きみのとなり
今日は12月24日。クリスマスイブだ。
最強の僕にはもちろんそんなの関係なくて、いつも通り任務に駆り出されていた。年末に向けて特に忙しくなる時期だけど、特に大きな案件はもちろん僕にお鉢が回ってくる。どんな呪霊だって僕にとっては取るに足らない相手だから、処理するのにもさして時間はかからなかった。それでも、これだけ連日仕事を詰め込まれれば、文句も言いたくなるって話で。
「あー、さむ」
全て終わって高専へ帰ってきたときには深夜を回っていた。もうすぐ日付も変わる頃だろう。さすがに12月ともなると、無限を張っていようが寒い。
静けさと寒さの中、さっきまで慌ただしく過ぎていた時間がゆっくりと経過するのを感じる。様々な音や思考にかき消されていたことが、脳裏に浮上してくるのがわかった。
毎年、この日に嫌でも思い出す男がいる。かつて共に学生時代を過ごした、唯一無二の親友。
今日は、その大事な存在を自分の手にかけた日だ。自分の選択は間違っていなかったと自信を持って言えるし、後悔なんてしていない。でも、何か寂しさとか、喪失感とか、あの時感じたそういう繊細な気持ちを、この日はいつも思い出してしまうのだ。
「らしくないよね~」
僕は基本、あまり心が動くことはない。生まれた時から替えの利かない存在だった僕は、僕以外の存在に対してどこか俯瞰的だった。自分と同じだと思ったあいつだって、結局僕とは違った。もう10年以上も前に、それは突き付けられたはずなのに。
肌を刺す寒さと、深夜の静寂が、余計に僕を一人だと言っているようだった。
「……」
ふと、悠仁の顔が見たくなった。あったかくて、かわいい教え子。
生徒たちのことはみんなかわいく思っているけれど、悠仁のことは特に好ましく思っていた。
正直あんまり人にそこまで興味がない、この僕がだよ?自分でもおかしいってわかってるけどさ、あの子を好きにならない人間なんていないと思うんだよね。
根明の人たらし。素直で、ノリがよくって、でもちゃんとイカれてる。まっすぐ僕を慕ってくれて、必死についてこようと、強くなろうとする。
悠仁の笑顔を見ると、僕も嬉しくなってしまう。ずっと笑っていてほしいし、これからも生きていてほしい。
絶対、殺させない。そう固く心に誓っている。宿儺の指が全部集まることなんて、僕が生きている限りないんだから。もちろんその後だってそうさせるつもりはない。
我ながら、重いなって思う。僕がこんな気持ちを抱いていることなんて、あの子は知らない。
「うーん」
悠仁のことを考えてたら、本当に無性に会いたくなってしまった。会いに行ってしまおうか。うん、名案。
さっきまでの気持ちが嘘のように、急浮上したのがわかった。
ちょっとだけ。顔を見るだけでいいから。いっぱい働いたし、今日は、聖夜なんていう特別な日なんだから、ちょっとくらいご褒美もらったっていいよね。
そう自分で自分を納得させて、高専の寮に足を向けた。深夜0時すぎ。悠仁はきっと寝ているだろう。それでも、いい。
悠仁の顔が見られると思うと、さっきまでの沈むような気持ちはどこへやら、足取りは軽く、飛べそうなくらいだった。
◇
案の定、部屋の鍵は開いていた。不用心にもほどがあるけど、悠仁らしくて笑ってしまった。
隣の部屋の気配を探ると、恵はいないようだった。僕と同じように仕事に駆り出されているんだろう。恵には悪いけど、今日は恵がいなくてよかった。
恵はきっと僕の気持ちに気づいていて、時折じっとこっちを伺ってくる。自分のことを蔑ろにしがちな悠仁のことをいつも気にかけている恵は、僕が悠仁に害を及ぼさないか、警戒しているんだろう。単に僕を信用していないとも言う。
