと両手を上げ、謝罪の言葉を口にする。
「すみません、不快な思いをさせました」
「いえ…。その、やはり僕にあれを任せるのは不安ですか?」
「不安?」
「僕も一応鍛えてはいます。ログを見ていただければ、対人戦闘もモビルスーツの操作だって問題ないはずだ」
「……ああ、そういうことですか。違います、そういうつもりで言った訳ではないんですよ」
訝しげな顔でエグザべが首を傾げる。そうでないならどういうことか、そう言いたげな目をしていた。
「単純に心配だっただけです。少尉に不満があるだとかそういうことではありません」
「…良かった」
エグザべが独り言のように呟いて、安心したような笑みを浮かべる。それを見たシャリアはどことなく落ち着かないような感覚を覚えて、エグザべからそっと視線を逸らす。
でも、とエグザべが声をあげた。
「そもそも中佐と比べたら皆薄いのでは?」
「…そうですか?」
「はい。中佐は体がガッチリとしてますし」
そう言いながらエグザべの手のひらがシャリアに触れる。少しだけ揺れた肩には気付いていないようだった。子どもが見知らぬ何かに興味を示すように、エグザべの手がぺたぺたとあちこちを叩く。シャリアはそれをだまって受け入れていた。
「(…なるほど、これは……)」
先程までの自身の行いを思い出し、より一層申し訳なくなる。
シャリア自身はエグザべに触れられることに不快感などはなかったが、エグザべにとってシャリアはただの上司である。強く拒否することも出来なかっただろう。仲の良い友人や同僚でもあるまいし、心配だったのは本当だが、距離感を見誤ってしまった。
脳内で副官のコモリが「セクハラじゃないですか」とシャリアに言い放つ。何も否定することが出来ない。
好きにさせること数分。そろそろやめさせようとシャリアがエグザべの肩を掴んだ。
「エグザべ少尉」
「あっ すみません…!上官に失礼なことを…」
「いえ、それは気にしないでください」
慌てるエグザべを宥め、シャリアは「これもハラスメントに当たるかもしれないな」と思いながら口を開く。
「食事を、」
「食事?」
「はい。少尉が嫌でなければ、食事に行きませんか」
少しの沈黙。一拍おいて、その瞳がきらりと輝いた。……非常に眩しい。若者とは皆こうなのだろうか。いや、こんな風に見えるのは彼だけな気がする。シャリアはゆったりとした微笑みを貼り付けながらそんなことを考えていた。
「ぜひご一緒したいです」
「良かった。早速ですが今夜の予定は?」
「訓練後は特に何もありません。中佐もご存知の通りです」
「分かりました。では一九〇〇に私の部屋へ来てください」
訓練に向かう背中を見送って、シャリアはほう、と息を吐く。手のひらの中。エグザべの腰を掴んだ手の感覚が消えない。
「……マズいですね、これは」
誤魔化すようにその手を握り込んだ。
思えば笑顔を見たことすら、先程が初めてだったような気がする。穏やかな口調と声色で錯覚してしがちだが、エグザべは然程笑顔を見せる方ではない。それが。
「随分と幼く見えるものだ」
かわいらしい、という表現を使わなかったのはシャリアの唯一の抵抗だった。
ひとまず今夜の食事のことだ。
そう考えながら、シャリアは端末を取り出すのだった。
――――――⋯⋯⋯
「美味しいですか?」
「はい、とても!」
頬張っていたキッシュを飲み込み、エグザべが頷く。
「口元、ついてますよ」
「すみません…。お恥ずかしいところを」
手渡したナプキンで口元を拭くと、エグザべが照れくさそうに笑った。シャリアはそれを正面から受け止める。それから、眩しいものを見るように目を細めた。
「……うーん、これは完敗ですね」
「何にですか?」
「いえ、こちらの話ですよ」
まさか君に、と言うわけにもいかない。理由を説明したら本当のハラスメントになってしまう。
そうですかと短く相槌を打ったエグザべが再びキッシュを口元へと運んだ。余計な追求をしてこないのはエグザべの美徳である。
シャリアは同じようにキッシュを咀嚼しながら、これからどうするべきかと頭を回し始めるのだった。
(蛇足)
「…ん、こちらも美味しいですよ」
「中身は何ですか?」
「ほうれん草とベーコンですね。一口いりますか?」
「良いんですか?」
「ええ、どうぞ」
皿を差し出す前にエグザべの口が開く。
ぽかん、と自身を見つめるシャリアに気付き、エグザべは「あっ…」と小さく声を零した。慌てて口元を手で覆った。その頬がじわじわと赤く染まっていく。
今日は二回目だなと思いながら、シャリアは皿を手元に戻し、キッシュを一口サイズ分切り分ける。
「すみません、僕、間違えて…!」
「はい、口を開けて」
「え、あ……し、失礼します…」
差し出したフォークがエグザべの口内へと消えていく。もぐ、もぐ、と少し時間を掛けて咀嚼すると「美味しいです」とはにかんだ。
「それは良かった」
「…僕の方もいかがですか?かぼちゃとほうれん草です」
「良いですね。いただきます」
「あ、じゃあ、」
シャリアがエグザべを見つめた。
先程の自分をなぞろうとしているのだと瞬時に理解して、少し遠ざかっていた恥ずかしさが戻って来る。エグザべの手が止まるのを見て、「冗談です、すみません」とシャリアが苦笑した。
「本当はあの時、少しだけ残念な気持ちになったんですよ。食べさせてあげれば良かったって」
遠くない未来、隣に座ったエグザべにそう告げられ、思わず抱き締めてしまうことを今のシャリアは知る由もない。