可愛い人 深津一成が祖父母以外の人に「可愛い」と言われたのは、沢北が初めてだった。
ある昼休み、深津がミルク系の飲み物を飲んでいるところを沢北に見られた。
「深っさん、いちご味を飲まれてるんですね。可愛いです」
深津は気にも留めなかった。沢北栄治の褒め言葉なんて、女子が何を見ても「可愛い」と言うのと同じようなもの。だって、クラスの女子が、顔が変で口が大きくて肌が緑のキャラクターを「可愛い」って言ってたのを、深津はこの目で見たことがある。
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ある日、深津は寮で、祖母がくれたふわふわで暖かいパジャマを着ていた。沢北はそれを見て、こう言った。
「深っさん、小動物みたいで可愛いですね」
深津は少し考えてから、「ふん、ちょっと頑張れば、自分も可愛くなれるんじゃないか」って思った。
それから深津は、無意識かつ意識的に、自分が「可愛い」と思うものを身につけ始めた。
小さな牛の刺繍がついたハンカチ、猫耳のついた帽子、胸に立体のくまの頭が縫い付けられたパーカーなどなど。
沢北は見るたびに大げさに言った。「深っさん!可愛いですね〜〜」
深津はその褒め言葉を楽しんでいた。
…沢北がアメリカに行くまでは。
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沢北が去った後、深津の奇妙な審美眼には、誰も反応しなかった。周囲が見慣れてしまっただけ。
大学に上がって、湘北の14番と再会した。
練習中の深津が履いていたキャラクターソックスと、同じシリーズのタオルと水筒を見て、三井は言った。
「深津、お前のセンスどうなってんだよ?」
深津は衝撃を受けた。高校生の女子しかこんなグッズ使わないって、初めて気づいた。
マネージャーの女子がすぐにファイルで三井を殴りながら、「好きなもの使うのは自由でしょ!」と言ってくれたけど、
深津は思い返してみた。…自分、そんなにこれらのグッズ好きだったっけ?
いつからだろう、無意識に「可愛いもの」を選ぶようになったのは。きっと、誰かに「可愛い」って言われたくて。
でも、その「可愛い」って言ってくれる人は、もういない。
だったら、もう必要ない。
そう思った深津は、奇妙で可愛い私物をすべて捨て去った。
代わりに三井や松本と一緒に、新作のスポーツウェアの色を研究したり、限定スニーカーのデザインを調べたり、制汗剤の香りやビールの度数を語り合うようになった。
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深津は大学三年の時、沢北が初めて帰国した。
大学のチームでようやく活躍できるようになったという報告のためだった。
関東にいる山王メンバーで集まりが開かれた。
深津も松本以外の同期と久しぶりの再会、お酒が飲める大学生たちは、夜遅くまで盛り上がった。
深津は顔を赤らめながらお酒を飲んでいた。今の自分は、まるでドラマに出てくる普通の大人の男性みたいだなって思って、ちょっと嬉しかった。
誰かの特別な視線を求めて、特別な努力をすることもなくなった。隅の席で脚を開いて座り、だらしなくゲップすらした。
そのとき、隣から微かな笑い声が聞こえて、振り向くと、沢北がニコニコと笑いながら近づいてきた。
「深っさん……お久しぶりです。酔ってる深っさん、初めて見ました」
深津の心音が大きく聞こえた。
頬に冷たい感触、それはさっきまでレモンティーの缶を握っていた沢北の手だった。
「深っさん、顔がすごく赤くて、熱いですね」
「深っさん、本当に可愛いです」
深津は目を見開いた。じんわりとした感覚が胸から指先まで広がった。拳を握ったり開いたり何度も繰り返し、ただ痺れてるわけじゃないと確認した。
そして、冷たくて心地いいその手のひらを自分の頬に押し当てて、すりすりとこすりつけた。
「オレは可愛いんだピョン!」
深津はやっと気づいた。
何か特別なことをしなくても、その人の目には、自分は最初から特別に映っていたんだ。