害はなさないけどさ、やっぱり触れたいとか、そういうのはあるよね。好きなんだから。あ、そういうところが警戒されてるのか。
まあそれはさておき。扉を開けて視線を上げると、もうすぐそこにベッドがある。
僕は、悠仁の顔がよく見える枕元に腰を下ろして、ベッドに頭を預けた。すうすう寝息を立てて、悠仁が眠っている。
健やかな寝顔を見ていると、気持ちが浄化されていくのが分かった。
死なせたくないと、強く思う。
胸に迫るものがあり、思わず手を伸ばしてしまった。
「……ん……っうお!?」
「あ、起こしてごめんね」
飛び起きた悠仁がちょっと遠くに行ってしまって、残念な気持ちになる。もうちょっと近くで見ていたかったな。
「五条先生!?なんでいんの!?びっくりした!」
「悠仁の顔が見たくなっちゃってさ~ちょっといてもいい?」
気が抜けたせいか、何も取り繕わないままの本音が漏れた。顔が見たくなったって……直球すぎたかもしれない。
悠仁は、きょとんとこちらを見たけど、さして何も思わなかったみたいだった。ほんと自分のこととなると鈍いな。
「いいけど……暗くない?電気つけ……」
「電気はつけないで」
なぜか、咄嗟にそう言ってしまった。悠仁のまっすぐな瞳で見つめられたら、僕らしくないことを言ってしまいそうだったからかもしれない。
「……ほら、悠仁、せっかく寝てたのに明るくすると目が覚めちゃうでしょ」
「……うん」
悠仁は何も聞かずに頷いてくれたけど、なんか墓穴掘った気がする。ますますいつもの僕じゃない感じが出てしまったかも。かっこ悪い。
「悠仁の顔も見れたし、もう帰るよ」
僕は勝手に気まずくなって、咄嗟にそう言った。ほんとは、もうちょっと悠仁といたかったけれど、明日になればまた会えるし、その頃には僕だっていつもの僕に戻ってるはず。そう思って立ち上がる。
「先生」
いつの間にか近くまで来ていた悠仁が、僕の上着の裾を引いた。
「ちょっとこっち座って」
言われるがままに、ベッドへ腰かけたら、そのまま両肩から腕までを悠仁のあったかい手で優しく擦られた。強張っていた体から、自然と力が抜ける。
「俺の顔が見たいなんて、先生疲れてんだよ。ここでちょっと休んでったら?」
優しい声に、帰ろうとしていた体が動かなくなる。疲れてるから、悠仁の顔が見たかったんだけど……やっぱり通じてないな。鈍すぎて心配になってくるよ。
「……いいの?」
「もちろんいいよ!」
どうぞ、と布団をめくってくれる。何も考えられなくて、ふらふらと誘われるがままに、悠仁の隣に収まった。
隙間がないように掛け布団をかけてくれた悠仁は、アイマスクを取った僕の頭をポンポンして言った。
「先生、こんな遅くまでお疲れさん。ベッド狭いけど、こんなんでよければあったまってってよ」
頭ポンポンなんてされたことがない僕は、少しの間思考が宇宙に飛ばされてしまった。
あー先生めっちゃ冷えてんな。ふは、足めちゃくちゃはみ出ててウケる。ごめんな、布団短くて……いや布団短くてってなんだよ、標準だわ!一人で言って笑ってる悠仁がかわいくて、我に返った。あまりに自然に僕をあやすからびっくりした。甘やかし上手な彼氏か。
確かに足ははみ出てるけど、あったかい悠仁の体温と、気遣いに包まれて、僕はとても幸せな気持ちになった。
僕は暗い中でもよく見える目で、悠仁をそっと見つめた。悠仁は、僕の頭を撫でながら、穏やかに笑ってた。
「今日さ、みんなでケーキ食べたんだよ。先生の分、取っといてあるから、明日食べよ」
「……うん」
楽しそうに過ごしただろう教え子たちのことを想像すると、僕も自然と笑顔になる。みんなでケーキ食べてる時に、僕のこと考えてくれたんだ。嬉しい。
「……先生」
「ん?」
