ふかつくんとメタルブラケット矯正 実は、深津は小学生の頃、比較的よく笑い、口数も多い子どもであった。しかし、ある日深く生えた八重歯が見つかる。普段はあまり目立たないものの、笑ったときにだけ見えるこの歯について、歯科医から「前歯を押して歪めてしまう可能性があるため、年齢が若いうちに抜歯して矯正を行った方がよい」と勧められた。
こうして、彼は中学校三年間の矯正生活に入ることとなった。
大きく笑うと矯正器具が口内を傷つけ、強い痛みを伴うため、次第に口を大きく開けることを避けるようになる。器具のせいで常に口内に異物感があり、唇がふっくらと見えるようにもなった。表情をあまり変えなくなったものの、性格の根幹は幼い頃のままであったため、無表情でいたずらを仕掛けるという独特なスタイルが形成された。無表情であることがかえって威圧感を与え、バスケットボールの試合中はチームメイトから一定の敬意を集めるようになり、意外にも悪くない状況となっていた。
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中学三年時、山王工業からスカウトされ見学と入試に臨んだ際も、まだ矯正器具を装着していた。しかし、非常に寡黙だったため、同学年でそれに気づいたのは、一之倉と河田の二人だけであった(彼らは視線の位置が低く、上唇と前歯の間の微妙なふくらみに気づくことができたためである)。
高校入学後、矯正器具は外され、以降は就寝時のみマウスピース型リテーナーを装着するようになった。ある日、昼食時に皆で集まっていた際、河田がふと「お前、リテーナーつけてないのか?」と尋ねた。彼の弟が矯正経験者であり、医師から終日装着を指示されていたため、美紀男はその点で大変苦労したのだという。その言葉をきっかけに、松本をはじめとする周囲のメンバーが初めて深津の矯正経験を知り、「へぇ、すごい!めっちゃ綺麗に揃ってるじゃん!」と素直に褒めた。それから、松本が悪気なくニコッと爽やかに笑いかけ、自分の生まれつき整った歯並びを無邪気に見せつけてきた。
(深津:チッ)
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高校二年以降、リテーナーの装着はほとんど行われなくなり、思い立った時に稀につける程度となった。ある日、久しぶりに装着してみたところ、明らかにきつくなっており、歯列が再び動き始めていることが確認された。内心では多少の不安を抱きながらも、表面上は冷静な態度を崩さず、一日中リテーナーをつけたまま過ごした。
その日の練習中、一年生の新人エースが「深津さん、今日なんか滑舌変じゃないっスか?」と声をかけてきた。深津は歯を見せて笑い、透明なリテーナーを披露した。
「これ何っスか?ボクサーが口に入れてるやつみたい!カッコいい~!」そう言いながら、神経が図太いその男は、唐突に手を伸ばしてリテーナーの上から触れてきた。
「……触るなベシ」
歯を触られるという行為(たとえリテーナー越しでも)は、ほぼセクハラであった。深津は無言のまま、その指に噛みついた。幸いにもリテーナーは食事にも使えないほど鈍くて攻撃力ゼロだったため、人を噛んでも実質的な攻撃力は皆無であり、せいぜい筆箱で挟まれた程度の感覚だった。
沢北は「先輩が噛んだーっ!」と叫びながら河田のもとへ逃げ出し、すぐに叱られる羽目になった。
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深夜、深津の夢の中で、沢北の指は歯の上にとどまることなく、透明なリテーナーで噛み合わせができない歯の隙間をなぞるようにして、そのまま口の中へと滑り込んできた。
歯の内側を撫でられるような感触、さらに上顎までくすぐられるような刺激が走り、その感覚は口腔内から全身へとじわじわ広がっていった。
これはまずいベシ、と深津の理性は警鐘を鳴らした。たとえ相手が期待の新人エースで、その指がどうなろうとも、これ以上何かが続く前に、ここで噛みちぎってでも止めねばならない――そう決意したその瞬間。
パキッ、パリッ、ピシッ――
透明なリテーナーが、口の中でいくつもの破片に砕け散った。
洗面台の前で口内の粘膜を確認しながらうがいをしていた深津のもとに、トイレに起きた沢北が眠そうな顔で現れた。
視力の良い沢北は、洗面台の端に置かれた壊れた透明な物体と、その上に付着していた淡いピンク色の痕跡をすぐに発見した。
「えっ?これ壊れたの?口の中ケガしたの?」
気になって仕方ない様子で眠気も吹き飛び、沢北は深津の下の前歯を指で押し開け、中を覗き込もうとした。
「……お前、距離感バグってるベシ」
深津が「このまま噛み千切るベシ」を判断するまで、あと三秒。
おわり