「あのさ、俺みたいな子どもにこんなこと言われても嬉しくないかもだけど、疲れたら、疲れたって言ってもいいと思うよ」
「……え?」
驚いた。そんなこと、今まで誰にだって言われたことがなかった。五条悟だから大丈夫だろうと、いつもそう言われていわれてきたし、実際そうだったから。
「僕はそんなに疲れたりしないよ。最強だし」
僕がそう言うと、悠仁はちょっと悲しい顔をした。なんで、そんな顔するんだろう。
「最強だって人間じゃん。疲れるときは疲れるだろ」
何言ってんの、って、悠仁は少し怒ったように言った。
「最強な先生だって、しんどくなることだってあるし、寂しいときとか、悲しいときとか……そういうの、あるのが普通じゃん……」
悠仁が、何かを伝えようとしてくれていることがわかった。何か、大事なものを差し出されているような。
「うまく言えんけど……ひとりで、そういうの、寂しいじゃん。そういう時、先生が俺の顔見て元気出るんだったら、遠慮しないで、いつでも会いに来てよ」
言葉を尽くしてくれる悠仁から、真摯な気持ちが伝わってきた。悠仁の、僕を思う気持ちが、僕に差し出されているのを感じた。
今まで、そんなこと誰にも言われたことがなかった。生まれた時から僕はそういう存在だって、一人で立っていることが当たり前で。誰かに寄りかかるとか、頼るとか、そんなのは、そうされることはあっても、僕からすることではないと思っていた。僕は五条悟なんだから。
「僕にそんなこと言うの、悠仁くらいだよ……」
あまりにも清廉な悠仁の気持ちに触れて、息が止まりそうだった。胸が苦しい。目頭が、じんわりと熱くなった。
そっか。僕、ちょっと寂しかったんだ。孤独を感じて、しんどくなっていたことに、今気づいた。だから、悠仁に会いたくなったんだ。悠仁といると、ひとりじゃない気がするから。
悠仁はいつも、僕のことを、ただの人のように扱う。ただの人のように心配するし、ただの人のように慕ってくれる。悠仁は、僕と「同じ」じゃないのに、まるで「同じ」ように、いつも僕の近くに来てくれるから。
そして今、そんな僕でもいいんだよって、悠仁は言ってくれる。僕を、ただのひとりの人間として、思いやってくれる。そんな存在今までいなかったし、これからもきっと現れない。悠仁以外は。
前からずっと大好きなのに、どんどん、どんどん大好きになる。こんなに好きにさせて、どうしてくれるんだろう。
「ありがとう、悠仁」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
「うん」
暗がりの中、隠そうと頑張ったけど、僕の嬉しくてたまらない気持ちがちょっとは伝わったようで、悠仁はニコニコした。嬉しそうなその表情を見て、もうちょっと何か言えばよかったかなと思ったけど、もう「好き」とか言っちゃいそうで無理だった。付き合ってもないのにベッドにお邪魔して、あやすように頭を撫でてもらっている。どう考えてもそれを言うのは今じゃない。
悠仁のそばは、本当に居心地がいい。悠仁は誰にでも優しいけど、それが上っ面だけなわけじゃないから。だから人たらしなんて言われるんだよね。今日は、僕がくたびれてるって分かったからとびきり優しくしてくれたんだろうけど、まさか、こんなこと、誰にでもやってたりする?いやいやいくら悠仁でもこんな……いや、やりそうだな。恵あたりには既にやってるかもしれない。いやだな。
そんなことを一人でぐるぐる考えてたら、目の前から健やかな寝息が聞こえてきた。さすがどこでも寝られる男。
「……おやすみ、悠仁」
また訪れた静寂は、少し前に感じたものとは全く違っていた。
僕は、寂しさや孤独を感じることはあっても、きっと今まではなんとも思っていなかった。気付いていなかったのかもしれない。僕にはそれを感じる必要もなかったし、それを埋めるすべもなかった。それが、普通なんだと思っていた。
でも、悠仁に出会って、あたたかさや安心感、ひとりじゃない喜びを知ってしまった。もう、あの頃には戻れない。
「こんなはずじゃ、なかったんだけどなあ」
人じゃないとまで言われた最強に、一緒に生きてずっととなりにいたい存在ができるなんて。
静寂の中思わず出た言葉は、その内容に反して、とても嬉しそうに響いた。
◇
「おはよー先生」
「……あれ、ゆーじ……?」
目を開けると、悠仁の声が聞こえた。
「よく寝てたね。今6時だけど、時間大丈夫?」
びっくりすることに、爆睡してしまった。こんなにすっきりした朝は初めてってくらい、めちゃくちゃ寝た。足はみ出てたのに。
「朝から仕事だけど……まだ大丈夫……」
「大丈夫なわけないよな?ほら早く起きて、ご飯食べよ!」
悠仁がいる……とぼーっとする僕をせっつく悠仁は、ご飯を作ってくれていたのか、いい匂いがした。
そういや、昨日の夜に感じた寒々しさはすっかり消えていた。むしろ心がポカポカしてる。起きてすぐ悠仁の顔が見られたからってのもあるけど。
悠仁が作ってくれたあったかいご飯を食べながら、僕はいろいろと噛み締めていた。
「昨日は突然来てごめんね……悠仁はちゃんと眠れた?」
「俺はどこでも寝られるから、無問題!」
まあそうなんだろうけどさ、なんか意識してもらってないみたいで、ちょっと傷付くじゃん。当たり前なんだけど。
「……悠仁さ、誰にでもこんなことしたら駄目だよ」
「え?」
「ちょっと元気なかったからって一緒のベッドに寝かせて、頭ポンポンしたりとか……勘違いされちゃうよ」
「……勘違い?」
「誰でも悠仁を好きになっちゃうでしょ」
「……先生は、好きになった?」
「……え?」
好きになったというか既に好きですけど……と悠仁を見つめると、顔を赤くしてこちらを見つめる悠仁と目が合った。
ん???
「こんなこと、誰にでもするわけねーじゃん」
「え……!?」
声ちっちゃ。あれ、幻聴……?誰にでもしないってこと……僕だけって、こと!?
「ちょ、悠仁、僕の聞き間違い!?違うよね!?もっかい言って!」
僕が大声で叫んだ瞬間、隣の部屋から壁を盛大に叩く音が聞こえた。結局恵にもバレたし!
同時に、空気を読まない伊地知からの着信も始まってしまった。何を隠そう、もう全然集合時間を過ぎている。
「ほら、先生、仕事だろ!いってらっしゃい!」
いってらっしゃいは嬉しいけど、こんなんで仕事に行けるわけなくない!?
「ちょっと悠仁、帰ってきたら話するから!」
ぐいぐい背中を押す悠仁を振り返って見下ろすと、下を向いているから表情は見えないけど首元まで赤くなっていた。え、かわいすぎ。今すぐ顔見たい。そう思ってなんとかとどまろうとしたけど、その間も鳴り続ける携帯電話と、悠仁の力は相変わらず強くて、結局廊下まで押し出されてしまった。このままでは、恵どころか寮中のみんなにバレそう。僕は別にいいけど、このかわいい悠仁を誰にも見せたくない。
「むちゃくちゃ巻いて帰ってくるから!絶対!」
「……うん」
未だ顔を見せてくれないけど、ちゃんと返事をもらったのを確認し、仕方なく走り出す。
「……先生、いってらっしゃい!」
もう一度聞こえた声に背中を押され、僕は走るスピードを上げた。
◇
僕はその日、記録的な速さで呪霊をせん滅し、午後すぎには帰宅することとなった。僕の10倍速に最後まで必死でついてきた伊地知は、廃人のようになっていた。今回ばかりは申し訳なく思ったけど、早く終わったんだからいいよね。
待っていてくれた悠仁と一緒に食べたケーキは、今まで食べた中で一番美味しかった。